表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/22

ミストラル~季節風~

『生徒会よりお知らせします。ただ今より、学校祭を開催いたします。生徒のみなさま、今日一日楽しんでください!』

 各教室に設置してあるスピーカーから、年に一度の祭りを始める号令がかかった。と同時に2-7の教室では漆黒のタキシードを纏ったウエイターや、紫色の矢絣(やがすり)の着物に同色の袴、背中で交差させている紺色の襷を脇に通したウエイトレスがそわそわし始める。

 短めの髪をポマードでオールバックにした白谷駿も、頭部から放たれる違和感と独特の香りに悩まされつつバックヤードで同じような格好をした深緋英明や紺野和博らのウェイター陣と、灰屋美紀や紫野絵里子らのウェイトレス陣がそれぞれ固まっておしゃべり中。その横で接客以外のクラスメイトは食器などの準備をしている。ぱたぱたと歩く音、食器同士が当たる音、ケーキなどをしまう冷蔵庫を開閉する音がいつもの教室より狭い仕切りの中で響いている。

 バックヤード入り口では接客係のクラスメイト男女ひとりづつがお客を待っているが、動いていないのを見るとまだ来ていない。廊下からはそれなりに人が通っているような音はしているが…。

「…しかし、折角飾り付けしたのに今日だけなんだよなぁ…」

 白谷が何気なく頭上を縦横無尽に繋げてる飾り付けを見ながら勿体なさそうに呟く。撤去は週明け月曜日を丸1日潰して行われ、授業は火曜日から再開される。

「結構手間かかったよなぁ…飾り付け作業中の女子のスカートの中覗けそうだった」

「お前なぁ…それかよ」

 白谷の隣で深緋がサラっと表情を変えずにエロ交じりな言葉を口にする。それに呆れながら突っ込む白谷。

「青野さんと付き合うことになったんだろ?下ネタばかりだと引くぞ普通」

「まあ、ある程度には抑えてはいるが…時折妙に下ネタにノってくるところがあるから女子はワカラン」

「そうなのか…?」

 白谷が思わず隣の深緋を見た。彼は彼で『この目を信じてくれ』と言わんばかりの目力で白谷に視線を投げ返す。他の男子もこういうネタは飛びつくお年頃のため、視線が深緋に刺さっている。

「やっぱ運動部、って体力あるからソッチ方面でも強いのかもしれん…」

 何かを悟ったかのような深緋の視線は、教室を飛び出して遥か彼方を見つめているかのようだった。思わず周囲にいる野郎どもも釣られてその方向を見つめる。

「そういや青野さん、陸上部だったな」

「適度な日焼けはそそるよなぁ」

「出てる所は出て引っ込む所は引っ込んでる…野郎なら見るって」

 タキシードを着た思春期男子から妄想が次々と飛び出してくる。端から見ればただのワイ談なのだが…。その思春期男子の中で深緋は俺の彼女いいだろーみたいなやや鼻高々になってるのが垣間見える。

「でだ、夏休みあっただろ…正直ドコまでいった?」

 紺野が普段そこまでしないくらい真面目な顔をして深緋に訊いた。彼も灰屋(かのじょ)がいるのでそういう所は是非とも聞いておきたいところ。

 紺野のその質問に、各々で話していた野郎どもが切り上げて一斉に深緋の方を向いた。質問は滑稽だが本人含めた野郎どもの顔は真面目。

「…とりあえずは…」

「いらっしゃいませー!」

 客席の方からバックヤードの布を突き抜けて客待ちしていたクラスメイト…もとい、ウェイターの声が響いて深緋の声に上書きした。ガックリという擬音そのままの動きをした後、『いまいいトコロだろうに何で来る!』という怒りの表情が各人それぞれに浮かんでいた。

 仕方がないと言うことで立ち上がったウェイターの野郎ども。しかし…、

「まあ待て、始まったばかりだし今は表に出てる2人で回るだろ。まだ俺たちが出る幕じゃない」一旦立ちかけた野郎どもは、紺野の言葉にうなづいて再び待機場所の椅子に座る「話を続けよう。で、深緋、ドコまでいった…?」

「それは…」

「いらっしゃいませ~」

 再び被る。しかも足音からするとそれなりの人数が入ってきたみたいで同じバックヤードにたむろしていたウェイトレス陣が一斉に動き始め…野郎どもの方を見た。はよ接客せい、とでも言いたげな感じの目つきは微妙に冷たい。

 お客の声を聞くとどうやら女子が多いように聞こえる…ウェイター陣がいつまでもバックヤードで無駄話出来る状況ではないのが明らか。

 深緋から聞きたかった女の子の生態のあれこれを野郎どもは仕方なく一旦は心にしまい込んで、次々と模擬店の方へと出陣していく。その表情は深緋本人を除くと、『しゃーねーな…』という心の叫びを可視状態にして貼り付けたかのようだった。

 タキシードを着た男性陣最後尾の白谷は、前のクラスメイトが仕切りから出た所でふと足が止まった。

 さっきの会話での『何処まで行った?』。白谷は夏休みの海で彼女の赤城真由とキスまではした。

 とはいえ、そこからはまだ進んではいない。

「訊いてみるか…」

 彼の表情は誰にも見られてないが、引き締まる。

 もしダメだったら、その時考えればいいか。

 しかし、白谷は…なぜか上手く行きそうな気がしていた。


 …約2時間後、最初のシフトを終えた駿は彼女の真由から、接客から外れる時間帯を前日までに知らせ合って調整していた。まずは11時前辺りから約2時間ほどは逢える…とのことでウェイターのままで似たような業態でやってる1-3まで出向いていった。

 駿はチラッと覗いた。ソコソコ賑わってるようで、特に訪問客の男子比率が高いように見えた。

 さっき階段の所で貼り出してあった、新聞部が毎年学校祭時に作成している、独自調査した模擬店の特徴などを1時間おきに取材、編集した俗称"時刊新聞"を見た駿はとりあえずの予備知識は仕入れてはいた。そこには『1-3〈La ROSE ROUGE〉のウェイトレスはヴィクトリアンメイド姿。男なら一度は見に行くべき』と書かれてあった。なお2-7〈天色茶店(あまいろさてん)〉は逆にウェイター関連で記事があり、お客に女性が多かったのはなるほどこれに乗せられたか…と白谷は一人納得がいった。

「いらっしゃいませーって白谷先輩だ。真由~!」

 さて真由はいるかな?と駿は1-3の教室に入ろうとしたところをヴィクトリアンメイドの格好をした榛名に速攻で捕捉された。早速バックヤードにいるらしい真由をそこそこの大声で呼び出す。するとバックヤードと思われる黒の布を掛けられた壁の向こう側からちょっとまってー!と声が飛ぶ。

 駿は目の前の、メイド服を纏った榛名にどことなく違和感を覚えた。この子部活あったんじゃ…。

「あれ?榛名さんって陸上部じゃなかったっけ?」

「ええ、でも部の出し物は午前中は間に合ってるので、出るとしても午後からなんです」

「そういうことね…」

 同じクラスの青野も榛名と同じ陸上部だが、部活優先のため模擬店には出ていない。2年生で活動の中心だからか。

 適度に日焼けした肌にヴィクトリアンメイドの衣装を纏った榛名は、前日の衣装合わせの時に顔を見せた真由とはまた違ったかわいさがあるなぁ、と駿はふと思った。髪はショートカットなので見た目は規律に厳しそう。

「あの人が真由の彼氏?」

「ヤダちょっとカッコイイ…」

「ああいう彼氏現れないかなぁ」

 駿の視界の片隅で3人のメイドウェイトレスが固まって好意と興味の視線を投げかけてる。小声で話してるみたいだがしっかり聞こえているけど彼は表向きは無視した…横目では見てるが。まあ悪口ではないからまんざらでもない、と言いたそうに口元に笑みの歪みが浮かぶ。

「おまたせー…ってセンパイ何処見てるんですか?」

「あ、いやどんな飾り付けかなぁ、って」

「…それならいいけど」

 前日と同じヴィクトリアンメイドの格好で現れた真由は、駿が彼女のクラスメイト3人の会話で鼻の下伸ばしているのをジト目で問いただす。真由に言われて慌てて口元を引き締める白谷。

「じゃセンパイ、デートに行きますよデート!」

「あ…ち、ちょっと…!?」

 ややふくれっ面の真由は駿の手を取ると、動かない犬を散歩に連れ出そうとリードを引っ張る飼い主のように彼を引きずって教室を出る。さながら、見た目は幼さそうだがそれなりの経験を積んだメイド長が、新人の執事を教育するかのよう。

「行ってら~」

 榛名は笑顔で見送った。大股で真由(かのじょ)に廊下を引きずられて歩く駿(かれ)を。


 …同じ頃、生徒会室は思ったほどの忙しさではなかった。学校祭の元締めたる文化委員長の黒瀬結衣とそのサポートをしている生徒会書記の緑川勇樹は開始直後は色々と動き回って対処等をしていたのだが、それも1時間過ぎる頃には覚悟していたほどのイレギュラーの対処が無く、秋のやや気温が低くなり始めている気候に眠気を覚え始めていた。

 生徒会長と副会長は明日の体育祭に向けての詰めの作業を隣の会議室で行っているので、そこでの会話は程よい子守歌のリズムのよう。生徒会室の引き戸の向こうからも、学校祭の喧騒が1/3以下の程よい音量となって二人の耳に届いている。

「…いい感じに誰も来なくていいね、勇樹くん」

「結衣さん、言葉にすると来ますからやめましょう」

「…それもそうね」

 穏やかな天気と相まってついうつらうつらと舟をこぎ始める二人。

 やがて結衣は軽く組んだ両腕を枕にして頭を乗せた。それを半分瞼が閉じかけの目をした勇樹がそれじゃ僕も、と言った感じで隣で同じ姿勢になった。

 1分も経たずに二人は軽い寝息をたてはじめる。

 …生徒会室の引き戸が開いた。生徒会会計の北川が業務を終えて戻って来たのだが、二人が机で突っ伏しているのを見て引き戸を閉める動作を緩やかにした。音を立てないように戸を閉じる。

 その場で数秒、うたた寝をしている二人を見た北川は口元にわずかの笑みを浮かべる。そして彼らと反対側の机に場所を定めると、静かに業務を始めた。

 やがて隣の会議室の声が途切れて椅子を引きずる音がそれに代わる。詰めの会議が終わったようで、会長のやや大きな声が生徒会室の方へと近づいてくる。

 北川はそっと椅子から立ち上がると、会長の行く手を塞ぐように立ちはだかり…人差し指を口元にあてて"お静かに"とでも言いたげなジェスチャーをする。

 机に突っ伏している文化委員長と書記の姿を見て会計の意図を汲んだ会長は、ついてきている副会長と運動部会会長にお静かに、とやはり口元に人差し指を当てて知らせる。

 3人は盗人のようにそろりそろりと足音を立てないように生徒会室内を移動し、運動部会会長はそれじゃ、と小声で挨拶して静かに部屋から出て、会長と副会長は同じように自分の椅子へと向かう。

「北川」

「はい」

「何かトラブル等があったら暫くは俺か芳賀が応対するわ。彼女らしばらく寝かせてやってくれ」

「了解しました」

 小声で会話し、3人は寝ている黒瀬と緑川を見る。お疲れさん、と3人の口元はそう言ってるように見えた。


「センパイこっちこっち!」

 お目当ての模擬店をやってるクラスの入口へ先に行った真由が声を上げて手招きをする。それに遅れないように駿も小走りで真由の後を追う。追いついてふと見上げると模擬店の看板には"駄菓子屋"の文字を背景にして店名の『秋翠茶屋』が書かれ、その周囲には売ってそうな色々な種類の駄菓子のイラストが散りばめられている。教室は3-3。普段なら上級生の教室ということで入るにも多少の覚悟が要りそうな雰囲気ではあるが、今日ばかりは無礼講という感じで、お客には1年から3年まで均等にいるようだ。

「駄菓子屋かぁ…小さい頃はよく行ってたなぁ」

「なんか懐かしいですね」

 中を見回した駿が呟くと、自然に足は教室の中へと進んでいった。真由も昔を思い出して小走りに駿の後をついて教室の中へ。

 中は駄菓子は当然として、お面やスーパーボールすくい、そして自分らで作ったのかスマートボールまで置いてある。数字が書かれた穴に球が入ると、書かれた個数の球が筐体下の玉受けに出て来るというお祭りの縁日にはよくあるやつ。

「すごいなぁ…こういうのも作っちゃうんだ」

「ウチの男子、こういうのが好きなんで徹夜して作ってたみたいですよ」

 接客係の、背中に"祭"の文字がデカデカと書かれた法被を着た3年生女子が、半ば呆れたように白谷に言葉を返す。

「センパイ、どれにします?」

 横合いから真由が訊いてきた。駿は彼女の方へと歩み寄ると、それこそ選ぶのに迷いそうな数の駄菓子の千枚棚を前にしてしばし無言になる。懐かしいのもあれば最近出たての知らないものがあったり…。

「…モロッコヨーグルは外せんし、青リンゴ味の餅も入れるとして…」

「あ、トシちゃんのブロマイドある!今なら纏めて買えちゃうなぁ」

 駿がブツブツと独り言をつぶやきながら物色している横で、真由の方は駄菓子棚の上に吊るされているアイドルの袋入りブロマイドがあるのを喜んでいる。幼稚園や小学生の時には少ない小遣いでどれにしようか悩んでいたが、今は多少なりともお金は持ってるので、そこそこ多く買っても大丈夫。とはいえ、その頃の習性というのはなかなか治らない。

 …結局10分ほどあれこれした挙げ句、駿の方は駄菓子ばかり1000円ほど。真由の方は駄菓子半分アイドルブロマイド半分で同じくらいを買い込んだ。

「女子はこういうところでもブロマイド買うんだなぁ」

「そりゃあトシちゃんやマッチは小学生の頃の憧れですから」

 同じ教室の片隅に長椅子がいくつか置いてあり、そこで食べられるようになっている。二人はそこに腰を下ろすと、小腹がすいてきたのか駄菓子の次々と胃袋の中に放り込んだ。ご飯ほどはお腹は膨れないだろうが、多少なりとも食欲は満たせる。

「そういや小学生の時にはピンクレディとかが出てる歌番組見てたなぁ」

「私も見てましたよ。トシちゃんが出てるとずっと画面に貼り付いて動かなかったくらいですから」

「録音しなかった?」

「しましたよー。最初はラジカセをテレビのスピーカーにくっつけてたんですけど、やがてお父さんが新しいラジカセ買ってきてくれて、それからは音声コード繋げてとってました」

「似たような感じだなぁ…余計な音入って怒ったり」

「あ、同じ~」

「今じゃテレビじゃなくて去年始まった民放FM聞いてるけど、真由も?」

「聞いてますけど、最近はインストゥルメンタル聞くことが多くなって…FMでも流れないのでレンタルで借りてきて聞いてます」

「へぇ…あれって聞けばわかるけど歌詞とかないから探しようがないんだよなぁ」

「私もたまたまラジオでアーティスト名を言ってくれたので、それ記憶して松木屋行ってレコード探しました」

「まあ、松木屋なら大体レコード揃ってるからなぁ。駅前?」

「ですね。他の買い物もあるので」

「なるほどねぇ…」

 長椅子に座って駄菓子をほお張る、片やタキシードを着こんだウェイター…執事に、片やヴィクトリアンメイドの格好をしたウェイトレス…メイド。どことなくご主人様の目を盗んで逢瀬を楽しんでいる二人の様で…。

「…そういやセンパイって何かおニャン子クラブ好きそうな感じするんですが」

「いやちょっと待て突然何だ…俺そういうのはもう好きじゃない。アイドルとかは聞かなくなったし」

「ほらさっきピンクレディ見てたって…」

「小学校の時はな。中学の時にニューミュージックにハマって今はそれしか聞いてない」

「ハマショーとか?」

「それも聞くけど、どっちかと言うと元春かなぁ」

 駿は紙袋から取り出したシガレットチョコを取り出して口にくわえる。噛まずにそのままの格好で、さながら煙草の味を確認するかのように深呼吸した…。

 カチン!と何処かでシャッター音。それに気づいた駿が音のする方向へ眼をやると…、

「お二人さん、ええ被写体になっとくれておおきにー」

 いつの間にかそこそこ近い場所に真由のクラスメイト、青葉が構えたカメラのファインダーから目を外してガッツポーズする。

「ええ?また撮られた~?」

 海でのキスシーンをフォーカスされた記憶が甦って真由の顔が真っ赤になる。駿は…そのシーンを思い出して顔を赤くして何故か横を向いた。

「もー勝手に撮らないでよ〜」真由が言葉では拒否の意志を表したが、口調はそこまでではない「撮る時には言ってよ〜髪、変になってるかもしれないのに」

「いやいや、スナップは何気ない日常の一コマを撮るんや。こっち声かけたらヨソ行きの顔してまうやん。記念写真やないんやで」

 女子にしてはやや古くてゴツい金属の塊のようなカメラを片手で軽々と振り回す青葉。続けて、

「あ、あと写真部展示、2階の地学室でしてるさかい、見に来てや〜」

 そう言い残すと、小走りでその場を離れて廊下の人混みに紛れて行った。二人に反論する時間を与えず。

「…しかし凄い情熱やなぁ…カメラなんて撮れればいいと思ってる人間からすると」

「ちょっとアオちゃんそれが暴走し過ぎなところがあるのがねぇ…」

 駿がシガレットチョコをバリバリと口の中へ放り込みつつ半ば感心したような口調で言うと、真由がややプンスカしながらそれでも表情はにこやかになっていた。

「…それじゃ、青葉さんのご期待に添えて写真部の展示見に行く?」

「そうしましょうか」

 長椅子から執事とメイドが立ち上がった。駄菓子が入った紙袋を手にして。


 …そのあと、写真部をはじめとして時間内に回れるだけ回って午後のシフトに入る直前。

 駿は、横を一緒に歩いている真由の方を見ずに、言葉を彼女に繰り出した。

「真由、ちょっといいか?」

「…どうしたんですか?センパイ」

「少し…話が」

 彼の硬い表情を見て、彼女の表情はにこやかさから少し不安を帯びたものになる。

 二人は階段を下りて、生徒玄関へ。そこから玄関を出て180度回ると裏手へと通じる細めの獣道みたいな土の通路が、ひょろひょろと奥の図書室の方へとつながっていた。

 その途中、やや広くなっている場所がある。そこに二人は足を進めた。

 二人は向かい合う。真由は不安さをそれなりに表には出している。駿の方は表情が硬い…しかし、何処となく頬には赤みが混ざっているかのように見えた。

「真由…あの…学校祭終わったら2-7へ来てくれないか」

「…え?」

「二人で、学校祭の打ち上げ…やろうか」

 真由はそこまで聞いて、その言葉は別の意味がある…そう確信した。

 その時が…そう思った瞬間、彼女の顔が赤く上気していくのを感じていた。

 一目惚れして、時間と共に大きくなってきた気持ち。望んでいたこと。

 だから、真由は自分を誤魔化さずに駿に告げた。

「センパイ、ハッキリ言っちゃったらどうです?」

「…え?」

 彼女の不安が吹き飛んでいったような、明るさが戻った口調にいたずらしそうな表情を浮かべた。しかし頬の赤みはさらにその彩度を増していった。

「私はいいですよ…カラダ、センパイのモノにしちゃっても」

 彼女は視線を彼から逸らさず、そう言った。

「だって、付き合うって結局はそういう事になるんじゃないですか?だから…私だって」

 駿は笑みを浮かべつつどことなく泣き出しそうな彼女を静かに引き寄せて抱きしめた。彼女も彼の背中に腕を回して抱きしめる。駿は右手を彼女の後頭部に持って行って、軽くポンポンとなだめる。彼女の髪の香りが、ふわりと風に乗って駿の鼻腔をくすぐる。

「…じゃあ、いいね?」

 駿に言われた真由は言葉を返さずにゆっくりと軽く、彼の腕の中で首肯した。

 夏にかかる"魔法"があるが、学校の祭りにもそれはある…とは誰かが言ったらしい。

 二人は、しばらくそこで互いの体の存在を感じ取っていた。

 まるで、"魔法"にかかったかのように。


「「いただきます」」

 二人ほぼ同時に手を合わせていただきますをすると、片やソバ、片やうどんをすすり始める。丼は洗わなくていい発泡スチロール製でちょっと風情はないが、1日限りの学校祭では仕方がないところ。

 結衣からしたら、隣のクラス。勇樹からしたら自分のクラス。そこの模擬店…うどん、そばの「八庵(はちあん)」でやや遅めの昼食を二人はとっていた。

「うーん、気が付いたら1時過ぎてたとは」

「ガッツリ寝ちゃいましたね…疲れてたんだなぁ」

 10時位に仮眠のつもりで机に突っ伏していた二人は、気が付いたら午後1時を1/6ほど過ぎていた。周りが気を使って静かにしていたせいもあるが、会長と副会長が寝ている間に何件かあったトラブルを解決していたことも理由の一つ。おかげで、眠気はほぼ吹き飛んだ。

「丁度お腹が空いてたから美味しいですねぇ…」

 息を吹きかけてやや冷まして結衣はつゆを飲み込む。ついでそこそこの厚みがあるカマボコと共に白いうどんをすする。気を付けてはいるが、跳ねたうどんからつゆがいくらか飛んだ。

「友人から聞いたところだと、ホントは駅そばみたいにトッピング用意しようとしたそうで…」

 勇樹が同じくらいやや厚めのカマボコを喉の奥に押し込んで内情の一部を話す。

「1日だけの学校祭じゃ無理じゃないです?」

「絶対具が余ると反対意見が出て結局共通のになったけど…」

 まあ仕方ないです、と言いたげな顔をして勇樹はそばをすすった…とそこへ模擬店員の1人がふらりと彼らのテーブルに近づく。

「でもギリギリまで具のトッピングは出そうと粘ったんだぜ~」

 パッと見寿司屋の大将か、八百屋のご主人みたいな感じの、同じ歳にはちょっと見えない位に結衣からは年上に見えた。声までちょっと高校生とは思えない位のカッコイイ貫禄おじさんボイス。しかも頭にはねじり鉢巻き、腰には彼の家の稼業なのか、酒屋の前掛けらしきものまでつけていてもう彼女の目線からはおじさんにしか見えない。

「おー雨宮、今非番か?」

 話しかけた雨宮に破顔した勇樹が反応した。今すぐにでもハイタッチしそう。

「1時からな。ようやっと客が引けたわ」

「お疲れさん。すまんなクラスの模擬店手伝えなくて」

「いいよ生徒会(そっち)の方が忙しいだろ?来てくれるだけでありがたいよ。で、こっちは彼女さん?」

 腕組しながら今度は視線を結衣に向ける雨宮。

「あ、隣の7組の黒瀬です」

「先週だっけ?事故に遭ったそうだけど…」

「ええ、もう大丈夫です」

「あの時知らせが入った瞬間、緑川の奴わき目も振らずに血相変えてすっ飛んでったからなぁ。まあ元気ならよかった」

 結衣はそう言われて視線を勇樹に戻した。ちょっと赤らめた顔をした彼は、

「…知らせ聞いた時にもし万が一のことがあったら『どうしようか』と思った。ホント、まだ軽くてよかった」

「ごめんなさい。迷惑かけて…」

「ケガほとんどなかったことでチャラですよ。おかげでほぼ万全に学校祭開けたし。よく頑張りました」

 結衣が見せた僅かの陰の表情。それを溶かすかのように、慈しむかのように勇樹は穏やかな口調でそう言った後、やや身を乗り出して結衣の寝癖が付きかけている髪を右手で撫でた。撫でられてる結衣の顔に少し笑みが戻って来た。

「うらやましいねぇ。俺も彼女作ろうかなぁ」

「あれ?生天目(なばため)さんは違うの?」

 …雨宮の彼女欲しい宣言に緑川がしょっちゅう口喧嘩してる女子の名を挙げる。それを聞いた雨宮は間髪入れず大げさなジェスチャーでNo thank you!と言いたげに両の手を左右に振った。

「あれはただの口喧嘩の相手。そりゃあ確かにプロポーションはいいけど彼女にするにはガサツすぎやせんか…」

 雨宮が言葉を最後まで言い終わらないうちに別の人影が急接近したと思いきやハリセンのような紙の束で強烈に雨宮の頭を叩く。すぱーん!と教室内にいた全員はもとより廊下にいた人までその音の源を振り向くくらいの。

「はあ?誰がガサツだって!?」

「お前なぁ…そういうとこだぞ生天目!」

「何がそういうことよ…」

「いきなり人の背後から叩くことが、ってことだよ」

「ちょっとイライラしてたら丁度いいトコロに叩き甲斐のある頭ったし」

「そこがガサツだって言ってるんだよいい加減にしろ!」

 そう言われて生天目はあーそうですか、と呟くような捨て台詞を口にしてつまんなさそうな顔をし、雨宮のそばから離れていく。身長はやや生天目の方が高いのでモデルのような体形なのだが…。

 雨宮は横目で離れていく生天目をしばらく追いかける。しかし、何処となくその目には尖がったものは見当たらなかった…ように見えた。気のせいかもしれない、と結衣は思ったが。

「…んとに、どうやったらあんなガサツになれるんだか…」

 バックヤードへと向かって歩いてゆく生天目を横目で見つつ独り言のように口にする雨宮。視線を緑川に戻して二の句を告げようとしたが…、

「ところで緑川…って何だその目は」

「なんだかんだで雨宮、実は生天目さんの事好きなんじゃないか?」

 緑川からのジト目に言おうとした言葉がキャンセルされる雨宮。緑川はそれに乗じてもう一度さっきの問いを言ってみた。雨宮は一瞬言葉に詰まったかのような感情表現をした後、なぜかバックヤード入り口方向を横目で見ながら、

「…それはない」

 そう発する言葉は、なりはおっさんかもしれないけど心情は高校生のそれだった。断言はしているが、言葉が揺れている。

「まあ、いいか。ごちそうさまでした。美味しかったよ」

 これ以上言うのも何だか悪い感じがしたのか、やや温くなったつゆも飲み干してすっかり空にした発泡スチロール製の丼と割り箸を持って勇樹は席を立つ。つられて結衣の方も残ってたつゆを飲み干してごちそうさまして遅れて立ち上がる。

「どういたしまして。来てくれてありがとな」

 そう言う雨宮の笑顔は、やはりどう見ても寿司屋の親父そのものだった。


「カズくーん、早くちゃっちゃと片付けてライブ行こまい」

「美紀、ちょっと暫くかかるから先行ってて」

「はよやりんよ。もうじき始まるに」

「紺野、あと俺やっとくから灰屋さんと先に行ってていいぞ」

「え…そうか?でも白谷もライブ行くだろ?」

「あとで行くから気にすんな」

「それなら…美紀、行こうか」

 午後5時を過ぎ、全校放送で学校祭の終了が告げられる。模擬店は終了の時間。学校祭の残るプログラムは校庭で行われる、生徒のバンドによるライブコンサートのみとなった。夕暮れと言うにはまだ日が若干高い外の景色を背景に、廊下は校庭へと急ぐ男女がそれなりの頻度で通ってゆく。

 2-7の模擬店"天色茶店"も店じまいを行っていて残りの作業をやっていたが、多少遅くなっていた。白谷はとりあえず紺野と灰屋の2人を先にライブ会場へ行くように促して、一人残って片付け等をしていた。

 粗方片付いた…そのタイミングで店じまいした模擬店に"お客"が姿を現した。黒いワンピースドレスに白いフリル付きの大きめなエプロン、髪を左右三つ編みにしてフリル付きのカチューシャを付け、顔には伊達メガネを付けた女の子が教室の中へ静かに入って来る。

 彼女は、約束を守った。

「真由、お疲れ」

「センパイ…来ました」

 駿がやってきた真由に声を掛けるといつもよりはややおとなしめに彼女が返事をした。疲れもあるかもしれないが、それと同じくらいの緊張も抱えているのが駿にも見えていた。

「丁度片付け終わったタイミングだった。じゃあ、こっち行くか」

 駿は真由を手招きしてバックヤードの方へ。彼女がそこへ入ると目隠し用のカーテンを閉じる。

 教室の蛍光灯は点けていないが、廊下の蛍光灯と夕焼けの明かりで教室内はそこそこ明るい。視界が微妙に茜色のフィルターを掛けているかのよう。

「終わっちゃいましたね…」

「終わったなぁ…あれだけ何日も準備したのにたった1日だけだもんなぁ」

 二人はバックヤードで仕切られた天井を見上げながら言葉をかわす。明後日には撤去される飾り付けが夕日に照らされて、どことなく儚げに映った。

 時折、ライブに間に合うようにと廊下を全速力で駆け抜けてゆく生徒の靴音が響くが、それすら数瞬後には静粛に取って替わる。やがて、音量ツマミを少しづつ大きくしてゆくように校庭の方からライブ出演者による楽器のチューニング音が、校舎というダムを乗り越えて聞こえ始める。同時に観客たる生徒たちの歓声も少しづつそれらにミキシングしてきた。

 その音たちが聞こえてくる方向を何処となく見ている真由に、

「やっぱ行きたかった?」

 駿の方を見た真由はかぶりを振る。いつものはしゃぐような明るさとは違って、落ち着いた、一瞬見せるような大人の表情が間接反射した夕日に照らされて、駿はちょっと驚く。

「…センパイ何見てるんです?私の方をじっと見て」

「…何か大人っぽく見えたなぁ、って」

「もう高校生ですからね。それなりには」

「そうだよなぁ」

 駿はそう言うと、思い出したかのように冷蔵庫の方へ歩みだす。中からコーラの1.5L入りペットボトルを持ち出し、洗って乾燥させているコップ2つを持って彼女のところへ戻る。

「コーラでいい?」

「はい。いいですよ」

 駿は彼女の返事を聞いてからコップに注ぐ。炭酸飲料の、細やかな泡の音が、校庭から校舎越しに聞こえてくる様々な音にかき消されないように、精一杯、コップの中で騒ぎ立てる。

 それぞれの椅子に座り、真由にコーラが入ったコップを渡す。

「それじゃおつかれ」

「おつかれさまでした」

 手に握った互いのコップを近づけ、カチンと硬い音を立てた。そのまま口へと持っていきコップを傾けてコーラでのどを潤す。横から見てると、シンメトリックに動く二人。

 教室の向こう側…校庭の方から歓声がひときわ大きくなった。ほぼ同じタイミングで楽器の音が聞こえ始めた。ライブが始まった。

「お、始まったか」

 他人事のように駿が呟く。朝方オールバックをポマードで固めた髪は、時間が経ってるせいで何本かの髪の塊が額の方へ垂れていた。

「何かセンパイ、今の髪の方がいい感じですね」

「そっかなぁ…ちょっとうっとおしいんだが」

 髪がオールバックから剥がれたのがそれなりの本数で固まって複数垂れてるせいで、動くと額をトランポリン代わりに跳ねるがそれがうっとおしくらしく、時折駿は髪をかき上げる動きをする。

 何を思ったか、立ち上がった真由が正面から近寄って駿の頭の匂いをかぐような仕草をする。

「午前中は結構ポマードの香りしてたんですが、さすがにもうそんなにはしませんね…」

 駿の目の前には真由の顔がアップで映り込む。彼女の吐息が、息遣いが、肌の香りがはっきりとわかる。もしかしたら彼女の心臓の音まで聞こえてきそう。それくらいに近い二人の距離は、こっちの心の音まで彼女に聞こえてると思わせるほど。

 駿は、もう辛抱できないと至近距離の彼女の体を静かに、それでいて確実な力で抱き留めた。そこに躊躇はなかった。それを感じたか、彼女の腕が、駿の体を抱くように場所を求める。体が密着し、互いの存在を衣装越しに重さで感じた。

 校庭から聞こえてくるバンドの曲目が変わった。今年正月からのドラマの主題歌だった…

「…Romanticが止まらない…」

 曲名を思わず口にした駿の前で、彼女は上半身を上げる。駿の目に映る伊達メガネ越しの彼女の瞳は、女の子のそれではなくて、女、だった。

 狩人は彼女。

 獲物は彼。

 捕らわれた駿は、狩人の真由と、それなりになるであろう時間の共有を望んだ。上手くすれば、もっと望めば、どちらかがこの世からいなくなるまで続く未来を共有しても惜しくない。

 今、それを決めてしまっても…いいんじゃないかなぁ。まあ、こうなることを半ば期待していたんじゃないか、と自分に問う駿。誘ったのはこっちからだったし。

「…センパイ」

「真由…」

 同じ思いで目を閉じ、同じ想いで唇が重なった。

 言葉が塞がれている代わりに、互いを抱きとめる腕に慈しむように柔らかく力が入る。二つに分かれているカラダを一つに溶け合わせようとするような。

 長いキスのあとに、一旦二人の顔は距離をおいた。校庭のライブ演奏をBGMに自分の心の鼓動が無関係なほどのラップを刻む。

 駿の手は抱き合う彼女の背中から腰、そしてさらっとワンピースのスカート部分の中へ。彼女の拒否はなかった。代わりに、くぐもった感情が真由から溢れ出る。

 彼女の体をまさぐる駿の手が止まった。彼はそばにある机を2つほど繋げたテーブルに目をやると、彼女を抱え込むように腕を回して、腰に負担がかからないように真由の上半身を自分に預けて持ち上げた。

「…えっ、センパイちょっと…!」

「そこの机まで…」

 彼女の体をゆっくりと机の上に横たえる。テーブルクロスは掛かってはいるが、学校の机というある意味日常のモノの上に、ビクトリアンメイドの衣装を纏った彼女を横たえるという非日常感に、駿はもう自分の感情が止まらないのを感じていた。

 彼女のスカートを静かにたくし上げると、夕陽の茜色から廊下の蛍光灯の、やや青みがかった色彩のフィルター越しに真由の下半身があらわになる。両手で彼女の足を、駿の体の幅が入る分開かせる。そして真由の体の上に駿が静かに覆いかぶさった。

 顔を近づけて蛍光灯の明かりが教室の天井で間接反射している中、互いを見るや否や唇を重ねた。情熱的なほどに。

 左手で彼女の頭を抱えつつ、右手は真由の下半身を"触診"する。真由の両手は、駿の背中に回り込んで決して離さないかのようにしっかりと抱きかかえていた。

 互いの呼吸音が荒々しくなる。その中で彼女のくぐもった溢れる感情が、次第に押し殺した嬌声のそれへと変わったのは、駿の右手が下着の中に入り始めたからだ。右手に感じる彼女の肌の柔らかさと、ざらつきと、湿度。複雑に絡んだ匂いと臭い。

 互いの唇が離れた。荒い息とともに、それらを繋ぐきらきらとした糸が蛍光灯という人工の光にきらめく。

「真由…かわいい」

 彼女の顔は、駿の"本能"を刺激するのに十二分過ぎるほどだった。それが、人工の灯りの下でだとしても。

 真由はまっすぐ駿を見つめながら、呟くように、しかし誘うかのように、

「センパイ…何してもいいですよ…」

 上気した顔には、彼女自身が望んだことに満足しているかのような笑みが浮かんでいた。

 自分自身の顔も彼女と同じくらいに赤くなってる…駿はそう感じながら上着を脱いだ。ふと胸の違和感を感じると、掛けていた水晶のペンダントを外し、上着の中に入れた。

 彼女から見ると、駿はすでに"経験者"のようには振る舞っているが、実際の所は誰か教えてくれ!、と言いたくなるくらいに焦っている。彼女の前で、失敗したくない、カッコよくいたい…その感情が更に心のドキドキを加速させている。

 駿は真由の服を脱がそうとしてふと気づいた…この手のワンピースってどうやって脱がすんだっけ?多分背中のジッパーを…と思い、手を彼女の背中へ。しかし、どうにもそれらしきものが見当たらない。

 校舎を越えて聞こえてくるライブの音は、いよいよビートが激しい曲に変わってきた。

「…センパイ、セーラー服だったら脱がせられました?」

「…やかましい。メイド服は知らねーよ…」

 駿が彼女のワンピースを脱がそうと焦ってるのが判ったのか、真由が荒い吐息の中、猫なで声だけど挑発的な言葉を浴びせる。それにちょっとムッとする駿。お返しとばかりに彼女の下腹部の更に下と下着の間に右手を再び入れて、指でいじる。途端に、はじける心地よさを恥ずかしさで抑え込むかのように体をこわばらせる彼女。再び彼女の両手が駿を背中から包み込んでそれに耐えようとするも、かわいい口からは喘ぐような声が出始める。

 …いつの間にか校舎越しのライブの音が止んでいた。休憩時間かバンドが交代してしばらく進行が途切れているのかは判らない。

 しかし駿と真由は、それに気づかずにいた。

 駿の両手が、彼女の下着をずらし始めた。真由の腰を浮かせて、廊下の蛍光灯から差し込んで来る薄明りの中、彼女の裸の下半身が次第にあらわになってくる。

 真由の下着が脱がされた。そして駿は今度は自分のズボンを脱ごうと外し始めた…。

 何処からともなく廊下の向こう側を誰かが来ている音がする。話し声も聞こえ始めた。それは時間の経過と正比例して大きくなってきた。

「「!」」

 こんな格好を見られた日には学校どころか人生が終わる…ほんの数瞬、二人はフリーズした。

「せ、センパイ私のパンツ…」

「真由はそのまま静かに。どうせスカートだし見えねえ」

 駿が小声で彼女にささやく。この場合、一番マズいのはズボンを脱ごうとしていた駿の方…しかも野郎の生理現象が持続中でマトモにズボンが履けない。必ず"引っ掛かる"。

 誰かが向かってくる音は次第に2-7の方向に向かってくる。しかも複数。

 これ、休憩時間か…?駿は学校祭開始前に見たプログラムを思い出した。

 とにかくズボンを何とか履いた駿は、前かがみになりながら証拠隠滅を廊下からの薄明りでやろうとするが…微妙に見えない。

 駿は思いきってバックヤードの外へ出て、教室の電気を点けるスイッチの所まで時折机に当たりながら何とかたどり着く。そしてスイッチを点けた。

 薄明りがあったとはいえ暗がりに慣れた二人の目には、蛍光灯の白い光は暴力的にさえ思えた。視界が漂白される。目が明順応するまで動けない。

 やがてバックヤードにいる真由の方は、目が慣れたのか脱がされたパンツを見つけてワンピースのポケットにねじ込んだ。間に合ったが…彼女はスカートの下は何もつけてないので、気恥ずかしさはさっきのまま。そして息を殺してじっと待った。

 駿は真由に遅れて目が慣れた。真っ先にとにかく身を整え、"男の生理現象"が自己主張しないよう気を落ち着けつつ、間近まで来ている足音と会話に備えた。そして…

「あ、白谷くんまだ片付けてた?」

 黒瀬の友人の紫野(ゆかりの)が蛍光灯の明かりの中にいる白谷にやや意外なものを見たかのように声を掛けた。

「あ、ああ、ちょっと手間かかっちゃって…もう終わったから」

 作り笑いを顔に貼り付かせて白谷がやや上ずった声で答える。その顔を見た紫野は、はたと白谷の顔に何かを気付いて声を押し出すように訊いた。

「…白谷くん顔赤いけど…」

「…!」白谷はその言葉に息をのんだが「…ちょっとうたた寝してたせいか、な…?」

「ふーん…まあ、ライブ後半に入るから白谷くんも終わったなら校庭に出た方がいいよ。先生、さっきから巡回し始めたし」

「先生が?」

「何でも、さっき2階の教室でエッチしてるカップルが見つかったんだって。だから先生ら見回ってそう言う不届き者がいないかチェックするって」

「そ…そうなんだ」

 なるべく顔に出さないようにはしていた白谷だったが…下手したら見つかってた可能性があったということで背筋に薄ら寒いものが駆け抜けていった。

「というわけで白谷くんも早く校庭に行ってね」

「わかった…もう終わるから電気消して行くわ」

「じゃあ校庭でね。早く来てよ」

 紫野は待たせてたらしい友人らとお手洗いへと連れ立っていく。廊下にはまだ何人かの足音が響いている。しばらくは途切れることはなさそう。

 駿は、バックヤードの方へと歩みだす。物陰に隠れていた真由を見つけると、まず彼女を抱き寄せた。

「大丈夫…でももうムリ、かな」

 駿は苦笑いして自分の下半身の方を見る。"男の生理現象"は収束を迎えたらしい。

「私も…もう少しだったけど」

 熟したリンゴのように顔を赤らめて駿の方から視線を外しながら呟くように、たどたどしく話す真由。その顔を見て駿は再び彼女を抱き留めた。彼女も駿の背中に腕を回して密着度を上げる。

「埋め合わせ、早いうちにしておこうか」

 駿は、教室の窓の外…お寺の向こう側に夜の帳の中派手目のネオンサインで自己主張をしている国道8号線沿いの建物を見た。

 学校の周りには何件かのラブホテルがあり、年に何回かは高校生カップルがそこに入って朝までいたという目撃例がある。その時その時で誰彼が彼女と行ったとか、彼女に連れ込まれたとか様々な尾ひれがつきまくった話を駿は聞いたことがあったが…。

 ともかく、今は校庭という名のライブ会場へ行くしかない。先生が回ってくるとなると、"続き"は無理そうだ。

「真由、行こうか」

「…うん。でもその前に…」

「何?」

「あの…パンツ、履かせて…」

 ひょっとしたら今日一番彼女にとって恥ずかしい瞬間じゃないかと思う位に俯いて言葉を絞り出すように彼に訴えた。

 次の瞬間、駿は真由に背を向けて見てないよ!というのを行動で示した。後ろで彼女は、やはり駿に背を向けてポケットに突っ込んでおいた、さっきまで履いていたパンツに再び足を通す。

 彼女に背を向けている間に駿は脱いでいた上着があったのを思い出した。そう言えばと着ようとして持ち上げ…何かが床に落ちた。分厚そうな床の木材の上に、硬い音を立てて透明な塊が天井の蛍光灯を反射させている。

 …水晶のペンダント。

 彼の身体機能がフリーズしたのではないかと思う様ないくらかの間を置いたあと…何かを振り払うかのようにかぶりを振った。思い出したかのように拾い上げて自分の首にかける。そして何事もなく上着を羽織った。

 真由の方は大きめのスカートに手こずりながらもパンツを履いたようで、蛍光灯の下で見る彼女の恥ずかしさは幾分かは減っていた。

「じゃ、行くか」

「…はい」

 駿は真由の手を取ると、教室の電気を消した。


 学校祭の終わりを飾るライブは、フィナーレに向けてステージ上のバンドも観客たる生徒たちの熱量も天井知らずの様に盛り上がっている。その熱気の末端にさり気なく駿と真由は加わると、遠目でステージを眺めていた。駿の左手と真由の右手は、互いに指を絡めつつ。

 その頃、勇樹と結衣は…観客たちのほぼ真ん中で、結衣が自分の体を勇樹に預けるような形でステージを見ていた。勇樹の両手は、自然と結衣の体の前に手を回して組んでいた。

「これでほぼ僕達の出番も終わりますね…」

「まあ、後始末がちょっと残ってるけど…勇樹くん、もう少しお願いします」

「もちろんです」

 彼はそう言うと、結衣を自分の体に近づけるかのように更に抱きしめた。勇樹の鼓動と体温が服を通じて結衣に伝わってきそうなくらいに密着させられて、多少気恥ずかしさを覚える。

「あっ、こらみんな見てる…」

「大丈夫ですよ。ほら、隣のカップルも似たようなことしてるし」

 確かに周囲にいる何組かのカップルは、ステージの明かりと暗がりの中で、背中から抱き合ってリズムとってたり、チークダンス踊ってるかのように正面からハグしてたり、中にはキスしようとしてるのもいる。

 結衣は、風紀委員は何やってんだと思わず思ったが…今はまあいいか、と苦笑い。その代わり背後の彼に視線を向けて、

「勇樹くん、最近何か大胆になってきてない?」

「そうですかね?僕としては恋人ってこういうことをやると思ってたんですが…」

 勇樹のにこやかな笑みが、ステージから放たれている光の余韻に柔らかく夜に浮かび上がる。

「…まあ、いいか。学校祭の魔法にかかってると思えば」

「そうそう」

「…でもやっぱり、何か勇樹くんの性格変わってきてるような気がするなぁ」

「気のせいですよ、結衣さん」

 勇樹がそう言うと、二人は言葉を発せずにしばらくステージを見つめていた。

 ただ…勇樹は彼女を抱きしめているその手に、とあるものが制服越しに触れていた。

 ペンダントの水晶。服の下でも、その存在は明確に主張していた。

 あの時、お守りだと彼女は言った。そのあと、白谷も同じものを付けてると北川さんが言っていた。お隣さんだから…とは言っていたけど。

 本当なんだろうか。

 勇樹は、結衣に気づかれないように視線をそれがある辺りに落とし…再びステージへと向けた。

 そんなことはない。自分自身にそう言い聞かせながら。

 ライブも大詰め。ラストナンバーは…ゆったりとしたリズムだが、短いドラムに続いて前奏のピアノ代わりのキーボードが高らかに奏でられる。イントロで分かった生徒たちが、一斉に反応し歓声を上げ始めた。

「…Someday…」

「"いつの日か"か…」

 校庭の離れた場所で、駿と結衣がほぼ同時に呟いた。互いのパートナーには聞こえない位の、演奏の音に負けてしまうような細やかさで。


 黒瀬家の黒電話が、ややけたたましく台所に響く様に鳴り始めた。呼び出し鈴3回で受話器が取られる。

「はい黒瀬です…ああ、これはどうもご丁寧に。はい…はい…はい…えーと、本人もそうですけどお隣さんの予定も聞いておかないと…はい…はい…わかりました。また予定等を聞いておきますので、揃いましたらお電話いたします。…こんな時間までお仕事ですか、ご苦労様です…いえいえ、どういたしまして。ではまた。失礼します」

 結衣の母親が受話器を置いた。そして、掛けてあるカレンダーを見ながらしばし考えこんだ。

「…時期的に、修学旅行の後くらいね。明日辺りお隣さんに聞いておこうかしら」

 そしてまた考え込んで、ふと気づく。

「喫茶店、何処がいいかねぇ」

 笑みは浮かべてはいたが、目は笑ってはいなかった。

この回からR15にしました。内容的にはR18辺りかなぁと思ったのですが、初期設定で全年齢に設定してあって変更できなさそうなので、とりあえずR15にしました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ