2-1 胸の奥のくすぐったさ
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空は黄昏時の酔い顔を冷まして、夜の薄衣をまとい始めていた。
東から段々と暗くなっている天では、星が明かりを灯し始めている。
月が厚い雲に隠れているからか、星の煌めきが際だって見えた。
アーリアは星明かりの下、レモン畑を走っていた。
工場で作ったレモン酒を背負って、店へ向かっているところだった。
アウラート酒造のレモン酒は売れに売れて、店舗に在庫がなくなったのである。
(急がないと、天姫の行列が始まってしまうわ)
歩を進ませるたびにリュックの中の瓶が鳴る。
その透き通った音にリリンリリンという激しいベルの音が重なってきた。
祭りで人々が鳴らすベルの音だった。
いつの間にか七時の時鐘が鳴り、行列が動き出したのかもしれない。
(大丈夫――きっと、まだ間に合う)
天姫の行列は、しずしずとゆったり進む。
夜明け前までにチェレスタ山の頂上に到着すればいいからだ。
朝明けの時、天姫は山の頂上で精霊に豊作と豊漁の祈りを捧げる。
例年通りならば、祈りの時が見られるのだが……今年はなぜか観覧が禁止されてしまった。
頂上付近は厳戒態勢をとられていて、一部の選ばれた神官しか登れないという。
民で構成された仮面の行列も頂上の手前で止まり、天姫だけが上を目指すそうだ。
住宅街の広い道に出ると、アーリアは足を速めた。
祭りの会場に人が行ってしまったからか、道は混雑していない。
薄闇を駆け抜け、毛細血管のような細かい路地にはいると人気は全くなくなってしまった。
(イルマのことが心配だわ。少しでも早く行かないと)
彼女に守ってもらった記憶があるから、今度は自分が守りたい。
イルマが他人に対して無関心なのは、傷つきたくないからだ。
イルマの両親はレモン酒に心を捧げてしまった人たちで、物心つくまえから彼女は愛情に飢えていた。
イルマを育てたのは、亡くなってしまったアーリアの母だと言っても過言ではない。
母が亡くなった今は、自分が彼女を守ってやらなければと思う。
天姫になったことは、きっとイルマの重みになっているはずなのだから。
そういった重みを感じると彼女はお腹が空いてしまうのだ。
誰かが彼女にご飯をあげないと、ヘナヘナと床に崩れ落ちてしまうだろう。
仮面の行列を指揮する総代に、イルマのご飯のことを一生懸命話したが……まだアーリアは不安なのだった……。
(こんなんじゃ、レオンに、心配しすぎだバカって言われちゃうよね)
彼はいつも冷静にアーリアを諫める。
アーリアが感情的になって怒る時も、耐えきれなくなって泣いてしまう時も、彼は常に落ち着いた言動をする。
アーリアはリュックの紐をぎゅっと握って、レオンの顔を思い浮かべた。
どうしてあんなにバッサバッサと判断を下していけるんだろう。
少しはこっちの気持ちを考えて言ってくれればいいのに……。
「別に闇雲に同意して欲しいわけじゃないけど……少しは優しくしてくれたって」
そこまで言ってから「違うな」とアーリアは思いつく。
悲しくてどうしようもない時は、レオンが側にいてくれる。
アーリアが泣いている時は、彼は本当に優しいと思う。
だけど、誰にも見られたくないから、こっそりと泣いているつもりなのに、どうしてレオンは察するのだろう。
(まるで心が繋がっているみたいに)
そこまで思い、彼女は足を止めた。
胸のあたりがむずむずする。
恥ずかしいというか、くすぐったいというか、そんな感情がふくれあがるのを感じた。
「でも……でも、普段のレオンは意地悪だもの」
アーリアが落ち込んでいない時は、痛いくらい鋭い意見を言ってきて、言葉の最後にブスッ子だのバカだのとつく。
「そりゃ、わたしはバカだしブスだけど……ブスだけど。認めるけど、言われたくないわ……」
小声で言って、こじんまりとした食堂の前を照らすランプの下で立ち止まった。




