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1.停戦の条件

 大陸の中で最も国土の小さいウェリンズ王国。長い歴史と華やかな文化の国として名高い国だ。

 だがウェリンズ王国は現在、隣国カラザスと争っている。元はと言えば十五年前、カラザスがウェリンズとの国交を打ち切り、攻め入って来たことが原因だ。周辺国もカラザスとの関係が途切れるのを恐れ、味方になってくれなかった。


 だがその戦争が今、終わろうとしている。


「――カラザスの出した条件を飲めば、国交も今まで通りに戻り、領土も戦前の状態で認められるというのだ。だが……」


 ウェリンズ王太子であるレスターはそこまで言うと苦しそうに俯き、それっきり口を閉ざしてしまった。


(わかっているわ、レスター様のつらいお気持ち。だって愛し合っている私たちが、今引き裂かれようとしているのですもの。でもレスター様は国の頂点に君臨するお方。国を守らずして未来の国王とは語れないのよね……)


 私は今にもこぼれおちそうな涙をそっと拭い、覚悟を決めて口を開いた。


「そのお話、お受けいたします。私、ヒルダ・スワンはウェリンズ王国のため、カラザス王に嫁ぎます」



 カラザスの出した条件――それは、私ヒルダ・スワン侯爵令嬢を、カラザス王ジーク・ニブレットの花嫁として差し出すことだ。

 乳白色の大理石で建てられた美しいウェリンズ城の一室。私を養ってくれた祖父母の死以来、私の自室として準備されていた小さな部屋に沈んだ声が響く。


「しかし、まさかヒルダを『花嫁』に指名してくるとは……。何もできない俺を許してくれ」

「レスター様……」

「さらには婚礼も行わないなどと言ってきた。常識では考えられん。カラザスは単に俺たちを引き裂きたいだけに決まっている! 当てつけもいいところだ!」


 そう嘆き、私の目の前で悔しそうに唇を噛んだのはウェリンズ国王太子レスター。

 なぜ私たちがこれほどまでに嘆き悲しんでいるか。それは私たちは愛し合う婚約者同士だからだ。

 美しく輝くブロンドと澄んだ空を映したような青い瞳のレスター。一方私は月明かりを集めたような白金色の長い髪の毛に深い緑色の瞳。他に並ぶ者がいない似合いの二人として、生涯を共にすると誓って生きてきた。なのに……。


「亡きスワン侯爵夫妻にも何とお詫びをしていいか。お前を決して不幸にしないと誓ったのに」


 レスターは白い壁に拳を叩きつけた。彼の動きに合わせて衣服に浸み込ませた香水の匂いが立ち昇る。


(おじい様、おばあ様……。私を残して失踪した両親の代わりに育ててくれた二人に、結局何の恩返しも出来なかった)


 私の両親は私が生まれてすぐに、赤ん坊の私を父の実家である侯爵家に残して失踪してしまった。崇高なウェリンズ貴族の生き方に疑問を覚えていた父と、そんな父を誑かした母のようにはならないよう、祖父母は私を厳しく育ててくれた。


(二人のおかげでレスター様の婚約者となれたのに、憎き敵国に嫁ぐことになってしまうなんて……)


「本当にすまない、ヒルダ。父である国王陛下が病に倒れ、俺にはこの申し出を断るほどの力がなかった。恨むなら俺を恨んでくれ……」

「レスター様……! そんな、レスター様を恨むなんてできません」

「ヒルダ……」


 私の名前を呼んでくれたレスターは再び俯き、肩を震わせている。その姿に私の目にも涙が浮かんでくる。


「そもそもあの国が仕掛けてきた戦争だぞ。なのに無抵抗な我が国をこれほどまでに蹂躙し、あげくの果てにヒルダを奪おうとするなんて……。野蛮にもほどがある! そんな国にヒルダを嫁がせるなんて……」


 声を震わせるレスターの姿に耐えられず、私の目からぽとりと涙がこぼれた。


 農業大国カラザス。ちょうど戦争が始まった頃に栄えはじめ、いまやカラザスは我が国よりもはるかに豊かな国だ。

 だがウェリンズのような階級制度はなく、人々はみな土にまみれて働く野蛮な国だと聞いている。汚れるために頻繁に湯浴みをし、大口を開けて笑い、空腹になれば食事をとる――ウェリンズ貴族が恥とする文化を持つ下賤な国。


「……大丈夫です、レスター様。私の心は永遠にウェリンズに、レスター様にあります」


 こっそり涙を拭いた私は、これ以上レスターが落ち込む姿を見なくて済むよう平気な顔をしてみせた。私の言葉に、レスターが上目遣いに青い瞳を向けてくれる。


「こんな俺でも愛し続けてくれるというのか?」

「ええ、もちろんですわ」

「ヒルダ……」


 レスターがそっと私の手を取り、握りしめた。


「――レスター様っ?!」


 私はその行為に、心臓が飛び出しそうなほど驚いてしまった。ウェリンズでは異性の手を握るのは心を許し、愛を誓った者にしか行わない。初めて感じる婚約者の手の感触に、こんな場面にも関わらずどぎまぎしてしまう。

 だが――。


「……これは?」


 手を握られたのと同時に、レスターから私の手の中に小さな固いものが渡された。手を開いて見ると、そこには赤紫色の液体の入った小瓶が乗っている。

 きっと彼の目に映る私の瞳は揺れていただろう。


「お前にしか頼めない。あいつを――お前の夫となるジーク王を殺すんだ。あの男には俺たちが犠牲となった責任を取ってもらわねば」

「――っ!」

「ジーク王を殺せば、王を支える貴族のいないあの国は崩壊する。そうしたらお前は再びこの国に帰って来れるようになる」


 そう語る彼の瞳には、ゾッとするくらいの憎悪が宿っていた。

 

 彼が敵国カラザスを憎んでいるのは良く知っている。

 私を要求されたことだけではない。戦乱が続いたことでこの国の財政は厳しい。貴族としての生活を維持できない者も出てきたと聞く。王族であるレスターも、その婚約者である私ですらも、それまでのように穏やかな生活を送ることは不可能だった。


(国王陛下と王妃様がさらに不仲になった理由も、戦争のせいだったと聞いているわ。それにおじい様とおばあ様の病気も……)


 祖父母は流行り病に倒れると、あっという間に命の火が消えてしまった。私とレスターの婚約が決まり、喜びに湧いていた時期だっただけに、その悲しみも深かった。


(薬も国交が断たれているカラザスに頼るしかなかった。二人は一方的に国交を打ち切ったカラザスに殺されたようなものだわ)


 私は小瓶をグッと握り締めた。


(全てカラザスの横暴が原因。カラザスに復讐するためには、私が得たこの機会を逃すわけにはいかない。レスター様も私に期待してくださっている)


 私はスワン侯爵家の者である証の緑色の瞳で、まっすぐレスターを見つめて告げた。


「……お約束します。必ず、ジーク王の命を奪い、レスター様の悲しみに報いてみせます。そして一刻も早くレスター様のお側に戻ってまいります」

「ヒルダ……。頼んだぞ」


 こうして私は愛する婚約者の力強い言葉に背を押され、生まれ育ったウェリンズの地を離れたのだった。



 馬車に乗り二日。

 本来ならばたくさんの使用人や嫁入り道具を持っていくはずが、隣国に渡るのは馬車一台に収まる荷物と私だけ。それは隣国からの指示と聞かされている。

 王太子の婚約者であった私にはあまりにも質素な輿入れで、私は隠れるように旅立つこととなった。

 ちょうど二国の国境で私の乗った馬車はカラザスに引き渡された。現段階で国境を越えることができるのは私一人だけ。ウェリンズの使用人たちはここで引き返し、カラザスの者が馬車につくことになっている。


 窓のない馬車からは外の様子はわからない。

 ボソボソと馬車の外で話し声が聞こえたと思ったら、すぐに扉が叩かれた。次いで聞こえてきたのは若い青年の声だ。


「失礼いたします。ヒルダ様の護衛を担当いたしますルインと申します。少し進みましたら宿場がございますので、今夜はそこで過ごします。侍女も連れてきておりますのでご安心ください」

「……宿場? なぜ?」

「なぜ、と言われましても。食事や湯浴みが必要ですし――」


 扉越しに聞こえるルインの声には、わずかに呆れたような色が感じられる。それに気づいた瞬間、カッと血が上る。

 

(人前で食事をとるなんてみっともないことしたくないわ。それに湯浴みなんて下々の文化じゃない……! 私たちには香水があるから関係ないのに。ハッ……もしかして、私を馬鹿にしているのね! 敵国から嫁いだ娘だから、わざと下等な扱いをしようとしているんだわ。なんて意地の悪い……)


 さすがは野蛮と称されるカラザスの人間だ。早速私を辱めようとしているらしい。


(私はウェリンズの次期王妃となる人間だったのよ。こんな辱めに屈するような弱い人間じゃないわ)


 激しく言い返したくなる気持ちを堪え、私はあえて淡々と返事をした。


「私には必要ありません。食事も持ち込んだものがあります。どうぞ必要な方々のみ宿場でお過ごしください」

「え……?」


 怪訝そうな声が聞こえる。どうやらルインは私が傷ついていないことに戸惑っているようだ。言葉に詰まった彼は、すぐに誰かと相談しているようだったが、やがて「かしこまりました」という返事が聞こえるとゆっくりと馬車が動き始めた。


 どうやら話は固まったらしい。きっと私の要求通りに宿場で降りることなく進むことになったのだろう。


(ひとまずは乗り切ったわね。でもこれからどんどん嫌がらせは加速するはず)


 私の立場は『敵国から嫁いでくる花嫁』なのだ。停戦の条件として望まれたのだから、まさか殺されはしないだろうが、諸手を挙げて迎えられないことはわかっている。

 

(大丈夫。私の心の中には愛するレスター様がいらっしゃるもの……)


 私はレスターに渡された小瓶を胸元の守り袋の上から撫でた。これを使い、私はレスターの元に帰るのだ。


「見ていなさい、ジーク・ニブレット。すぐに地獄に突き落としてやるわ」


 花嫁が激しい憎しみを胸に抱いているとは知らず、馬車は夫となる人物の元へ私を運んでいった。

 だがこの時の私はまだ知らなかった。私の知る世界がとても狭く、浅いものだったことを――。

頭の固いヒルダの成長に、しばしお付き合いいただけますと嬉しいです。

※2023.11.26改稿しました。

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