集い
「もっとましなところへ、穴をあけられなかったの!」
少女は物置小屋の扉を開けるなり、不満の声を上げた。そして忌々し気に、自分の白いワンピースの裾についた埃を手で払うと、豚のアップリケがついたポシェットを振り回しつつ、辺りを見回す。
目の前にはこれと言って特徴のない、住宅が一つ立っていた。背後にあるのは、自分が出てきたプレハブつくりの物置だ。少女はフンと鼻を鳴らすと、物置の正面にある勝手口の扉を開けた。台所を抜け、家の食堂へと足を進める。
「にいにい、ネリネが遊びに来たよ!」
少女はそう呼び掛けたが、誰の返事もない。耳を澄ませると、どこかから小さないびきが聞こえてくる。少女は不機嫌そうな顔をさらに不機嫌にすると、居間へ続く扉を開けた。
視線の先では、どう考えても似合わない、フリルのついたエプロンをした大男が一人、ソファーの上でいびきをかきながら眠っている。その足元には、酒瓶が何本も転がっているのも見えた。
「三吉、昼間っから酔っぱらっているの!」
少女はそう声を上げつつ、ポシェットを振り上げて顔を叩くが、大男はいびきをかき続けるだけで、何も反応しない。
「ちょっと、起きなさいよ。にいにいは、蛍兄さんはどこよ?」
再度耳元で声を上げたが、やはり大男は何も反応しない。
「腹が立つわね……」
少女はそう呟くと、居間の壁にかかっていたホワイトボードから、ペンを外した。それで大男のまぶたへ目玉を描く。だが首を傾げると、目玉だけでなく、鼻の穴に花丸、謎のひげを追加した。今度は腕組みをしながら、その顔をじっと見つめる。
この白いワンピース姿の少女、ネリネは見かけこそ小学生の高学年ぐらいだが、決してただの子供ではない。父親は閻魔大王で、普段は地獄で暮らしている。
ネリネには二人の兄がいた。一番上は常国という名で、かなり前からこちら、人間界へ来ている。目的はとある事件で、地獄から逃げ出した妖怪たちの捕縛だ。さらにもう一人の兄、蛍も常国の手伝いという名目で、人間界へ来ていた。
なのでネリネ一人だけが、地獄に置いてけぼりにされている。ネリネは護役の瑠璃の監視の元、地獄にいるのに飽き飽きしていた。父親の閻魔大王へ、兄たちのいる人間界へ行きたいと言ってはみたが、速攻で却下だ。それには、瑠璃からの説教のおまけまでついた。
兄二人が人間界で自由を謳歌しているというのに、どうして自分だけが、日々地獄で習い事や、勉強をしなければいけないのだろう? 腹がたって仕方がない。そこでネリネは一計を案じた。瑠璃に新しい習い事をしたいと言い、その準備をさせて監視の目を逃れると、人間界の門番のところへ足を運んだ。
もっとも、地獄に住むものが人間界へ行くのは、決して簡単な事ではない。先ずは父親である閻魔大王から、心臓と交換に手形をもらう必要がある。その手形が、人間界へつながる窓になると同時に、人間界で心臓の代わりをする役目もあった。
もちろんネリネに手形はない。でも門番役は交代したばかりで、まだ本物の手形を見たことが無かった。そもそも地獄から人間界へいく許可など、めったに出ることはない。
兄たちの手形を見て、その姿形をよく知っているネリネは、習い物の手芸セットと美術セットを使って、それとうり二つのものを作り上げた。それを手に、人間界への門を開けさせたのである。
行き先は二番目の兄で、人間の高校に通う蛍の家だ。だが相手が新人だったため、門の行き先が家の中ではなく、埃だらけの物置になってしまっている。ネリネは蛍の守役の三吉の顔に書いた落書きの出来に、満足そうにうなずくと、再び辺りを見回した。やはり兄の蛍の気配はどこにもない。
ネリネは二番目の兄の蛍が好きだった。逆に言えば、一番上の兄の常国が苦手だ。常国はとてもよくできた兄で、父親の閻魔大王からの信頼も厚い。もちろんネリネに対する態度も親切で、とても優しかった。でも全く持って面白みと言うものがない。
もう一人の兄の蛍は根暗で、何を考えているか分からないところがある。母親が人間なせいもあって、多くの者たちから疎まれてもいた。でもネリネからすれば、蛍の方が余程に面白い。その兄が人間界で何をしているのか知りたくて、ここまで来たのだ。
もっともそれは建前で、本音は兄の蛍を連れ回しつつ、人間界でショッピングや食べ物を満喫しに来た。だが当の蛍がどこにもいないのでは話にならない。
「フン!」
そう鼻をならすと、ネリネは蛍の寝室へ向かった。入り口には呪符により結界が張られているが、そんなものは身内であるネリネには効かない。扉を開けて中に入ると、やはり蛍はいなかった。地獄の看守を思い起こさせる、これと言って特徴のない制服が、殺風景な部屋の壁にかかっているだけだ。
しかしネリネは、机の上に数枚の紙が置かれているのに気付いた。そこにはどこかの遊園地の物らしい見取り図が書かれてあり、何か所かに印がついている。その全ては遊具の影だったり、人目につかないところだ。
その中でひと際大きく印が付いている場所があった。お化け屋敷らしい建物の裏手で、そのすぐ先には小さな通用口がある。ここで連れ去りたいと言うコメントまで書かれていた。
「なるほどね」
それを見たネリネが一人うなずく。どうやら蛍は誰かをここでかどわかして、ペットにでもしたいらしい。だけどそれを実行するのはかなり難しい。ここは人間界であり、誰かが行方不明になれば、当然ながら警察の捜索が入る。それに守役の三吉が、それを許してはくれないだろう。
ネリネは兄の蛍が望みを果たせずに、日々悶々としている様を想像して、口元をほころばせた。だがすぐに元の機嫌の悪そうな顔へと戻る。蛍がどこへ、誰と行ったのか気づいたのだ。
「相手はあの、ペンペンとか言う女ね」
先ずは場所を調べて、そこに行かないといけない。ネリネは居間へ戻ると、三吉が床に放り投げていた人間界の携帯を手にした。それを三吉の顔の前へと突き出す。ネリネが山ほどいたずら書きをしても、顔認証は正しく動いたらしく、ロックはあっさりと外れた。ネリネがそれを使って、遊園地への行き方を検索しようとした時だ。
ピンポーン!
玄関の呼び鈴が鳴った。
「三吉、お客よ」
ネリネはつま先で三吉を小突いたが、寝言らしきものをつぶやくだけで、相変わらず起きる気配はない。ネリネはそれを無視すると決めて、携帯へ視線を戻した。
「蛍君、いないの!?」
今度は玄関から、能天気な女性の声が聞こえてくる。ネリネは携帯を、豚のアップリケがついたポシェットへ押し込むと、玄関の扉を開けた。扉の先にはフード付きのトレーナーに、短めのスカート、それにピンク色のスニーカーと言う、いまいちとりとめのないかっこをした少女が立っている。
「あ、あれ?」
ネリネを見た少女が動揺した顔をした。
「はじめまして、蛍の妹のネリネです」
「えっ、い、いもうと!」
ネリネは父親に会う時の外向けの顔を作ると、少女へ向かって丁寧に頭を下げた。それを見た少女が、さらに驚いた顔をする。
「根暗な蛍君と違って、か、かわいい!」
ネリネは心の中で苦笑した。兄の蛍とは真逆で、どうやら心の声が、そのまま口から漏れるタイプらしい。
「私はみのり。蛍君のクラスメートよ」
そう言うと、みのりと名乗った少女は、ネリネの手を握って大きく振った。
「そうだ。蛍君はいないの?」
「はい。兄は出かけています」
ネリネの答えに、みのりがあちゃーと言う顔をする。
「やっぱり、時間を間違えたのね。どうりで誰も来ないと思った。今から追いかけても、間に合うかな……」
「兄と何か約束でも?」
「うん。私の親友で、なずなという子がいるんだけど、そのなずなや蛍君と一緒に、遊園地へ行く予定だったのよ。でも誰も来ないから、おかしいと思ってここへ来たわけ」
「なずなさんですか……」
ネリネの頭に、これと言って特徴のない少女の顔が浮かんだ。あの何の面白みもない女が、蛍の好みらしい。ネリネは地獄では自分以外、誰も相手にしなかった蛍をその女に取られた気がして、イラっとした。奥で寝ている三吉を蹴っ飛ばしてやりたいところだが、流石にみのりの前でそれは出来ない。
「どうかした?」
みのりが怪訝そうな顔をする。
「何でもありません。それよりも、携帯で連絡は取れないんですか?」
「それが携帯を、家に置き忘れて来ちゃったみたいなのよね……」
みのりがいかにも困ったような顔をする。だが何かを思いついたらしく、ポンと両手を鳴らして見せた。
「ネリネちゃん、携帯でお兄さんに連絡を取れない?」
確かに地獄から持ってきた携帯で、連絡を取ることは出来るが、それでは蛍に、自分がこちらへ来ていることがばれてしまう。それでは全く持って面白くない。ネリネはみのりに対して首を横に振って見せた。
「まだ携帯をもっていないんです」
ネリネの答えに、みのりががっかりした顔をする。その顔を眺めながら、ネリネは蛍の事を考えた。あの兄の事だ。きっと約束の時間を、ずらして教えたに違いない。みのりの携帯も、蛍がどこかへ隠した可能性だってある。
「へぇー、ずいぶんと厳しい親御さんね」
みのりの台詞に、ネリネは再び心の中で苦笑した。自分の父親は、あの閻魔大王だ。厳しい事この上ない。
「おじさんも、強面だもんね」
どうやら、みのりは三吉の事を言っているらしい。当の三吉はと言うと、顔一面にいたずら書きをされて、ソファーに寝ころんでいる。でも起きれば、色々と小言を言ってきて、面倒なことになるだろう。先ずはここから離れないといけない。
「みのりお姉さんに、お願いがあります」
「えっ、なに?」
「私もその遊園地へ、連れて行ってもらえませんか?」
「おかしいわね……」
なずなは携帯の画面を見ながら首をひねった。さっきから何度も電話しているのだけど、みのりから一向に返事がない。それに送ったメッセージも、全く既読が付かなかった。
「もしかしたら、まだ寝ているのかもよ」
横にいる蛍が、なずなに肩をすくめて見せる。
「もうお昼近い時間だから、流石にそれはないと思うけど……」
そう蛍へ告げつつ、なずなはみのりならあり得ると思った。みのりは図書館で一緒に勉強しようと言う約束に、寝坊したと言って、午後の遅い時間に現れた前科がある。
「うーん、予約時間は決まっているし、困ったな……」
なずなはそうつぶやきつつ、背後を眺めた。そこには最新のプロジェクトマッピングを使った、幻想的な空間を歩く女性たちの大きな看板があり、受付の前には、多くの人たちが並んでいるのが見えた。
なずなのいとこのお姉さんが、このイベントを絶賛しており、みのりと一緒に行く約束をした。それを学校で蛍に話したところ、興味があるらしく、三人で来ることになったのだ。
「もっと遅い時間に、変更できないの?」
蛍の問いかけに、なずなは首を横に振った。
「さっき聞いて見たんだけど、予約が一杯で、時間の変更は出来ないと言われたの。これ以上は待てないし……」
「もしかしたら、急用ができたのかも」
「そうね。残念だけど、二人で入りましょう。もう、連絡ぐらいくれればいいのに!」
ポニーテールにまとめた髪を揺らしながら、受付へと向かうなずなを眺めつつ、蛍はほくそえんだ。みのりには、全く別な場所と時間を知らせてある。それにみのりの携帯も、蛍のポケットの中だった。