風の吹き抜ける場所へ~Growin' up, Blowin' in the wind
「──ということで、俺は遠野さんには何もしていない。ほんっ、、、とにただパフェ食べて中央公園でだべってただけだから」
──5時間目終了後の休み時間、黒板の横で白谷駿は友人の黄谷浩市、深緋英明、紺野和博と集まって話し込んでいた。朝方の俺に向けられたデマは隣のクラスの遠野春香が広めた誤解で、俺は彼女に何もしていない──と、友人たちに熱弁をふるう白谷の姿に、3人は流言よりも友達の言葉に重心を置く様になっていった。
中央公園でのあの写真の場面も、本当に偶然にああいう感じで撮られてしまったので、本当に俺は何もしていない。だから彼女を弄んだなどというのは全くの誤解だ。友達なら判ってくれるだろ──と。
「そこまでお前が言うなら……間違いはないだろ。白谷、疑ってスマン」
紺野が頭を下げてると、それに続いて黄谷と深緋もそれに倣った。
「よかった……」
白谷は説得に思った以上に神経と体力を使ったようで、3人からも彼はそのように見えた。その言葉の後に、白谷は軽く肩で息をするようにため息をついた。
「まあよく考えればお前はそこまで酷い奴ではないよな」
「少なくとも見境ない、って程じゃないもんなぁ~」
「確かに。それなりの線引きはきちっとしてる奴だし」
──だったらそれを早く言ってくれよ、と黄谷、深緋、紺野がそれぞれに言ってるのを聞いた白谷は頭の中では思わず毒づいたが、まあ誤解が解けただけでも今の彼には有り難かった。
その後、幼馴染の黒瀬結衣の友人3人──灰屋美紀、青野雅美、紫野絵里子にも事情を話して、そっちの方も何とか誤解を解いてもらうことに成功した。
一応、という保留条項が付いたような、表向きは信じるが果たして……といったわずかな疑心暗鬼が残ってそうな表情はしていたが──。
で、肝心の幼馴染は、というと、
「知らない」「聞きたくない」「自業自得でしょ」
にべもないとそっけないとを合算して不機嫌で乗算したような、何か見えない壁で白谷の存在自体を拒絶するかのようにマトモに目線ですら合わせなかった。
「……話聞いてくれてもいいだろうが」
「……」
横を向いた黒瀬はただひたすらに窓の外を眺めて彼自体を拒絶する。
『だから言ったじゃない。自分の言う事聞いてくれないなんてそんなの幼馴染じゃない』どことなくそう言ってるかのように白谷には見えたが、現状彼女に訊く術は持ち合わせてなかったし、彼女もそんな幼馴染などもう知らないとばかりに無視を決め込んだ。
──そして、2学期最後の授業が終わり、明日の終業式が終われば、短くもイベントがたくさんある冬休みに突入する。
「おーい白谷、明日の終業式の後ってヒマか?」
白谷は、机の中から引き上げる予定の教科書や副読本等を机の上に出して整理していた時に黄谷から声を掛けられた。つい、と机のそばに立って見下ろすような恰好の友人に視線を向ける。
「今の所は、な」
「なら、俺のウチに集まって何か騒ごう、って思ってんだが来る?」
「お前ら3人の他に誰か来る?」
「まあ、お前以外にあと3、4人ほど」
「別にいいけど……っていうか、黄谷、お前紫野さんはいいのか?」
クリスマスというイベントに彼女持ちの男が彼女といないのはちょっとヤバいんじゃないのか、と白谷は逆に心配した。黄谷と彼女の紫野とは、夏の海水浴イベントで付き合いだして順調に行ってる様子。
「残念ながら絵里ちゃんとか女子だけでクリスマスに何か騒ぐって話になってるそうだ……って黒瀬さんから聞いてない?」
あれまだ聞いてなかった?と不思議そうな顔をした黄谷から言われた白谷は、怪訝そうな表情を一瞬浮かべた。仕方ねーな……そう聞こえてきそうな動きで後ろの席の幼馴染の方を振り向いたが、その席に彼女の姿はなく、教室の後ろの方で彼女の友人3人と色々話し込んでいる光景が彼の目に映り込んだ。そもそも今日は朝からトラブル続きでまともに話してないし、さっきは徹底的に無視されている。
「いや……無い。初めて聞いた」白谷はそう言った後、視線を黄谷の方に戻した折にふと疑問が浮かんだ「……でもフツーは友情より男だろ?何かあった……とか?」
「それは大丈夫。単純に灰屋さんが27日に豊橋に帰省するから、女子で騒ぎたい日にちが設定できるのは明日しかない、って事だそうだ」
なるほどねぇ……白谷は腑に落ちて多少の安堵の表情を浮かべた。黒瀬の友人の灰屋は親の転勤で福井に来ているため、盆暮れは親の在所がある豊橋へ行くのが恒例となっている。少なくともカップルの危機では無さそう。
「でもそのかわり来月6日にデートの約束取り付けた」
横合いから紺野がまるでそばで聞き耳を立てていたかのように白谷と黄谷の話に割り込んできた。某刑事ドラマのベテランかよと二人がそれぞれの脳内でツッコミを入れる。そんな事判ろうはずがない紺野は、美紀の彼氏として抜かりはない──と自信ありげな表情を浮かべた。
「でも来月6日……って翌日始業式だろ?何か日曜のサザエさん見てる感じでどうなん、って思うんだが」
「それ言うな、仕方ないだろ。その日しか空いてないって言われたんだから」
黄谷が自分だったらちょっと勘弁したい日取りだなぁ、という感想を乗せて紺野に言うが、彼の方は全く会えないよりはマシだろうと半ば諦めてるような、微妙な表情をして答える。
「帰省ねぇ……地元だから帰省って言うと奥越の親戚の家へ行くイメージだなぁ」
「確かに。せいぜい同じ市内の親戚の家行くくらいで何泊もして県外へ、という感じじゃないなぁ」
白谷と紺野との帰省のイメージはほぼ同じだった。黄谷もそれを聞いて軽くうなづいている。この辺りの田舎に住んでいる人間にはよくあることで、大晦日や元旦挟んで自分の家や近くの親の家の人口密度が一気に上がる。賑やかにはなるが、部屋に居てもいつ親戚の子らが襲撃してくるか、気が気でない状況が続く。
と、そこへ上機嫌な友人3人組の1人、深緋がモテない友人らを見下すように胸を張って3人の中に入って来た。口元に貼り付いたニヤケ顔が怪しさをさらに引き立たせる。
「よお、モテない諸君。俺は元旦雅美と初詣取り付けたぞ~」
「何言ってんの、こっちもとっくに絵里ちゃんとは初詣の話付いてんよ」
黄谷の軽いジャブの言葉に、いつの間に、と何故かショックを受けて怯む深緋。黄谷はついでにジト目で深緋を見て牽制する。深緋も夏の海で黒瀬の友人3人組の1人、青野と付き合いだしてこっちも順調に続いていた。
「お前ら結構マメだな」
「というか、大晦日と正月っつーイベント使わない手はないだろ。常識だろ?」
「逆に彼女いるのに正月一緒に行かなかったらちょっと危険じゃないか?」
深緋がポツリと言った言葉に黄谷と紺野が反撃するように畳みかける。逆に正月初詣一緒に行くくらいで威張れるってどうなのよ、そんなん彼女持ちなら当然でしょ──と2人は深緋をねめつける。
2対1では不利と感じたのか、深緋は会話に乗ってこない白谷を見て訊いてきた。
「白谷は?正月黒瀬さんと初詣行くのか?」
「いや、そんな予定は無い」
気軽に訊いてきた深緋の言葉と同じくらいに、白谷は反射的にあっさりと答えた。あまりの即答と予想外の反応に対応が遅れたか、次の言葉が構築出来ずに数瞬言葉の目詰まりを起こした深緋は、数秒かけてそれらを整理して、白谷に簡潔な疑問形として投げかけた。
「……何で?」
「いくら幼馴染とはいえ家族があるんだから、そっち優先。それに……」一瞬、白谷の言葉に意味ありげなスキマが空く「結衣は彼女じゃないし」
その言葉と、少しばかりのムッとした彼の表情に、黄谷、紺野、深緋の3人は喉を詰まらせたように無言になった。それから何か言いかけようとしてどことなくはばかられるような空気が4人の間に広がる。
「……まあ、確かに"幼馴染"であって"彼女"じゃないわなぁ」
視線を合わさずに、作り笑いの様なぎこちない表情を浮かべて黄谷が何とか言葉を紡いだ。
「……っとちょっとトイレ」
教科書類の片付けを途中で手を止めて、白谷はそそくさと教室後ろの出入り口から廊下へと出て行く。
3人は視界外に彼が消えた後に顔を合わせた。
「……やっぱ遠野さんの影響あったんじゃないかこれ?」こういう事にはすぐ首を突っ込みたがる深緋がきっかけを作った。「本人否定してるけど……ほら、漫画ならフラれた者同士、しかも幼馴染だからすぐくっつくと思ったんだけどなぁ」
「まあ、一緒にいる時はあるけど、付き合ってる、って程親密かというと何か微妙だし」
「遠野さん関係の方が大きそう。あと幼馴染って立場が……。ほら、近すぎて拒絶するってやつ」
黄谷がちらりと教室の後ろで友人らと話している黒瀬の方を見ながら言うと、続いて同じ方向を見ていた紺野が別のアプローチから意見を述べる。
「"近すぎて拒絶"ねぇ…オレからしたらウラヤマシイとしか思えんがなぁ」
両腕を後頭部で組み、天井を見上げるような仕草で深緋がもったいないよなぁという感情を含めて呟く。オレだったらこんなチャンス逃さない、と横目で黒瀬の方を見ながら。
「男の幼馴染はいるけど女の子は、って言うと皆無だからなぁ。そこはなってみないと判らないかも」
「だな。同じ境遇だったら白谷と同じ答えを言うかもしれん」
黄谷と紺野が男女の幼馴染という立場について思考をめぐらしたが、結論は出そうになかった。単なるデータ不足なのかもしれないが……。
「あ!」
「おおう!どうした?黄谷」
話が一瞬途切れた間隙を突く様に、黄谷が何かを思い出したのか声が上がった。あおりを食らった深緋が一瞬びくっ、とする。
「……まあ、すぐ戻ってくるか。今日帰り女の子らと一緒に帰るけどどうする?って白谷に言うの忘れてた」
「何だその事か。黄谷驚かすなよ」
「トイレからすぐ戻るだろ?先生に呼び出されたわけじゃない、すぐそこのお手洗いまで行っただけだら?」
「"ら"……?」
「今、語尾が……灰屋さんの方言?」
深緋と黄谷に同時にツっこまれた紺野は最初、何を言ってる?とキョトンとした顔をしていたが──思い出したのか、思わず口を押えてしゃがみこんだ。一瞬見せた彼の顔は恥ずかしさなのか朱に染まってる様に二人から見えた。
「紺野ぉー、灰屋さんの三河弁、うつった?」
「親密そうで何よりだのぉ……あとでどこまで進んだかじっくりと話してもらおうじゃないの」
二人も紺野と同じようにしゃがみ込んで言葉でいじり始める。紺野が灰屋と付き合い始めてもう4か月ほどになるが、知らず知らずに彼の言葉が三河弁に侵食されているようだった。
「最近、何か紺野が話す言葉のイントネーションが変だなぁ、とは思っていたが……」
黄谷がそうかそうか、方言がうつるまでに親密になってるのか、と言いたげにイヤらしい口元の歪みを見せる。深緋の方も似たような反応をして白状してもらおうかと言わんばかり。
「と、とにかく……ちょっとそのことで美紀らと話しよう」
顔を真っ赤にしたまま紺野は方言の事を誤魔化しつつそう言うと、教室の後ろの方で固まって話してた4人の女の子の方へと足を向けた。その彼を冷やかしながら見続けるように、黄谷と深緋もそれぞれの彼女がいる場所へと合流してゆく。
「白谷か?」
トイレで用を済ませて出ようとした白谷は、廊下で待ち伏せていた一人の男子生徒の声にその足を止められた。
「……誰?」
声を掛けられた白谷は足を止めた。声の主の方を向いた彼は、ぶしつけな男子生徒の顔を一瞥し、さっきまでの感情を引きずったまま誰何した。
男子にしてはやや長めの髪を後ろに束ねているせいか、詰襟の学生服と相まってどことなく古めの漫画とかで出てきた主人公のライバルキャラっぽいように白谷からは見えた。身長はやや白谷の方が高いが似た感じに見える。彼の表情は不機嫌とまでは行かないが、廊下の壁に背を持たれかけて白谷を見る目は面白く無さそうに見受けられる。
──どこかで見たことはあるが名前までは判らない。隣のクラスで見たような……明瞭な答えは、白谷の記憶の引き出しには入ってなかった。
「2-8の梅田秋生だが……ちょっと話あるからそこの階段、いいか?」
「……別に、構わんけど」
白谷はそう答えた。梅田のやや低めの、そして少しばかりの威圧的な口調の言葉に反応したのか、彼の腕は無意識に胸元のペンダントをまさぐるように動いた。何かあるかも──同時に体の中のアドレナリンの量が増加してゆく。
梅田と白谷は廊下を北校舎の方──教室とは反対方向へ向かう。北校舎とぶつかるT字路を更に右へ。右側に階段が視界に入るとその方向へ。その左側──屋上へと上る方へとしばらく階段を上り、踊り場の手前で立ち止まる。
彼は振り向いた。天井からの照明がなく、階下からの淡い光が梅田の顔を下から照らし出していた。そのせいか、不機嫌さが倍増しているように白谷からは見えた。
「一つ訊いていいか?遠野さんの事だが──」
「彼女とは何にもないよ。お詫びのデートとしてパフェ奢ってもらっていくらか話して解散。それだけだけど」
梅田の問い掛けを途中で打ち切るかのように、白谷は昼間、当事者たる彼女、遠野に言ったことをもう一度告げた。彼としては本当にそれだけなので隠し事などはなにもない。
しかし、それが他人に伝わるか……は、別の話になる。
「そうじゃなくて……それだけなら遠野さんがああも泣く事はないんじゃないか?泣かせる様な何かしたんだろ?」
言葉自体は穏便そうに聞こえるが、梅田の口調は断定的でどことなく威圧感が乗り始めていた。
「何もしてない。ああいうこと言われて俺も困ってるんだ。それだけならもう帰っていいか?」
昼間もああ言って今もまた言って……白谷の表情には明らかにもうその話題から離してほしいという感情がありありになっていた。
「あの子泣いてたんだぞ!本当は何かやったんだろ!?」
「してないし、したくもない。謝罪は受けた。だからもうこの話はおしまい」
2段ほど上にいる梅田から見下ろされる格好の白谷は、そう彼に言い放つと踵を返して階段を下りようとした。時間がもったいない、付き合い切れない──梅田に向けた背中には白谷の本音がそう書かれているかのようだった。
「ちょ……待てよ白谷、話は終わってない!」
「いい加減にしてくれ!そんなに彼女が気になるんならお前が何とかすりゃいいだろうが!」
「彼女を泣かすようなことしててそんな言い草が……!」
梅田の手が白谷を掴みにかかる。その手を振り払う白谷。彼がひるんだ瞬間、3階床へと飛び降りると巨人を見上げるような角度で睨み返した。
しかしそこに彼の姿はなかった。既に梅田の体は幅跳びの選手の様に宙を舞っていた。目の前に着地された白谷は反射的に飛びずさる。
「逃げるな!」
梅田の叫び声にエコーが掛かる。クラスメイトを泣かせた奴に制裁を加えてやる──ダッシュして標的に襲い掛かる。寸前で彼の手を白谷は足で円を描いて躱し、距離を保つ。
「しつこいっ……!」
白谷としては戦う気はない。関わり合う気もさらさらない。それにまた騒動に関われば何言われるか判ったものじゃない。関わりたくないのに向こうから厄災の様にやってくるなら──チラッ、と周囲を一瞥する。視線の片隅には放課後になったばかりのせいか、既に10人以上の野次馬たちが何事かと別の壁を作っており、さながらプロレスのランバージャックデスマッチを彷彿とさせるような環境が作られていた。逃げたい方向に人垣が出来ている──心の中で白谷はこの状況に舌打ちした。
梅田が動いた。ショートカットするような軌道で。掴んで来る梅田の腕を寸で躱して今度は逆方向へ回避する白谷。
梅田が踏み込む。その分白谷が逃げる。限定された面積の上での奇妙なダンスは数秒続いた。
しかしその終わりは唐突にやってきた。
逃げ場を探そうと白谷は一瞬目を逸らした。その刹那を好機と距離を詰める梅田。距離を稼ごうも、ギャラリーに通せんぼされた白谷。そこへ梅田の、感情が過剰に籠った腕が伸びて──
「梅田っ!!待てっっっ!!」
その瞬間、叫び声と共に白谷の目前で"壁"が不意に作られた。梅田の、白谷へと伸ばした腕がそれに阻まれる──正確にはその腕はそれにヒットしていた。硬い音を立てて眼鏡がはじけ飛び、ギャラリーから悲鳴のような声が上がる中、床へと落ちた。
その"壁"の正体が梅田を正気に戻させたのか、それとも不意な事とはいえ傷つけたことに罪悪感が芽生えたか、彼の顔から怒りの感情が後退し、驚きがそれに差し代わって行くのがそれの肩越しに白谷からは見えた。
両手を広げて二人の間に割り込んだ"壁"は見覚えのある奴──
「……緑川」
「梅田っ……落ち着け!」
眼鏡を吹き飛ばされた緑川勇樹が、クラスメイトの梅田を声で制した。荒い呼吸音が、一瞬静まり返った階段周辺に静かに広がる。
「何で…止める!?」
彼の感情は一旦驚きに替わったが、やがて自分の行為を邪魔されたせいもあってか、再び怒りの水位が溜まり始めた。
「緑川、そこどけ……遠野さんを泣かせた白谷をぶちのめしてやる!」
「とにかく落ち着け!……下手すると迷惑掛かるだろ?遠野に」
その矛先が向けられた緑川はぼんやりとしか見えない裸眼でその視線を受け止めつつ、荒くれた動物を諭すかのような口調で緑川は梅田に語り掛ける。
「迷惑が掛かる……?遠野、に……?」
クラスメイトが口にした遠野の名前に反応した梅田は、説得が効いたのか視線を申し訳なさそうに床へと落とした。
緑川は小さなため息を一つ、つく。梅田がおとなしくなっている様子を見て視線を切り替えても大丈夫と思ったか、後背にいる白谷の方を振り向く。
「白谷、後で話があるんだが、いいか?」
事務的だが、しかし何処となく冷たさを漂わせた緑川の言葉。またかよ、と白谷は思わず嫌そうな顔をしたが助けてくれた手前、無碍に断るわけにもいかない。しばし無言で考えを巡らせた後、幼馴染の元カレにしぶしぶ返答した。
「……判った。後でな」
諍いが終わった後、不機嫌な表情を崩そうとしない白谷が教室に戻って来た。ギャラリーとして2-7の居残ってたクラスメイトも何人か見に来ていたようで、彼の後ろにはさながらボクシングかプロレスのセコンド陣のようにぞろぞろと人垣が移動してくる。
「遠野さんと梅田、って何か関係あるのか?」
「さあ、隣のクラスだし…人間関係はワカラン」
黄谷の問いに白谷はお手上げ、といった感じで両の手を上げた。実際隣のクラスは近くて遠いところがある。壁一枚隔てたクラスの人間関係なんて判ろうはずもない。そこまで白谷のアンテナは高くないし、高くするつもりもなかった。
白谷が引き連れてきた友人3人を含めたセコンド陣達は教室内で自動解散となり、既に帰る準備が終わっていたのか、続々とそのままかばんを持って防寒具を着込み、挨拶をして帰路に着いてゆく。放課後になって時間が経っていることもあり、部活も年内の活動はほぼ終わっているためあっという間に教室内の人口密度は下がっていった。
「白谷、帰ろうか?」
「あ……いや、ちょっと用事があるから後になるわ」
紺野が既に帰る支度を整えたのか彼にそう言ってきたが、白谷は緑川の件もあり、友人には何気なくボカして今は帰れない事を告げる。
「そっか……ならオレ達帰るわ」
それを聞いた深緋は"用事"の意味をその文字通り汲み取ったのか、それならしゃーないな、と帰る事をややあっさり目に伝えた。
「あ、そう?それじゃ、おつかれー。また明日な」
白谷は片手を軽く上げて3人に挨拶。3人の方もそれぞれ、
「おう、おつかれ」
「明日なー」
「おっさきー」
そう言うと既に荷物をまとめていた事もあり、コートなど防寒類を羽織りつつ次々と教室を後にした。
友人らを見送った白谷は体力を使い果たしたように椅子に勢いよく腰を下ろすと、その反動か背もたれにもたれるように背を伸ばし、ついでに頭を後ろに──逆さの世界のように上下逆になった視界の片隅に、後ろに座る幼馴染の、眼鏡越しの不機嫌な表情が映り込む。
「……結衣?」
「ホント、何やってんの……だから関わるな、って言ったでしょうに」
「でもさぁ……俺は悪くないだろ?」
そう言うと白谷は姿勢を戻して上半身を彼女の方へと向ける。さっきまでの無視から良化はしたが幼馴染の表情に変化はなかった。
「そうじゃない、って」
まだ判んないの?と黒瀬は軽目の嘆息と共にそのマイナスのエネルギーを更に濃密にしていった。
「……わからん」
「あーそうですか、もう……!」
既に教科書類等は片付け終わってあとはカバン持って帰るだけになっていた黒瀬は、それまで溜めていた鬱憤を爆発させるかのような激しさで防寒具を手に取って席を立った。ふくらはぎに押しやられた椅子が床との間に座り主の感情が移ったかのように耳障りな不協和音を立てる。そのまま腐れ縁に挨拶もせず教室の出入り口へと大股で歩いていった。
「ちょっと、結衣って……!」
「知らない!」
何でそこまで怒る必要が──白谷が声をかけるも視線すら合わさずに拒絶の声を上げて黒瀬は教室を出て行く。そして教室からは見えない所で待っていたのか、灰屋や青野や紫野、それに紺野、深緋、黄谷まで待ったー?と掛ける声が白谷の耳にも聞こえてきた。
あれ、あいつらいつの間に一緒に帰る算段付けてたんだ……?白谷がそう思っているうちに彼らの声と足音が小さくなり、聞こえづらくなり、そして静粛がその間隙を埋めた。
──気が付けば白谷は教室にポツンと一人残された格好になっていた。
「……何でこんなになるまで……」
ついさっきまで賑やかさがあった廊下はあっという間に静けさが支配し、夕暮れに近いこともあって寂寥感がじわじわと白谷の気持ちに染み込んで来る。時折廊下をどこかのクラスの生徒が通るが、まるでこの教室に始めから誰もいないかのように、残っている白谷を無視して通過してゆく。
これでまだ楽しいことがあれば残っている価値があるというものだが、緑川のあの表情ではどうせロクな話ではない……白谷はそう思うと尚更残っているのがバカらしくなってきた。
もう帰った黒瀬の机を白谷はもう一度何気なしに振り返った。さっきから何も変わってない──再び前を向こうとして……何か白っぽいものがふと目に入った。もう一度そこへと目を向けると……もう何年も使っている幼馴染の手袋の片方が落ちていた。それは彼女の机の下に、忘れ去られた宝物のように置かれていたかのよう。
さっき急いで教室出た時に落としたのか……白谷はふわっとした淡い桃色のそれを拾い、ほこりを払って彼女の机の上にそっと置いた。
その時に別の出入り口の方から足音と床の軋みが白谷の耳に届いた。音の主は判っている──ちら、とその方向を見た。
「すまん、待たせて」
「……もう帰ろうかと思った」
待たせた割には悪びれもしない表情を浮かべて緑川が7組の教室に足を踏み入れる。さっきの騒動時にクラスメイトの梅田に吹き飛ばされた、何処となく歪んだ眼鏡を掛け、半分感情が抜け落ちたように聞こえる平坦な口調で。
お返しとばかりに白谷は因縁の相手でもある緑川に半分本気ともとれる低温な言葉を突き返し、続けて、
「用件は?なるべく手短に」
白谷が出来れば早く帰りたい気持ちを短い言葉に乗せて言った。しかし緑川は白谷の机の前に陣取ると、椅子を引いて腰を下ろした。──長くなりそう、白谷の表情が曇る。
「遠野の件だが……」
「またかよ。何もねーよ」
「だろうね。それが聞きたかった」
遠野の事がまたぶり返し、もう今日はその名前は聞きたくない白谷はあからさまに嫌な顔をした……しかし緑川の方はその短い言葉だけで納得した。
余りのあっけなさに白谷の方が逆に拍子抜け。気持ちが緩んだか、思わず緑川に問いかけた。
「……何かあっさり納得したな」
「"当事者"だからね。最近遠野に関わった梅田と違い、お前さんの言葉はそれなりの信頼はある」
「……そりゃどーも」
持ち上げられてるのか後で落とすつもりなのか、白谷は訝し気な顔色をうっすらと浮かべた渋い表情で表向きの感謝を伝える。それを聞いた緑川は、少し姿勢を正すと眼鏡越しにやや上目づかいで白谷を覗くように見据えた。
「……で、本題だが」
「本題……?」
瞬間、駆け抜けた。白谷の感情をぞわっ、と逆撫でる感じが。
「お前さんや黒瀬さんが持ってるペンダント、本当は何なんだ?」
──まさかの問いかけに白谷は数拍分の時間、言葉を失った。緑川は表情を変えてはいないが、レンズの奥の瞳は白谷の動揺を見抜くかの様に固定され、一つの挙動も見逃すまいと見据えていた。
「……な、何なんだ、って……お守りだけど」
何とか言葉を繋いで緑川に告げるも、誰が聞いてもその口調には隠し事があちこちに露見していて言い訳というには余りに拙いものだった。わずかでもズレない緑川からの視線に耐え切れずに、逃げるように、さりげなく視線を逸らす白谷。
「海で訊いた時にもそう聞いたんだが……。でも何だろう、何か違和感が付きまとってる感じがする。お守りにしては……」
彼はそう言いかけて、上手く表現できずに言葉が詰まる。本来なら彼の頭の中では抽象的なイメージに合致する名前がついているはずなのだが、それを言葉にするときに、いくばくかの変換損失が発生してるかのようだった。
「削り出しの水晶だし、それは仕方ないと思うが……。こんなペンダントなんていくらでもあるし」
何とかして話題を終わらせたい白谷。しかしそれは次の疑問を呼び寄せるフェロモンにもなった。
「確かにお守りかも知れないし、何処にでもあるかもしれない。でも……ペンダントだとしても、大きすぎるし、何処となく……禍々しさを感じる。そう思うだけかもしれないが。でも何で似たようなものを二人は持ってるのか。その理由は何故なのか。何故水晶なのか……幼馴染だから?お隣さんだから?何だか偶然が過ぎるように僕には思える。偶然が過ぎればそれは必然と言っても過言じゃない。考えれば考える程何かあると思わざるを得ない」
「……」
淡々と疑問を述べる緑川へ返す言葉は白谷にはなかった。彼は視線をそらしながらただ時間が経つのを待っているだけの存在になっていた。
「もう僕と黒瀬さんの事は知ってるだろうけど、その水晶に何があるのか、僕は知りたい。当事者だった人間として」
知りたい、という言葉にもう一人の"当事者"が反応した。何かを思った白谷は逸らした視線をわずかに緑川に向ける。
「……知って、どうする?」そう言った白谷は彼が黙っているのを見計らって、目線を一旦落とし続けた「それに、もう、ゆ……黒瀬と別れたんだろ?なら、もうお前さんには関係無いんじゃ──」
「確かに今の僕にはもう関係はない」言い返そうとした白谷の言葉を断ち切るように緑川は同じ武器で楔を打ち込む「でも、"当事者"だった人間としては知る権利が少しは残っていると思うが……?」
「だったら!」緑川の、白谷からすれば自分勝手な言い分にカチンときたのか思わず両手をついて立ち上がる「何で結衣……黒瀬と別れた!?」
白谷の声が微かなエコーを伴って教室に響く。彼自身、感情が高ぶって体温が上がっているのを自覚出来ていた。
──かつて彼女から、ゆくゆくは一緒になる時には魔法の事を話す、と白谷は聞いたことがあった。だったら、別れずにそのまま付き合っていればいつかは──自分からその手を振りほどいておいて何を言ってるんだ……!
ただ白谷はそのことを口にしたくなる衝動を何とか耐えきった。幸い、緑川はただ黙って見ているだけだったこともあるが、もし何か言ってきたら思わずしゃべってしまいそうになっていた。
しかし、緑川はそれすらも想定内だったのか、白谷の感情などどこ吹く風の様にさりげなく受け流し、平然としていた。じろり、と射すくめるような眼鏡越しの緑川の視線には温度すらないように、白谷には感じられた。高ぶった感情すら、その視線に凍てつかされそうな程に。
しばらく静粛が二人の間を漂っていた。しかし、緑川はそれを破る。
「今、黒瀬さんを名前で言ったよな……?」
口調は穏やかだが、そこかしこに温度の低いマイナスの感情を含んだ言葉。
言われた白谷の顔に一瞬驚きの成分が混入した。慌ててそれを打ち消そうとするも、そう容易には余波は消えてくれない。
「それは幼馴染だから……」
もうこれしか思いつかない、他の適度な言葉が浮かばない──絞り出すように白谷はなけなしの反撃を試みる。しかし、それは緑川にとっては掌の上だった。
「便利な言葉だよなぁ、"幼馴染"って」彼は一旦白谷から視線を外すと、うらやましさと小馬鹿にしたのと呆れるのと、そして皮肉という名のスパイスを混ぜた言葉が苦笑いと同時にこぼれ出た「前にも一度……遠野さんに襲撃された時にも二人は名前で言い合ってた。壊れた眼鏡を探したり渡す辺りはまるで夫婦のようだったな……。部外者の僕から見たら秘かに繋がってるとしか見えないよ」
「それは考えすぎだろ──」
「僕自身でも考えすぎ、って思うけど……でも疑い出すとそう言う事でも気になってしまうんだ。幼馴染、って言っても実質他人には違いなくても、ケンカして絶交して口きいてなくても……僕が入り込める隙間があるように見えても」
再び彼は視線を白谷に向ける。それまで表情を崩してないように見えた緑川に、感情のさざ波が押し寄せていた。彼の眼鏡の内側は、感情の波に揺れた余波で潤んでるように白谷からは見える。
「……じゃあ二人を繋ぐものって何かを考えた時に、水晶のペンダントが思い浮かんだ。何しろ僕からの贈り物を付けなくてもペンダントだけは必ずしてる。はじめは断ろうとしてたくらいだし……。僕が彼女をどんなに好きになっても、彼女は完全に僕の方は向いてくれないんだ、って思ってしまった──だから、離れよう、って言ったんだ」
緑川の言葉に、白谷は思わずドーナツ屋で話していたことを思い出してそれを伝えようとして……それを飲み込んだ。魔法の事もあるが、もっとそれよりも、白谷自身も感じてないような──エゴイスティックな理由で。
「だから、僕と彼女とを別れさせたその原因、水晶のペンダントが何なのか、せめて知りたい……どんな秘密があるのか、二人を繋げるどんな理由があるのかを──」
「ごめん勇樹くん……それは教えられない」
白谷の背後から別の声が聞こえてきた。それは緑川の言葉を遮るように教室に響くと、二人の視線がその方向へと向かう中、ゆっくりとその歩みを向けてきた。
「……結衣さん」
「……結衣」
緑川と白谷が時間差で彼女の名前を口にした。
教室に入って来た黒瀬は、気まずそうな表情を伴って、しかし口元は何かの意志を持ってるかのように固く閉じて、緑川と白谷が座っている机の場所に移動してきた。しばらくの沈黙の時間が流れた後、何て言葉を掛けようか迷ってる二人の機先を制するように彼女は静かに、しかし強い意志を持って言葉を発した。
「ペンダントはただのお守り。それ以上でもそれ以下でもないの……だからこの話はここでおしまい」
「結衣さんそれは──」
「駿!帰ろ……遅くなるよ」
「あ……ああ」
「結衣さん、話を──」
「ごめん……忘れもの、取りに来ただけだから」
黒瀬は机の上の、淡い桃色の手袋をやや乱雑に拾うとそう言って背中を向けた。緑川の視線と、かすかに残ってたかもしれない想いを断ち切るかのように。
「駿、早く……!」
白谷に帰りをせかした黒瀬はそれ以上緑川に声をかけることもなく、そのまま出口に向かって距離を開けていった。
「緑川、悪いな」
これ幸いとばかりに白谷は手早く持ち帰る教科書類をカバンに詰め込むと、黒瀬に置いていかれないようにあわただしく席を立って、無人に近い教室に派手に響く足音を立てて後を追いかけていった。
緑川は、声をかけ続けようと思えばできた。しかし、彼女が背を向けた瞬間、それは成功する確率なぞ0に等しい……そう判ってしまった。黒瀬に続いていろいろと訊きたいことがあった白谷からも去られた緑川は、無人になった、居心地が悪くなった隣の教室に一人取り残され、言葉を発することもなくただその場にいるのみだった。
「……僕は、間違った判断をしてしまったのだろうか……」
天井から何かに吊るされた操り人形のようにゆらりと緑川は椅子から立ち上がった。
誰一人聞く者がいない、誰一人答えを返す者もない。彼以外誰もいない教室で、少しづつ泉のように湧き出て来る後悔の海に、緑川は自分自身が溺れかけているような、そんな感じに苛まれ始めていた。
時間を遡れる能力があったら、あの時に戻って一緒にいる時間を限りなく続けたい──しかしそれはもう出来ない話。彼自身もよく判っているからこそ、そう強く思わざるを得なかった。
自分から別れようと言ったのに、これじゃ僕自身が彼女に捨てられたみたいだな──緑川は、ふとそう思った。自虐めいた歪んだ笑みが、彼の口元を彩った。
「駿、何も言ってないよね?」
「言ってない。誤魔化してた」
黒瀬と白谷は二人並んで階段を下りてゆく。ついさっきまではそれなりに人がいた廊下や階段も明日が終業式とあって帰る人はとっとと帰ってしまい、ステップを下りてゆく二人の足音が飾りっ気のないコンクリートにいくらか反射して下から上まで聞こえるかのようだった。
3階から2階へ下り、1階へと向かう踊り場の所で、白谷は何気なく黒瀬に訊いた。
「結衣……年末年始、どうする?」
「どうする、って別にいつものように年末大掃除して大晦日は紅白見て年始のお参りを近所の神社と市内の神明神社へ行って……あとは宿題しないと、って変なこと訊くよね?駿」
「まあ、それはそうなんだが……」
「どーせあの女とデートの約束でもしたんじゃないの?」
「してない。もうあれっきりだ」
「そう……信じていいんだよね?」表向きは関心なさそうな口調で黒瀬は呟いたが、幼馴染から逸した視線は微妙に何かを期待していた痕跡があった「それよりも勉強しておかないと3年になったら進路別のクラス編成になるんだから、駿、今のままじゃ国公立文系、弾かれるよ」
「それはわかってる」
「それでもまあ、2学期末のテスト、駿にしては上出来じゃない?100番台でも頭の方、って」
「まあ、思ったより出来た感触はあったが……」
まだ自分のテスト結果に実感が湧かないのか、白谷は手を広げたり握ったり繰り返すのをじっと見つめ、呟くように幼馴染に返した。ここまでテスト結果が良かったというのは高校入ってから初めてのこと。白谷は自分の可能性が少し広がったのを戸惑いながら感じ始めていた。
「……結衣」
「何よ……」
「ありがと」
彼女はチラッ、と幼馴染を見た。表情を変えず、すぐ前を向く。
「忘れ物取りに来ただけだから。そしたらまさかあんな事話してるなんて思ってなかったし──」
そう言う黒瀬の表情は、基本まだ怒ってるように見えて、その実は……そうじゃない様に、白谷には見えた。不意に、彼の口元がプラスの感情の笑みが浮かぶ。
1階職員室前の廊下を生徒玄関に向かって並んで歩いていると、その方向に男女3人づつのグループがこっちこっちと手を挙げて呼んでいるのが見えてきた。
「ほら、早く歩いて」
「へいへい」
黒瀬にせかされるように白谷は更に歩行速度を上げた。彼について行くようにやや遅れ気味に加速し始めた彼女は、さっきまでの不機嫌さは何処かへ消えたように、そう感じていた──。




