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The wild wind

「結衣、由紀、駿くん、駈くん。ちょっと2、3分で戻ってくるから」

 結衣の母親はそう言うと、少し急ぐことなのか小走りで黒瀬家へと戻っていった。

 静かな新興住宅街にある黒瀬家と白谷家の前の生活道路。そこで4人の子供…小学5年生の黒瀬結衣(くろせゆい)白谷駿(しろたにしゅん)、小学2年生の黒瀬由紀(くろせゆき)白谷駈(しろたにかける)がそれぞれ浴衣をまとい、花火をして楽しんでいた7月のとある夏休みの夜。

 結衣が手に持っていた花火は次第にその勢いを小さくしていき、やがてわずかばかりの煙を残して消えた。彼女はもう終わってしまった花火の抜け殻をバケツに突っ込み、まだ10本以上は残っている新しいそれをセットのビニール袋から取り出し、風にゆらゆらと揺れているろうそくの火で点けようとした…しかし風のいたずらか、火を点ける直前、やや強めの風が吹いてそれを消してしまう。

「あ、消えちゃった…」

 ろうそくの芯から、風になびいた残りの煙が虚しくたなびく。わずかに残った炎の種を残して。

 どうしようかと周りを見回しても、マッチやライターなどの火を点けるものは母親が持っているので結衣はしばらく待つしかない…。

 妹や幼なじみから火を貰おうと思っても、3人の花火もほぼ同じタイミングで消えていた。新しい花火に持ち替えると、ろうそくの火が消えているのでしばらく待つかみたいな雰囲気になっていた。

 そうだ、まだ火が残ってるから風を送ればまた点くんじゃないかな…結衣はそう思いつくと、3人の目を盗んでろうそくのそばにしゃがみ込む。胸の水晶のペンダントを無意識に確認した結衣は、目を閉じ、頭の中に言葉(コード)を生成し始めた。

 火がすぐ点いてくれるといいんだけど…結衣はそう思いつつそのまま実行した。軽く爆ぜるような小さな音の後、胸元のペンダントが光り、封入されてる"悪魔"がそのコードを実行した…しかしそれは、結衣が思っていたコードとは違う物理干渉を起こした。

 一陣の風が吹き抜けた時、結衣は違和感と不安が次第に増えていくのを感じた。浴衣を通じて右手が熱い。

「これじゃない!」

 思わず叫んだ瞬間、結衣の浴衣の右腕部分があちこちで炎の光を放ち始めた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


『じゃあセンパイ、来週の土曜日に』

「ああ、ちゃんとアリバイ作っとけよ。じゃ…」

 彼女の赤城真由(あかぎまゆ)が、抑えられない感情の高ぶりを受話器の向こうから言葉に乗せて伝えてきた。それに応える白谷駿(しろたにしゅん)も、言葉の上では抑えてはいても、ドキドキが止まらずに暴走しそうになる。

 修学旅行から帰ってきてさほど日にちが経っていない金曜日の夜、自分の部屋で電話を掛けていた駿は、真由との会話を終えて受話器を置いた。深呼吸を数回…しても心のドキドキが止まらない。まだ来週の話なのに。

 規則を破ってまで、ほんの一時だが過ごした背徳感のある二人だけの空間…テーブルの上に横たわるメイド姿の彼女、微かに浮かぶ紅潮した顔、スカートをまくり上げ露わになる彼女の下半身…学校祭のあの時の情景は強烈に脳裏に残っている。

 そのあとはなかなかタイミングが合わずに学校で放課後などに会ったり一緒に帰ったりしていたが、ここにきて11月第2週の週末にようやく二人一緒に夜を過ごせる予定を立てることが出来た。

 お金はあるし、友人へのアリバイ工作は…来週金曜日か土曜日にすればいいか。下手すると他のクラスメイトにうっかりしゃべる危険性もあるから。

 しかし…駿の顔はとあることを思い出して笑みを失った。修学旅行時に近づいてきた遠野春香(とおのはるか)の存在。

「…遠野の奴、ここ2、3日は大人しいな。どうせならずっとそのまま黙っててくれればいいが」

 駿は誰に言うわけでもなく呟いた。学校祭で真由といる所を見られたのをネタに黒瀬と緑川を別れさせるのを手伝えと言われてる。さもなくば不純異性交遊で先生に言うぞ、と。

 この件に関しては、絶交中ではあるが黒瀬と一緒に対処していくと決めてあるし、仮に学校をやめることになったら…、

「そうなったら…そうなるしかないかなぁ」

 ベッドに腰かけ、両の手で体を支えながら駿は自室の天井を見上げる。

 真由(かのじょ)のために、何でもしていかないと。

 …まあ、どうにかなるか。

 自信があるわけではない。ただ、どうにかなるんじゃないかなぁ…駿は漠然とそう思った。

 と、玄関でチャイムが鳴った。1階の居間にいた母親が応対したらしく、玄関を開ける音とともに会話が始まった。声からすると…来客は黒瀬家の母親。

 そこまで考えて駿は、まさかこれ関係じゃないだろうな、と胸元のペンダントを何気なく触る。

「駿、結衣ちゃんのお母さんが話したいって!」

 下から響くような母親の声。やっぱり~と再び天井を見上げて予感は当たったが、だからと言ってうれしい感情とかは湧かなかった。

「…はぁーい。今下りる」

 駿はやや大声で返事をする。10代の少年なのに40代のような腰の上げ方をしてゆっくりと自室を出て階段を下りようとして、ふと空いてる窓から隣の家を見た。が、向こうの窓は暗い上に閉じていてその中は見えなかった。

 階段を下りて行った先は玄関。そこには駿の母親と、廊下から一段低めの玄関土間には結衣の母親が立ち話をしてたらしくいつものような笑顔を浮かべていた。

 下りて来る駿の姿を見るや否や、

「駿君、お母さんから聞いてた?」

「…何ですか?」

「あれ?話して…ない?」

 結衣の母親がおかしいぞ、という顔をして駿の母親の方へ振り向く。駿も、何事?と自分の母親へ顔を向けた。

 二人の視線が刺さった駿の母親はしばらく考え込んだ後、

「あ、忘れてたごめーん駿」

 照れ隠しで胡麻化そうとした母親。だめだこりゃと視線を結衣の母親へと向けて改めて、

「すみません、用事って何ですか?」

「駿君、明日午後空いてる?」

「明日午後ですか…?学校から帰ってからだと3時以降になると思います」

「じゃあその辺りに、福井駅前のアーケードの中にある喫茶店の場所教えるから結衣と一緒にそこへ行ってくれるかなぁ」

「はい?って何でですか?」

「あなたらに会いたい人がいるから。会えばわかるわ。場所はここね」

 と、駿は結衣の母親からメモ紙を貰う。そこに描かれてたのは、駅前ショッピングアーケードの真ん中あたりにある純喫茶だった。そういう店があるのは知ってはいたが、雰囲気が雰囲気だけに入ってみようという気には起こらなさそうな感じの所。

 とにかく、怪しい。純喫茶、という普通の喫茶店よりハードルが高そうな感じもそうだし、何やら怪しげな事柄が行われて下手すると事件にでも巻き込まれそうな、そんな感じがあからさまにしそう。

 そもそも、高校生がそんな所へ入って誰かに見つかって補導されんだろうな…という心配もこみあげてきた。

「それじゃ明日お願いね。では」

 結衣の母親はそれだけ言うと引き戸を開けてそそくさと隣へと帰っていった。

 駿は貰ったメモ紙の手書きの地図をもう一度確認した。間違ってはない。念のため裏を返すと、そこには明日の相手らしき人の所属と名前が半ば走り書きで書かれていた。読めないことはないので目を通す。

「…自治省内部部局第4課・けい…これなんて読むん…科学技術推進事務局 みでら?由紀」

 駿はぼそぼそと小さな声で読み上げるが、余りの漢字の多さに少し読みづらい。それに所属部署が今まで聞いたことも見たこともないような、言葉から受ける印象が掴みづらく日本語として意味不明にしか感じられなかった。

 それよりも明日の懸念は、

「あいつと一緒に行け…ってか」

 絶交状態からは多少は話せるようになったが、まだ駿にはハードルが高そうに思えた。

「…別に現地集合でもいいやろ」

 いつの間にか母親が居間へと引っ込んで玄関に一人だけにされた駿は、メモ紙に視線を落としながら2階の自室へと上がっていった。


 翌日の土曜日。学校は午前中で終わるいわゆる"半ドン"なので、下校時間になったと同時に白谷は家へ向かう。お昼を食べて、着替えして…と思ったのだが、ちょっとTVで面白そうな番組をやってたのでついつい見てしまった…気がつけば2時を10分程過ぎていた。電車は30分おきにしか来ない。それを逃すと遅刻する。

 やばいと気づいて急いで着替えして家から約500m程離れた越前新保駅へと駆け足で向かうが、駅手前の用水路の橋の上ではすでに踏切の警報機が耳障りなノイズを近所に響かせていた。すぐに上り福井行きの電車が踏切を通過してホームに滑り込んできた。

 この駅では下り勝山行の電車を待ち合わせするので間に合うことには間に合うが、それでも白谷は100m競走並みの走力で駅に飛び込むと、切符を買ってホームへ。丁度下り電車がホームに滑り込んできたところで、何とか間に合った白谷は電車の扉に両側から挟まれずに車内に飛び込んだ。

 肩で息をして呼吸を整える彼の背後から、

「…何やってんの。時間は知ってるでしょ?」

 動き出した電車の、妙に懐かしい機械の音が車内に飽和する中でも耳に聞こえてきたのは、親の声と同じ数ほどに聞いた声。

 声の主は見なくても判ってる。でも、白谷は声の方へ振り向いた。

 視界の中で、ベンチシートの一番端っこに座りながら睨むように見つめている黒瀬の姿を彼は捉えた。

 だぶだぶの灰色のスウェット上下におじさんが好みそうなあまりデザインセンスのないやや薄手の青いジャケット。頭には在阪球団の緑一色にNHの文字をデザイン化した野球帽に、足元は白いウォーキングシューズ。とても女子高生のヨソ行きの私服とは思えない、ファッションセンスが余りなさそうな格好に白谷は違う意味で目が点になった。

「…お前、人に会うんだからもうちょっとマシなカッコしたらどうだ?」

「別にデートじゃないからいいでしょ」

「…まさか緑川と出掛けるときもそんなカッコ…」

「んなわけないでしょ、アホか」

「…とても女子高生が街中へ行くような服じゃねーな…」

「…面倒くさいじゃん。あーだこーだで服選ぶのに時間かかるの。あんたみたいに」

 無視するかと思ったが、ぶっきらぼうとは言え言葉が返ってきたので白谷は少し驚いた顔をした。

 あんたみたいにとは言われたが彼は急いで来たので、Tシャツの上に灰色と黒のフード付きジャケットを重ね、黒に近い紺色のGパンに紺のバッシュ、被ってる帽子は牛をモチーフにした在阪球団の帽子と、とりあえず手元にあった服を着こんだもので、見栄えとかはほぼ気にしてなかった…とはいえ、歳相応のカッコには見える。

 黒瀬は視線をそらして車窓から外を見た。会話が途切れてるうちに白谷は彼女の反対側のベンチシートに腰を下ろす。

 土曜日なので2両編成の電車は人がそこそこ。床下のモーターがいかにも全力で回ってますとばかりに唸り声を車内に響かせていた。

 白谷は黒瀬の方を見ていたが、それに気づいてるのかまったく気にしてないのか、彼女の方は同じ姿勢で後ろへと流れていく景色だけを見つめている。白谷も流れてゆく景色をしばらくは見ていたが、次の駅に着くまでには飽きてしまった。

 再び視線を黒瀬に戻す。彼女の方も一瞬白谷に向けるが、無表情でまた外へと戻す。右の肘をシート端の手すりに置いて、手のひらで顔を支えて、いかにもつまらなさそうに、幼馴染の顔を見ないようにしていた。

 結局そのまま約10分ほどで終着の福井駅に着いた。ホームの年季の入ったスピーカーからはもう何万回再生されたであろう高音成分が強めになった女性の声で、駅名と乗換案内を乗客に伝えている。その声をBGMに2両で十数人の客が一斉にホームへと下りて行く。

 黒瀬は両開きのドアが開くと同時に180度ターンして、半ばダッシュで電車を降りて改札へと向かう。白谷は彼女のその行動を少しため息をついて見た後、彼女の後を追いかけるようにやや速足でホームへと下り、学生や生徒が帰宅するために待ち合わせている改札へ大股で歩いていった。

「結衣、ちょっと待てよ」

 白谷は彼女にそう言うが、黒瀬の方は無視してそのまま国鉄への連絡階段の方へ歩いてゆく。京福へと乗り換える乗客らとすれ違いながら、少し小走りになって黒瀬との距離を詰める。

「結衣って」

「名前呼ぶなっつってんだろ」

「じゃあ何て言えばいいんだよ」

 黒瀬はそう言われて白谷の方へ向いた。ふくれっ面で眼鏡越しに睨み返す。再び前を向くと同時に、

「…勝手にしろ」

 そう言って再び歩き出す。その後ろを、さながら気難しい姫に付き従う騎士のように白谷はやや間隔を開けてついてゆく。緑川といる時には猫かぶっておしとやかにしてるくせに…と思いながら。

 跨線橋の突き当りの所で右へ曲がり、階段を下りて北陸線金沢方向へのホームに降りる。今度は左へ曲がると改札があるのでそこで切符を出して通り抜ける。コンコース全体に立ち食いそば屋の香りが立ち込める中を通り抜け、駅前のタクシー乗り場を左に曲がると、屋上に大きな地酒や駅弁の看板を頂いた古びたいくつかのビルを、横合いから補強してそうな緑のアーケードの看板が見える。目指す純喫茶はここの奥にある。

 正面に見えるお土産屋兼鮮魚店辺りからアーケード街は右に折れるが、その店の横に、ただでさえアーケード全体があまり明るくない中で更にうっすらと純喫茶の看板がほの暗い電球に照らされて静かにその存在を主張していた。

 下手をすると喫茶店を挟んで隣にあるバッグ屋さんの照明にかき消されそうなその看板の横には、さらにそこだけほの暗くしたような、濃いこげ茶色をした扉の入り口がある。

 黒瀬はそこまでは勢いで歩んできたがさすがのその雰囲気には何か感じるのか、扉を開ける動作には慎重を通り越してホラー映画のようなこわごわとしたものが伴っていた。ドアノブに手を触れたとたん、中から斧とかチェンソーとかがいきなり出て来るかのような。

「結衣、ここだろ?」

 怖がってるようなそぶりの黒瀬に、白谷は早く開けようよと言わんばかりにさらりと言う。それに反応したのか、振り返ってレンズ越しに睨みつける黒瀬。

 彼女は意を決したのかドアノブを回して、ゆっくりと扉を開けた。ホラー映画のような軋み音はせず、むしろ手入れの行き届いてる様で、音もなく軽くすっ、と空いた。拍子抜け、という言葉が似合いそうな、そんな感じ。

 中は照明の明るさをかなり落としてはいたものの、どちらかというと雰囲気のいい感じの暗さだった。落ち着いて飲み物を味わえるような、そして店内に必要最小限の音量で落ち着いた雰囲気のジャズが流れていて、それまで二人が思っていた純喫茶のイメージが幾分か和らいだ。

「いらっしゃいませ」

 ほの暗いカウンターの方から、店のマスターらしき中年の男性が声を掛ける。黒瀬の後を白谷が続いて店内へと足を踏み入れる。

「あのお…みでら?という人にここに来るように言われたんですが…」

 黒瀬がおそるおそる、といった慎重さを乗せた言葉を告げる。

「ああ、御寺(おでら)さんの関係者ね。お話は伺っております。奥へどうぞ」

 ほの暗い店内が少し明るく見えそうなマスターの言葉に、警戒心をほぼ解いた二人は彼が指し示した店の奥へと足を進める。カウンターとテーブル席の間を抜けて、飾り棚などで囲われた奥の部屋へと向かうと、そこには一人の女性が着座してタバコをくゆらせていた。

 二人の姿を視界の端で確認したのか、タバコを灰皿で急いでもみ消すとやおら立ち上がって黒瀬の前に正対する。

「あ、初めまして。お二人をお呼びしました御寺由紀(おでらゆき)と申します。よろしく」

 軽い会釈につられて二人もその場で会釈する。それが終わると胸元から名刺入れを出して、二人に差し出した。二人はそれを受け取ってほの暗い照明のもとで記されてる文字を見る。書かれてたのは、昨日結衣の母親が渡してくれたメモ書きと変わらない所属と名前だった。

「今日は、お二人にこれからの事でお話をお聞きしたく参りました。多少お時間はいただきますので…」

 右手をさっとソファに向ける。それに従って二人は革製のソファに腰を預けた。ただ、二人の間隔はそこにもう一人か二人は座れそうな広さを開けて、だが。

 御寺と名乗った女性は国家公務員なのだが、何処となくクラブやキャバレーで働いてるように二人には見えた。肩口までの短めなソバージュヘアに少し陰鬱そうに見える表情、右耳のイヤリングにつけられている小さいが形の良い水晶が弱々しい電球の光を反射して存在を主張している。

「何飲まれます?」

 何処となくぶっきらぼうな喋り方で二人に飲み物のオーダーを訊いてきた。

「あ…じゃあコーヒーで」

「俺も」

 それを聞いた御寺は振り向いてマスターにコーヒー二つ、と注文して二人に向き直った。やや伏せがちな顔から二人を見る目は下から刺すような感じに二人には見えた。

「それでは…まず、私、御寺由紀の名刺をお渡ししましたが、実際にはそこに書かれているのは表向きでして…まあこれはお二人が"術者"と確認されてるので言うんですが…」

 御寺は再び思い出したかのようにもう一度マスターの方に向き直ると、片手で何かを下ろすような仕草をした。マスターはそれを目で確認すると、カウンター裏の何かのスイッチを入れた。

 …何かカーテンとかシャッターとかが下りてくるのだろうと二人は思ったが、なんの変化もない。不思議がる表情を浮かべる二人に気づいたのか、御寺が、

「ああ、これは遮音用の結界を張ったので…目には見えないですが、向こう側にはこっちの音は聞こえません」

 いきなり普通では使わない言葉が出てきて驚く二人。確かに店内に聞こえていた適度なジャズの音色が聞こえてこなかった。

「結界、ってこの喫茶店一体…」

「魔法庁、という省庁がございまして…数年前出来たばっかりですが、ここは県内幾つかある連絡事務所の一つです。とはいえ、表向きは普通の純喫茶で一般のお客も来店するのでこういうブースが必要になるので。ああ、マスターも魔法庁の嘱託です。奥さまが術者ですので」

 白谷が差し挟んだ問いに御寺は表情を変えることなく返答した。白谷はそう言えば以前、黒瀬家で魔法に関して色々と教わった時にそんな感じの省庁があるって彼女の母親が言われてたなぁ、と約半年ほど前のことを思い出していた。

「でも何で喫茶店を事務所にしてるんです?」

 普通ならビルの一角か県庁辺りに場所を構えててもおかしくはないのに、といぶかしむ黒瀬が訊いた。

「…まあぶっちゃけただ単に金が無いので、間借りしてるんです。あと、まだ秘密裏の非公開組織なので」

「なんで非公開なんですかね?」

 今度は白谷が彼女に訊いた。数拍置いて、御寺が説明を始める。

「まず、魔法庁は"魔法"という本来現実にはありえない事象の研究と調査、術者の人数把握及び保護、管理、教育、育成、発展などを行う国の機関です。ただ…取り扱う事象が事象ですので、現時点でこれを公開するには国民の理解がまだ進んでないとのことで現状、非公開になってます」

 御寺は一旦言葉を区切った。

「そして、これがいちばん大事なんですが…術者の保護、というのが最大の存在理由です。全国に確認、登録されてるので約200人ほど。未登録者等も含めて最大限見積もっても、これの倍まで行かない人らしか日本にいません。ぶっちゃけ、絶滅危惧種を保護するようなものです」

「…俺らは動物かよ…」

 白谷がバカにされたかのような呆れた表情を浮かべて呟くが、御寺は気にせず言葉を続ける。

「…まあ、絶滅危惧種なくらいに数が少ない上、尋常ならざる力を持ってるので国としても保護することに決めたのでしょう。監視も兼ねて。しかし今のところ、眼の前で魔法を見せたとしても普通の人なら信じないか、目の錯覚か、手品か…まだそんな子供じみたことを真面目に言ってる頭がおかしい人かのどれかと思うでしょうね…()()()()()()からそう思われてる間はまだ職員からすると別の意味で安心できます」

 御寺はテーブルの上にあるシガレットケースからライムフレーバーの煙草を取り出して口に挟む。そしてそこらのおっさんらが使ってそうな100円ライターで火を点け、煙草の味を楽しんで天井に向けて煙を吐き出す。柑橘系の少し焼けたような香りが部屋中に漂い始める。その仕草は国家公務員というより、夜の街で見かけることが多い人種に近い。

「…将来的には、国民の、魔法に対する理解が進んだ段階で公表する予定ではありますが、それがいつになるか、それとも永久に表に出ることがないのか…現段階では判りません」

「お待たせしました」

 御寺が言い終わったタイミングでマスターがコーヒーを持ってきた。御寺が灯した煙草の煙には負けるが、程よいコーヒーの香りがライムフレーバーと拮抗する。

「まあ、忘れないで欲しいのは、わたしを含めたあなたたちの能力は国が税金を投入しても守りたいと思うからこそ、この組織があるわけで」

 そう言った御寺は再び煙草を吸う。流れる空気によって先端部が赤く、かつ柔らかく輝く。

「監視付き…あんまりぞっとしないなぁ」

「…国が、自分らみたいな術者を税金使って守るんですか。何か陰謀みたいなこと考えているんですか?」

 白谷が率直な嫌悪感を言葉に乗せる。黒瀬も何かの後ろ暗さを感じたのか疑問をぶつけた。

「さあ、それはわたしみたいな末端の職員にまでは。ただ、運用によっては我々の省庁は神にも悪魔にもなれる、と上司は言ってました」

 白谷の言葉は丁重に無視し、黒瀬の問いをはぐらかしながら、二人から顔を背けて煙を吐き出す。

 数拍後、思い出したかのように顔を二人に向けると、やや真面目な表情を作って、

「あ、話が相当ズレました。本題に入りますが…今現在、黒瀬さんと白谷くんはお付き合いしてます?」

 余りの内容に変わり具合に二人は一瞬面食らったように動きが止まる。それが数秒間続いた後、ほぼ同じタイミングでボディランゲージで否定する。

「「いやいやいや」」

「そう…ですか」

 その割には二人ともタイミングのズレがほぼないくらい動きと言葉が同調しているなあ、と御寺は思った。まだ残ってる煙草を灰皿に押し当てて火を消すと、

「いや、ぶっちゃけ言いますと…お二人には高校卒業後か大学卒業後に結婚していただきたいのですが」

 御寺がそう言った直後、二人はまるで時間停止の魔法にかかったかのように動きが止まっていた。それを見ている御寺も、つられて動きが止まる。その部屋で動いているのは、さっき彼女自身が揉み消した煙草の吸い殻から立ち上った紫煙だけだった。

 …優にTVCMが1本流れる分の時間が過ぎた後、その"魔法"を最初に解除したのは黒瀬だった。表情がやや暗めの店内で赤くなっていくのが見えたが、それは恥ずかしさからではなくいきなり変な事を言われた怒りからに違いない。

「けけけけけけけ結婚っててて、その何ですかいきなり…!」

 彼女は思わずソファから腰を浮かした。両手をテーブルに突き上半身を御寺に向けて威嚇する様に大声を上げる。しかし御寺は、さも彼女の行動に興味なさげに無表情に反論する。

「ええ、その言葉通りです。お二人が結婚されて生まれたお子さんが術者かどうか、それを確認したい」

「何でですか!」

「後の調査研究のためです。術者の素養は基本、長女にしか受け継がれない。男で術者というのはごく稀にしか生まれない上に、術者の男女が結婚して生まれた子供がどういう素養なのかを記した記録が今の所、存在しない。あるのか、受け継がれないのか…」

 御寺の言葉には、黒瀬を説得しようとする意志がない。ただ、学術的に事実を知りたい…それだけのように彼女の、黒瀬を射すめる視線はそう語っているようだった。

 黒瀬は御寺のその言葉と態度に怒りの水位がガマンという堤防を超えそうなのを感じたが、逆に相手が余りにも冷静過ぎて怒る気力が削がれるのも感じていた。

「今が、こう言うのも何ですが、千載一遇のチャンスと見てます。これを逃せば、我々には二度とチャンスがないと思ってます」

「…もし結婚しなかったら逮捕でもするの!?」

「しませんし、出来ません。法的に。もしそうなったら我々は諦めるしかない」

「じゃあ諦めて」

「結婚されてない現状では諦めません」

「もう自分には彼氏がいるの。白谷(こいつ)にも彼女がいるし、もう自分とこいつとがくっつくことはないの!」

「女性の法的結婚年齢は18歳です。それまでは、我々も諦めません」

 彼女は再びテーブルに置いてあるシガレットケースからライムフレーバーの煙草を取り出す。とりあえずは口に運び、もてあそぶように様々な方向に向ける。

「もちろん、魔法庁(われわれ)としても普段の術者に対する以上の援助は致します。結婚費用から生活費、医療費、光熱費、食費、車代のあらゆる費用から就職の斡旋、親族の介護費用、年金、お子様が生まれた場合の学費等…ぶっちゃけ、働かなくても家族まとめて一生寝て暮らすことも出来ます。当然、お子様が将来結婚した場合も、その親族には援助いたします」

「随分大盤振る舞い…信用できねーと思いたくなる」

 白谷が御寺に視線を向けずに厭味ったらしく口を挟む。しかし御寺は意に介せずに、

「それくらいは当然でしょう。それだけの価値はある、と国が認めているんですから」

「突然打ち切る、なんてことはねーのか?」

「価値のある人間を家族丸ごと援助できないほど、我々の役所はケチじゃありません。貧乏省庁とはいえ、それくらいは」

 白谷の視線は御寺に対しては信用できないと言いたげな視線を投げかけているが、御寺は黒瀬の時と同じく一向に気にしていない。というより、同じ立場にすら立ってないんだよ…と、その態度は雄弁に物語っていた。

「まあ、今すぐ答えを出せと言うわけではないです。お二人の人生そのものが掛かってるんですから、じっくり考えて、答えを出してください。それまでは待ってますので」

 御寺は口にくわえている煙草に火を点けようと、安っぽいライターを持ち、火を点けようとした…そこまではとても手慣れた感じで素早かったが、肝心のライターが火が飛ばない。何回かやってみても同じ結果。

 黒瀬と白谷は彼女が煙草に火をつけるまで待とうと思ったが、なかなか点かないライターとそれまでの御寺の態度にイライラし始めた。

 御寺は軽くため息をつくと、小声でしゃーねーなと呟いた。そして、

 〈ヴァン〉

 空気が爆ぜるような音がした後、彼女の右耳のイヤリングについてる水晶が光った…室内では考えられないような空気の急な流れが発生し、彼女めがけて流れ込む。間髪入れずに彼女の手先からライターで火を点けたような赤みがかった炎が立ち上り、煙草の先に火が移る。

 吹き抜けた風は何時の間にか止まり、室内を温める緩やかなエアコンの風だけが3人の居るブースに届けられた。

「お待たせしてすみません、で…」

 御寺は煙草に火をつけて至福の表情を浮かべて話を続けようとした…しかし、対面に座っている黒瀬の顔色が優れない。まるで何かに怯えているかのように小刻みに震え、息は荒くなり、やがて袖口をかきむしったりはたくような仕草を見せた。

「結衣、どうした…?」

 幼馴染の異変に気付く白谷。瞬間、脳裏にあの時の出来事が…。

「結衣っ!」

 とっさに黒瀬に抱きつく。そしてもう大丈夫、火は消えた、と呟いて落ち着かせようとした。背中に回した手で彼女の背中をさする。

 それが功を奏したのか、彼女の震えは次第に止まり、呼吸もその回数を減らしていつものように落ち着く。

「…だ、大丈夫。何とか…」

 呼吸を恢復しつつ、黒瀬は自分の意識を何とか保つ。汗も引きはじめ、顔色も次第に元に戻りつつある。そして彼女は幼馴染が自分の体を強く抱きしめているのに気づいて、

「こ、こら、離れろ駿…人前だろうが」

 いつもならば…罵倒という言葉が似合う位の強い口調で言いそうなのだが、まだ普段の状態に戻り切っていない状態では、喘ぐように彼に言うしか黒瀬にはできなかった。彼の体を引きはがそうとしても、まだ力が入りきらない。その前に白谷は彼女を抱き留めている腕の力を緩め、ゆっくりと彼女の状態を見るかのように引っ込めて行く。

 対面のソファで一部始終を見ていた御寺は、折角魔法で点けたばかりの、ミントフレーバーが香る煙草を灰皿に擦り付けてもみ消すと、ぶっきらぼうの表情から一転して物事の核心を見抜こうとする意志を持った瞳で黒瀬の顔を見つめた。

「黒瀬さん、偶然とはいえこの魔法を昔使いました?」

「…すみません、その時の記憶が思い出せない…」

「風使いの術者ではまれに起こる事故です。空気の凝集だけでなく、集めた空気の分子の中から高い熱エネルギーを持つものだけを選択して収束させ、対象物に火をつける。これを使用するにはそれなりの練習が必要だけど、まだ魔法の制御が不完全な状況でやってしまうと、何処に火が付くか判らない危険な状態になります」

 一呼吸おいて、御寺は話を続けた。

「以前黒瀬さんのお母さまから聞いた話だと、その事故は多分それじゃないかと…」

「…今でもそういう事が起こる、とか…?」

 何とか持ち直した黒瀬が、過去の事故の心配と不安と、現状使っている魔法の怖さが混じり合った表情で御寺に訊く。

「100%起きない、とは言えません。何かしらのトリガーでそういう事が起きる、かもしれないです。魔法の発動時間は少し遅くなりますが、慎重に使って、としか言えないです。我々もまだそこまで解明は進んでませんから」

「判らないことばかりじゃないですか」

「経験則で扱ってるようなものです。魔法の解析、それもこの省庁の目的ですから。とはいえ、昔からある魔法の割には未解明な部分が多い。しかし、術者は道具のように魔法を使わないといけない時もあるので使うな、とは言えない」

 白谷のもっともな指摘に、御寺はやや伏し目がちに呟くように答える。

「日本にいる術者のほとんどは風を使ってます。何故だかわかりますよね?」

「え、っと…確か人前で使わざるを得ない時でも他の人に魔法だと判りづらいから、だったはず」

 御寺に視線を向けられた白谷が、依然聞いたことを記憶の引き出しからひっくり返しつつやや慌てて答える。

「まあほぼ正解です。これを使えなくすると術者は術者ではなくなる。普段は使わなくても、いざという時に使う人がいるのでこれは出来ない相談になります」

 御寺はソファから身を起こすと、カウンターのマスターに向かって合図を送るかのように手を挙げた。マスターはそれを見ると、手元のスイッチを入れるような仕草をする。

「今回はここで終わります。黒瀬さん、体調が戻ったら白谷くんとよく相談して将来を決めていただきたく思います。我々は…何年も待ちます」

「…多分無駄。さっきも言ったけどもう互いに相手いるし」

 白谷がもう終わったかのように御寺に告げる。言われた彼女は、視線は向けたが彼には何も言わなかった。

「…もうこのようなセッティングは要らないと思います」

 黒瀬がようやく気分を取り戻したのか、ややドスのきいた声で御寺に言う。御寺はそれを聞いても何も言うこともなく、ただ右手を出口方向へと向けた。

 二人は軽く礼をして、店内を出口へと移動してゆく。やがてドアが開き、黒瀬と白谷がアーケード街へと移動してゆき、その光景を遮るかのようにドアが静かに閉じた。

 二人を見送った御寺は、軽くため息を一つ。そして思い出したようにケースから煙草を取り出し、一旦ライターを手に取ったがそういや点かなかったことを思い出し、魔法による点火に切り替えた。

「…そういや腹減ったなぁ」


「なんっか腹立つ!あの人ホントに公務員なの!?」

「…何かもう大丈夫そうだな。それだけ怒れるってことは」

「なんで今更あんたとくっつかなきゃいかんのよ!しかもお役所のために!」

「結衣、あんまり喚くな。周りに聞かれるだろ?」

「うるさい、あんたああ言われて何で怒らないのよ!」

「あの人に怒ったってどうにもならんだろ?ほっとけよどうせ向こうは何も出来やしないんだから」

 行きも帰りも同じ順序で、アーケード内を駅の方へと向かう黒瀬と白谷。さっきの魔法のショックから立ち直ったような感じで怒りを全面に押し出している彼女は、足を地面に押し付けるように歩みを続ける。そのすぐ後ろを、半ば呆れているかのような表情で白谷がついていく。

 アーケードを出ると、眼の前は駅前のタクシー待機場所。そこで黒瀬は歩みを止めた。ふと立ち止まってなにか考え事をしている。

「どした?」

「…本屋寄ろうかと」

「んじゃ俺は蕎麦食って帰るわ」

 挨拶はなかった。白谷はやや右へ進んで駅へと他の通行人に紛れて進んでいき、黒瀬は左手の方へ曲がると、道路向こう側へと渡る横断歩道へ…しかしその手前で再び止まる。踵を返し、やや早歩きで駅へと向かう白谷にやがて追いつく。

「…本屋行くんじゃなかったのかよ」

「小腹が空いたのよ。お昼そんなに食べてないから。悪い?」

 二人は並んではいないが歩く速さを同調させたかのように、端から見れば駅そばの出汁の匂いに吸引されるかの如く駅のコンコースへと入っていった。


 …駅方向へと歩いてゆく二人を、別の視線が興味深そうに追いかけていた。他所行きの派手ではないが、それなりの存在感を放つ衣装を着込んで、その身体のプロポーションの良さをさり気なく主張しながら、セミロングの髪をなびかせて20m程離れつつ監視するように時には物陰に隠れつつ、メイクを直す様にコンパクトの鏡を見ながら二人を見つめていた。

「…あらあら、お二人さんとっても仲が良い様で。これならなかなか話してくれない白谷くんはもうどうでもいいかなぁ?」

 余りの理想的な場面に、口元の笑みが魅入られたかのように怪しく歪む。その場にいたことの幸運、これは生かさないといけない。いや、生かす。そうでなくては。

「そういやあの時いた女の子、1年3組だったよねぇ」

 学校祭で見た二人の後ろ姿が現実の光景に、さながら映画のワンシーンのように重なる。

「面白くなりそうね」

 遠野春香(とおのはるか)はこれから起こることを想像しながら、その場を離れた。


「ウチの娘が変なこと言ったみたいでスミマセンね」

「あ、ご心配なく。普通の反応ですし」

 同じ純喫茶の、同じ奥の席。二人が出てから2時間ほどして結衣の母親、黒瀬木綿子(くろせゆうこ)が店内に入ってきた。書類などがあちこち散らばっているテーブルを御寺はテキパキと片付けるとマスターに遮音とコーヒーをお願いする。その間に木綿子は、御寺の対面のソファに腰を下ろした。

「まあ当たり前ですけど、結婚の話は時期尚早でした。結衣さんもそうですけど、白谷くんの方も別に相手もいる状態では話自体が出来ないので、暫く保留にしておきます」

「その方がいいと思います。恋愛ですから、親から強制するようなことはしたくないですし、そういう時代でもないですし」

 御寺は失礼、と小さく言って煙草をくわえ、店のマッチで火を点けてくゆらす。ほの暗い店内の照明に、煙草から立ち上る紫煙が微かに陰影を作り出す。

「まあ、あたしが言うのも何ですが、将来を一緒に過ごす相手位は勝手に見つけろ、と思ってますので。相手が術者とかそうでないとか…そう言うことは、正直どうでもいいです。そちらの意に添わなくても…そちらには申し訳ない話ですが」

 マスターがコーヒーを持ってきた。それぞれのカップをテーブルに置いて、再びカウンターへと戻って行く。木綿子は手早く砂糖とミルクをコーヒーに入れると軽く口をつける。

「まあ先程も二人にはお話ししましたが、こちらとしてはお金に関しては精一杯の誠意はお見せしたつもりです。千載一遇のチャンスですし、これを逃したくはない…正直な所」

 煙草の灰を灰皿に落としつつ、視線はテーブルに落として御寺は語るように話す。

「そうですよね…あたしもそちらの立場なら同じことを言うと思います。仕事ですし」

 二口めのコーヒーを飲む木綿子。

「…まあ、さっきも言いましたがこの件は保留にしておきます」

「…御寺さん、根拠とかはないんですけど…あたしが思うに、最後には娘は駿くんを選ぶんじゃないかと思うんです。女の勘…みたいなものですが、あの子の行動とか見ていると、駿くんとケガするような大ゲンカはしても肝心な所では幼馴染の絆を失くしてないように思えるんです」

 木綿子がコーヒーカップを見つめつつ、柔らかな笑みを浮かべて独り言のように話す。御寺はやや上目づかいでそれを静かに見つめている。

「…当たるといいですね、その予言」

 口元が笑みの形になる。皮肉にも願望にもとれるような言葉を紡ぐように御寺は言うと、長くなった灰を灰皿に落として一口。紫煙が再び不定形な影をテーブルに落とす。

 しばらくの静寂が奥の部屋を満たしていたが、やがて御寺が思い出したかのように口を開いた。

「それと先ほどの件…結衣さんの昔の事故の事ですが」

「原因は用事でその場を離れたあたしの不注意です。でも、そんなに燃え広がらないうちに駿くんが消してくれたので奇跡的に結衣に火傷とかはなかった…それはいいんです」

 木綿子は残ったコーヒーを喉の奥に押し込んだ。

「偶然とはいえ魔法による熱不均衡状態を作り出した…最初は信じられませんでした。小学生が出来るレベルじゃないです」

「確かに。それなりに成長して初めて扱えるレベルですから」

「その後はしっかりと教え直したのでそれ以降は起きてません。火の扱いに関しても、少し厳しくはしましたが幾度となく使い方を教えて怖さを克服させたので、普通に扱う分には大丈夫にはなったんですが…」

「折角怖さを克服させて記憶を封印したのに…そして今度はわたしが熱不均衡魔法を使ったので尚更当時の怖さが甦ってしまった…」

 御寺はあの時、マスターにマッチを持ってきてもらった方が最善ではなかったかと後悔した。余計な事をしてしまった…今更どうにもならないが。

 彼女はまだ残ってる煙草を灰皿に押し付けてもみ消した。いくらばかりかの八つ当たりも含めて。

「学校での事故はまあ仕方ないところもありますが、今回に関しては少し気になる点が」

「…といいますと?」

 木綿子からの懸念を含んだ言葉に、御寺は惹かれたようで視線を彼女に向ける。

「魔法を…ひょっとしたら使えなくなるんじゃないかと」

「同じ風系統の魔法のバリエーションですからねぇ…」

「さっきも言ったように、結衣には魔法を使う時には余計な事を考えないように…と。とはいえ、同じ風の魔法…」

「もしかすると、と思うと発動出来なくなる…」

 御寺も木綿子も、同じタイミングでテーブルに視線を落とす。

「まあ、使わざるを得ない状況にならなければ一番いいんですが…」

 空になったコーヒーカップを両手で温めるかのような仕草をして木綿子は消え入るような小声でつぶやいた。

 こればっかりは御寺も木綿子の方も心配してもどうにもならない問題…話題を変えないと、と御寺は思った。そう言えば…。

「話題を変えましょうか。そちらからの解析レポートにあった意味不明な魔法の記述、アレは今回の資料には詳細はなかった…と?」

「無かった…と思います」

 先日届いた解析用の古文書をとりあえずはざっと目を通した木綿子だが、それらしき記述は見当たらなかった。前回送付された資料には記述があったその魔法の事は、その後の資料には一切出てきてない。

「記録間違いか、術者に何かあったのか…」

「記録間違いはないと思います。それ以外の記述に関しては整合性が取れますし、その場所は地図と照らし合わせると現在でもその跡が記載されてます」

 木綿子が持ってきたカバンから、その事に関する最低限の資料を取り出し、テーブルに広げる。その記述の場所の地図を見ると、確かに峰辺りから谷筋にかけて、山の一部がごっそりと崩れたことを示す等高線のへこみと崖の存在が見て取れる。記述に間違いがなければ、村どころか街一つを飲み込む土砂が川を跨いで山崩れとなって襲っていただろう。

 地図には小高い丘みたいなのが、その村を避けるかのように両側に広がっていることを示す等高線が描いてある。

「こんなの、術者1人ではどうにもならないレベルだが…」

 せいぜい家1件を守れるかどうか…複数いても村全体となると不可能なレベルの災害。

「以前、"悪魔"を連携させるという実験はどうなりましたっけ?」

 木綿子が訊いてきたが、御寺は首を横に振る。

「ダメでした。ほとんど影響が無かったです。それ以上負荷をかけても、御存知の通り相反則不軌になりますので」

「ある一定以上はコードを入力しても効果がない…」

「でも、記述どうりなら、相反則不軌を無効にしていることになる…訳がわからない」

「過去の文献、もう一回再精査しますか?」

「お願いします…しかし何なんだ」もう一度御寺はテーブルに置いてある地図に視線を落とす「村をも飲み込む土砂崩れを防いだ大規模広域魔法なのに『ちいさき魔法』としか書かれてない、って…」

 キツネにつままれたかのような書かれ方に、御寺はどういうことなのか、悩む以外の選択肢が見えなかった。

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