会えなくなった番
ルジェクに助けて貰ったラヴィは、一層ルジェクへの思いを募らせていた。翌日、いつも通り挨拶と求婚をしたが、いつものように断ると短く返されて落胆はしたが、それくらいで諦められるような想いではない。早く両想いになりたいと思いながらも、ラヴィは今日もルジェクを思いながら一日を過ごした。
それから一月余り。ラヴィはいつも通り他の者よりも早めの出勤をした。ルジェクの顔を見て言葉を交わせる、ラヴィにとって交流できる唯一の時間だからだ。しかし…
(ルジェク様、今朝はいらっしゃらない?)
この一年余り、ルジェクは特別な事がない限りは、必ずこの時間に出勤していた。ルジェクのとことなれば、ストーカー並みの情報収集していたラヴィにとって初めての事だった。ルジェクに何か特別な用事があるとは聞いていないのに現れないのは珍しい…
それでも、出勤の時間は厳守だし、もしかしたら火急の用事が起きたのかもしれない。副団長のルジェクは事件が起きたりすると呼び出される事もよくあるが、もしかしたらそれに当たったのだろうか…
「ラヴィ!」
「ど、どうしたの?サシャ?珍しく慌てて」
普段は冷静なサシャが、酷く慌てた様子でラヴィに声をかけてきた。冷静沈着な男装騎士と女性からも人気のサシャが珍しい。そう思ったラヴィだったが、サシャの話を聞いて身体中から血の気が引くのを感じ、心臓が痛みを感じた様にすら思えた。
「ルジェク様が?!」
サシャの話はラヴィには思いもよらない内容だった。昨夜遅く、ルジェクが血を吐いて治療院に担ぎ込まれたと言うのだ。詳しい事はわからないが、ルジェクは昨夜、幼馴染でかつての婚約者のステラと会っていたという。途中で飲み物を飲んだ後で苦しみだし、その直後に血を吐いて倒れたと言う。
「ああ、今は治療院で処置中だ」
「ど、どうしてそんな事に…」
ラヴィは声が震えるのを抑える事が出来なかった。直ぐにルジェクの元に…と走り出そうとしたラヴィだったが、サシャがその腕を掴んで止めた。
「放して、サシャ!私、ルジェク様のところに…!」
「待つんだ、ラヴィ!今行っても会えないよ!面会謝絶なんだ!」
「でも…!」
「会えるのは上官の団長とご家族だけだ!」
「でも、ルジェク様のご家族は…」
「それは今、団長が使いを出している」
「……」
ラヴィがようやく走り出そうとするのをやめたのを見計らって、サシャは腕から手を外した。掴まれていた場所がジンジンする。未だに頭の中が混乱しているが、それでもはっきりしている事がある。ルジェクの身が心配で、息も出来ないほど苦しいと言う事だ。自分の命よりも番が大事な獣人にとって、ルジェクが倒れた話はラヴィを絶望に叩き落すには十分だった。
それからのラヴィは、仕事をしている様な気分ではなかった。直ぐにでもルジェクの元に駆けつけて、その様子を一目でもみたかったし、小さな事でもいいから役に立ちたかった。番が苦しんでいるのに何もせずにいるなど、拷問と同じだ。血を吐いたと聞いているから、その命だってどうなるのか…
ラヴィの不安と焦燥は高まる一方で、それは地獄の業火とはこういうものなのか…とラヴィに想わせるには十分だった。
だが、ラヴィはルジェクのたくさんいる部下の一人で、家族でもなんでもない。こんなにも恋い焦がれても恋人ですらないのだ。そのような立場では会いに行く事すら叶わず、逆にルジェクを心配するなら騎士としての務めを果たせ、心配をかけてどうする?と言われれば、何も言い返す事が出来なかった。騎士の仕事に誇りを持っているルジェクは、職務を疎かにするのを厭うだろう。
ルジェクが倒れてから三日間、色あせた夢の中を彷徨うような日を過ごしたラヴィは、ようやく事の真相の一部を知る事が出来た。ルジェクを一途に思うラヴィを哀れに思った団長が、内々に教えてくれたのだ。
団長からの話は、ラヴィの想定を更に上回る内容だった。
ルジェクはステラから、夫との関係で悩んでいるから相談に乗って欲しいと言われていたという。ただ、既にステラは結婚している身だし、幼馴染とは言え元婚約者と二人きりで会うのはよくないと、他の者に相談するように言い、会いたいというステラの誘いを断っていたのだと言う。
そこでステラは、知人を同伴するから一度だけでも…と切羽詰まった様子で言って来たため、ルジェクは団長に相談した。ステラの夫のラドミールは女性遍歴が激しく、騎士団に彼に対する苦情が上がっていたからだ。
団長と相談の結果、ルジェクは騎士を同席するのを条件にステラに遭う事になった。ステラは、夫が浮気を繰り返している事、子どもが出来ないのも夫のせいである事、だから離婚したいが夫が脅してくるから出来ない事を、切々と訴えてきたらしい。
ルジェクは、夫婦の問題だから両親と教会に相談するようにアドバイスをして、そう言う事なら自分に接触するのはやめるようにと忠告した。あらぬ誤解を受けるから離婚したいのなら逆効果だと。
その話が終わった直後、騎士が所用で席を離れた際、ステラはルジェクに飲み物を勧め、それを飲んだルジェクが俄かに苦しみ始めて、戻ってきた騎士の前で血を吐いて倒れたと言う。
「もしかして…飲み物に毒が…」
「我々もそう思ったのだが、毒物は見つからなかった」
「…じゃ、どうしてルジェク様は…」
「毒物は見つからなかったが…バシュの実が仕込まれていたんだ」
「バシュの実って…」
その名を聞いたラヴィの表情から、一層血の気が引いた。バシュの実はいわゆる媚薬と呼ばれるものだったからだ。どうして既婚のステラがルジェクにそんなものを飲ませたのか…最愛の番を誘惑しようとした者の存在に、ラヴィはさぁっと血の気が引くのを感じた。
だが、問題はそれだけではない。バシュの実は確かに媚薬作用があるが、特段体に有害という訳ではない。それを飲んだからと言って血を吐く事もないし、騎士を続けられなくなるなんて事はない筈だ。
「何で…それで…」
「それは…ルジェクが、魔獣毒に侵されているからだ」
その言葉にレヴィが小さく悲鳴を上げた。団長の表情が一層痛ましさを増した。