脱走
前回のあらすじ~
脱走は3日後の新月に。
身請けはその翌日から数えて3日後に。
人気の娼妓が身請けされるとなれば、馴染みの客に挨拶をするのは慣例となっている。
期せずして別れの手紙を馴染みの客達に書くことになったアオイ。一応内容は身請けが決まったことを簡潔に伝える物だが、内心はその前に姿を消すつもりでいる。
(あたしがいなくなったら…、満華楼は…)
もしかしたらテッドリーが怒り狂って満華楼を襲いに来るかもしれない。そう考えると胸が痛む。しかしアオイにはルーデンを諦めることなどできない。
(ごめんなさい、女将さん…)
手紙を書きながら、アオイは何度も女将さんや仲間の娼妓達に謝った。
身の回りの整理をしていても怪しまれないのは助かるが、さすがに食料などは見つかったらまずい。聖教国の一番近い街でも歩きでは1日はかかってしまうため、多少だが食料や水なども必要になってくる。
こそこそとアオイは動き回る。その姿は周りからは落ち込んでいるようにも見え、上手い具合にカモフラージュになっていた。
そして新月の夜がやって来る。
お店としては稼ぎ時の時間。店の中はお客や娼妓達の声で騒がしい。しかしアオイの部屋はしんとしていた。
もう客を取る必要もない為、アオイが店に出ることはない。そして最後の夜だと言うこともあり、皆そっとしておいてくれているようだ。
「準備はいい? アオイさん」
「いいわ」
必要最低限の荷物を持ち、窓の前に立つサーガに近寄る。
「一応これ、被って」
黒いフード付きのマントをサーガがアオイに被せた。サーガも羽織っている。目眩まし用だろう。素直にアオイもマントを被った。
アオイの部屋は見晴らしが良い。もちろん客の為であるが、それはつまり向こうからもよく見えると言うことだ。
サーガが窓を開ける。外の喧噪が聞こえて来る。
「声を立てないで。怖かったら眼を瞑ってて。さっと行くから」
「分かったけど…、どさくさに紛れて変な所触ったりしないでよ」
「あくまで事故です」
「触る気かい!」
ショートコントを終わらせ、サーガがアオイを姫抱っこする。
「アオイさん軽いな…。脂肪か…?」
「どこ見て言ってんのよ」
サーガの視線はしっかりアオイの胸元を見ていた。いや、アオイもそれなりにあるのだが、サーガが知っている誰かの胸と比べるとお粗末な気がする。
「? 誰だっけ?」
「見てないでさっさと行け!」
アオイのチョップがサーガの額にめり込む。
一瞬強い風が吹いた。
アオイがそう思った次の瞬間には、アオイ達は満華楼の屋根の上にいた。
「このまま屋根伝いに走って行くぜ」
そう言ってサーガがアオイを抱っこしたまま身軽に走り出す。
「ちょ、ちょ?」
隣の屋根まで少し距離が…と思っても、サーガがぴょいと飛べばそれはすぐ側まで来る。まるでアオイなどいないかのように身軽に飛んだり跳ねたり走ったり。
(あの話し…本当だったんだ)
サーガの話した冒険譚。冗談半分で聞いていたのだが、この身体能力を見ると本当なのだと実感できてしまう。
普通に生活をしていれば見ることのない屋根の群れ。その景色がどんどん後ろへと流れて行くのを見ていると、なんだかちょっとドキドキしてしまう。いつもと違う視点の街は、何故かとても綺麗に見えた。
と、突然サーガが屋根の上から地面へと飛び降りる。人気のない路地は薄暗い。
「そろそろ風の祠の所だよ」
「あ、ありがとう…」
名残惜しそうに太腿を触っていたのは気のせいではないような気がする。お尻に手を出さなかっただけでも褒める所だろうか?
出来るだけ人目を避け、祠の裏手に回る。
「ルーデン!」
「アオイ!」
ルーデンはすでに来て待っていた。
「この人は?」
フードを被ったサーガを見て、ルーデンが眉を顰める。
「空を飛べる人よ。この人が壁を越えさせてくれるって」
若干訝しそうな顔をするも、ルーデンは笑顔を見せる。
「え~と、よろしくお願いします」
「はいよ。お兄さんもこれ被りな」
ルーデンにもマントを放り投げ、羽織るよう促す。
「さすがにここから飛んだら目立っちまうから、壁際までは移動して貰うぞ」
「分かったわ」
サーガを先頭に3人は移動する。人気の少ない道を調べていたのか、薄暗い道をサーガは選んで小走りに進んでいく。日頃あまり運動などしないアオイはすぐに息が切れてきてしまった。
「アオイさん、もうちょっとだから。頑張れ」
「う、うん」
先頭を行くサーガはまったく息が乱れていない。後ろを付いてくるルーデンも少し息が上がっているのに。
壁までやって来ると、アオイは息が切れて膝に手を付いていた。
「あまり時間掛けるのも危ないから急いだけど、きつかった?」
「き…つ、かった…」
ルーデンも壁にもたれかかり、息を整えている。なのにサーガは平然とした顔。
(さすがは冒険者?)
冒険者だからというわけでもないけれど。
「さて、ここら辺はあまり光も届かないからさほど人目に触れないとは思うけど、念の為超特急で行くから。決して悲鳴は上げないように」
「? 分かったわ」
「分かったよ」
何故悲鳴を? と2人は首を傾げるが、すぐにその理由を知ることとなる。
「男と手を繋ぎたくはないけど仕方ない。さ、2人共、俺の手を掴んで」
言われたとおりにアオイが右手、ルーデンが左手を掴む。
「行くよ」
次の瞬間、景色が上から下へと流れて行った。
「…!」
一瞬かかった重力に下腹がずんとなる。思わず漏れそうになった悲鳴を、慌てて手で塞いで飲み込む。
あっという間に壁を乗り越え、次の瞬間には落下の衝撃で悲鳴がやはり漏れそうになった。
そしてあっという間に地面が目の前に迫り、気付くとフワリと地面に降り立っていた。
地面に足の裏が着いた瞬間、アオイとルーデンはがくりと膝から崩れ落ちた。
「あ、やっぱ初めてにはきつかったかな?」
フリーフォ-ルも真っ青の上下運動でした。
「と、飛べるとは聞いたけど…。こ、こんなに早くなんて…聞いてない!」
「言ってないし」
確かに言っていない。聞かれてもいない。
「と、飛んだと思った次の瞬間にはここにいたんだけど…」
ルーデンも足に力が入らないのか、立てないでいる。
「まあここは人目はないし、来るのは魔物くらいだし。少しくらいゆっくりしてても大丈夫じゃない?」
「まったく大丈夫じゃないでしょうが!」
アオイがしっかりツッコみを入れ、2人はなんとかよろめきながらも立ち上がった。
「んじゃ、俺はここまでだね。元気でね、アオイさん」
「あ、ありがとう…サーガ。じゃあね…」
突然の上下運動のショックも冷めやらぬうちに、2人はよろめきながらも東へ向かって足を出す。
街から離れるまで街道を歩くわけにも行かないので、魔物除けの香を焚きつつ森の中を進む。
「まさか本当に壁を越えられるとは思わなかったよ。本当に飛べる人がいたんだね」
「そうね。一瞬のことだったから、飛んだかどうだかよく分からなかったけど」
2人は笑い合った。
「聖教国はいろいろ戒律がうるさいとも聞くし、少し余裕が出来たら帝国か、連合諸国の方へ向かってみても良いと思うんだ」
今いるアルトリア王国の北にはドルトン帝国がある。王国と帝国の間には高い山脈が聳えているので、隣国だというのに交流がほとんどない。帝国に行くには東の聖教国か西の獣王国の方から回っていかないと行けないのである。
「その…ルーデン、その事なんだけど…」
アオイが少し気まずそうに言葉を紡ぐ。
「実は、その、お金がもうあまりないの」
「ええ?! なんで? 100万はあるって言ってたじゃないか?!」
懐事情を伝えていたようだ。
「そうなんだけど、その、壁を越えるのにあの人に手伝って貰ったでしょ? それでお金を払って…」
「なんてバカな事を! だったら他に方法を探すべきだった! あれだけのことに100万も払うなんてバカじゃないのか?!」
「そんな…」
ルーデンが声を荒げ、アオイを責め立てる。まさかこんなに怒るとは思わず、アオイは何も言えなくなる。
「あ~あ、100万もあればしばらくは楽に生活出来ると思ってたのに…。とんだハズレくじだな」
「ルーデン…?」
「やっぱり街を出るべきじゃなかったかなぁ? あ、もちろんだけど、アオイがその100万分稼いでくれるんだよね?」
「え? いや、でも…」
普通に仕事するにしても、100万など簡単に貯まる金額ではない。この先体を売って稼ぐにしても、すでに満華楼の看板のないただのアオイが稼げる金額などたかがしれている。フリーで体を売るのは稼げる分、危険やヤリ逃げなどの被害も増える。どこかに所属するにしてもその分あがりを取られるので稼ぎは少なくなってしまう。これまでに他の仕事に就いたことがないアオイが他の仕事を探せるとも思えなかった。
「る、ルーデンも一緒に働いてくれるでしょう? 2人で小さなお店を持とうって言ってたじゃない」
「100万があれば出来たかもね。まずお金がなくちゃ何もできないでしょう?」
「そうだけど…」
「ああ! そうか! 良い方法を考えたよ!」
「え? 何?」
「アオイを聖教国で一番の娼館に売ればいいんだ! それを元手に店を開けばいいんだ」
「え、待って…。あたしは…? 売られたら、そのお店にいられないわよね?」
「大丈夫大丈夫。借金を返し終われば帰って来られるんでしょ? その間僕が店を守るから」
「・・・・・・」
それは2人の店と言えるのだろうか。それに借金を返すのにまたどれだけ苦労しなければならないのか。借金を返し終わる頃にはアオイは幾つになっているのだろう。
それに何故、恋人を娼館に売るなどと軽々しく言えるのか。
アオイはなんだか目の前が暗くなり、足元がふらついた。
「おっと、大丈夫? まだ飛んだショックが残ってる?」
いつもの優しい声音。しかしいつものように心が温かくならない。
「大丈夫…」
肩を抱いてくれた手がなんだかとても冷たく感じる。何か自分がとんでもない間違いを犯したような気がしてきた。
『そんな奴やめときなさいって! あんたのこと金づるとしか思ってないわよ!』
一番仲の良かったミドリという娼妓にこっそりルーデンの話しをした時、そう言われた。
何も分かってないくせに! と言い返したが、今さらになってその言葉が心に染みこむ。
『金づる』
思い返してみれば出会う度に小遣いを要求されていた。三男坊なので自由に使えるお金がないからと言われていたが、もしまともな男なら、サーガのような男なら自分で自分の分くらい稼いでいたはずだ。借金を背負った娼婦にたかるなど、まともではなかったのだ。
今さら気付いてももう遅い。木々の間に街の影は消え、もうアオイには前に進む道しか残っていない。
(それに戻った所で…)
テッドリーの元へ連れて行かれる。
行くも地獄、帰るも地獄。帰れるわけではないが、今さらだが皆に謝りたかった。
勝手に逃げてごめんなさい。テッドリーに酷い目にあわされたらごめんなさい。迷惑をかけてごめんなさい女将さん。忠告してくれたのに聞き入れなくてごめんミドリ…。
踏みしめる地面が現実味を失い、夢の中のようなふわふわした感じになる。肩を抱いて寄り添うように歩いているというよりは、無理矢理歩かされている気分になってくる。
(結局あたしは、娼婦から逃げられないんだ…)
ただ場所が変わるだけ。お客に媚びて股を開いて小遣いをせびる。ずっとその繰り返し。
ルーデンが何か話しているが、もうその言葉はアオイには響いてこない。ボンヤリと促されるままにアオイは足を動かしていた。
「アオイさ~ん」
ここ数日で聞き慣れたその声が聞こえるまでは。
お読みいただきありがとうございます。
まだ放出中。




