007 子供たちとの家族会議
チュンチュンと鳴く小鳥の声が聞こえる。うっすらと目を開けると、カーテンから日の光が零れている。
いつもと同じ朝を感じ、体を起こして背伸びをする。
昨夜は、遅くまで昔の事に思いを馳せていた。
後ろを振り返ったら、今後の事を考えたらきっと躊躇してしまう。だから、余計な事は考えないと決めた。
これからは、本当に自分の為だけに生きて行きたい。セレスティーヌは、そう決めた。
だから今日から、自分の人生の新たな扉を開けるんだと無理やりにでも気分を高めた。
ベッドから起き上がり、顔を洗っていると侍女のカミラが部屋に入って来た。
「奥様、おはようございます。今朝は、朝ご飯はいかがなさいますか?」
タオルで、顔を拭いながらカミラを見ると心配そうな顔をしている。
「おはよう、カミラ。食堂で出来れば子供達と摂りたいのだけど……。みんなの様子はどうかしら?」
セレスティーヌが、普段と変わらぬ様子で話すので幾分か、カミラもホッとしたようだ。
「皆様、今日は食堂で食べると仰ってます」
カミラの返事を聞いて、セレスティーヌはまあそうだろうなと思う。昨日の今日で、みんな心配しているだろうと反省する。
特に、末っ子のフェリシアはもしかしたら不安で眠れなかったかもしれない。
早く顔を見せた方が良いと判断して、セレスティーヌは急いで朝の準備をした。
セレスティーヌが食堂に行くと、すでに子供達四人が席に着いていた。急いで来たつもりが最後だった為、気まずさが漂う。
「おはよう。アクセル、レーヴィー、セシーリア、フェリシア。遅くなってしまってごめんね」
セレスティーヌは、申し訳さなそうに席に着く。
「「おはようございます。母上」」
「「おはようございます。お母様」」
子供達が、そろって挨拶を交わしてくれる。
四人の顔を窺うと、さまざまだった。アクセルは、労わる様な笑顔を浮かべている。レーヴィーは、いつも通りを装っている。セシーリアは、淑女の笑顔を浮かべている。フェリシアは、やはりどこか元気がない。
「では、取り敢えず朝食を頂きましょう。食べた後、少し昨日の事を話したいわ。アクセルとレーヴィーは、時間大丈夫かしら?」
「少し遅れるかもしれないと、仕事場に連絡したので大丈夫です」
アクセルが、笑顔で答える。
「私も、今日は出掛ける用事は無いので大丈夫です」
レーヴィーが、淡々と答える。
「良かったわ。では、頂きましょう」
セレスティーヌが、食事の挨拶をするとみんなもそれに倣い食事を始めた。
無言の食事が終わり、皆に食後のお茶を用意して貰う。全員に行き渡った所で、セレスティーヌが口を開いた。
「昨日は、みんなを驚かせてしまってごめんなさいね……。私も、知らなかった事だったから……」
「母上が謝る事ではありません」
アクセルが、優しい言葉を掛けてくれる。
セレスティーヌは、一つ小さく深呼吸する。自分が心に決めた事を口にするのは、少しの勇気がいった。
「ありがとう、アクセル。それでね……、私、離縁してこの家を出て行こうと思うの」
ガチャンと音がした。音のした方を見ると、フェリシアが驚いて紅茶のカップを倒していた。
「お母様……そんな……、私は嫌です」
フェリシアの瞳に、涙が溜まり今にも零れそうだ。隣に座っていた、姉のセシーリアがハンカチを差し出している。
「フェリシアの気持ちもわかるけれど、母上の話を最後まで聞こう」
アクセルが、フェリシアに優しく声を掛ける。フェリシアも、涙をハンカチで拭いながら頷いてくれた。
セレスティーヌは、胸が痛くなりながらも自分の気持ちを語り出した。
丁度二十年前に、この家に嫁いできた所から話し始めた。
形式上は、旦那様の妻として結婚したが、自分の感覚では婚姻と言うよりもブランシェット家に就職をしたと思った方が近かった。
可愛い子供達に恵まれて、自分が思っている以上に幸せだった。
旦那様の事は、肩書は夫だが夫婦には程遠く家族ともまた違う。仕事場の困った同僚くらいかしら? と表現する。
自分でも改めて、夫エディーについて考えた。考えた結果、びっくりするくらい本当にどうとも思っていなかった。
嫌いではない。自分が今の恵まれた暮らしが出来たのは、間違いなくエディーと結婚したからだ。
だからと言って、好きかと言われたら好きではない。本当に仕事場の同僚と同じ感覚だった。
今回、離縁を決めた理由は、また育児が始まる事で、やっと手に入れた心の余裕がなくなってしまう事が一番だと説明する。
本当は、一度は旦那様と向き合って見たかった。
来年からブランシェット公爵家は、レーヴィーと言う後継にバトンを渡しセレスティーヌが手を出さなくてもブランシェット家が回っていける形になる。
そしたら、夫と向き合える時間が出来ると思っていたのだ。それが、また子供の誕生と来た。
20年前の繰り返しを、今からなんて考えられなかった。
二十年前に貰ったブランシェット家の恩は、もう返し終えたと自分では思っている。
そろそろブランシェット家に縛られる事のない、自分の生活をしてみたかった。
エディーの事も、折角結婚したのだから歩み寄る努力はしたいと思っていた。結婚してから二十年経つが、エディーがどんな人間なのかいまいち掴み取れていなかった。
解っているのは、仕事が出来なくて女性に依存している事。母親の言いつけだけは、絶対に守る。それくらいだ。
公爵家に育ちながら、なぜ仕事が出来ないのか、そこまで女性に依存するようになってしまったのか理由がわからなかった。
今までは、疑問には思っていたが自分から積極的に関わろうとする時間がなかったし自分に余裕がなかった。
だからもう、その機会もなくなるのならブランシェット家を出て自分だけの時間を楽しみたかった。
本来なら、来年レーヴィーの爵位の引継ぎでお披露目なり変更手続きなり色々とある。その準備だってしなきゃいけない。
アクセルとレーヴィーは結婚しているが、セシーリアとフェリシアはまだ学園も卒業していない。母親の手が必要なイベントは、まだまだ控えているのが現実だった。
でも、今出て行かなかったらまた次の子が成人近くなるまでこの家に縛られる。
公爵家の夫人として何の違和感もなく暮らしていられたらずっとこのままで良かっただろう。でも、セレスティーヌはずっと違和感を持ったまま生活していた。
公爵夫人として、何重にも猫を被って生きて来たのだ。
お茶会に参加しても、トップの位置で皆から敬われる。夜会に参加すれば、息子のエスコートばかりで夫婦で出席した事などなく嘲笑われる。
誰もが、ブランシェット公爵家の実情を知っているので、可哀想な眼差しで見られる。
そんな全ての柵から抜けて、ただのセレスティーヌ・フォスターに戻りたかった。
これは私の我儘だから、子供達が反対するなら我慢する。でも、子供達が許してくれるなら、誰がなんと言おうと私は出て行く事を実行しようと思う。
こんなお母さんでごめんなさい。セレスティーヌは、最後に深く頭を下げた。
沈黙が部屋を支配した。最初に口を開いたのは、意外にもレーヴィーだった。
「私は、母上の好きにしたらいいと思う。離縁したって、母上が母上な事は変わりがないから。帰って来て貰いたい時は、呼び寄せるからその時は帰って来て下さい。私の権限でブランシェット家の誰にも文句は言わせません」
レーヴィーが、キリリとした目できっぱりとセレスティーヌに言う。
帰って来ても良いという言葉が嬉しくて、セレスティーヌは涙ぐんでしまう。離縁したら、この家とは赤の他人で子供達とも何の関係もなくなってしまう、それだけが本当に心残りだったから。
「本当に? いいの? レーヴィー、ありがとう。私にとっても、これから先ずっとレーヴィーは大切な息子よ」
セレスティーヌは、涙を指先で拭いながらレーヴィーに笑顔を向けた。レーヴィーは顔を背ける。耳が赤くなっていた。
「私だって、お母様はお母様だけです。お兄様達はずるいです。私なんてまだ、十四歳なのにお母様といられる時間が一番少ないじゃないですか!」
フェリシアは、グスグスとまた泣き出してしまった。
セレスティーヌは、席を立ってフェリシアの元に行く。膝を突いてフェリシアの手を握り下から顔を窺った。
「本当にごめんなさいね……。フェリシアだってずっとずっと私の大切な娘よ。社交界デビューの時も結婚する時も、必要だったら必ず駆けつけるわ。でもね、フェリシアには、素敵なお兄様とお姉様が四人もいるから、きっと大丈夫」
セレスティーヌは、ギュっと強く手を握った。
「本当よ? 私が呼んだら、すぐに来て」
セレスティーヌは、立ち上がってフェリシアを抱きしめる。
「ええ。必ず。約束よ」
隣に座る、セシーリアを見ると面白くなさそうに紅茶のカップを持ってお茶を揺らしていた。
セレスティーヌは、セシーリアの元に行きフェリシアと同じ様に膝を突いて顔を下から窺った。
「怒っているの? セシーリア」
セシーリアは、セレスティーヌと目を合わせようとしない。
「別に怒ってなんていないわ。私は、大丈夫だもの」
セシーリアは、気が強く弱さを表に出す事があまりない。妹の手前、きっと我慢しているのだろうと窺える。
「セシーリア。貴方は、私の自慢の娘だもの心配はしてないわ。でも、貴方の節目の時は、必ず会いに来る。嫌だって言っても会いに来るわ」
セシーリアが、セレスティーヌと目を合わせる。
「私は、別に大丈夫だけど……。お母様が、どうしてもって言うなら会いに来てもいいわよ」
プイっと顔を背けつつも、言われた事が嬉しいのか頬がちょっと赤い。
セレスティーヌは、立ち上がってアクセルの方を見る。アクセルは、いつもの様に優しい笑顔を向けてくれた。
「もちろん、僕も反対なんかしないよ。母上は、母上の幸せを見つけてもいいと思う」
セレスティーヌは、思う。今だって充分幸せなんだと。ただ、自分の我儘なだけなんだと。
「アクセル、私は今だってあなた達の母親になれて幸せなの。ただちょっと、欲が出てしまったの。あなた達が立派に育ってくれたから、私も自分の人生を見つけてみたくなったの」
「うん。いいと思う。ただ、母上はずっと僕らの母上だって事だけ忘れないで」
「もちろんよ」
セレスティーヌは、子供達全員の顔を見て返事をした。
 






