白日夢
吉江はまたも夢を見ていた。自分が殺した男女の夢だ。吉江が向けた銃口の先、地面に掘られた穴の奥で、男女が拝むようにしながら頭をさげている。男の顔は腫れあがり、赤と言うより紫になっていた。
「頼む、助けてくれ!」
二人の態度に、吉江はうんざりした顔をする。ここに至って、こいつらはまだ助かる可能性があると、本気で思っているのだろうか?
「せ、せめて、こいつだけは助けてくれ!」
男が縛られた手で、隣にいる女を指さす。男に比べて女はまだ若い。
「見栄えは悪くない女だ。あんたが好きにすればいい。だから命だけは助けてやってくれ」
「な、なんでも、なんでもするから助けて!」
女が男を押しのけるようにしながら、泥だらけの顔で吉江を上目遣いに見上げる。
「なんでもか?」
吉江の問いかけに、女は必死に頷いた。
「なんでもよ!」
「なら、死んでくれ」
吉江が手にしたガバメントから、赤い光が漏れた。特別に手に入れたR.I.P弾が放たれる。ホローポイント弾なんかより遥かに強力な、命中した瞬間に分離する弾丸によって、女の頭は爆発したみたいにはじけ飛んだ。
その脳髄と血を全身にあびた男が、体を小刻みに震わせる。赤い光が再び放たれ、男もかつて人だった残骸へと変わった。二人の赤い血が、赤ワインを注いだ如くに広がって行くのが見える。その瞬間、吉江の体を射精の何倍もの快感が貫いた。
『その赤い液体だ……』
それに浸りたいと言う強烈な願望が、吉江の全身を支配する。
「キャ――――!」
耳をつんざく悲鳴に、吉江は目をさました。お化け屋敷に一人で入った紫乃を待つ間に、またも白日夢を見ていたらしい。吉江は灰だけになっていた煙草を、従業員の私的な喫煙所の灰皿へ押し付けると、パイプ椅子から立ち上がった。
辺りには客はもとより、従業員の姿もない。紫乃は吉江と腕を組むようにしてここへ来ると、お化け屋敷の裏が見たいと言って、裏口から小屋の中へ入ってしまっている。
『紫乃のあげた悲鳴だろうか?』
吉江は一瞬そんなことを考えたが、あの女がこんな子供だましに、悲鳴を上げるとは到底思えない。それに聞こえてきた悲鳴は、もっと若い女の声だ。
「ギャアアアァァァ――――!」
再び吉江の耳に悲鳴が聞こえてきた。今度の悲鳴はさっきの物とは別物。人が本当の恐怖を感じた時にあげるやつだ。この声を上げさせる存在がいるとすれば、それは紫乃しか考えられない。
「何をやらかしているんだ?」
吉江は背中のベルトに差した、ガバメントのグリップに手を掛けつつ、お化け屋敷の裏口へ飛び込んだ。中は薄暗く、黄色く光る、機械のスイッチぐらいしか見当たらない。
張りぼてを支える鉄パイプに、体をぶつけそうになりながらも、吉江は辺りを見回した。やっと闇になれた目が、部屋の奥に暗幕があるのをとらえる。
そこから従業員が飛び出して、客を驚かす仕組みらしい。口なし女を模した、のっぺりとした面の被り物と、赤い絵の具をちらした白い衣装が、パイプ椅子にかかっているのが見える。
だがそれを着て脅す役の従業員の姿はない。それに魚市場にでも入り込んだみたいな、独特の生臭い香りも漂っている。
「なんなんだ!」
暗幕の向こうから、聞き覚えのある声がした。
「伊藤!」
通路に飛び込んだ吉江の足に、何かがぶつかる。見れば、伊藤がしりもちをつきながら、必死に後ずさりをしていた。その視線の先では、紫乃が美咲を背負って立っている。その異常な姿に、吉江は息を飲んだ。
美咲の上半身は、紫乃の後頭部の後ろから、斜めに生えている。いや、突き刺さっていた。それがゆっくりと、紫乃の中へと沈んでいく。沈みゆく美咲の顔は、まるで面のように蒼白だ。
「姐さん?」
吉江の問いかけに、紫乃が小首をかしげて見せる。
「待っているように言ったのに、言うことを聞かなかったの? それに名前で呼んでと言ったのも、忘れてしまったのかしら?」
そう告げる紫乃の横には、もう頭だけしか残っていない美咲の顔がある。その口元がかすかに動いた。
「た、助けて……ケンちゃん……」
だがすぐに口から滝のような鮮血が流れ落ち、目から光が消える。続けて大蛇が馬でも飲み込むみたいな、「ゴクリ」と言う音があたりに響いた。気づけば、美咲の姿はどこにもない。
吉江は背中のベルトに差していたガバメントを引き抜くと、安全装置を外した。弾丸を薬室へ送り込んだそれを、目の前に立つ紫乃へ向ける。
「女をどこへやった?」
「さあ、どこかしら?」
吉江の問いかけに、紫乃がわざとらしく肩をすくめて見せる。
「只者じゃないとは思っていたが、マジ物の化けものだったな」
「あなたも同じじゃないの?」
「どういうことだ?」
「これを楽しんでいる……」
吉江が何かを答えようとした時だ。
「てめえ、美咲をどこへやった!」
不意に伊藤が叫んだ。ばねでも仕込んでいたみたいに飛び起きると、紫乃へ掴みかかろうとする。
「伊藤、待て!」
吉江は伊藤の襟首を捕まえて、必死に止めようとした。だが伊藤はその手を払いのけると、紫乃へ向かって突進する。
「美咲を返せ!」
拳を振り上げた伊藤に対し、紫乃はダンスでもするみたいに、優雅に手を伸ばすと頭を下げた。伊藤はその頭へ、全力で拳を振り下ろす。それがあたったかに見えた時だ。女の後頭部から肩にかけて、ぽっかりと大きな穴が開いた。
「ウギャ!」
悲鳴をあげつつ、伊藤は腕を上げる。だが肘の上から先には何もない。伊藤の腕は、紫乃の頭の後ろに、棒のように突き刺さっている。腕はボキボキと乾いた音を立てながら、穴の奥へと消えていった。
「伊藤!」
伊藤は肩口から大量の血を流しながら、茫然とそれを眺めている。吉江は伊藤の体を引きずり倒した。ネクタイを外し、腰からベルトを引き抜く。それで脇の下の止血点を縛り上げた。
出血量は減ったが、それでも止まりはしない。吉江は伊藤の腰からもベルトを抜くと、それでさらに伊藤の肩口を縛った。その間にも、伊藤の顔は紫を通り越し、暗紫色へと変わっていく。
「伊藤、俺を見ろ!」
吉江は伊藤に声を掛けたが、伊藤はうつろな目で、天井を見上げたままだ。このままでは失血死する。吉江は救急車を呼ぶべく、胸ポケットから携帯を取り出した。だが何かによってはじかれる。携帯はそのまま、空中へと持ち上がった。
『どういうことだ?』
吉江は通路に浮かぶ携帯を、呆気に取られて眺めた。よく見れば、携帯の周りで何かが蠢いている。それは紫乃の黒く、長い髪へとつながっていた。
「邪魔をしないでくれる? きれいに残さず食べるのが、私のやり方なの」
「筋者をなめるな!」
吉江は紫乃の胸へ銃口の狙いを定めた。初めて人を殺した時の景色が、頭の中によみがえる。助けてくれと哀願する男女。しかし目の前に立つ相手は、何の感情も示すことなく、じっと吉江を見据え続けている。
パン、パン、パン、パン、パン!
吉江の放った銃声があたりに響き渡った。その全てが、紫乃の頭と胸へ叩き込まれ、バラの花が咲いたみたいに、赤い穴を開けていく。
『やったか?』
だが銃口を向け続ける吉江の先で、紫乃の体に空いた穴は、あっという間に消えていった。気づけば、まるで何もなかったように、元通りになっている。
最後の銃弾を薬室に残したまま、吉江がマガジンを変えようとした時だ。その手が何かによって押さえつけられる。紫乃の髪の毛が全身に絡みつき、全く動くことが出来ない。
「がつく男は嫌いよ」
紫乃はそう言って肩をすくめると、吉江の前へ進み出た。その体からは、濃厚な血の匂いがただよってくる。紫乃は吉江の目をじっと見つめながら、いきなり下半身へ手を伸ばした。その手で、吉江の男性をまさぐると、満足そうに頷く。
「やっぱりね。感じているんでしょう? 宗像みたいな、口先だけのつまらない男より、あなたの方が、余程に一緒に楽しめると思っていたの」
「ふざけるな!」
吉江の答えに、紫乃が唇の端を持ち上げて見せる。
「おかしいわね。これが見たくて、やくざになったんじゃないの? それに、あなたの事を理解できるのは、この私だけ……」
吉江の心の奥の何かが、それに同意する。
「私たちは同じなの。いつも渇いている」
無言の吉江の唇に、紫乃の血の様に赤い唇が重なった。