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3.野蛮なもてなし

 だが次の瞬間、ジークは私が睨みつけているにも関わらず、ふっと表情を緩めた。


「心配してくれるのか。ありがとう」

「へっ?」

「痛みもないし、だいぶ傷は回復しているから問題ない」

「は、はぁ……」

「やさしいのだな、君は」


 どうやらジークは私が睨んでいるのを気の毒がっていると勘違いしたらしい。思いもよらぬ反応に、こちらが驚いてしまう。


(何この人。私の不信感に気づいていないどころか、好意的に捉えている?)


 とんだ勘違いだ。

 だが思わず拍子抜けしてしまった私の不意を突く形で、ジークはある言葉を口にした。


「それよりも君の事だ。今回は停戦のため、君を物のように扱うことになってしまって本当に申し訳ないと思っている」

「え?」

「できるだけ君がこの国で幸せに暮らせるようにしたいと思っているんだ」


 申し訳ない? 私が幸せに暮らせるように?

 すっかり気の抜けていた私は、はじめジークの言葉の意味が理解できなかった。しかし少し間を置くと、ふつふつとこみ上げる怒りに身体が震えそうになってきた。


(何を言っているの、この人は。私が幸せに暮らせるのは、祖国ウェリンズの、愛するレスター様の隣だけよ! あなたが私の幸せを壊したくせに!)


 ずっと堪えていた思いにぐっと胸が詰まる。唇をきつく噛み、叫び出したい気持ちをどうにか抑えようとした。その時だ――。

 私の手がくいっと引かれ、バランスを崩しそうになった私は地面に足をついてしまった。


「――あっ」

「ヒルダ様。ようこそ、カラザスへ」


 私の小さな叫び声は侍女の声にかき消されてしまった。ハッと顔を見つめると、丸顔の女性はにっこり笑って口を開いた。


「さあ、お仕度を整えましょうか。ヒルダ様のお部屋にご案内いたしましょう」

「え、ええっ?」

「ああ名乗り遅れましたが、私ジャイナと申します。ヒルダ様の身の周りのお世話を担いますので、どうぞよろしくお願いします。さあ、あなたたち」


 ジャイナの声に合わせて、どこからともなく二人の侍女が現れた。二人は私の両脇にスッと立つと、私の腕を取り、ずんずん城へ進み始めた。

 

「ち、ちょっと!」

「疲れているだろう。今日はしっかり休むといい! また明日、元気な姿で会おう!」


 背中にジークの声がかけられるが、私には振り返る余裕はなかった。



 庭園を抜けた先の、レンガ造りの屋敷が予想通りカラザス城だった。

 素朴な外見と同じように、内装も芸術のげの字もないような質素な造りだった。


 城の中に入った私はなかば引きずられるようにぐいぐいと奥に連れて行かれた。二人の力は思いの外強く、私は大人しく従うしかなかった。


(何? いったい何が始まるの!?)


 意外と奥行きがあるようで、長い廊下を抜けた先はこじんまりとした部屋だった。部屋の中には籠と、目隠しなのか衝立が一つ置かれ、部屋の中にはさらに扉がある。


「さあ、ヒルダ様。お召し替えの前に、一度湯浴みをいたしましょう。どうぞ旅の疲れを取ってくださいませ」

「ゆ、湯浴みですって?」


 私はそこでようやく気付いた。見れば奥の扉の隙間から湯気が漏れ出している。

 侍女たちが私を強引に引っ張り込んだのは浴室だったのだ。


「嫌よ! 私、湯浴みなんか――」

「さあ、やりなさい」

「はいっ」


 私の抵抗空しく、ジャイナの指示に従う侍女たちの手で私はあっという間に湯浴みの準備を整えさせられてしまった。胸にぶら下げていた小瓶の入った守り袋も外され、可愛らしい小箱の中に丁寧にしまい込まれた。


「それは――!」


 その光景に血の気が引く。

 もし守り袋の小瓶に気づかれでもしたら……。


(小瓶の中身に気づかれるわけにはいかないわ。もしばれてしまったら、私たちの計画が――)


 だがジャイナは焦る私を見て、にっこり微笑むだけだった。


「ええ。こちらは大切なものでしょうから、ここにお預かりしておきますね」

「あ……お、お願いするわ」

 

 それ以上言及すれば、逆に怪しまれてしまう。私は手元に取り戻したい思いを飲み込み、着替えと共に置かれた小箱から注意をそらさないようにしようと心に決めた、はずなのだが……。


「さあヒルダ様! またお湯をかけますよ!」

「ま、待って――」

「はいっ! 目を閉じてくださいませ!」


 ザバーッ!!


「っぷは。も、もう結構よ」

「いいえ、もう一度石鹸をつけますよ」


 ワシャワシャワシャ……


「はわわわわ……」

 

 小箱に注意を向け続ける余裕などあるわけがなかった。

 お湯の張られた湯船にドボンと放り込まれた私は手際よく洗われ、流され、また洗われ……。


(何度同じことを繰り返すの! 慌ただしすぎて目が回る……)


 ジャイナが「そろそろ良いかしらね」と侍女たちに告げる頃には、私はもうヘトヘトだった。物心ついてからというもの、このように全身を洗われることがあっただろうか。


「まあ、ヒルダ様! 見違えるようですよ!」


 ジャイナは嬉しそうに声を上げたが、私にはそれに答える気力は残っていなかった。自分の姿を見る余裕もなく、私は椅子にへたり込んだ。


(こ、こんな仕打ちを受けるなんて……。下々の者と同じように洗われる私を見て喜ぶなんて、性格が悪いにもほどがあるわ。やっぱりこの国は野蛮よ!)


「さあ次はお召し替えと、お食事ですよ」

「――えっ?!」


 ジャイナが宣言した通り、私はシンプルなワンピースに着替えさせられた。私がウェリンズから着てきたドレスは影も形もなく消え去っている。

 準備されたワンピースはさらりとした生地で、手触りこそ良いものの、リボンもフリルも刺繍も何もついていない。これまで生きてきた中でこんな粗末な衣装は見たことがないほどだ。


(刺繍の一つも入っていないわ。こんなの粗末な服を着せるなんて……)


 やはりどれもこれも、私への嫌がらせなのだろう。

 着替えが済むと、目の前に湯気の立ったスープカップが準備されたのだから……。


「これは何?」

「こちらは粥入りの野菜スープでございます。長旅でお疲れのヒルダ様には優しい味のものが良いかと思いまして」

「スープ」

「ええ、スープです。栄養もしっかりとれますよ」


 私は湯気が上がるスープを前に固まった。


(まさか私に食べろと?)


 ウェリンズ貴族にとって食事は恥だ。食べ物を求めるのは、欲深い下賤な行為として嘲笑の対象になる。空腹でも我慢して平気な顔を見せるのが貴族のたしなみなのに、まさか目の前で恥をさらせと言うのだろうか。


(これも嫌がらせに決まっているわ。でも、このスープの香り……)


 ほわほわとカップの中から上がる湯気を吸い込むと、口の中にじわっと唾液が湧き出してくる。湯浴みをし、香水の効果が薄れているからだろう。くらくらするほど良い匂いに思える。


「ヒルダ様、いかがしましたか? お嫌いならお下げしましょうか?」

「ま、待って!」


 慌ててジャイナに返事をしてから、私はハッとした。


(あああぁ~なんてこと! そのまま下げてもらえばよかったのに、ヒルダの馬鹿!)


 匂いにつられ、ついジャイナを止めてしまった自分自身に腹が立つ。


(もうこうなったら……! 嫌がらせだとわかっているのですもの、堂々と戦ってやるわ!)


 私はなかば自棄になりながらカップを手に取り、勢いよく口に流し込んだ。

 

「熱っ?!」

「まあ、大丈夫ですか?」


 口に入れたスープは想像よりも熱かった。

 でも柔らかな甘みと深い香りが溶け合ったスープが、喉に落ち、じわじわとお腹を温めていく。口に残った穀物のプチプチとした食感と、煮溶ける寸前まで柔らかくなった野菜の風味が織りなす複雑な旨味は心身をほぐしていくようだった。


「は……っ!」


 気が付けばカップの中はからっぽになっていた。


(ど、どうしよう。相手が仕向けたとはいえ、私とんでもない恥を晒してしまった……)


 すっかり食べきってしまったことに、私の頭の中は真っ白になっていた。満たされた胃袋は温かいが、充実感を後悔が上回る。


「あら、お気に召したようで良かったですわ」


 だがジャイナは私の後悔など知るはずもない。相手の嫌がらせに屈してしまい、打ちひしがれている私を流れるようにベッドに導くと、ぽすんと腰掛けさせた。


「さあさあ、どうぞ横に」

「え……」


 促されるまま私の身体はベッドに横たえさせられる。ふかふかのベッドのシーツはさらりとして、どこか懐かしい香りがした。


(そうだわ! 初夜!)


 すっかり忘れていたが、私はジーク王の妻としてこの国にやって来たのだ。

 昼間会ったジークは信用こそできないものの、穏やかな紳士のように見えた。しかし婚礼もなしに「妻」として迎えるというのは、つまり()()()()()()なのだ。


「ひどいわ……。こんな扱いを受けなければならないなんて……」

「ヒルダ様、お疲れ様でした。今日はゆっくりお休みくださいませ」


 気が付けばふんわりと掛布がかけられ、ジャイナがポンポンと子どもを寝付かせるよう、規則的に胸を叩いていた。


「どうして、こんな事するの……どう、して……」


 湯浴み後の気怠さと、スープでほかほかに満たされた身体、そして気を張り続けた旅路の疲れが、私をあっという間に夢の中へ引きずり込んでいったのだった。

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