風車
登場人物
黒瀬結衣:女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は魔法使い(術者) 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ
白谷駿:男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス とある事故が原因で存在自体がレアな男子の魔法使いに 成績は以下略 3月25日生まれ
遠野春香:女子高生(2年生) 隣のクラスの美少女だがとある事件で黒瀬に復讐するために白谷に接近する ヤンデレ気味 成績は優秀
「遠野……どう言う事やこれは!」
「あら、折角ピアまで来たのに一人じゃ寂しいなぁ、と思って白谷くんをデートにお誘いしたの。うれしいわぁ、ちゃんと来てくれて」
暗灰色の厚手のセーターを着こみ、一見するとオールオーバーみたいな明る目の黄緑色に染められたデニム地に近い厚手でだぼだぼのパンツを履き、それを留める幅広の明るい木材色が結構目を惹くベルトはスタイルが良い彼女の細めのウエストを一周している。足元は黒系の、ソールがそこそこ厚めのスニーカーの様な靴を履いた遠野春香は、どう見ても怒りの感情しか見えていない白谷駿を翻弄するかのように話を微妙にはぐらかせ、何かを隠しているかのような意味ありげな笑みを浮かべた。その表情は更に彼の怒りに火を注いだようで、そこが店の中であることはとうの昔に放擲したかのように彼女を声高に詰問する。
「電話と言ってる事違うじゃねーかよ!」
「だってホントの事言ったら来ないでしょ?」
「たりめーだ!お前のせいでどんだけ迷惑被ってると思ってんだ!!」
「別にいいでしょそんな昔の事。でも来てくれたってことはまだあたしとまだ関係持ちたいって思ったからでしょ?」
「俺は……!」白谷はそう言いかけて……さっきから周囲の刺さるどころか貫くような好奇心をふんだんに含んだ複数の視線や、痴話喧嘩なら何処か外でやれやと迷惑以外の感情が見当たらない怒りの目線などを受けて、急浮上した恥ずかしさに替わって彼の怒りの水位は急速に下がっていくのを感じた「……もうお前とは関係ないって言ったろ!」
周囲に迷惑にならない小声の限度で、目の前でにこやかに笑みをこぼしている遠野に白谷は迷惑この上ないとばかりに吐き捨てるように言った。
「あら、そうだっけ?」
「それに何だ、お金が無いから助けてって言ってたのに平気でたこ焼き食べてんじゃねーか……!」
「お金が"無い"っては言ってないわよ。"少ない"っては言ったけど」
「同じだろうが!」
思わずの怒鳴り声に店内にいるお客たちが再び彼に向けて視線という名の矢を放つ。
分厚めのGパンを履き足元の靴は紺のバスケットシューズ……は判るとしても、上半身は緑色と白のスタジアムジャンパーの胸前をはだけた様に広げている。その胸前から見えるものは、水晶のペンダントと何か英文が書かれたTシャツ一枚という、冬には似つかわしくない格好の白谷に店内のお客たちは今度は好奇心じゃなく、純粋に迷惑だから外出ろや、と暗に促しているようだった。お好み焼きを焼いている店員も、もうどっか行ってくれないかと懇願するような表情を、幾つものお好み焼きを焼いている鉄板から立ち上がる熱気の向こう側から浮かべていた。
「にーちゃんや、こんなとこで痴話げんかするなや。やるんなら店の外出てやれって」
二人の言い争いにうんざりしたすぐそばの、どう見ても営業中に抜け出してきたかのようなスーツ姿の定年間際っぽいオッサンサラリーマンが、だみ声交じりに白谷へ福井弁のイントネーションで文句をつける。言われた彼は一瞬そのサラリーマンに非難じみた視線を向けるも、再び目の前の、何の反省の色も浮かべるどころか初めから持ち合わせてないかのように笑みを浮かべる隣のクラスの美少女に向けた。
「ねーちゃんや、このにーちゃんとっとと座らせて仲良くデートしねの」
「ありがとうございます」
次に話を振られた遠野はそのオッサンサラリーマンに丁寧に礼を述べた後、白谷の横にあるカウンターの椅子を引いて、さりげなく着席を促した。彼女自身も、彼が来るまで座っていた腰高の、籐を巻き付けた和風っぽい椅子にしなやかに体を落ち着けた。
その背もたれには、彼女が着てきたらしい濃紺色のコートと薄桃色のマフラーが掛けられていた。
「ほら、白谷くん。もうここまで来たんだから食べて帰ろ」
「……」
突き刺さる怨嗟の視線の圧力に屈したか、苦虫をまとめて1グロスも嚙み潰したかのような苦渋の表情を浮かべた白谷は、しぶしぶという言葉が具現化するほどの嫌々さを見せつけて椅子に腰を落とした。
それだけではない。時間的にお昼に近い時間帯──思春期真っ盛りの男子にこのソースの香り渦巻くお好み焼き店内で何も食べずに我慢しろというのは、秋翠から東大や京大へ行けという位に不可能事に近い。白谷のお腹から、空腹を知らせる音が周囲の喧騒に紛れてさりげなく鳴り響いた。
椅子に腰を落とした彼を確認して、遠野はさりげなく、そしてあくまでにこやかにメニュー表を差し出した。
「白谷くん、何食べる?」
──生徒たちが待ちに待った冬休みに突入した。2週間ほどしか無い短い休みだが、年末年始の行事が目白押しで、その濃密度は夏休みの比ではない。短い休みだからこそ、1分1秒でも無駄にしたくないかのように彼らは計画を立て、あるいは反射的に遊び、家族や友人らと楽しさを共有していた。
しかし、年末年始は家族単位で行動することもまた多く、表立って強制とは言われないものの実質行動の自由は存在していない。年末は大掃除から始まって正月の準備やその手伝いがあり、元旦になれば近くの神社をはじめ、街中の"おしんめさん"と呼ばれる福井市内で参拝客が多数押し寄せる神明神社や同じくらい人が来る"佐佳枝の社"こと佐佳枝神社、三国の成田山へのお参りが待ち構えている。それが終わると今度は親戚への年始の挨拶や、母親の親の家でTVのかくし芸を見つつ親戚が集まっての宴会への参加等、友人らとはその時期は疎遠になる位、家族での行動が増えて来る。もちろん、彼らの中には初詣を彼女と共にお出かけするという幸運な奴もいるが、それは上手くスケジュールをすり合わせてようやく生み出した貴重な時間の賜物で、しかも許された時間はほんの2、3時間しかなくその後はそれぞれの家族の行事によって楽しい時間が強制終了される運命にある。故に、短い逢瀬の間に彼や彼女らは互いの恋心を確かめるしかない。
白谷家の年末行事も、冬休みに入ってすぐから少しづつ掃除や正月の準備等が始まっていたが、ピークは明後日なので1時間ほどの作業後に彼の体の予定は空いた。ふと時計を見ると、11時を少し過ぎた辺りを指している。
「さあて……どーすっかなぁ」
上半身はTシャツを着こみズボンは明灰色だぶだぶのスウェットを付けた彼は、外とそんなに気温差が無い階段を、作業後の為か余剰の体温を放出しながら自分の部屋へ上って行く。階段を上り切った正面の部屋からは弟の駈が何やら中の片付けをしているようで、バタバタとしている。
「あー、部屋は片付けんといかんなぁ……」
微妙に重くなった気持ちを少しでも盛り上げようと彼は自室に入ってラジカセのスイッチを入れる。丁度入っていた民放FMから、年末年始関係の曲が特集なのか、明るめのメロディが立て続けに流れて来る。それを聞きながら自室を見回す──多少のカーペットの色は見えているものの、エントロピーの法則に従って乱雑に散らばった雑誌や本、カバン、カセットテープなどの小物の他、まだ洗濯に出してないスウェットなどの部屋着やGパン、セーター、カーディガン、コート、スタジアムジャンパーなどの服などが脱いだままか洗濯したが仕舞い込んでない状態で床を偽装していた。
「どっから片付けようか……」
ため息一つついてベッドに腰を下ろす。正直やる気はないが、万が一母親に踏み込まれた場合、さっさと片付けろと小言を言われるのは目に見えている。
それに当然学校から冬休み用の宿題も出ている。二学期末テストの成績が上がった彼としてはいくらか勉強の楽しさが判り始めてきたようで、これもやらないといけない。が、当然ながらまだ判らない部分がそれなりにはある。
「そうだな……結衣に空いてる時間訊かないと」
隣に住んでいる幼馴染の黒瀬結衣は、幾分成績が落ちたみたいだがそれでも上位50人から脱落するほど酷くはなかったようだ。彼からしてみれば"勉強を教えてもらえる幼馴染"は維持されており、先生役としては適任という外はない。
しかしまずは部屋の片づけから始めないと……と腰を浮かせたその時、部屋の電話がややうるさめに電子音で着信を知らせた。誰か出るだろ、と思ってしばらくはそのままにしていた彼は他の家族が手一杯で出られないのかしびれを切らして受話器を取り上げた。
「もしもし、白谷ですが……」
『あ、白谷くん?よかったーあたし──』
ガチャ。
両手で受話器を押さえつけて、二度と掛かってくるなと呪うばかりに彼は罪もない電話機を押し付け、睨みつけた。突然の怒りが、心臓を少しばかり活発化させる。
「……何で……かかってくる!?そもそも、何で家の電話番号知ってる……!」
教えたはずはない。そもそもあんな感情を持ってたのに、あんな事されたのに教えるはずがない。誰が──そう思った刹那、再び電子音が響き、電話が激しく出ろと促す。
また……?いや、今度は違うかも──丁半博打をしている気分にさせられた彼は再び受話器をとった。
「もしもし──」
『ヒドイ、切るなn──』
ガチャ。
……彼からしてみれば、それはちょっとしたホラーにしか思えなかった。
冬休み前、取るに足らないことで些細な騒動を起こした張本人が、あれだけもう関係ないと言ったにもかかわらず、また性懲りもなく電話をかけて来るそのしつこさに、彼は何処か薄ら寒さを感じざるを得なかった。多分、部屋の暖房をかけていてもその感情は強烈に感じたかもしれない。
そして三度目の電話が鳴る。
彼はさながら悪霊退散を念じている祈祷師のごとく受話器を押さえつけて、彼女からの電話が早々に切れるように願ったが、それはあっけなく崩れた。通話中のボタンから赤い光が付き、部屋のドア越しに母親が電話に出てる声が聞こえてくる。そして、下から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「駿~、電話。遠野さん、っていう女の子から」
「電話切って!俺出ないから!」
「何言ってんの、女の子からの電話切れなんてアンタそれでも男!?」
当然、母親は彼と遠野との関係を知らない。多分、女子からの電話ということで母親はニコニコしながら彼を呼んでいるのだろうが、当事者としては心臓に悪いホラー映画を見させられるようで、絶対に拒否したい。
電話機の通話中が保留に切り替わり、母親が階段をイライラしながら上がってくる大きな足音が次第に彼の部屋に近づいてくる。
「駿!さっさと出て!女の子待たせるんじゃないの!」
「出ないったら出ない!」
「駿!いい加減にしなさい!!」
とうとう母親が部屋のドアを開けて、阿修羅のごとく怒りを纏った表情と雰囲気を彼にぶつけてきた。それでも彼は態度で出ないことを示したが、睨みつける母親の圧に屈したか、ベッドから起き上がると態度からしてもう嫌々なオーラを放ちながらしぶしぶ電話機に向かう。受話器を取り上げた瞬間を確認した母親は、手間かけさせて……と呟くかのように踵を返して階段を下り始めた。
「──もしもし……」
『あ、白谷くん?お願いがあるの~』
「もう関係ないだろ。何で掛けて来るというか、何で家の電話番号知ってる?」
イヤ、という言葉を何回も累乗したかのような重々しい口調で受話器の向こうの因縁の相手に彼は告げる。できれば今すぐ切りたいが、そんなことをしたら多分母親がまた上がってきて何か説教するんじゃないか、そんな気が彼にはしてきた。
『そこは色々と。で、お願い、ってあたし手持ちが少なくて店から出られなくて困ってるの。ピア1階のお好み焼き屋さんにいるからお願い!お金少し貸して!』
「断る。友達に借りればいいだろ?」
『電話かけてもみんな留守なの』
「俺に頼るな。梅田がいるだろうが」
『梅田君?やっぱり留守』
「緑川は?」
『みんな出かけてて電話出ないの。もうお願い!最後のお願いだと思って!!』
「食い逃げ犯の犯罪者にもなればいいだろ。俺は知らん」
『お願いっ!!!』
「──切るぞ」
ガチャリ。
ふう、とため息をついた。受話器から聞こえていた彼女の声以外の音は確かにショッピングセンターから掛けられているように賑やかな歳末商戦を繰り広げている店内放送やざわめきだった。それに混じって食器の当たる音や注文を受け付ける確認の声、何かを焼いている音などが聞こえてきていたので彼女がいる場所にウソはなさそうだが、彼にとってはそんな事はどうでもいい事だった。
さてと、電話は片付いたし、それじゃ部屋の方を、と彼は床に散らばった雑誌類を拾い上げつつ片付けに入った。大きさ別に並べ、カラーボックスの空いてる所に並べて行く。漫画や小説の単行本なども拾い上げて別の箱に入れて行く。
「……」
彼自身はほんの1、2秒ほどの短い時間に感じられたが、実際はその倍近くの時間、彼の体は動きを止めていた。かぶりを振り、次は服を片付けようと動き始めるも、ゼンマイが切れたかのような彼の体は、再び動きを止めた。
彼自身、動きが重い事を感じ始めた。
「……」
──何処からともなく体を蝕むように後味の悪さが忍び寄って来た。さっきの、話を途中で打ち切った瞬間の現実が頭の中でヘビーローテーションを起こしている。
あれだけ散々振り回されて一刻は襲撃までされて、おまけに彼女に好意を寄せる奴にまでも絡まれて……そうされてまでも何でこんな感情が湧き出るんだ、彼女は加害者なんだぞ!彼は自分にそう言い聞かせようとしたが、それでもその気分の治療は出来ずにいた。
こういう時に完全に無視できる図太い神経持ってたら、幾分楽だろうなぁ……彼は苦笑いを浮かべながらそう思った。
彼は近くに置いてあったサイフを確認した。とりあえずはお金はある。
「……全く!」
部屋を片付ける任務を彼は途中で放棄し、よそ行きの服に着替え始めた。行き先は、"ピア"。
"ピア"は、福井市北部に作られた、全国規模の大規模小売店チェーンと地元の商店街とが共同出資して作られたショッピングセンターである。周囲と屋上に駐車場を構え、広い店内には商店街から引っ越してきたかのような数多の専門店が区画を構え、大規模小売チェーンはそれを補完するように様々なモノを並べていた。広めにとられた通路には常に人々が動き回り、買い物や食事を楽しんでいる。
福井市民はヒマになるととりあえずここを目指して時間を潰したりするので、周辺道路は土日ともなると渋滞が常態化し、たどり着くまでに時間がかかることもしばしば。逆に徒歩や自転車で行った方が早く着く可能性が高かったりする。
家族連れはもちろん、友人らとの集まりや、当然、中学生や高校生のデート場所としても機能しており、年末商戦とも相まって店内通路にはそれらのお買い物客であふれかえっていた。
そこの1階にある、主要通路からやや外れた位置に、件のお好み焼き屋はこじんまりと飲食店街の一角を占めていた。
「豚、お待ちっ!」
店員さんが慣れた手つきで豚肉入りのお好み焼きを皿に載せて二人の前に出してきた。カウンターに並んで座る一組の男女は端から見れば冬休みに入ってデートしているように見えるが、実際はというと……白谷は彼女から1mmでも離れたいような逃げ腰で椅子に座っている。足に至ってはすぐにでも逃げ出せるように、彼女とは反対方向へと向いている。そしてその表情は嬉しさの"う"の字すら存在しないような仏頂面が彼の顔を覆っている。豚肉入りお好み焼きを出してきた店員さんも、二人の顔を交互に見て訝し気な表情を浮かべた。
「白谷くん、食べよ」
「……俺は……いい」
「遠慮しないでって」
「遠慮してねーよ。食欲無いだけ」
しかし体は正直なもので、そう言った彼の舌の根も乾かないうちに彼のお腹からいい加減食べ物を摂れという指令が下る音が狭い範囲内だが聞こえた。彼女はそれを聞いたらしく、
「ほら、お腹が鳴ってるでしょ?食べなよ」
彼の気持ちはこの場から立ち去りたい。しかし、彼の体は食欲に忠実であれと指令を出し、気持ちを欲望のコントロール下に置いているためか白谷の両目は目の前のお好み焼きから外せないでいた。口の中に唾が満ち、ごくりと飲み込む音が彼女に聞こえそうな感じがして恥ずかしさが替わってこみ上げてきている。
因縁の彼女を突き放すか、食欲に負けるか──端から見ればしょうもないどうでもいい二択だが、白谷にとってはこれから先の人生の分かれ道に差し掛かったかのような、過つことが出来ない重い二択のように思えてきて、逆に手を出せない、その場を離れられない状況になっていた。
突き放すのが一番楽だが、休み明けにまた何言われるか判ったものじゃない──前回のデート(らしきもの)ですらああいう事言われたのだから。かといって食べてしまうと、彼女の軍門に下ってしまったかのようでどうにも納得がいかない……。
でも、どのみち来てしまったこと自体、食べようと食べまいと何か尾鰭付けて言われるんじゃないか──その考えが彼の頭に浮かんだ瞬間、体中の筋肉が強張ったように感じ、背筋が何か氷でも伝ったような嫌な温度変化を感じた。そして、こうなった原因の彼女に情けを掛けた事を激しく後悔したように白谷の顔にしわが刻まれた。
こうなったら……食欲に従った方がまだマシだ。『毒を食らわば皿まで』という諺もある。
「すみません、お好み焼きの豚一つ」
店員に注文を出す。彼の注文が店員さんの間で復唱されてる間、それを見た遠野の表情に一瞬陰りが出たように白谷には見えた。
「え……?」
「俺は俺の分を食べるけど、遠野、お金の持ち合わせが少ないんだろ?まとめて払ってやる。それでいいだろ?」
彼女が微妙な笑顔を見せながら彼の真意が判らず訊いてきた。白谷はこれで貸し借りはチャラにしたぞと言いたげに彼女に言うと、目の前の鉄板に視線を合わせて遠野の方を視界から外した。彼からの視線を外された遠野は数瞬の間それまで貼り付いていた笑顔が解除され、地の表情が露わになる。面白くない──そう言いたげな顔つきの彼女の箸は止まった。
白谷が注文したお好み焼きが来るまでの間、二人の間には会話が存在しなかった。ただカウンター席で並んで座っている高校生の男女──他の人には奇異に映っていることだろう。賑やかな店内の中で、そこだけが見えない壁に隔離されてるようだった。
やがてお好み焼きが白谷の所にやって来た。そそくさと割り箸を取り出して二つに割り、小さくいただきますと声に出した後、彼の内なる食欲に盲従するようにがっつき始めた。
その隣では、彼女の箸はさっきから止まったままだった。しかも半分ほど残ったお好み焼きを見つめているだけで、まるでお人形さんのようにその姿勢には変化がない。虚無の表情を浮かべて──微妙に、何処となく口惜し気な成分がその中に含まれていた。
「遠野さん」
ある程度口の中に入れたお好み焼きを食道の向こう側へ送り込んだ白谷は、さっきの痴話げんかモードから一転して静かな口調で隣に言葉をかけた。しかし彼女はその姿勢を崩そうとはせずに、彼の言葉も聞いてないように見えた。それでも彼は彼女に問いかける。
「何で俺に関わろうとするの?」
彼女はそのままだった。返事が無いのを確かめた白谷は、一旦箸を置く。
「同じクラスの梅田ってやつ、遠野さん好きみたいだろ?俺なんかに構わずにそっちと付き合えば──」
「──そんなんじゃない」
虚無顔のまま彼女は彼の言葉を断ち切るように、静かに言った。しかし、力があった。
「じゃあ何で──」
彼が問いかけるも、彼女は再び貝になった。拒絶という名の殻を閉じて、何もしようとしない。
それを見た白谷はとりあえず食べかけのお好み焼きを口に運んだ。ソースの味と豚肉の感触が口に中に広がろうとした矢先、隣の彼女が動いた。
残ったお好み焼きを急いでるようにがっついて口の中に入れて完食する。隣から白谷が少し呆気にとられてしばし見つめている中、彼女は椅子から立ち上がった。
「帰る」
一言だけ遠野は言うと、背もたれに掛けた防寒具を取り上げて次に伝票を持っていこうとした──その寸前、彼はそれを取り上げた。
「な……何!?」
少しの驚きの顔を見せた彼女に、白谷は彼女の伝票を自分のに重ねながら、
「言ったろ?手持ち少ないんなら俺が出すって」
立ち上がった彼女を下から見上げて白谷は告げる。言われた彼女は一瞬怯んだように見えたが、直後、奪われた伝票を取り戻そうと手を伸ばした。
が、その行動は彼の手に阻まれる。手のひらで、伝票を覆い隠す様にして。
二人の視線が交錯する。
奪おうと鋭く彼を見つめる彼女と、借りはもう作らせないとする彼と。
遠野は彼のガードが堅い事を悟った。そして一瞬悔しそうな、泣きそうな顔を刹那に見せたあと、それを振り切るようにその場を離れた。
離れ行く彼女の後姿を、白谷は目線で追いかける。店を出た彼女は、後ろを振り返るそぶりも見せず、やがて年末で賑わうピアの雑踏に消えていった。
しかし彼は見た。いや、正確には見えた"かも"しれない──彼女の顔がふわりと広がる髪に見えなくなる直前、口元に笑みが浮かんだことを。白谷の脳裏には、その口元がスローモーションで何度も再生され、その都度彼女に対する感情が揺り動かされる。
半分ほど残ったお好み焼きの皿に視線を戻した白谷は、ため息のように一息つく。
「何で俺に関わろうとするんだ……?」
答えがなかった彼女への問いを、白谷は独り言のように呟いた。
同じ皿のお好み焼きを彼が少しでも食べるなら、今度はこういう風に言いふらしてやろうか。例えば私の口元に何かついてるって言ってくちびる寄せてきて、店の中でどさくさ紛れにキスしてきたの、とか──彼女はそう考えて白谷に電話した。前回は思った程ではなかったが、でもそれなりには噂になってたから、今度もそれなりには上手く行くかも、と。
今回、その目論見は外れた。それでも言いふらせるが……説得力は低くなるかもしれない。
しかし、それは些細なことだ。
重要なのは、彼が来たこと──それだけで、彼女にとっての収穫は充分と言えた。お好み焼き屋を出る直前、思わず口元に笑みが浮かんだのはそのためだ。
さて、次はどうやって誘い出してやろうか、そしてどうやって白谷の気持ちを揺さぶってやろうか……福井駅へと向かうバスの中で、遠野は流れてゆく景色に何の感銘も覚えず虚ろに見つめていたが、その瞳の奥は、これから始まるだろう何かにワクワク感を抑えきれずに大声で街中に知らせたい衝動が渦巻いていた。
「幼馴染、何処まで耐えられるか……な?」
美しいものには棘がある、とはよく言ったものだが、この時彼女の棘に気付いた者は世界中を探しても何処にもいなかった。
ノイズはまだ残っていた。しかし、何も出来なかった時よりは、幾らかは元に戻りつつあるように彼女は感じていた。
「……でも、まだ、だなぁ……」
上手く行かなくても、魔法を使っただけの空腹感が現れて来る。食べ過ぎない様に彼女は、ロウソクなどを置いている台の側にポテトチップスの袋を置いて、その分だけ口にくわえてエネルギーを補給していた。
彼女の家──黒瀬家も隣の白谷家と同じように年末の掃除を少しづつ始めている。午前中に今日の分の掃除や片付け等を終えた彼女は、未だに復活出来ていない魔法の回復訓練に時間を当てていた。時折母親に教えを請いながら、3か月ほど前までは普通の人と同様魔法を全く使えなくなっていたのを、少しづつ使えるようになっていたが……それでも、微妙なノイズが以前の様な魔法の力を発揮させてくれない状況にもどかしくもあった。
──焦ってもしょうがない。彼女は大きなため息を一つつくと、部屋2つ分は優にある大きなベランダの一角に設えてある、透明なアクリル板に囲われたサンルームを出た。
引き戸を開けると、冬の冷涼な空気が上下灰色のよれよれのスウェットにドテラを羽織っただけの部屋着仕様の彼女の体を温度的に締め付ける。自分の部屋と続いているサンルームは暖房の暖かい空気が幾分か温めていたが、出るのを躊躇うような低温の空気が一斉にサンルームばかりか自分の部屋をも侵略してくる。手早く引き戸を閉めると、背伸びをして冬の福井にしてはまだマシな天気──雲が優越しているがそれは暗く低く垂れこめる雪雲ではなくそこそこの明るさと高さを維持しており、その所々の隙間から青空が見え、そこから低い高度でお日様が顔を出している──の下、ベランダの端にある鉄柵から周囲を見渡した。
似たような高さの2階建ての家が戦列歩兵のように道路沿いにずらりと並び、それが奥行き方向に数段分重なりあって住宅街を形作っている。その向こう側には、かろうじて晴れ間になっている空を背景に、古墳の一部である丸山が黒々と針葉樹をたたえた頂上付近を住宅街の屋根の上から姿を見せていた。
「こんなんなるとはなぁ……」
上半身を鉄柵にもたれかかりつつ彼女はうわ言のように呟いた。
つい3か月ほど前までは、魔法も使えた。彼氏もいた。
今は、魔法は取り戻しつつあるが、彼氏がいない。
魔法を止めようと思ったこともあった。
彼女は、ちらりと隣を見た。その目は、少しばかりの羨望も含まれていた。
「……こんなことになるとはなぁ」
さっきと同じ言葉を、彼女はもう一度繰り返した。
思うようにはならない魔法よりも、貴重な冬の晴れ間は日向ぼっこしてのんびり過ごしたい──そう思った彼女の視界の右端に、どこかで見たことのある人物が自転車に乗って眼下の生活道路を右から左へと滑るように走って来るのを認めた。
駿だ。自転車で出かけてたらしい。
「駿!」
ベランダから近所中に聞こえるほどの彼女の大声は、彼が乗る自転車を急停車させるのに十二分なほどだった。
「結衣!」彼女に止められた白谷はその声の方向を見る「どうした?」
「いや、見かけたから声かけた」
「ヒマそうだな」
「んなわけない。何だかんだで時間が足りなさそう」
「そうなのか。あ、勉強判らん所あったら教えてくれるか?」
「それは構わんけど……年明けでいいか?年末はなんだかんだで時間が取れない」
「もちろん、それの方がこっちも助かる」
「えーと、じゃあちょっと待って」
彼女は一旦ベランダから自室に戻り卓上カレンダーを手に取って足早に階段を下りて行くと、つっかけを履いて玄関から家の前にいる幼馴染の所へ姿を再び現した。
学校へ乗って行く自転車にまたがったままの彼の服は冬にしては薄手に見えたが自転車で出かけていた事もあり、動いて丁度良かったのだろう。寒さを感じずに彼女の到着を待っていたようだ。
彼女は年末と三が日以外なら休み中は大体は大丈夫と思って声をかけようとした瞬間、彼からふと食欲をそそる香りが鼻をくすぐった。
濃厚なソースの香り。
「……お好み焼き?たこ焼き?」
「あ、ああ。ちょっとピアまで」
「ふうん……まあ、いいや」
黒瀬は彼を疑うというよりはただ好奇心で訊きたかっただけのようで、白谷は内心ホッとした。遠野と結果的には会ってた、なんて知れた日には何言われるか……。
「この日とこの日はちょっと親戚の所へ行くからダメだけど、それ以外なら多分大丈夫」
彼女は手持ちの卓上カレンダーの特定の日を指さしながら幼馴染に説明する。白谷もカレンダーを覗き込むように日程を確認してゆく。そしてちょっと視線をカレンダーから外して考え込んだ。
「こっちの親戚の所行く日も似たようなもんだなぁ……わかった。じゃあ改めてまたこの日って言うわ」
「なるだけ早めにね。突発的に出かけることもあるから」
「わかった」
家が隣だから、いざとなれば階段上り口の窓で話も出来る。こういう所はわざわざ外出なくても電話かけなくてもお隣さんは便利だなぁ、と白谷が幼馴染でお隣さんの有難みを感じていた時に、白谷家から彼の母親が姿を現した。赤系のスウェット上下に真っ白なエプロンを着けてパタパタとサンダルを響かせ、手には回覧板を持っている。
「あ、おばさんこんにちわ」
「あら結衣ちゃん、丁度よかった回覧板お願い」
「わかりました、ありがとうございます」
彼の母親が彼女に丁度良かったという感じで回覧板を渡すと、ついでに、みたいな気軽さで横にいる息子に、
「駿、そんで遠野さんという子とは会えたの?」
──その言葉に二人が凍り付いた。精神的に、雰囲気的に。
彼は母親に何言ってんだと言わんばかりに驚き、彼女の方はそれまでにこやかに応対していた表情が疑惑と怒りと軽蔑が絶妙に混ざった、人を呪い殺すことが出来るほどの鋭い視線を眼鏡越しに彼に投げつける。事情をよく知らない彼の母親はアレ私何か変なこと言ったかしらとぽかんとした表情を見せ、やがて幼馴染同士の雰囲気の悪化に焦り、
「ご、ごめんなさいね変なこと言っちゃったみたい……」
そそくさと退散していった。
「……どういうこと?駿──」
彼の母親が家の中に消えて少しばかりの静けさが支配した後、彼女の口調は明らかに被疑者を疑う刑事のように彼を咎めるものに変化していた。
「俺も別に行きたくはなかったんだが……」
それに対する彼の返答は、彼女からしてみれば責任を逃れる姿勢にしか見えなかった──瞬間、彼女自身の感情がガマンの閾値を簡単に超えた。
「じゃあ行かなきゃよかったでしょうが!あんだけ酷い目に遭っておいてまだあの女と!バカじゃないの!?」
「仕方ないだろうが!金が足らないって言われてそれで色々と──」
「色々って何よ!あんた無視できないの!?ほっときゃいいじゃないの!学習能力あるの!?」
「うるさいっ……!大体、お前もう恋しないって言ってたくせに何他人事に首突っ込むんだよ!」
「あんたがあの女と一緒にいるとこっちにまで悪影響出て来るからでしょうが!んとに何考えてんの!?」
「やかましい!散々こっちの事に干渉しやがって、結衣は俺の親か!監督責任あるのかよ!」
「監督責任も何も"弟"がバカだから"姉"が苦労するんじゃないの!ちっとはこっちの身にもなって考えなさいよ!!」
「勝手に"姉"面するなバカ!うざったいんだよただでさえ隣なのに!」
「それはこっちの台詞だよ馬鹿!そんなんだからアンタ成績上がんないんだよちっとは頭使え!!」
「ちょっと勉強できるからって偉そうに説教すんなカタブツ女が!」
「出来損ないの幼馴染なんぞ要らんわ!」
「出来損ないはテメエの方だろうが!」
使っていた自転車を意識からとうの昔に忘却したせいか、ガチャンとアスファルトにバランスを失って倒れた。その音をゴングとしてほぼ同時に両者が掴みかかり、たちどころに生活道路がリングへと早変わりした。白谷が頭突きをかまそうものなら黒瀬の方は彼の顔面にフックを送り込んで互いにダメージを与えようともみくちゃになる。
しばらく立ってもつれ合ってたが、黒瀬が白谷の足を絡めて押し倒す。両者が倒れるも上になった黒瀬が軽めのボディプレスの形になる。その後、マウントを獲った彼女が拳を振り下ろそうとするも彼は寸前でその腕を掴む。
力なら白谷の方が上だが、マウントを獲っている黒瀬も負けていない。
互いが力の限りの怒りの形相を見せ合う中、フリーになってる左手で彼女は彼の顔に拳を叩きこむ。しかし今度は彼は上になってる彼女を背筋を使って上に跳ね飛ばした──巴投げのような恰好で。
黒瀬の体がふわりと宙に舞い、数瞬後に背中からアスファルトの地面にどさりと音を立てて落ちる。
その間に白谷は体を起こして落ちたばかりの黒瀬に立ち向かおうとした。黒瀬もそんなに衝撃が強くなかったためか、幾らかの痛みを無視して即座に身を起こし、幼馴染改め敵に向かってタックルをかまそうとしたその時──
「兄ぃやめ止め!」
「お姉ちゃんやめてよ恥ずかしい!」
両者の背中から、それぞれの弟と妹が抱きついて二人の体を物理的に拘束した。不意に行動を妨げられた白谷と黒瀬は、ほぼ反射的に止めた相手への怒りの何割かを彼と彼女に向けた。
「駈離せ!このアマ一回ぶちかまさんと判らん奴や!」
「由紀離しなさい!こいつ馬鹿だから殴っていいんだ!」
しかしそれぞれの兄や姉に何を言われようとも、弟も妹も長男長女の武力闘争を止めさせようと全力全開で止めに入っていた。
──ただでさえ狭い町内。家の前で二人が声の限りに痴話げんかを繰り広げ、あまつさえ殴り合いや取っ組み合いを始めれば周囲に知られないはずがない。たちどころに何だ何だと近所の人らが玄関や窓から顔を出し、彼と彼女の行く末を野次馬根性で見ている。
とにかく恥ずかしいからやめてくれ、近所迷惑だし──駿の弟の駈も、結衣の妹の由紀も、その思いは全く同じでブレていなかった。
やがて二人は少しづつ我に返って来たのか、荒々しい呼吸は落ち着きを取り戻し始めたが交錯する互いの視線の鋭さは変わらなかった。いざとなればすぐにロックアップできるほどの距離しか開いてない空間を挟んで対峙をしている。
「もう何やってんの結衣って!」
遅まきながら彼女の母親が玄関から姿を現した。娘と似たような灰色のスウェット上下に割烹着を付け運動靴っぽい靴をツッカケみたいに履いた、いかにも家事の途中で慌てて出てきた感はあるものの、またやってんの成長しないねぇと言いたげな、落ち着きというより呆れが垣間見えた。
「駿!女の子相手に何やってんの!」
それは駿の母親も同じだった。やはり家事の途中で抜け出してきた感が強い。ケンカの原因を作ったとはいえ、親として、責任者として諍いを止める義務の一端はある。
彼も彼女も、荒かった呼吸が落ち着いたところで組み付かれて手を出せない代わりに言葉をぶつける。
「もうこんなバカ知らん。二度と顔見せるな!」
「それはこっちの台詞だバカ女!不景気なマヌケ面見せんじゃねぇ!」
「わからずやの幼馴染なんか今日で絶交よ!」
「おお構わんぜ。ようやく腐れ縁から解放されてうれしい位だ!」
本当にさっきまで勉強どうしようかと楽し気に話し合ってた二人とは思えぬ豹変ぶりに、それぞれの弟妹はいくらか困惑しながら、互いの家へ引きずって行く。それに代わって、黒瀬家、白谷家の母親2人が困惑顔はしているが何処か呆れたような成分を含んで近づいてきた。
「ごめんなさいね、わたしまた変なこと言ったみたいで結衣ちゃん怒らせちゃって」
「あーいいのよいいの。昔からこんなんだしどうせ絶交とかなんとか言いながら数日後には忘れて一緒にいるわよ」
彼の母親が幾分か申し訳なさげに謝っていると、ケタケタと彼女の母親が気にしなさんなと言いたげ。
母親二人はまるで息子と娘が初めからケンカなどなかったかのように楽し気に井戸端会議をし始めると、さっきまで野次馬していた近所の奥様達もそれに加わりたいのか、似たようなタイミングで玄関から顔を出し、さっきは凄かったねぇ、ご迷惑おかけしました……と、それぞれ挨拶代わりの言葉をかけながらその"会議"の輪の中に入っていった。
住宅街に、再び平穏が訪れていた──当事者たちの自室を除いて。




