気持ち悪い男
「ん~今日もよく働いた!」
一日の務めを終えたラヴィは、夕日を眺めながら騎士団に隣接する寮に向かった。実家から通うには遠いのと、ルジェクが寮住まいと聞いたラヴィは、迷うことなく寮に入る事を選らんだ。一日の務めをこなした後の充足感と程よい疲れが心地よかった。
「やぁ、ラヴィちゃん、今帰り?」
心地よい時間が、不躾な呼びかけに壊されてラヴィの機嫌は急降下した。相手はあのルジェクの幼馴染の夫のラドミールだった。
ラドミールは金髪と青い瞳を持ち、人懐っこい雰囲気を持ち、イケメンと呼ばれて遜色ない位には容姿が整っていた。だが、複数の女性とよく一緒にいる事や、馴れ馴れしく話しかけてくるのもあって、ラヴィが好ましいと思った事はこれまでに一度もない。それに、彼はいつも笑顔だが、目が笑っていなかった。何と言うか、獲物を狙う目で、その目はラヴィにはトカゲのように見えて一層気持ち悪かったのだ。
「…こんばんは、ラドミールさん」
一応彼は第二騎士団の小隊長で、所属は違うが上司になる。仕方なくラヴィは挨拶を返した。ニヤニヤしながら近づいてきて、逃げ出したくなるほど気持ち悪い。
「今日は早かったんだね。どう、今から食事でも?」
妻がいるのに、何を考えているのだろう…ラヴィには妻がいながら他の女性に声をかけてくるこの男がさっぱり理解出来なかった。自分の顔の良さを理解しているらしいところも気に食わない。苦手意識もあってか、ラヴィにはこの男がどうしてモテるのかさっぱりわからなかった。
「…ご遠慮します。何度も申し上げていますが、奥様がいらっしゃる方と出かけるつもりはありませんので」
いくら人族が番を理解出来なくとも、人族だって伴侶がいる者が他の異性と二人きりで会うのがよくない事は常識だ。浮気や不倫は訴えられる可能性もあるし、下手をすれば自分の立場も悪くなる。しかも、こんな軽薄な男と付き合っているなんて事がルジェクに知れるなんてたまったもんじゃなかった。
「お堅いなぁ、ラヴィちゃんは」
「奥様に訴えられたり、不倫していると周りに思われては騎士も続けられませんので」
「ええ~心配ないよ。うちの奥さんも男と好きに遊んでいるし。お互いに干渉しあわないって約束なんだ」
「…はぁ?」
何を言っているのだ、この男は…思わず変な声が出てしまったが、それも仕方ないだろう。夫婦で浮気し合っていて、それも公認なんて頭がおかしいんじゃないだろうか…
「そういう訳だから、大丈夫だよ。だから行こうよ!」
「お断りします」
「やだなぁ…照れちゃって。女の子は素直が一番だよ」
「照れていません。放してください!」
話が通じないのか、断っていても全く気にせず自分の妄想を繰り広げる男に、ラヴィは思わず声を荒げた。話をするのも嫌なのに、触られるなんて気持ち悪すぎる…だが、さすがに騎士だけあって、男の力は強く、ラヴィはその手を振り払う事が出来なかった。
「何をしている?」
何とか逃れようとしているラヴィの耳に届いたのは、間違う事のない大好きな声だった。
「ルジェク様!」
「…っ!ルジェクだと…?」
窮地に陥っている場に現れた愛しい番に、ラヴィは声に喜びが交じるのを抑える事が出来なかった。男がひるんだすきに、ラヴィは一気に腕を抜き取ってルジェクに掛け寄った。
「ルジェク様、助けて下さってありがとうございます!」
「ああ」
嬉しさのあまりお礼を述べたが、ルジェクは表情一つ変えずにラヴィを見下ろして無事を確認しているようだった。それから視線をラドミールに移すと、ラドミールは狼狽えた様な表情を浮かべていた。
「ラドミール殿、妻のある身で未婚の女性を誘うのは感心しませんな」
「…な、っ…それ、は…」
「騎士の出動要請の中には、夫婦喧嘩も少なくない。小隊長である貴殿なら知らない筈もないでしょう」
「べ、っ、別に私が誘ったわけでは…!」
「そうですかな?」
「そ、そうだよ!その女が誘ってきたんだ!俺は妻がいると言ったのに…!」
「はぁ?」
自分がたった今やっていた事を忘れたのか?誘いを断ったら力づくで連れて行こうとしたくせに…よりにもよってルジェクの前でそんな嘘を言い出すとは思わず、ラヴィの頭が怒りで染まった。
「私は誘っていません!断ったら腕を掴んできたのはそちらです!」
「な、生意気な…!黙れよっ!」
「…いい加減にしろ」
強く拒否された上に本当の事を言われたラドミールが怒りに顔を赤く染めて怒鳴り始めたが、それはルジェクの怒りを含んだ低い声によって阻まれた。ラヴィもラドミールも、ルジェクから放たれる強い冷気のような威圧感に声を失った。
「ラドミール殿、あなた方夫婦が浮気についてどう思っていようが勝手だ」
「な…!」
「だが、一般的に既婚者が未婚女性を誘うのは非常識であることには変わりない」
「…っ!」
さすがのラドミールも、まさか夫婦で浮気しあっているとの話から聞かれているとは思わなかったのだろう。自分が誘ったとバレた事に、夕焼けの中でもわかる位に顔が白くなっていた。若い娘に不倫を強要したのだ。下手をしたら懲戒ものの不祥事だった。
「今回は見逃すが、次はないと承知いただこう。貴殿については市井からも苦情が上がっているのだ」
「…!」
「自重されるが賢明だろう」
「……」
さすがに市井から苦情が上がっていると言われれば、ラドミールも引き下がらない訳には行かなかった。この事が公になれば謹慎は間違いないし、減俸や降格もあり得る。しかも相手は年が同じでも副団長で、権力の差は一目だった。
「ありがとうございます、ルジェク様。あの人、前から何度断ってもしつこくて…」
「そうか…一度、調べてみる必要がありそうだな」
「それでしたら私もご協力します」
「ああ、その時は頼む。今日はもう中に入りなさい」
「は、はいっ!ありがとうございました。それじゃ、おやすみなさい!」
「ああ、お休み」
会話の内容に全く色気がなくても、たった数歩ほどの距離でも、ラヴィは嬉しさに胸を膨らませながら寮に入った。入り口で振り返るとまだルジェクはこちらを見ていて、ラヴィは益々心が高鳴るのを感じた。万感の思いを込めて会釈をすると、ルジェクは軽く頷くと踵を返して去っていった。その姿をルヴィは見えなくなるまで見つめていた。