風は海から(White valley side)
白谷が発する言葉を受けて、胸元の水晶が淡く、しかし思ったよりも長く輝いた。以前、結衣がやって見せた魔法の時とはまた違うパターン。
春に見つかった白谷家の水晶。それが今、駿の首に掛けられて"悪魔"の方で彼を受け付ける"認証"を行っている。
認証の失敗はあまりないとは結衣の母親から言われてはいるが…駿としては初めての事だし、何しろ"男"の術者が女性の術者と同じ認証方法なのかという疑問がある。
しかし彼の心配事は杞憂に終わったようで、輝きはゆっくりとその光を失って、やがていつもの水晶に戻る。
「認証されたわ。おめでとう、これで晴れて"術者"になったわね」
結衣の母親がその笑みを白谷に向ける。白谷の方はと言えば、こんなんで認証できるの?と思うくらい意外とあっけなく出来たことに多少驚いていた。
「…もうちょっと手間取ると思ってましたけど」
「まあこんなもんよ。認証は駆け出しの術者でも出来るけど、『使いこなす』となると…自己鍛錬していくしかないわね」
笑顔はそのままでなかなかキツイことをさらりと述べる結衣の母親。
「…あのぉ…教えてもらうのってもうこれで終わりというんじゃないですよね…?」
「まさかぁ。まだしばらくは教えてあげるわよ」
いやだわこの子、と世の中の母親が良くやるらしいムーブをきちんとやったあと、笑顔がやや真面目顔になる。
「でもね、自己鍛錬って何も特別な事をするんじゃないの。日々気づいたこと、思ったことをやってみて上手く行ったらそれを取り入れて改良していく、そういうことなの。だから、日々をぼーっと過ごさないで。"何か"に気づくようにしていってね」
そう言われた白谷は少し不安になる。本当に出来るんだろうか…そういう気づきが。
難しい顔をして悩んでいる白谷に、
「大丈夫よ。寝る時に今日あったことを一回思い出して、そこで気づいたことを覚えるなりメモしたりしていけば、大体できるわよ」
「…わかりました。やってみます」
「はい。じゃあ今日はおしまい。明日海行くんでしょ?」
「ええ…って何で知ってるんですか?」
「明日の事、親に話したでしょ?さっき井戸端会議してたらその話が出てきたからあらウチもそうなのよ、ひょっとして海で逢ったりして、なんて話してたのよ~」
白谷は次どこか行く時には母親にはあまり具体的な事は話さない様にしようと心に決めた。しかし、明日黒瀬も海へ行くのか…?これは色々と鉢合わせにならないようにしないと…と思案を巡らし始める。
…鉢合わせしたとたん、ケンカになるのが目に見えるし。
「あ、そうだ。1回テストで"魔法"、やってみて」
結衣の母親に言われた白谷は、思ってた事案を一旦脳裏の引き出しにしまい込む。
そして思考を切り替え、頭の中で言葉を生成し始める。
それが嚙み合って物理干渉コードを作り上げると、それを口に出す。
小さな、爆ぜる音が彼の周りだけに響く。
認証したばかりの水晶…"悪魔"がそれを受けて指定座標の物理現象の干渉を始める。
黒瀬家の開け放たれた窓から、やや濃いめの蚊取り線香の香りを巻き込んで居間に風が吹き込んできて…指定座標に顔位に小さいが、彼にとっては初めての魔法による"空気の壁"を生成するのに成功した。
そして数秒もせずに魔法が揮発して空気が再び周囲へと流れだす。蚊取り線香の火のついた部分が風にあおられて赤く光り、煙が派手にたなびく…それもやがておさまり、香りの煙がゆるりと天井へ立ち上る。
「…出来た…」
「ハイよくできました~」
「ありがとうございます…!」
「これからよ。とにかく、出来る範囲で頑張んなさい」
「はい」
これで白谷は"術者"、しかも珍しい"男"の術者としての第一歩を踏み出した。
…目的地に着いた途端の黒瀬との鉢合わせがあったのは想定外だったとはいえ、それ以外は海という非日常の舞台で羽根を伸ばすという目的の邪魔はなかった。
場所を確保し、レジャーシートを敷き、パラソルを立てて陣地を形成。そして着替えまで済んだ。あとは海を楽しむのみ!
とはいえ、もう一つの懸念事項が実は白谷にあった。
「どうも話しづらいなぁ…」
白谷が周りに聞こえない位小さな声で独り言をつぶやいた。
彼がいるグループは男女比が2:6、しかももう一人の男子は今まで何の接点もなかった生徒会長で、挨拶はしたが話すきっかけというのが今の白谷には見当たらない。どちらかというと向こうのグループにいる黒瀬と緑川の方が…まずないだろうがこっち来てもいいんじゃないかと思うくらい。
「しかも真由以外はほぼ話したことなかったしなぁ」
彼女である真由の友人3人とは今回初めて会話した。パターンとしては黒瀬の友人たちと似たような感じで、灰屋さんの三河弁が青葉さんの関西系の言葉に替わったと思えば。
砂浜に敷いたシートの上に腰を下ろしている白谷はすでに着替えていつでも海に入れる。黒地のサーフパンツを履き、やや筋肉質の上半身には首から下げた水晶のペンダントが陽の光にきらめいてその存在を主張していた。頭には赤と紺の塗り分けに正面に白地に牛を抽象化したイラストが描かれた野球帽をかぶっている。
女性陣の着替えはまだの様で、グループの陣地にはまだ誰も来ていない。
「まだ白谷君しか戻ってないか」
後ろから声を掛けられて白谷は腰を下ろしたままその方を向いた。そこにはテンガロンハットを被り、暗灰地に黄色のハイビスカスが描かれたサーフパンツを履いた生徒会長の永井が、上ってゆくお日様を背にした逆光で現れた。
「は、はい。まだ女性陣は着替えてる最中ですね…」
今度は腰をひねって女性陣が着替えてると思われる更衣室の方向を見る。永井は白谷の返答を聞きつつやや近くの場所に腰を下ろした。
「ところでちょっとアレな事訊くが…」
刺激的な代名詞を含んだ永井の言葉に白谷の意識は少しだが警戒態勢に移った。何気なしにつばを飲み込む音が周りに響くかのよう。
「…幼馴染、っていいものなのか?」
「…はい?」
まさかの変化球に思わず白谷は相手が1学年上ということを忘れたような返答の仕方をした。白谷はそう言って隣にいる永井に目を向けたが、彼の方は真面目に訊いてるつもりらしく、表情にゆるみはなかった。
「いやさ、俺ってそういう異性関係はないからどんなんだろうなぁ、と思ってな」
「まあ…いいものか、って言われると難しいです」
実際、現状は敵対関係で関係改善の兆しもない。そんな状況ではいいものとは白谷は素直には言えなかった。
「黒瀬とケンカしてからは顔を合わせりゃそっぽ向くし、学校じゃ俺もあいつも無視してるし、逆に"幼馴染"って言われるともう関係ねーよとしか…」
「じゃあその辺りは幼馴染じゃない普通の男女間と変わらんわけか」
「全然変わらないです。ただ隣に住んでるというだけで…良いか悪いかっていわれりゃ『よくない』って言っちゃいますね」
「なるほどねぇ、漫画とか小説だと幼馴染というだけで普通のカップルよりも有利に関係を進められるという感じだけど、実際は違うのか…」
「多分幻想ですよ。幼馴染にみんな夢見がちです」
そう言うと白谷はシート上に寝転んで両手を枕にするように後頭部で組んで、パラソルの陰に頭を入れる。胸元に転がってるような感じの水晶が、陽の光を浴びてきらきらと光る。
「そのペンダント、水晶?」
白谷の胸元に光るペンダントが目に入ったのか、永井が興味深そうに訊いてきた。
「ええ、そうです。親から付けてけって。お守り代わりにだそうで」
笑みとも苦笑いともいえるような顔をしつつ白谷が答える。もちろんウソだが。
その時、寝そべっている白谷の頭の上の方から、隣にいる永井会長を呼ぶ声が聞こえてきた。隣のグループで来ていた生徒会書記の緑川が白谷らがいる陣地へとやって来たのだ。白谷の隣で両手で上半身を支えるような恰好でいる永井が、首を後ろに傾けて逆さになった世界の片隅に生徒会書記の姿を認めると互いに挨拶をした。そしてその隣で寝そべってる白谷にも挨拶。白谷もいろいろと黒瀬を介して因縁はあるがそれを返す。
女性陣が着替えを済ませてきたのか、思い思いの水着に身を包んでそれぞれの陣地に姿を現した。
「よう少年!もう疲れたか!」
生徒会副会長の芳賀と北川が白谷の視界に入って来た。
バスト、ウエスト、ヒップの体つきが十二分な上に面積少な目の、思春期男子には刺激が強すぎと思われても仕方ない白いビキニに紺色のワークキャップを被り、両手を腰に当てて挑発してるかのようなポーズで寝ている白谷にかがんでテンション高く話しかける。白谷は思わず顔以外の部分を見てしまって挨拶をし忘れてしまう。上半身を起こしてとにかく一旦芳賀から視線を外す。
「どーだもっとじろじろ見たいなら今からおねーさんに乗り換えない?」
「あ…それはちょっと…」
上半身をひねってお断りするが、もし真由がいなかったら本当にそうしてしまいそうになる白谷はそう言うのがやっと。
「ダメですよ芳賀先輩、その人彼女いるんですから」
自信満々にそのカラダを白谷にひけらかす芳賀を、あきれた表情をしつつやや事務的な口調で制する北川。黒のワンピースに同色のフリルが付き、首周りはVネックライン。頭に白のセーラーハットを被っている。
「えー"夏の魔法"じゃん彼女以外とイチャイチャできるの今だけだよ~」
「あとが面倒になります。先輩には永井先輩がいるでしょ」
「いや同じ中学ってだけだよ~」
悪気もなくケタケタと笑う芳賀はそのまま永井と緑川の方へ引き寄せられるようにその輪に加わって行った。
「ところで」
「!」
いつの間にか死角に潜り込まれて耳元近くで北川に話しかけられた白谷は、すべての毛が逆立ったんじゃないかと思うくらいに驚く。きっと彼女の吐息も掛かってたに違いない。その方へ振り向けば、話しかけた北川は別になにも感じなかったかのように表情を崩していない。
ただ、彼女は眼鏡を外しているせいで、振り向いた時に二人の距離は思ったより近かった。目を細めて白谷を凝視する。視界の半分以上を占める北川の顔に白谷の心拍数は少し上がり気味。
「は、はい。何でしょう」
「ペンダントなんですが、男子がするにしては珍しいですね…荒削りの水晶」
さっき生徒会長の永井からも似たような質問をされたが、今度もお守りみたいなものだから親がつけろと言われた、という偽の言い訳をする。
「…なるほど」
そう言うと納得したせいか軽くお辞儀をして生徒会の輪に加わっていく。
白谷が思う生徒会とは微妙に違うことに軽い目眩を覚えて再び寝転ぶ。イメージしてた生徒会は、真面目で融通が利かず、成績優秀者が集まっているので普通の生徒に対して高飛車にふるまってる…というのがあったのだが…ことごとくそれらが覆されてゆく。
生徒会の女子2人に今日の体力の1/3は削られたような気がした。たった数分間の事なのに…。そしてそれに耐性を持った人らが白谷のやや横で車座になって盛り上がっている。
溜息をして、ぼーっと日陰になってるパラソルの内側と、その周りに広がる、"抜けるような"と形容してもおかしくない蒼穹と、アクセントめいてちぎったような綿雲が所在なさげに幾つか浮いている夏の景色を白谷は見ていた。隣の陣地では、クラスメイトが誰かを呼んで海へと向かう様子が視界の端の方でチラチラと写る。
…何かを感じて、白谷は何気なく頭を右に傾けた…。
隣の陣地から、黒瀬の視線が白谷へと刺さっていた。正確には胸元にある水晶に。
眼鏡をかけてないせいで、目を細めて凝視するかのように見ていて…向こうも白谷の視線に気づいた。
反射的に顔をそむける。
「今更何見てんだ」
本人以外には聞こえない位の小ささで呟いた。やや怒気を含んだ声で。
暫くすると、寝ている白谷の頭の上…浜茶屋などがある方向から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「センパーイ、待ちました?」
「んにゃ、そんなことねーぞ」
実際は色々と待ってはいたがそれはおくびには出さず。体を起こし、海とは反対側の方向へと上半身をひねってやってきた年下の女の子たちを迎える。
薄緑のハイネックワンピースに麦わら帽子という出で立ちで現れた真由は友人の3人を引き連れたような恰好で駿の視界に入って来た。派手ではないが、それが年下の女の子っぽさを増している。
「おー、何かいい感じ」
駿はそう言って胡坐をかいて真由らに向き直る。その横に彼女が腰を下ろし、横座り。友人3人もその近くに自分の場所を見つけると腰を下ろした。
「あ、白谷先輩ペンダントしとる。ごっついなぁ」
在阪球団でトラをモチーフにした人気チームの帽子を被った青葉は目ざとくペンダントを見かけると手を伸ばして、手のひらに置いて何か神々しいものを見るかのようにじっくりと眺めている。それを一緒に見ている三笠が、
「先輩、これはお守りか何かですか?」
「そうだね。親がもってけ、ってうるさいから」
これでこのことを言うのは3度目だが、まあ彼女らは初めて見るのだからそこは仕方ない。
「なんか水晶してるっていうと魔法使いみたい」
榛名の何気ない一言に一瞬ドッキリとなる白谷。当たらずとも遠からず…まあ、まだマトモに使えないけどね…と頭の中で言い訳。
「センパイ、センパイの方はもう海に出る準備はしてるんですよね?」
まるで猫のように?腕を掴んで早く水辺に出ようとねだる真由。表情からしてもう我慢できないくらいやる気満々。
「なら、海へ出るか」
白谷の言葉に反応して1年生女子4人が勝鬨を上げるような大声を上げて元気を爆発させる。それじゃ、と腰を浮かした途端…すでに立ち上がっている4人の女子に引きずられるかのように無理やり走らされた。どことなく悲鳴にも似た叫びがわずかにドップラー効果を伴って低くなっていく。
それを見ていた芳賀、
「おーおー、若いっていいねぇ」
「一つしか違わないんですけど…」
即座にツッコミを入れる北川。眼鏡を外しているので、すでに彼女の視界では背景ににじんで見えなくなっている。
「それじゃ、僕は隣に戻ります。結衣を待たせちゃいけないし」
「おー、がんばって来いよ~」
緑川が永井に挨拶して立ち上がる。続いてそれじゃ失礼しますと、芳賀と北川に言って隣の陣地へと戻っていった。
「さて、海行くか」
「おーし、泳ぐぞー」
「皆さん準備運動はきちんとしてくださいね」
緑川が戻っていったのをきっかけとして、被っていたテンガロンハットをシートに置いて永井が腰を上げると、ほぼ同時に芳賀も北川も立ち上がって軽く準備運動…したのもつかの間、芳賀が真っ先に飛び出して波打ち際へと駆け出してゆく。
「あ、芳賀先輩運動きちんとしないと…」
「そんなん海入りながらするわ~」
そう言って波打ち際で遊んでる白谷と1年生女子4人をつかまえるとさながらポンプみたいに大量の水を5人に浴びせ始める。北川にははっきりとした光景は見づらいが、ぼんやりとした視界の中で楽しそうにしてる芳賀を見て…、
「私もああいう風に楽しめるといいんですが…」
「うーん、自分の性格は無理に変えない方がいいと思うぞ。それを好きな人を裏切ることになるからな」
北川がそう言われて、やや遅れて永井の方を見た。それに気づいたのか、永井も北川の視線を受け止める。
「…あの、それって私に好意を持ってるということですか?」
「さあね。そこのところは今の所は判らん。それに自分は臆病だから、今の関係が崩れるのは在任中は避けたい」
そう言って永井は再び視線を波打ち際で遊んでいる芳賀と白谷と1年生女子4人に向けた。ややあって、少し笑みを浮かべながら言葉を空に放る。
「卑怯だろ?」
「…卑怯です」
眼鏡をかけてない視線を海に向けて、やや感情がこもった声で永井に答えた。口元に笑みの表情を浮かべながら。
…約1時間後、白谷は再びレジャーシートの上で寝転がっていた。1年生女子4人に思いっきり振り回されて体力を削られた後で、という状況がさっきとは違っているが。
「あかん、体力が続かん…」
「センパイ、体鍛えないとダメですよ~」
あれだけ動き回って泳いでビーチボールで遊んだにもかかわらず、彼女の真由の方は息切れすらしていない。まだ遊ぼうと時折腕を引っ張ってくる。
「何かこう見てると娘に振り回されてるお父さんみたいやなぁ」
「ホント、そうみえますねぇ」
榛名と三笠がバスタオルで体を拭きつつ、半ばグロッキーになった白谷と遊び足りない赤城のやり取りを見てる横で、青葉が自分のバッグから一眼レフカメラを取り出した。
「これはシャッターチャンスやで~」
手慣れた感じでシャッターチャージレバーを回し、左手でレンズにある距離環に手をかけてピントを合わせる。そしてシャッターを切る。
「あれ?撮った?」
赤城がシャッター音を聞いてその音がした方へと振り向いた。青葉はファインダーから目を離してニヤリと笑う。
「ええシーン撮らせてもらったで~」
「もう撮るなら撮るって言ってよー変な顔してたかもしれないのに」
「その飾らへん顔がええんや。これがスナップの醍醐味やで」
「そういやアオちゃん写真部やったね」
撮った青葉と被写体になった赤城の会話に三笠が入り込んできた。
「まあ、これカラー詰めとるから現像は写真屋さんに出すけど、モノクロだったら学校の部室に現像できる設備あるから明日にはできるで」
と言いつつ、カメラを胸元にセットして海に向け、レンズについているリングをいくつか触り、ファインダーを覗かずにシャッターを切った。
「…今カメラ覗かずに撮った?」
「『ノーファインダー』ってやつ。プロの写真家がよくやるで」
普通にカメラを撮るような動きをせずに青葉が撮ったので三笠が驚きながら訊いたのを、視線を合わさず次の被写体を探すかのように周囲を見つつ答えを返す。
「うーん、ちょっと出かける。いろいろと撮りたくなってきた」
「私もちょっとついていこうかな」
「おー、おもしろそうや」
青葉はそう言うとカメラとカメラバッグらしきややごつめのバッグを肩にかけて立ち上がった。三笠と榛名もなんか面白そうといった感じで一緒に腰を上げ、3人で陣地を出て浜辺へと繰り出していく。
「…元気やなぁ」
寝転びつつ、青葉と三笠と榛名がわいわい騒ぎながら浜辺に繰り出すのを見た白谷は思わず年寄臭い発言を口走る。ややあって、寝てるのに飽きたのか上半身を起こして胡坐をかく。
「センパイ私だけじゃなく他の3人にも振り回されましたから仕方ないですけど…やっぱ体鍛えないと」
「そうだなぁ…体力付けないと色々と」
真由と付き合うことだけじゃない、他にも色々とある。
「そういやセンパイ、運動不足だけど体つきはいいんですね」
「ああ、何だか食べてもそんなに太らないみたいで」
「うらやましい。私なんて食べた量がそのままお腹についちゃう」
「そっか?男から見たら、女の子はちょっとふっくらしてる方がカワイイって思うぞ」
「そうなんですか?」
「だって…その、なんだ…抱き心地、っていうか」
少し小声になって横にいる真由から視線を逸らす駿。やや顔が赤くなってるかのように恥ずかし気に言葉を綴った。
「抱き心地…ですか」
駿からそう言われて真由の方も少し顔に朱が差したようになる。水着を纏った自分の体に視線を落として、検分でもするかのようにややじっくりと眺めた。時折ワンピースのハイネック部分を指でつまんで水着に隠された胸の部分を覗き込んで何かを考えている。
再び真由に視線を戻そうとした駿は彼女のその行動に再び視線をそらした。見ちゃいけない、という自制が顔を彼女から逸らしたまま固定させていた。ただ、時折自身の好奇心が彼女を見せろとせがむせいか、横目でちらっと見たりしている。
「あの…もう少し、胸あったほうがいいですか?」
「そ、そういうわけじゃないが…そりゃああったほうが男としては嬉しいけど」
駿は自分自身で何言ってるのか判らなくなりそうな気がしてきた。他の人が耳をそばだてて聞いてないかと、少し間をおいて周囲を見回す。幸い、真由の友人たちはさっき青葉のスナップ撮影に付き添って人混みの浜辺をウロウロしてるし、生徒会の3人は陣地からやや離れた所を泳いでる最中だったので多少安心する。
「その…まあ、無理はすんな」
「でも、少しでも…センパイの理想の彼女になりたいです」
真由の瞳は泳いでからの時間が経ってるにもかかわらず何故かうるうるとしている。泣く寸前なのか、嬉しさ故なのか…。
真由は体育座りの姿勢を解くと、横にいる駿に対して四つん這いの格好で距離を詰めた。涙で潤っているような瞳が至近距離に迫る。
「だから、色々と教えてください」
駿の頭が彼女との距離を保とうとやや後退するが、それにも限度がある。真由の顔が駿の目では焦点を合わせるのが困難なほど近づき、やがて彼女は両眼を閉じ、やや傾ける。
唇に軽い接触感が、二人に発生した。
二人の聴覚が自然にボリュームを絞ったかのように、周りのざわめきなどが聞こえなくなってゆく。
…時が止まった、かのように思えた瞬間、
「あーおねーちゃんちゅーしてる!」
「こら、見ちゃダメでしょ」
キスしてた二人の真横で幼稚園児くらいの子供が、周りにはっきりと聞こえる位の大声と人差し指を使っての指摘で周囲の人らに何してたかをバラされた。二人の周囲だけに広がっていた甘い雰囲気は一瞬で瓦解し、互いに瞬間移動したみたいに離れる。両人とも耳まで赤くして違う方向を向いて俯いた。
おまけにその子供の母親の言葉が二人にはシレッと追い打ちになった。見ちゃダメってそんな恥ずかしいことしてたのを補強するような言葉を…。
「私、結構大胆なことしちゃったなぁ」
真由が気温と恥ずかしさとで顔の周りの空気まで熱くなってるのを感じながら呟く。でも、口元はステップが進んだことに自信を得たのか、笑みがこぼれていた。
「…えーと、ひょっとして初めて?なのか俺」
突然の彼女の行為に真由と同じくらい赤くなりながら、こっちの方は心臓の鼓動がいつもの倍くらいにドキドキしている。
…そして、その光景をいつの間にか海から上がってきた生徒会組3人に見られたらしく、
「おー、お前ら青春やっちゃってひゅーひゅー!」
「あ、俺たちにかまわずどうぞ続きを」
「最近の1年生はずいぶんススんでるみたいですね…それとも白谷くんが?」
芳賀にからかわれ、永井には続きを気にせずやってくれと言われ、北川にはジト目で見られた二人は尚更恐縮する以外に手の採りようがなかった。
午後になると午前中に騒いだせいか、波打ち際から沖の方へ出る回数が減り始めた。レジャーシートの上で日向ぼっこ…というよりは健康的に日焼けするかのようにお日様の下で肌を焼く。
それでも何回かは日焼けさせるのに飽きて泳ぎに行ったり、「向こう揃ってるみたいだからいっちょ交流してみるか!」とばかりに生徒会の3人が海から直接隣の陣地へと出撃したり。
…そして気が付けば夕方辺り。周辺の、あれだけ人がいた浜辺もレジャーシートを置いてたりパラソルを砂に刺している数がめっきり減って、逆にさみしくなってきている。
永井が今のうちに両方のグループをまとめて集合写真を撮ろうということになり、みんなが集められた。写真部所属の青葉が三脚を立ててカメラをセットし、セルフタイマーを掛けて自分の場所に戻ってあとは各々ポーズとってシャッターが切れるのを待つだけ…しかし、黒瀬と白谷は当然少しは離れてはいたが、何気に白谷は横を見た。そして向こう…黒瀬が視線を向けてきた。
二人の視線が交錯する。
「「!」」
同時にそっぽを向いたその瞬間、シャッターが切れた。
二人の表情が一瞬『しまった!』と思った時の顔になる。
「ちょ、今のもう1回撮り直せない?」
「あ…青葉ちゃん、もう一コマ撮れる?」
黒瀬も白谷も同時に青葉に話しかけた。しかし、青葉はカメラのシャッターチャージのレバーがこれ以上動かないのを見せながら、
「黒瀬先輩白谷先輩、えろうすんまへん。もうフィルム終わってもた…撮り直し効かへん」
「予備のフィルムは?」
黒瀬が青葉に希望をつなぐかのように訊くが、その答えはそれとは逆だった。
「これでおしまいですわ…」
「えー…」
こうなったのもそっちが視線向けたからだろうが、と言いたげに目を黒瀬の方に向けると向こうの方も責任をこっちに投げ返すかのような怒りがこもった目を向けてきた。
今度は白谷は目をそらさなかった。視殺戦の様相をはらみ始め、感情の荒波が白谷の心を支配する。
何か言ってやらないと気が済まない!その矢先…、
「センパイ、怒っちゃダメです」
真由がさながら弟でもあやすかのような声で駿に話しかけてきた。その声が魔法のように駿の中の荒波を抑制し始める。表情も、見るからに怒りの成分が分解されていく。
「あ…ああ。そうだ、な…」
周りが見えてきた。真由の言うとおりだ。せっかくの場を壊したらアカンやろ。
目を閉じて深呼吸。更に落ち着かせる。
「まあ、いっか」
その後また日向ぼっこやら泳いだりして…そうなるとお昼に焼きそばとかを食べたとはいえ、これだけ遊ぶとこの時間帯辺りにはまたお腹が空いてきた。
「さっきのお詫びみたいなものですが、浜茶屋へ買い出しに行きますけど、何かリクエストありますか?」
白谷が自分のお腹を満たす目的も兼ねて自発的に買い出し要員に手をあげると、次々と要望が出て来る。それをたまたま持ち合わせていたメモ帳に書き入れると、砂浜を歩き始めた。
「センパイ、私もお手伝いします」
「お、すまんな。助かる」
真由が小型犬よろしく駿の後ろからついて行って、磁石のように腕にくっつく。人がまばらになった浜辺はいちいち人をよけずに移動できるので楽だ。
「あ、真由、ちょっと自販機に寄ってから浜茶屋行くよ。そこでしか売ってないジュースがあるから」
駿はそう言うと浜茶屋の横にある駐車場の一角に設置してある自販機へと向かった。駐車している車の横をすり抜けた時に…横合いからエンジン音。音のする方へ眼を向けると、ぶつかりそうな目の前を大型のバンがだしぬけに通過した。
「!」
反射的に避けた駿は、しかしマトモに安全確認せずそこそこの速度で走ってきたバンに怒りを覚えた。衝動的に大声を張り上げる。
「あぶねーだろが!何やってんだ下手糞が!」
バンの窓は全開になっており、どうやら駿の声が届いたらしく、急ブレーキをかけたバンから2、3人の、いかにも、という感じのガラの悪そうな男たちが降りてきた。それを見た駿に緊張感が走る。
「…真由、車とかの影に隠れて。出るんじゃねーぞ」
駿の後ろにいる真由に視線を合わさず話す。彼女も緊張してるのか、返事がなくぎこちない感じでうなづいて、そっと駐車した車の死角に見えそうなところに体を隠した。
「おう、何じゃわれ。勝手に出てきといて何言うてんねん、ああ?」
3人のうちの1人、豆タンク体形のが凄んできた。そもそも駐車場でそれなりに飛ばしてる時点でアウトのはずだが、連中はそうは思わないらしい。
「駐車場でそんな速度であぶねーだろーが」
「勝手に飛び出すそっちが悪いんじゃろが」
似たようなガタイで少し身長が高めのが白谷の肩を突き飛ばす。それによろけるが、白谷の闘志は衰えていない。
「そういう運転しかできないからそっちのナンバーは嫌われてるんだろうーが!」
「ガキが痛い目に遭いたいんか!」
3人のうち真ん中のキツネ目金髪ピアスが殴ろうとして右手の拳を握り、そのまま白谷の顔めがけてストレートを放つ。手加減はしていない。
その瞬間、白谷の顔辺りに向かって強い風が吹き込んできた。
そしてその拳は白谷の顔の傍の、何もない空間を抉っただけで誰がどう見ても空振りに終わった。
…傍目には、白谷が拳を見切ったかのような動きにしか見えなかった。
「…避けた!?」
「何やってんだおい、ちゃんとボコれよ!」
「…いや、確かに殴ったんだが…」
もちろん、連中には魔法で形成された空気の壁は一見には見えない。それに、もう効力が揮発し始めて、壁が生成された所からそこそこ強い風が吹き抜けてきた。
…白谷が、敵の拳が当たる直前に顔に空気の壁を形成するのに成功していた。注意していれば、口元で微かに爆ぜるような音がしたのが聞こえてるはずだし、胸元の水晶が殴られる直前に輝いていたのが見えたはずだ。
連中が拳が当たらないことで戸惑ってるうちに一瞬のスキをついて白谷がその場から逃げ出す。いくら"術者"とはいえ、3対1での殴り合いは慣れてないので不利だ。それに"魔法使い"は離れた場所から魔法を使うモノ。
しかし、"標的"が逃げたのを連中はすぐ気づいた。その体形に似合わず走り出すと6~7m行かないうちに白谷の手を掴んで手元に引き寄せる。走りを強制的に止められた白谷は3人に覆いかぶされた。こうなっては魔法は使えない…というより、現状の彼では対処する方策がまだ思い浮かばない。
「離せ…っ!」
「やかましいおとなしくしろや!」
とにかく手や足を使って相手の攻撃をさせないように暴れるが、豆タンク体形の2人が手馴れているのか、蹴りを使って動きを止めようとする。お腹や太もも、背中などを複数回蹴られた白谷がうめき声をあげるもその動きを止めようとしない。
と、防戦一方になってる駿の視界に、心配になって思わず飛び出してきたらしい真由の姿が一瞬視界に入る。しかし出てきたはいいが何もできずに立ちすくんでしまってる。
「真由っ、何で出てきた…っ!」
「で、でも…」
それに気づいたか、キツネ目が彼女の方に振り向いた。2歩3歩、彼女の方に獲物を見つけた猛禽類のように歩み寄り、手を伸ばす。怖いのか、彼女は声をあげようとも声が出てこない。
もう少しでその手が届く時…。
「…!?」
強めの風が吹きつけてきたと思いきや、キツネ目の奴の動きが止まり、明らかに何かに戸惑う様子を見せ、やがて何を言ってるか判らないような意味不明なうめき声を上げ始めた。彼女に伸ばそうとした手を戻し、頭に持ってこようとする。
そこで初めて彼女は気が付いた。襲おうとした男の首から上が見えなくなってることを。あまりの非現実的な光景に、叫ぼうとも声が出ない。
「な…何だ?何で見えない…!?」
キツネ目が…もっとも現状ではそのように見えていないが…呻きながら手当たり次第に腕を振り回し、両足がもつれそうになりながらその周辺をふらつく。やがて両の手を視界を失った顔に触ろうとするも、『何か』がその指先を拒絶する。
駿を襲っている2人の豆タンク体形の男も、その光景が信じられないかのように手を止めてその不思議な光景に釘付けになっていた。そしてその表情は驚きから恐怖へと切り替わるのにさほど時間を要しなかった。
敵の手が止まったのを一瞬不思議に思った駿だが、真由がいる方向を見て何が起こってるかを理解するのにいくつかの時間が流れていた。
「…これって…」
以前黒瀬家の居間で見た、結衣が出した魔法の光景を思い出す。
敵がどういう状態になってるのかを理解した駿が、
「真由!早く逃げろ!」
言われた真由は言葉の処理が混乱して始めは動けなかったが、理解できたのか、
「…は、はいセンパイ!」
何とか声を引き出してそう叫ぶとみんながいる方向へと足をもたつかせながら脱兎のごとく駆け出す。
白谷を抑え込んでいる豆タンク体形の2人は、赤城が逃げてゆくのを見ると幾ばくか謎現象の恐怖を減じたのか、同体形の背の低い方が追いかけようと動き出した瞬間。
強い風が吹き、同じように2人の首から上が景色に溶け込んで見えなくなった。
「な、なんだ!?見えねぇ」
「なんで目の前が…!」
豆タンク体形の2人が出し抜けに視界を奪われた現象を理解できずに困惑度と恐怖感を再び上昇させていた。手で顔を触ろうとも"悪魔"が物理法則を捻じ曲げている空気の壁に阻まれて何もできない。
白谷は周りを見渡した。どこかにいるはず…と、ワゴン車が並んで駐車してある間に、カッターシャツを羽織って白いワンピース水着を身に纏い、胸元に淡く輝く水晶のペンダントを付けた黒瀬が白谷の方を眼鏡越しに見ていた。左手をこちらに伸ばして手のひらを向け、『ちゃんと魔法掛けてます』みたいな大仰なポーズをして。
しかしその瞳は、口元は、表情は…感情が欠如しているように見えた。
白谷は少しの安堵の気持ちと、これから俺が自分の魔法で何とかしてやろうと思ったのに、という怒りの感情がごちゃ混ぜになったかのような顔をしてるんじゃないかとふと思った。
そうするうちに始めにキツネ目にかけた魔法が効力切れで揮発すると、さっき豆タンク体形の2人に掛けたのも複数同時に掛けたためか持続時間が短く、やがて風と共に再び首から上が見えるようになった。しかし、心理的なものか、掛けられた魔法に対する恐怖心は簡単には振り払えずにその場に硬直している。
「今のうちに距離をとって…」
白谷が再びダッシュをかけて連中から距離をとる。それを見た連中はさっきの再現を狙って恐怖心を振り払って捕まえようと追いかけるが、そのタイミングはさっきより明らかに遅れていた。
横目で黒瀬を見る白谷。黒瀬は、伸ばした左手の手首を下げていたが、口が動き、胸の水晶が輝きだすと同時に上へと跳ね上げる。彼女の周囲から空気が急速に集まり、歪み始め、壁を作り、それが明らかな加速を伴って連中をまとめて捕捉し…真横へと数メートル跳ね飛ばした。
そして直後に空気の壁を形作ってた魔法は揮発し、そこからの風が盛大に砂利敷の駐車場から砂煙と共に巻き上がる。さながら竜巻が突如やって来たかのように。
吹き飛ばされた3人は表向きはケガはないように見えたが、心理的には"大怪我"だったらしく、一人が見えないモノに怯えるように逃げ出すと他の2人もそれにつられて逃げ出した。
白谷は後ろを向き、連中が去ったのを確認すると黒瀬の方をもう一度見た。そこには、泰然というより格下を見下す様な、冷ややかな瞳を向けた姿があった。
彼女がかけている眼鏡のレンズですら、白谷には冷たい瞳をさらに冷たく見せるような仕掛けに感じた。
白谷は睨み返そうとするが、同時にマトモに魔法を使えなかった自身の技量不足も感じてか、それに力はない。それでも、何か言いたい衝動に駆られて周囲を見回して黒瀬のいる所へと歩み寄る。
「…何で助けた」
精一杯の虚勢を張っていたつもりだった。しかし、それは簡単に彼女に見破られている。
「…ほっといたら夢見が悪い。いくら隣同士で幼馴染の他人でも」
「俺だって!…使える魔法くらい…」
それでも食い下がる白谷。しかし、
「無いだろ?使えてるならもうちょっとマシな状況になってるよ」
身長差で白谷の方が20センチは高いが、黒瀬の下からの視線がその差を埋めて余っている。下から見下されている。
「…っ!」
言い返そうにも言葉が続かない。実際そうだったのだから。
握った手に力がこもる。ただ、それを向けるべきモノがない。内向きにしかならなかった。
「それじゃ。買い出しの途中だから」
シニヨンにしていた長めの髪を解いて黒瀬は白谷の前から離れた。髪が風にあおられてなびいて広がり、眼鏡の金属部分が陽光に反射して一瞬輝く。
間もなく聞きなれた声が複数近づいてきているのを白谷は聞いた。真由が友人たちを呼んできてくれたようで、ぱらぱらと車の間から姿を現してやってきた。
それでも、白谷はワゴン車の陰に消えた黒瀬の背中をしばらく見つめていた。
三国からの帰りの電車。駿と真由は二人掛けのシートに並んで座り、怖い目に遭った彼女を慰めるように体を寄せ合っていた。始めは色々と楽しかった事や怖かった話をしていたのだが、やがて疲れたのか駿に体を預けるように眠りに落ちる。
福井口駅が彼女の家の最寄り駅なので、ひとつ前の駅で真由を起こす。電車が福井口駅に到着し、そこで降りる真由と、そのまま電車に乗って終着まで行く駿とが別れの挨拶をする。
「真由、じゃあ登校日に。それまでには元気になってろよ」
「はい、センパイ。センパイも蹴られたりした所しっかり治してください」
駐車場でのケンカであちこち蹴られた所が疼き始めてはいるが、幸いにも骨とかには異常はなさそうなのは有り難かった。登校日までには治ってるだろう。
そして真由は多少は落ち着いてきたように見えた。戻って来た彼女の笑顔が、閉まるドアのためにガラスの向こう側に閉じ込められる。電車が動き出し、ホームで手を振っている真由が後ろに置いて行かれる。
福井口駅は、海がある三国港へ行く路線と九頭竜川上流部の勝山へ向かう京福電車の路線が分岐する駅で、駿は勝山行の電車に乗り換えればすぐ家へ帰れる。が、わざと終点の福井駅まで乗り、一旦改札外へ出た。
待合室にある立ち食いソバで、少ないながら魔法を使ったせいの空腹気味だった胃袋を満たすためで、そこで天ぷらソバとかけそばを平らげて改めて停車中の勝山行の電車に乗り込む。
学校は夏休みだが会社は仕事があるせいか、帰宅する通勤客がほとんどの電車内でいかにも遊びに行ってましたと宣伝するような恰好の白谷はいくらか浮いてるように見えた。
「…レベルが違いすぎる」
駐車場で起こった出来事をリピートする。
白谷は昨日"術者"になったばかりに対して黒瀬の方は10数年それをやっているので当然なのだが…。
「…少しでも…」
車内放送が電車の出発を告げる。ドアが閉まり、電動機がうなりをあげて電車が動き出す。
外は、既に陽が落ちて夜と星たちが空を飾っている時間になっていた。
「センパイ、アオちゃんから写真が出来上がったので貰ってきました」
三国へ行った数日後の夏休み中に設定されてる登校日。その放課後、ボチボチ帰ろうかと駿が帰宅の準備をしている最中に、写真が入った封筒を持った真由がわざわざ反対側の校舎へと足を運んできてくれた。どのみち真由がいる教室へ行こうかと思ってた所だった。
後ろの席の黒瀬は少し前に教室を出た後だったので無用の心配はなかったが、何人かのクラスメイトはまだ残ってたので、彼女の元気な声に反応して残っていた全員がそっちの方を見て、ついで白谷の方を見た。
「白谷君、黒瀬さんと離婚した後に年下の彼女作ってたんだ」
「彼女というより愛人」
「いや未だ離婚してなくて不倫かも」
ムチャクチャな事言われた白谷はその方向を睨む…というよりジト目で見つめる。見つめられたクラスメイトは半分笑いながら続きを言おうとしたその口を閉じた。
からかいなのは判ってるんだが、そういう言い方ないやろと思いながら白谷は真由が立っている教室入口へと歩み寄る。
「真由はもう大丈夫そうだな」
「センパイの方も蹴られた所とかはもう治りました?」
「ああ、運動不足でも体が丈夫なのか、あれから骨とかの痛みもないし、痣も引いてきた…で、海の写真出来たのか?」
「アオちゃん、今日写真出来たーって言ってきたのでセンパイと私の分持ってきました」
「もう見た?」
「いえ、センパイと見るまで開けるな、って言われてたので見てないです…何でだろ」
…海から帰る前に浜辺で記念撮影してたのを白谷は覚えている。ただタイミングが…黒瀬と互いにそっぽ向いてる時にシャッター切られたような気がしたので何だかなぁ、と思ってたのだが…そのことかなぁ、と。
真由がカメラ屋でよく見るフィルム入りの封筒から写真を出そうとして…駿が止めた。
「ちょっと待て」
「…何故です?」
「教室の入り口はアレだ、みんな見てる」
駿が後ろを振り向き、真由が彼の横から一緒に教室内を見た。
残っている駿のクラスメイトは二人の方向をそっと見ている。これからどんな恥ずかしいことや言葉を言うのかとワクワクしながら見つめている…みたいに二人には思えた。
「別のとこいこ。ここはある意味ヤバイ」
「わかりました」
駿と真由が教室から移動すると、ギャラリーのクラスメイトはちょっと悔しがった。
廊下を歩いて同じ階の北側校舎東側にある、2-7からは一番近い特殊教室である視聴覚室前に二人は陣取るとそこでようやく袋から写真を出した。
アオちゃんこと青葉視点の写真を見てみる。流石写真部と言いたくなるくらいいい構図で写真が撮られていて、このまま学校祭の出し物に使えそうなものばかり。その写し方に感心していると…二人同時にその手が止まった写真があった。思わず凝視して…やがて二人とも顔がみるみる赤くなっていった。
「…センパイ、これ…」
「よりによってこのシーン撮られてる…」
「ちょっとアオちゃん何てとこ撮ってるの…!」
「生徒会の先輩らだけじゃなかったのか…というかそのあと何も言ってなかったぞあいつら…」
その写真は…望遠レンズで撮られたらしく手前の人らは完全にボケている中、その隙間から見える真由と駿…しかもよりによってキスしてる瞬間が写っていた。
四つん這いになって今にも駿に覆いかぶさろうとしているかのような水着姿の真由と、目を閉じて彼女の唇を受け入れている駿の顔が、やや小さめとはいえそれが判るくらいにしっかりと写っている。
二人の脳裏に、このシーンをとってガッツポーズしてる青葉と一緒にはしゃいでる榛名と三笠の姿が妄想できた。ついでに写真が出来てそれを見てさらにガッツポーズしてる3人が目に浮かぶ。
「…何かフライデーされる芸能人の気持ち、少し判った気がする…」
昨年刊行されたスクープ写真週刊誌を引き合いに出しながら呟くと、隣で同じ写真を見ている真由と視線を合わせて…さらに恥ずかしくなったのか互いに下を向いて…そのまま黙り込んだ。
廊下は、時折内履きの靴の音を響かせるが、それ以外は互いの呼吸音を耳にできる位に静けさを保っている放課後だった。