006 始まった結婚生活
セレスティーヌは、仰向けにベッドに寝転がりながら、昔の事を思い出していたらさっきまでの怒りや悲しみがどこかに行ってしまった。
考えたら、あのスタートからよく二十年もの長い時を、ブランシェット公爵家の嫁として過ごしてきたなと感慨が湧く。
きっと離婚せずにやってこられたのは、あの初夜の夜から一度も夫であるエディーと、関係が交差する事がなかったからだと思う。
あれから、セレスティーヌは五人の子供の母親になった。息子が三人と娘が二人。どの子も、セレスティーヌとは血が繋がっていない。五人とも全員、愛人の子供だ。
でも、この二十年間、自分の出来る精一杯で育てて来た。セレスティーヌは、胸を張って私の子供達ですと言える。
五人とも、可愛くて愛おしい。きっといつでも離縁は出来たけれど、この子達を置いて出て行く気になれなかった。
でも、嫁いで来て二十年。もういいかなと思う。
一番上の長男アクセルは、二十歳。王宮で文官として働いている。
次男レーヴィーは、十九歳。来年ブランシェット公爵家の爵位を継ぐ事になっている。三男ミカエルは、十七歳。十歳の頃に騎士を志し、全寮制の騎士学校に入ってしまい、それからずっと家に帰って来ていない。
長女セシーリアは、十六歳。社交界デビューをしたばかりだ。母親譲りの美貌の持ち主で、今年の社交界で鮮烈なデビューを果たした。
男性の視線を、独り占めしたと言っても過言ではない。
次女フェリシアは、十四歳。兄妹の中で一番大人しく影が薄い。良い意味で平凡だが、芯がしっかりした可愛い娘だ。
次男と長女だけ母親が同じだが、あとの三人は全員母親が違う。
エディーは、別宅の屋敷に常時三人の愛人を囲っていた。多いときで五人。
セレスティーヌは、一番始めに出した条件を、よく思いついたと自分でも何度褒め称えたかわからない。
あの条件がなかったら、いったい何人の子供達を、育てる事になったのか考えただけで恐ろしい。
今、セレスティーヌは三十六歳。やっと、子供達が手を離れて順番に成人を迎えている。
来年には、レーヴィーが爵位を継ぐ。ブランシェット公爵家として二代振りにまともな当主となり、親族だけでなく王族も喜んでいる。
本当にやっと、セレスティーヌは自分の時間が出来て自分の役目を終えようとしていた所だった。
それが、六人目の子供? は? 本当に意味がわからない。
今から赤ちゃんを育てる気力なんてないし、体力と忍耐力を要する子育てなんて、もう記憶の中の思い出だけで充分だ。
五人も六人も変わらないと言うのなら、一人ぐらい自分の手で育ててみればいいとセレスティーヌは叫びたかった。
セレスティーヌの子育ては、正に戦場だった。十六歳と言う若さがあったから、乗り越えられたと今では思う。
当時を思い出すと、なんでそこまで出来たのか不思議なくらいだ。
初夜の次の日から、夫に構っている時間なんてこれっぽっちも無かった。
学園は、退学になるかと思ったが籍だけ残して休学扱いになった。テストの時だけ学校に行き、上位の成績を修めれば進級ができ卒業できる事になった。
学園で学べないのはショックだったが、その代わり各分野における最高の家庭教師を揃えてくれて、学園にいる時よりも知識の幅が広がり毎日が充実していた。
公爵家の力とは、凄いものだとこの時に実感した。
子供が生まれるまでの半年間は、ひたすら勉強をしていた。
学園の勉強もだが、その他にもブランシェット公爵家についての領地や親族や貴族間での立ち位置。そして、公爵夫人としての淑女のマナーや女主人としての仕事内容。
次から次に覚える事を与えられ、普通の令嬢なら音を上げていたと思う。
新しい事を知る事が好き、知識を得るのが好きなセレスティーヌだったからこそ、あの壮絶な二年間を耐えられたのだと思う。
学園を卒業するまでの二年間は、学業と子育てに忙殺された毎日だった。
半年経って、セレスティーヌにとっては第一子となる息子が無事に生まれた。
名前は、アクセル・ブランシェットと名付けられる。
セレスティーヌが赤ちゃんを初めて抱いたのは、生まれてから一カ月ほど経った頃。セレスティーヌが別邸に赴き、産みの親から託された。
初めて目にした夫の愛人である女性は、セレスティーヌよりも2つ年上で十八歳。年よりも幼く見え、母親になったとは思えない程頼りない表情をしていた。
セレスティーヌは、一言よろしくお願いしますと言われ赤ちゃんを手渡された。
子供と離れるのが寂しいと言うよりは、どこかホッとしたようなそんな表情に思えた。
その時に、夫の女性のタイプを理解する。セレスティーヌとは正反対の、男性に依存して生きるようなそんな女性なのだろうと。
アクセルは、母親の穏やかで落ち着いた色合いの茶色の髪で、父親の琥珀色の瞳を受継いだ、顔立ちの整ったとても可愛い赤ちゃんだった。
その頃のセレスティーヌは、一日のスケジュールが公爵夫人としての教育でギッシリ埋まっていた。
そんな毎日だったけど、できる限りアクセルを自分の手で育てたいと思った。
乳母はいたけれど、将来胸を張って母親だと言い切る為には、名ばかりの母親じゃ駄目だと思ったから。
朝も昼も夜も、教育に費やされていた時間以外は常にアクセルと共に過ごした。
その間に夫と、顔を合わせる事は全くなかった。
義父は、まだ爵位をエディーに譲っていなかったので、エディーは別宅に入り浸り殆ど本邸に帰って来る事がない。
子供の様子が気になる事もないらしく、子供の顔を見に来ることさえなかった。
そして、恐ろしい事にアクセルが産まれてから一年も経たぬ間に二人目の子供が産まれた。もちろん、アクセルの母親とは別の女性の子だ。
セレスティーヌは、この時に初めて夫を殴ってやりたいと思った。
日中は、育児と学習、夜は乳母と交替で夜のミルクをあげていた。
二人目が産まれた頃は、10ヶ月程度になっていて、ようやっと夜も長く寝てくれるようになったと喜んでいた矢先の出来事だった……。
セレスティーヌは、もはや意地になっていた。絶対に二人目の子も、自分で育ててやると拳を握り締めた事を今でも覚えている。
二人目の子供を迎えに行った日、セレスティーヌは二人目の愛人を目にする。
その人は、アクセルの母親とはタイプの違う女性だった。目がつり上がっているからか、キツい印象を受ける。身体のラインもメリハリがあり、魅惑的。
夫のタイプが全くわからなくなった。
子供を手渡して貰った際に、言われた言葉は忘れられない。
「ねぇ、貴方。私達の事、可哀想だとか思っている? 全然違うから、勘違いしないで。私達は、好きで愛人やっているの。公爵家の、正妻なんて務められるのは一握りの人間なの。私達みたいに、学がなくて怠惰な人間は愛人くらいが丁度いいのよ。この子も、私が育てるより貴方が育てた方が、公爵家の立派な息子になるわ。よろしくお願いするわね」
そう言って、振り返らずに部屋を出て行った。
セレスティーヌは、母親から子供を引き離して自分が育てる事に、少なからず迷いがあった。本当にこれでいいのかと。
愛人だからって、問答無用で子供を取り上げて良い訳ないのにと……。しかし、この時の女性の言葉で、吹っ切れた気がした。
そしてきちんとした子に育てようと、改めて誓った。
この後、本邸に戻ったセレスティーヌは結婚してから夫を初めて呼び出した。
屋敷の応接室で待っていたセレスティーヌの元に、約一年ぶりに顔を合わせるエディーがやって来た。
「なんだか、大分久しぶりだね。一年も顔を合わせずに済むなんて凄いね。やっぱり、母上が選んだ人は間違いなかったね」
エディーが、ニコニコと終始笑顔で話している。
子供の育児や公爵家の教育で、一杯一杯なセレスティーヌに、かける言葉はないのかと怒りが湧いてくる。睨んでしまうのもしょうがないと思う。
「旦那様。子供の件ですが……」
「ああ。乳母任せにしないで、セレスティーヌが育ててくれているんだって? セレスティーヌは、公爵夫人教育で忙しいんだろ? 乳母に任せればいいよ」
エディーは、他人事の様に告げる。
公爵家を継ぐ大切な跡取りだと、わかっていないのだろうか? 発言が薄っぺら過ぎて、怖いくらいだ。
「私が、母親なので。子供は自分で育てます。ですので、子供は二年は間を空けて下さい。立て続けに三人、四人、五人と来たらいくつ体があっても足りません!」
セレスティーヌは、ぶつけたい怒りを抑えたつもりだが、言い方が強くなってしまった。
「そうなんだ。五人までは良いって事だったから、そこまで気にしてなかったよ。間空けなきゃいけなかったんだ。ごめんね。これからは、気をつけるよ」
エディーの言動が軽すぎて、セレスティーヌ一人が怒ってるのが可笑しいのか頭を抱えたくなる。
「旦那様……。普通は、一年も経たない間にできるものじゃないんで……」
セレスティーヌは、溜息を吐きたくなるのを必死に我慢する。こんなんでも、自分の夫なのだと気を使った。
「そっかぁー、まあそうだよね。でも僕、今彼女三人いるからさっ」
セレスティーヌは、紅茶を飲もうとティーカップを口に運んでいた。
しかしそれをガチャンと受け皿に戻す。三人? 三人って言ったの? とにかく忙しくて、夫の動向まで把握していなかったので衝撃を受ける。
ここで、釘を刺さなかったら本当に五人続けて生まれていたかも知れない……。これは、ダメだと警鐘が鳴る。
「旦那様、申し訳ないんですが……避妊薬を手配しておくので、今日から一年は毎日飲んで下さい」
エディーを見ると、面倒そうな顔をしている。
「面倒だけど、しょうがないか。セレスティーヌも頑張ってくれているんだしね」
薬を毎日飲むだけだよね? と怒りを覚える。この人と、話していると本当に疲れる。セレスティーヌは、言いたい事は言えたのでさっさと退出した。
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セレスティーヌは、ここまで過去を振り返りガバリとベッドから起き上がる。
いつかの夜の様に、バルコニーに出て見たくなった。大きな扉を開けて、バルコニーに出る。
今の季節は夏。外の風が気持ちよく、夜空を見上げるとあの時と同じで綺麗な三日月が輝いていた。
その三日月を見ながら、新しい世界に行きたいと思った。今出て行かなかったら、きっともう出ていけなくなる。
これからの事を思うと、あと二年は我慢してブランシェット家に残るべきなのは明らかだ。でも、もう心が決めてしまった。
ブランシェット公爵家に嫁いで来てから、きっと初めての我儘だと思う。
明日、子供達に話して許して貰おうと月を見ながら呟いた。