第1話.あなたは今幸せですか?
処女作です
一応ラストの場面だけ思い描いてるものはあるけど、次の話を書く気はないので、この話で完結だというふうに見ていただければ
タブレットの電源を落とし、椅子から立ち上がる。机に出ているまだ使うプリントだけを鞄に詰め込んで、最後に筆箱をしまう。セーターを着て、ネクタイをきっちり結ぶ。学ラン、コートと順に着こんでいって、鞄を背負い、サブバックを手に提げて、最後に机に残ったプリントをまとめる。
この席は教室のはしっこにある。出口までは並んである机と椅子の群を抜けなければならない。まあこの時間にもなると残っている人もほんとどいないので、さほど煩わしくはない。
歩く度にリン、リンと、鞄に付けたお守りの鈴が鳴り、いやに熱気のこもった部屋に響く。途中咳払いで咎められたが、10時を越えてもタブレットにしがみついている熱狂的なバカの背中に中指をたてておいた。
溜め息を吐いて自習室を出る。臭い。弁当のにおいだ。この辛気臭い場所にご執心なバカどもは、夜の分の弁当まで持ってきてせこせこがんばっていたらしい。迷惑だ。せめて違うところで食べてほしい。
ゴミ箱にプリントを捨てて、そばの機械にカードをかざして下校処理をする。
「さよならー」
「ら......」
在駐のバイトは俺の挨拶の返事のつもりなのか、少し声をあげる。そんなクソみたいな声じゃ聞こえねえよ。
溜め息を吐いて塾を出る。寒い。ヒートテックにシャツ、チョッキ、セーター、学ラン、コート、6つの防御は役に立たないらしい。右腕をポケットにつっこんで、左手でスマホを弄る。
まず放置ゲーの確認、次に貯まったチャージ分の漫画の消費、メールに返信して、ゲームの最新情報を調べて、てきとうなネット記事を読みあさって、もう一度放置ゲーを確認、なんとなく動画配信サイトを開いて、何も観ずに今度はタワーディフェンスゲームをする。左手が冷たい。ポケットの中の飴を袋ごしに弄りながら信号機を渡る。 普段ははばかられる歩きスマホだが、夜中は人通りが少ないのであまり心配はいらない。
風にたなびくコンビニの広告の旗を見ながら、もう一度溜め息。嫌いなアニメとのコラボ商品がでているらしい。寒い。息が白い。深呼吸。寒い。さらに溜め息。駅がある建物の中に入る。
そろそろタワーが敵を捌ききれなくなってきた。ゲームを一時停止し、放置ゲーを再度確認。画面をタワーディフェンスに戻し、集金チップを全て売り払い、チップで集めた金とそのチップ自体を売った金で、タワーの設置とアップグレードを繰り返す。ショウケースの中に陳列している食品サンプル群を流し見ながら歩みを進める。中は暖かい。スマホを右手に持ち替え、かじかむ左手はポケットで休ませておく。
イタリアン、中華、和食、インド、そば、中華、うなぎ、甘味、肉、中華。エスカレーターを昇る。丁度戦線が決壊。タワーが壊されてゲームが終了した。報酬を受け取ると広告が流れ始め......『あなたは今幸せですか?人生t』......5秒経ったのでスキップ。報酬でタワーのアップグレード。一旦放置ゲーを確認、メールを確認。一言二言反応して、またゲームに戻る。
なんだ今の広告?胡散臭すぎて逆に気になってきた。書籍の広告だろうか、ゲームの広告だろうか。現在幸せな人生をおくっているか、どうか。そんな曖昧な質問では即答できない。そもここで言う幸せとはなんだろうか。主観的な幸せだろうか、客観的な幸せだろうか。客観的な幸せを訊いている場合、この広告を見ている時点でスマホを持っているということだから幸せに決まっているだろう。この世のありとあらゆる欲求はだいたいこれで解決できる。俺は飢餓を知らない。戦争を知らない。貧困を知らない。食べ物はおいしいし、不便を感じたこともない。客観的に見れば、全くもって幸せな人生ということになるだろう。
改札に定期をかざし、駅の中に入る。
大体の日本人がこの条件に当てはまるだろうから、やはり主観的な幸せを尋ねているのだろう。では主観的な幸せとはどういう時に感じるだろうか。友達と話す時、恋人と出かける時、試合に勝った時、特別な食事をする時、具体例はいくらでもでてくるが、これらの共通項は何だろうか。
改札のすぐそばの階段を降り、5、6番線のホームに到着する。
ああ、この広告は正しくはこう言っているのだろう『あなたは成功した人生を歩んでいますか?』と。この考察が当たっているのなら、なんとくだらない質問だろうか。成功したところで楽しい人生をおくれないなら幸せの価値は皆無である。確かに成功した人生ならとれる選択肢のハードルは低くなるかもしれない。楽しい人生をおくるための成功した人生をおくるために10時まで勉強三昧の毎日では本末転倒だがな。
時間を確認。あと3分で新快速が来る。三角印の列に並ぶ。なんとなく周りを見回してみたが、ここは先頭に近いので人はほとんどいない。
丸印の列に並ぶ人、光る蛍光灯、吊り下げられた表示板、色とりどりな自動販売機。独りで無駄なことをうだうだ考えるのを止めてゲームを再開しようとスマホに目を落とした瞬間、目の前が真っ暗になった。
ー第1話.あなたは今幸せですか?ー
いつも通りの日常だ。文句を頭の中で垂れ流しながら、学校に行き、塾に行き、スマホを弄りつつ帰路につく。11月の夜だ。外は寒く、今日でもう何回目かの溜め息を吐き、また放置ゲーを確認する。後は、電車に乗り自転車に乗り、夕飯を食べて風呂歯磨きをして、パジャマに着替えて眠りにつくだけ。
そうやって、いつも通りの1日が終わる。そのはずだった。
目の前が真っ暗だ。何も見えない。それに何か嫌な感じがする。急に視界が無くなってバランスを崩してしまうが、重心を下げてなんとか持ちこたえた。思わず叫びそうな気分になる。さっきまでと明らかに空気が違う。冬の冷たさが、まるで夏のじめじめした空気の様に肌に纏わりつき、身体を拘束する。少しだけ吹いている風が僕の輪郭を感じさせ、舌の上で飴玉のように転がされているようだ。そこらじゅうから視線を感じ、慣れた場所のはずなのに全く馴染みのない空間に豹変している。
「キャー!!!」
女性の悲鳴。どうやら他の人も同じ状況になっていると考えてよさそうだ。この女性には悪いが、彼女が叫んでくれたおかげで少し冷静になれた。
どうして真っ暗闇になってしまったのか。停電の可能性を考えたが、それだとスマホの明かりや月明かりさえないことの説明がつかない。スマホの電源ボタンを長押ししてみたが振動がなかったので、このスマホはもう使い物にならないことが分かった。
前提として、ここらの電子機器は使えず光は出せないと考えて行動あいたほうがよさそうだ。
なら次に考えることは、どこまでの人がこの暗闇に囚われているかだ。駅の中、建物の中、町中、あるいは京都全体......。ふむ。行くか。コンビニに。丁度お腹が空いていたのだ。いつになったら光が戻ってくるのか分からないし、この現象がもし世界中に広がっていたなら、物資の調達は優先度がかなり高いタスクになる。まあ世界中は大げさに考えすぎだろうが。
まあ、かといって無策にコンビニに向かうのは危険だ。鞄から筆箱を取り出し、中のハサミを使ってお守りを取り外す。使い終わったハサミはポケットにしまい、鈴がついたお守りは線路の方に投げておく。武器はハサミ。盾は教科書の入った鞄。防具は6枚の衣類。まあ及第点か。
鞄を背負いなおし、ホームから落ちたら危ないので手探りで行こうとしゃがんだ瞬間、違和感を感じた。そういえば、さっきまで繰り返し聞こえていた悲鳴が聞こえなくなっている。その代わり、ズシンズシンと、何か大きいものが歩いているような音が聞こえるようになった気がする。手を地面に当てると、少しだけだが、確かに音に合わせて地面が揺れているのが感じとれた。たぶんナニかが同じホームに居る。
光の消失に怪物の出現、いつからこの世界はファンタジーになったんだ。さっきか。キレそう。3分前と今とで、まるで世界そのものが変貌したかのように全く雰囲気が違う。確実に人知を超える何かがリアルタイムで起こっている。
俺の知ってる世界は光と共に突然消え去ったのだと即決できるほどの異様な空気感が漂っている。決してアニメの見すぎとかではない。......夏アニメの『デッド•ドロップ•アウト』はおもしろかったな。駅の停電から始まるゾンビものだった。
あっそうだ。駅といえば、新快速はどうなっているのだろうか。脱線したにしろ止まったにしろもう駅の近くにいたはずなので、何か大きな音が鳴ってもおかしくはないと思うが......。
いや、今は考えるよりここから離れることを優先しよう。だんだんと音と振動が近づいてきている。しかも音が聞こえる方角から考えるに、ヤツは俺の進行方向、つまり階段がある方面にいる。まあ不幸中の幸いか、音は階段より奥から聞こえるため、急げば出会ってしまう前に上にあがれるだろう。
うーん。危ないが、這いつくばって行く時間はないようなので歩いていくか......。なんとかなるやろの精神。なんとかしてやるの前進。......階段をのぼったらどうしようか。ホームの幅の大半を占めているこの階段は、こっち向きにもついてるが向こう向きにもついているので、このままいくとヤツも向こう側から階段をのぼってくると考えられる。
ならば、やはりできるだけここから離れるべきだろうな。改札横にもコンビニがあるが、塾近くのコンビニまで逃げよう。そうこう考えている内に無事に階段までついた。どうやら俺の方向感覚と三半規管は優秀であるらしい。今度は手すりを頼りに進む。
ちなみに、いっそのこと階段をのぼらずにさっきの場所で待機しておくという手もあるにはあったが、ヤツが階段をのぼって、そのまま真っ直ぐ降りてくる可能性も十分あるし、先に上に行かれたら駅から脱出しにくくなる。つまり、コンビニが遠のくので待機はありえないという結論になった。改札に到着。改札の上に乗って駅から出る。すばらしい背徳感。ちょっと楽しくなってきたぜ。
ふむ。改札を抜けたところで、まさかの光源を前方に複数発見した。どうやらライターの火の明かりらしく、明るさはいまいちでゆらゆらとゆれている。すかさずスマホを確認するも電源はつかない。謎だ。電気の光はダメで火の光はいいのか。謎である。あの遠くからでも目立つ人たちがまだ生きているということは、どうやらこの周辺は安全らしい。あそこにはあとで様子を見に行くとして、まずは改札横のコンビニを調査してみる。
自動ドアの前に立つ。やはり自動ドアは開かない。中を覗いてみる。真っ暗闇で何も見えない。聞き耳をたててみる。
......クチュ、..クチャ...バキバキバキバキ
うん。いや、待て。もう明らかにアウトな音がかすかに聞こえてるが、待て。まだ怪物が人間を咀嚼している音とは決まっていない。もしかしたら暗闇に紛れてオトナなことをしているだけかもしれない。うんそう。確認してみるまでは分からないだろう。なら、確認、しないといけないね。
一旦コンビニから離れて喫煙者どもの溜まり場に行く。どうやら非喫煙者もライターの灯りに集まっているらしく、結構な大所帯になっていた。かなりタバコ臭い。ライターを灯している喫煙者の中で、一番痩せ細っていて弱そうな人に声をかける。
「すいません。もしかしてスマホ使えたりしません?」
「あー、君も使えないの。俺も使えないんだよねー、スマホ。ここにいる人たちも全員使えないんだけどね。ははは、いやあ、まいったなあ。このままじゃ、ここで野宿になりそうだ」
あーやっぱり生理的に無理だ。敬語を使え。タバコ臭い。吐きそう。理解不能だ。自らの命を削って、周りの人の命も削って、糞不味い葉っぱを吹かしている。吐きそう。本当に無理だ。 だが灯りを点す手段をこいつが持っている以上話し続けるしかない。なんという不条理か。
「何か事情を知っているんですか?」
「いんや、何も。ただ、駅員さんにここで待っとくように言われて集まってるだけさ。その駅員さんは、あっちの方に行ったきり帰ってきてないんだよね」
喫煙者は改札を出て左の方、つまり、塾とコンビニがある方向を指さして煙を吐いた。......やべ、まじか、まあ、な、なんとかなるべ。
「ふむ。あの、僕に提案があるんですが」
「提案か、どんなだい。できればそれで家に帰れるといいんだけど」
こいつ、何様なんだ?上から目線すぎないか?やはりタバコを吸うのは社不だけなのか。近寄るなよ喫煙者、寿命が縮むだろ。主流煙より副流煙の方が人体に害なんだぞ。まあ喫煙者はそのどっちもを吸っているわけだが。
「コンビニを物色しませんか?電車も来ないし、いつまでこんな状態が続くか分からないじゃないですか。お腹もすいてますし、水分も必要です。でも、1人じゃ自動ドアもあけられなくて、明かりがないからろくに物色もできないんですよ。だから、協力してほしいんです」
「俺に共犯者になれと?」
うざ。きも。誰でもいいんだよ。握力が強くなくて、ビビりなら。肺も腐ってるなら、脳ミソも腐ってるのだろうな。
「そうですが、犯罪者にはなりませんよ。監視カメラも動いていませんし、誰がやったかなんて分かりはしません。バレたとしても、駅に責任をなすりつけたらいいんですよ」
「えー、どうしよっかなー」
うざ。きも。保身と性欲とニコチンの塊め。なんで生きてるんだ?
「タバコも補充できますよ」
「よし、行くか」
......第1段階終了。そろそろ本当に吐きそう。さっさと決めてくれたらよかったんだが。いや、第3段階を考えると丁度いい感じかもしれない。第2段階へ移行。喫煙者をコンビニに連れていくと、喫煙者は何かしら異変を感じとったのか、ドアの前でそわそわし始めた。喫煙者の右隣に並んでおく。
「なあ、坊主、何か聞こえないか」
「何も......いや、何か、これは水の音?もうちょっとライターを近づけて確認してみてください」
ライターの弱い光では中を見ることがほとんどできない。......こないか。中にいるのは元々盲目な怪物なのかもしれない。確かに、それなら合理的だ。この暗闇で不利なのは人間だけになるか。喫煙者はドアに顔を近づけて続ける。
「おい、坊主、中に入ったら酒がある。それを燃やして松明をつk......」
バアアアン!!
すると、何かがおもいっきり、向こう側からドアにぶつかってきた。この暗がりであまりよく確認できないが、それは肉の塊のようなもので、赤く湿っていてかなり気色が悪い。喫煙者の目とその肉に1つだけ付いている目が合って......
「うわあああああああああああ!!!」
喫煙者は叫び声をあげて、ライターの火が消えた。すかさず俺は喫煙者の手からライターを奪いとって逃げ出した。うむ。中のモンスターが盲目でなくてよかった。まさか本当に成功するとは思わなかったが、上手くいってなによりである。勝算が全く無かったわけでもないが、やはりガバガバな作戦ではあったので、今後改善していきたい次第である。おそらくこの先、こんな穴だらけの作戦は通用しない。
コンビニには多分怪物がいる。喫煙者が気づいていない様子だったので、多分その怪物は隠密や奇襲に長けたタイプである。だから、ライターを灯しながら近づいたら多分コンビニの店員がそうであったように襲撃を受けるはず。怪物が奇襲をするのは、多分本体の攻撃力が高くはないから。そんな攻撃力じゃ多分コンビニのドアは突き破れない。喫煙者はそんなドアごしの奇襲に多分驚くだろう。驚いた喫煙者は多分ライターを持っていた手をゆるめるだろう。
うん。がっばがばな作戦だ。けど第2段階終了。
「やーい、マヌケ!このライターは俺がもっと世の中のためになることに使ってやるぜ!」
「あっ、おい!待て!返せクソガキ!!」
俺の健康も返してほしい。
「悔しかったらここまでおいでー!」
腹に力を込めて返事を返す。第3段階。
ズシン、ズシン、ズシン
建物が揺れて軋んでいる。大きいナニかがこっちに向かって来ている音だ。俺の大声につられてやってきたのだろう。振動がやばい。興奮してきた。喫煙者グループを確認。頭がかわいそうな人達は、この暗闇の寂しさを紛らわすために、絶えず火をくべている。おやぁ、大分目立ってますが大丈夫でしょうかね?改札前はとうに走り過ぎた。今改札から一番遠いのは俺なわけだが.....俺が狙われる要素は皆無である。対して彼らは悲鳴に灯りに、狙われる要素しかない。
ドガン
改札が叩き潰された音だろうか。俺は勝手に奴をトロールか何かだと想像している。根拠はゼロである。緑の巨体、不細工な顔、何の木から作ったのか全く想像できないくらい大きな棍棒。そんなファンタジーの悪意が定期の代わりに武器を改札に振り下ろす。
恐慌に陥る不健康な人々。失禁してコンビニの前で座り込む喫煙者。エスカレーターをかけ降りる俺。彼らはどれだけの時間を稼いでくれるだろう。どちらにせよ俺に追っ手は来ない。駅員が行って返ってこなかったこちら方面に来る人は少ないだろう......。そもそも、彼らがこっち方面に来るには改札の前をを通りぬける必要があるからして、まあ無理だろう。
優雅に階段を降りて、建物の出口に到着。前は扉。右は食事街。左は地下鉄。耳を澄ます。......後ろから以外は何も聞こえない。手と耳を地面につける。やはり騒がしいのは後ろからだけだ。大丈夫そうかな。
さて、こんな危険が大安売りしているような所、さっさと脱出するに限るね。俺はドアを開けると、外に出......イタッ......出れ、で、出れない!!どうして!?
はさみを構えてドアを盾にし、とりあえずの索敵。
「おーい。誰かいないかー」
反応なし。やはり改札方面からしか音は聞こえない。ここらにはいないのだろうか。いないと仮定しないとなにも進まないので、とりあえずここは安全だと思うことにする。ライターの火を付け状況を確認すると、なんてことだろうか。ドアの先は......冷たくない氷というか...水晶?で埋まっている。これじゃとても外にでれそうでない。
ふむ。ではここからどうやって脱出すればいいのだろうか。駅のホームでは少しだけ風が吹いていたので、完全に閉じ込められたということはない。だから、どこかの出口から出られるはずだが、問題はどの出口を調べるかだ。恐らく帰って来なかった駅員さんは食事街ではなく、地下鉄の方にいっただろうし、そっち方面にいくのはあまり賢い選択とは言えないだろう。
なら、必然的に食事街の方から脱出するべきだということになるのだが、デコイがいないのが厳しい。駅のホームでは悲鳴をあげる女性が、改札前では喫煙者が囮になってくれていたが、今回はそれがない。もちろんさっきの人でこっち方面に逃げて来た人も2、3人いるが......ああ、残念かな。なんと彼らは全員階段を踏み外すおっちょこちょいだったのだ。こんな暗闇なのにダッシュで階段に突入するから......さもありなん。
今から食事街に突入するが、化物が潜んでいた場合、まず見つかると考えた方がいいだろう。靴を脱げば歩く音が少しましになるだろうが、足を怪我する方が怖い。わざわざこんな暗闇になった......あるいは暗闇にしたのは、何かしらの理由があるはずだ。例えば光以外の要素で敵を感知できる化物がいるとかね。それなら、音、風、臭い、振動、温度など、隠しきれないものばかりを隠す努力よりも見つかった場合の対象方法を考えた方が生存できるだろう。
ひとまず、前からの攻撃を防御できるように鞄を体の前で背負う。抱っこの形である。次に、そこに落ちてる死体を背負う。おんぶの形である。次に手提げ鞄を一時的なデコイとして使えるようにする。こいつは蹴ったり投げたりして先の安全を確かめる用にする。ああ、ここにお守りの鈴があればさらによかっただろう。まあ捨ててしまったものは仕方ないので次に活かしましょうね。
では、いざ鎌倉。
食事街に入る。ひとまず手提げを蹴ってみて反応を見る。
音はしない。安全そうだ。手提げ鞄のところまで移動して、また蹴る。音はしない。
中華屋
肉
甘味
うなぎ
また中華。気を構えすぎていたのか。今のところ全く安全である。手提げ鞄のところまで移動して、また蹴る。音はしない。これで何回目のキックだろうか。そろそろ肩と足がきつい。
そば
インド
和食
またまた中華。もうすぐゴールである。手提げ鞄のところまで移動して、また蹴る。今度は音が全くしなくなった。そう。手提げが地面に着地した音すらも聞こえない。確実に何かいる。
緊張感が辺りを包む。心臓の音がやけに響き、汗が足元に流れ落ちる。俺は何をすべきだろうか。こちらの道を諦めて地下鉄の方へ行くべきだろうか。だが、あちら方面はあまり行ったことがないので、この暗闇だとろくに行動できないだろう。あちらから外に出てこちら側に移動するのもナンセンスだ。途中の水晶地帯を抜ける必要が生じる。
......突破するか。がんばれ俺。
蹴った鞄を親切にも受け止めてくれた相手からの反応は今のところない。......そんなことある?鞄が来た方向は分かるだろうし、汗と死体の臭いでもう襲って来てもいいぐらいだ。つまり相手は完全な奇襲型ということでよさそうだ。
ふむ。なら......
......ライターを点けてみる。
反応はなし。溜め息が出る。明らかに居場所がバレたはずだが、相手は目が見えないのだろうか。まあ攻撃してこないならそれにこしたことはない。これを利用させてもらおうか。
背中の死体をおろし、火を点けてみる。なかなか燃えなかったが、胸元のポケットに入っていたライターからオイルを取り出して服にかけたら燃え始めた。それの足元を持って、前に投げてみた。これで相手の正体や位置が分かればいいが。
果たしてそれは思っていたより真っ直ぐには飛ばなかったが、相手の巣に引っ掛かり、その正体を明らかにした。
ああ。なるほど。たしかに暗闇の方がこいつにとっては都合がいいかもしれない。なにせ、獲物が罠にかかるのを待つだけでいいのだから。相手の姿が見えなくとも、糸に引っ掛かった時点で獲物の負けは確定するのだ。
そう。こいつの正体はバカデカい蜘蛛だった。なるほど。暗闇でも相手が分かる方ではなく、暗闇でも狩りができる方だったか。その発想はなかった。そうか。蜘蛛か。どうりで投げてもライターを点けても反応しなかったわけだ。俺が引っ掛かるのを待っていたんだな。
さて、一歩進んだが、ここからどうしようか。死体にあがっている炎のおかげで、ここから蜘蛛の巣の様子が見えるが、通路全体に広がっているようだし、網目が結構細かくて抜けれそうにない。ハサミはあるが、こんなに太い蜘蛛の糸は切れるのだろうか。いや、切る前に襲われるか。蜘蛛の巣が燃えるまで待つことも考えられるが、巣を失った蜘蛛がどうするか怖い。どこかへ逃げてくれたらいいが、俺を襲ってくる可能性もある。
......いや、待て。おかしくないか?なんで燃えてる死体がまだ巣にくっついているんだ?糸は当然生物由来の有機物だ。なら高温になると科学的成分が変化してその特徴が変わるはずでは?そう。例えるならフライパンの上で固まる卵のように。糸も粘着性が失われるはずではないだろうか。
クソだ。嫌な予感は見事的中した。糸に炎が燃え移っている。そしてそんなことはお構い無しとばかりに蜘蛛は死体に食らいついた。ああどうりで、この空間で火の明かりだけ許されていたのはあなたが原因でしたか。そうですか。
そして、これは俺の予想だが、君、この後襲ってくるね?巣が完全にバレてしまって待つ意味が無くなってしまったら襲ってくるよね?
また、蜘蛛と目が合った。ああ。蛇に睨まれるとはこういう気持ちか。クソだ。
蜘蛛が燃え盛り、全体があらわになる。全長は脚を抜いて1m強といったところだろうか。かなりキショイ。そして俺は素人なので詳しいことは分からないが、多分こいつに毒はないだろう。燃えるという特性上、熱で壊れず気化しない毒である必要であるがそんな都合のいい毒があるわけない。ないよね?まあ毒の代わりに油を仕込んでいるかもしれないので牙に注意しなければいけないのは変わらない。
ああ。どうやら現実逃避はここまでのようだ。蜘蛛が飛びかかってきた。ハサミで迎え撃とうとするも、体が動かない。いつのまにやら糸が巻かれていたらしい。抱えていた鞄ごとコートを脱ぎ捨てて蜘蛛に投げつける。危なかった。このコートがボタンのない服でよかった。
とっさに蜘蛛を見やると、鞄は見事的中したようで、ひっくり返ってジタバタとしていた。今が好機だ。蜘蛛が起き上がる前に蜘蛛のところまで駆け寄り、組伏せる。
.........ッッ!
尋常じゃなく熱い。身体中をアスファルトに擦りつけられているようで、空気が熱すぎて息ができない。熱い。痛い。痛い。痛い。痛い。
早くこいつを殺さなければ、先に死ぬのは俺の方だ。蜘蛛の頭と胴体の接合部に向けて、がむしゃらにハサミを打ち落とす。......が、あまりダメージは通ってなさそうに見える。俺の攻撃力が足りないのか!
他の攻撃手段を頭で考え付くより先に身体が動いた。ポケットからスマホを取り出して、まるで釘を打つようにスマホをハサミに打ち付けた。身体を熱が食らう。頭は茹だり、何も考えられずにただただスマホを思いっきり振り下ろすことに必死になった。
痛い!痛い!痛い!痛い!
目が熱を持ち、前が見えないほど涙がでてくる。その涙がさらに熱くなり、全身が沸騰する。
ガン!ガン!......ゴガッ
もう諦めてしまいそうになったころ、ようやく蜘蛛の体は千切れ、俺は冷たい床に倒れこんだ。なんとかして燃えてしまった服は脱いだが、これ以上動けそうにない。全身が痛い。この床の冷たさすらも鋭利な刺激となって脊髄を貫く。身体はあまり動かせず、固くなってしまっている。
もうこれ以上動いてくれるなよと蜘蛛の方を見つめる。蜘蛛の頭に、投げつけた鞄とコートが糸で絡み付いていて、これのおかげであいつは起き上がれなかったんだなと納得した。俺の学校は置き勉が禁止されているので、あの鞄はさぞ重かったことだろう。
ああ。なんとかこいつを倒すことはできたが、ここで俺は死ぬのだろうな。まあ、一般人にしてはよくやった方ではないだろうか。偏差値でいうと80くらい?どの大学だろうとフリーパスだ。相討ちだろうと正面から化物を討伐できた人が果たして何人いることだろう。
悔いのない人生だったかと言われるとそんなわけないが、まあ最後に達成感のあることができてよかった。そう考えると、さっきまで死にそうになって必死な気持ちだったのが嘘のようで、逆に穏やかな気分になってくる。
ああ、突然何も見えなくなった。今度こそ失明したのだろう。俺を苦しめていたこの暗闇も、今は素直に受け入れることができる。ああ、できることなら最後に喧嘩別れした幼馴染みに謝りたかったなあ......なんて思っていると、目の前に青い板が現れた。何だこれ。空気読めよ。
ふむ。俺はどうやら失明したわけではないらしい。板には何やら文字が書かれているが、そのほとんどが文字化けのようになっていて読めない。UTF-8に適応しろ。どうやら数字だけ読めるようだ。
急に現れたことや、数字だけ読めること以外にも不思議なところはまだあって、この板が現れてから急に身体が元気になった。まあ全快したというわけではないが、動くくらいなら全く問題なさそうだ。そして一番これが謎なのだが、こいつ、浮いている。つまり重力に逆らっている。反抗期だろうか。
謎だが時系列を整理すると見えてくるものがあった。つまりは、俺が蜘蛛を倒し、急に真っ暗になり、この板が現れ、俺が回復したわけだが、これってあれじゃね?ファンタジーお約束のレベルアップという概念では?
板を調べるために色々してみたら発見したことがまだある。この板はどうやら実態がないらしい。俺が触ったり舐めたりすることはできるが、上に乗ったり何かに叩きつけたりしようとすると急に触れなくなってしまう。なんと都合のいい物質だろうか。さらに、板に書かれていた下三角マークをタッチすると、板に書かれている文字が変化することも分かった。
その変えられるいくつかのページの内に興味深いものを発見した。
○●○●○●○
3/42 0/19
0 → 18
8 → 66
17 → 51
30 → 32
87 → 109
12 → 42
0 → 19
5 → 13
○●○●○●○
絶対レベルアップだこれ!一番上のがHPと......やはりMPだろうか。二番目のやつがレベル。その下がステータスだろう。今のHPが42で、12から42に増えたステータスがあるので、それが恐らく体力を表しているのだろう。42×1/12=3余り6なので、現在のHPが3/42になっているのは、レベルアップ前のHPが1の瀕死の状態で、恐らくレベルアップによって割合回復したからだろう。
よし。なんだか急に楽しくなってきたなぁおい。恐らく体力以外にも、力や瞬発力などを表すステータスもあるのだろう。これって、アニメ見たいなカッコいいアクションも身一つでできるようになるのでは?夢が広がる。
まあ何はともあれという感じである。生きてて良かった。動けるようになったとはいえ、今日はもうじっくりと休みたいので、さっさとコンビニまで行ってしまおう。
手探りで鞄を回収しに行くと、そこにもう蜘蛛の死骸はなかった。恐らく、化物は死ぬと消えるようになっているのだろう。さっきまで生き残ることに必死だったのに、ゲームみたいだと思えるようになってからはいきなり心に余裕ができた。鞄はもう熱でボロボロだが、中の教科書は意外と燃えていない。しぶといな。手提げ鞄の方も調べてみたが、これも燃えて崩れていた。
出口は近いので、諦めて手ぶらで先を進む。
ここが中華で、次がイタリアン。そして、出口。こちらの出口は水晶で閉ざされていることもなかった。強いて言うなら自動ドアだったので力ずくでこじ開ける必要があったが、ハサミをコテの様に使ったら簡単に開いた。レベルアップで筋力が相当上がったとみえる。
外に出ると、冷たい風が心地よい。まだ真っ暗だけども。
壁沿いに真っ直ぐ行って、コンビニに着いた。嫌いなアニメとコラボしているコンビニだ。
......先に言い訳をさせてもらうが、この時の俺は本当に疲れていて、蜘蛛を倒した達成感や、レベルアップを実感した全能感で、まともな判断ができていなかった。
俺はコンビニの中に誰がいるか、ナニが潜んでいるかなど確かめもせずに中に押し入った。中に入ってしばらく進むと後ろから声をかけられて、俺は己の失敗を悟った。
「あなたは今幸せですか?」
優しい女性の声だった。本日ニ度目の蛇に睨まれる気持ちを味わう。さっきと違う点は、辛うじて言葉が通じるらしいことだけだ。この暗闇で、背中に痛いほどの視線を感じる。
なるほど。今回のこの動乱は、地球にゲームのようなシステムが導入された方ではなく、地球がゲームのような世界と融合した方だったのか?多分この人は現地人だ。それも、ファンタジーの化物溢れる世界で長年生き残って実力を蓄えた人のようだ。今、人生で初めての殺気というものを味わっている。
「もし幸せでないなら、貴方、私の設立した宗教に入らないかしら?今なら信者が2人しかいないから大司祭になれるわよ」
「断ることは?」
「あまりお勧めしないわね」
ああ。現地人でもかなりキチってる人だと見た。なんとかして逃げ出せないだろうか。
「ちなみに貴女のレベルはいくつですか?」
「レベル?位階のことかしら?聖サーラミ教は新興宗教だから、まだ位階は5なのよ」
なるほど。都合の悪いことに、地球と融合したのはゲームの世界だけじゃないみたいだ。果たして俺はこの何もかもがごちゃ混ぜに変わってしまった世界で生きていけるのだろうか。
コメントや高評価などをくださると泣き咽び喜びます
ちなみにこの主人公の名前は次の話で出てきます。次の話が書けたらですが