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4.信じられない光景

 温かな身体。

 心地よい空気。

 目を閉じていてもわかる、明るい部屋。


(もう朝なの? まだ寝ていたい……)


 そう思いながらも自然と瞼が上がる。身体は軽く、全身がすっきりと気持ちが良いのだ。

 だが段々とはっきりしてきた視界が映したのは、見慣れぬ天井。


(そうだわ、私カラザスに来たのよ!)

「――っ!」

「あら、おはようございます。ヒルダ様」


 ここがウェリンズではないことを思い出し、私はガバッと飛び起きた。すると待ち構えていたように、ジャイナと名乗った侍女が声をかけてきた。


「私、寝てしまったのね……」

「ええ。寝心地はいかがでしたか」

「……良かったわ」


 悔しいけれど寝心地は最高だった。こんなにすべすべで柔らかなベッドはウェリンズに存在しない。


(香水が無くてもいい匂いだったわ。いったいどんな技術を使っているのかしら……)


 私は何の気なしに胸に手を当てた。だが触れるはずのものがそこにはなかった。

 一気に血の気が引く。レスターから預かった小瓶の入った守り袋がないのだ。


(そうだわ! 無理矢理湯浴みをさせられた時に外して――)


 その時に確かに小箱に仕舞ったはずだ。だが、そこからその小箱をどうしたのかの記憶がない。

 私は慌ててジャイナに尋ねた。


「――わ、私の守り袋は?!」

「こちらにございますよ」


 ジャイナが差し出したのは昨日と同じ可愛らしい小箱だ。開くと昨日となんら変わりない姿で守り袋が入れられているのを見て、私は胸を撫で下した。


(よかった……。私を疑う様子がないところを見ると、小瓶の事も気づいていないようね)


 ホッとしながら守り袋を首から下げると、ジャイナがおずおずと口を開く。


「ヒルダ様、実は謝らなければならないことが……」

「何?」

「お持ち物を乗せた馬車が、ちょっとした手違いで再びウェリンズに帰ってしまわれたのです……」


 その後のジャイナの動きは素早かった。


「今日はこちらのワンピースにいたしましょう。シルエットが美しくてヒルダ様にお似合いですよ」

「コルセット? これほど引き締まっているヒルダ様には必要ありません」

「靴は歩きやすいものにいたしますね。ウェリンズと違い、カラザスは段差が多いですから」

「お化粧は血色がよく見えるように意識いたしますね。あとは日焼けに注意をしないと……」


 ジャイナにされるがまま、私の身支度は完成した。馬車が持ち帰ってしまったこともあり、私が持ち込んだものは何一つとして残っていない。だけど私はそのことを悲しむよりも、ジャイナのパワフルさにただ圧倒されていた。


(つ、疲れた……。一日分の気力を使い果たした気がするわ)


 すでにげっそりとした私は、ジャイナが選んだというミントグリーンのワンピースに身を包んでいた。胸元は編み上げになっており、張りのあるリボンが胸を飾り華やかで可愛らしい。靴は短めの革靴だった。


(こんな靴、男性しか履かないのでしょうにわざわざ私に履かせるなんて。これも嫌がらせの一環なのね。でもこの髪型はなかなかいいかも……)


 昨日洗われたばかりの髪はさらさらと気持ちよく、いつものようなじっとりとした重さはない。ジャイナも私の長い髪を結い上げず、あえて上半分だけ編み込み、髪の美しい流れが映えるよう整えてくれた。


(重くべたついてしまうから結い上げるだけだったけれど、こうやって髪を下ろすのもいいかもしれないわね)


 私が興味深げに髪型を鏡に映していると、満足そうなジャイナが「さてと」と声を上げた。


「さあ、ヒルダ様。お召し替えが済んだので、ジーク様の元へご案内いたしましょう」

「陛下の元へ……」


 その言葉を聞き、にわかに緊張感が高まる。


(そういえば昨日の夜は気が付いたら寝てしまっていたのよね。もしかしてそれを怒っているのかもしれないわ……)


 私はレスターが怒っている場面を思い出してしまった。


(レスター様は怒ると手がつけられなかったのよね。最近は怒らせない術を知ったから良かったけど、昔は何度も怒らせてしまったもの)


 彼は怒ると手を上げるのはもちろん、手当たり次第に物を投げ、壊し、暴れ……時には王族の権限を使って身分を剥奪・追放するような人物だ。

 祖父はあまり怒ることのない穏やかな人物だった。だからこそレスターの怒る姿は、私にとって恐怖だったのだ。


(洗練された国の王太子であるレスター様ですらあんな様子になるんですもの。野蛮なカラザス国の王の怒りはもっと激しいはず……。もし命を奪われそうなことがあれば、その時は迷わずこれを――)


 私は服の上から守り袋を撫でた。もしかしたらすぐに毒を盛る機会が訪れるかもしれない。

 だがそんな私の不安にジャイナが気づくはずもない。楽しそうに笑顔を浮かべ、私に告げたのだ。


「ふふふ。あのジーク様のお姿を見たら、きっと驚かれますよ」



 私が連れて行かれたのは城の裏手にある農場だった。

 農場なのだから当然ではあるが、どこもかしこも土と草だらけ。手前の草原には大きな木が等間隔で何本も植えられており、木漏れ日を落としている。

 奥手には何に使うのかわからない大きな小屋があり、その隣はさわさわとたくさんの丈の長い草(のちに知ったがパンの原料らしい)が風に揺れていた。


 絵本で見たことのある牧歌的な光景。しかし実際に足を踏み入れたのは初めてだ。

 嫌がらせだと思っていた革靴だったが、ここに来ることを想定していたのなら納得だった。土の上でも躊躇いなく足を着くことが出来る。

 しかし、だ――。


(く、くさいわ! 何この臭いは……。こんなにくさいのに、どうして香水を使わないのよ!)


 私は風に乗って漂ってくるすえた臭いに、今にも倒れそうになっていた。


(昨日も思ったけれど、この国の人間は香水を知らないの? こんな臭いの中で暮らしているから、鼻がおかしくなっているんじゃない?)


 香水は貴族のたしなみだ。ウェリンズでは自分の香りをたっぷりと服に浸み込ませるのだが、先ほど外に出る前にジャイナに香水を頼んだが「準備がない」と言われてしまったのだ。


(さすがは野蛮な国だけあるわね。ウェリンズに送ってほしいと頼んだら送ってくれるかしら? でも誰に頼めば――)

「まあ。今日は作業をしているせいか、特に臭いますわね」

「さ、作業?」


 ジャイナを見れば、ヒルダと同じように顔をしかめている。


「あれですわ。牛舎の掃除をして、集めた糞を畑に運んでいるのです」

「っ、ふ――?」


 なんてことだ。ジャイナが私をここに連れてきたのはやっぱり嫌がらせだったのだ。


(ふ、糞ですって? そんな汚らわしい言葉を聞かせるなんて、最低だわ! しかも庶民でも最下層の人々が扱うものなのに、今まさに作業しているところに私を連れて来るだなんて……)


 ウェリンズの貴族は美しくあるのが仕事だ。庶民とは一線を画す崇高な存在だ。


(もう限界よ。どこまで人を貶めれば気が済むの……!)


「あの、私もう――」

「あ、ほら! ヒルダ様、あそこにジーク様がいらっしゃいますよ」

「え?」


 もうここにはいられない、と口に出しかけた私はジャイナの言葉に遮られた。ジャイナが指さした方を見ると、数人の農民が動こうとしない牛を懸命に押したり引いたりしている。だがそこにジークの姿はない。


「どこ? 見つけられないのだけど……」

「いらっしゃいますよ。ほら、牛のお尻の方に……」


 だが何度見ても牛の周りには頭に二人、お尻の方に一人。でも全員農民だ。


(いないわよ? というか、国王がここに居るはずないでしょう? 私をからかっているのかしら……)


 ジャイナの意地悪さにもそろそろ限界が来そうだった、その時だ。


「あっ……」


 私は思わず声を上げてしまった。

 ジャイナが示した農民の顔に、眼帯がちらりと見えたのだ。よく見れば灰青の長い髪や長い手足は、昨日会ったジークその人のものだ。


 ジークは必死に牛を押していた。なかなか動かない牛に手間取っているようだ。だが不意に牛が足を動かしたことで、力の行き場を失ったジークの体がよろめく。


(あぶないっ!)


 あわや転倒か――と思ったものの、なんとか態勢を保ったジークは転ばずに済んだ。


「よかった……」


 照れ隠しなのか、ジークは他の農民たちと顔を見合わせ笑っていた。屈託ない笑顔は、年齢よりも幼く見える。

 だけど一番重要なところはそんなことじゃない。


「……国王ともあろうお方がどうして農民と一緒にいらっしゃるの?」

お読みいただきありがとうございます。次話以降も少しずつ更新していく予定です!

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