005 旦那様との初めての夜
セレスティーヌ達は、応接室から退出すると客室へと案内された。父と母で一室、兄とセレスティーヌは一人部屋にそれぞれ案内される。
その時に、部屋付きの侍女も一緒に紹介された。一人になりたかったセレスティーヌは、少し疲れたので休みますと侍女に下がってもらう。
部屋に一人になったセレスティーヌは、ソファーに深く腰を掛け天井を仰ぎ見る。情報量が多すぎて、頭がパンクしそうだ。
子供か……。何かあるとは思っていたけど、まさかもう子供が出来ていたなんて予想外だった。16歳で母親になるなんて思ってもみなかったわ……。
私に母親なんて出来るんだろうか……。
セレスティーヌが暮らしている国では、16歳が成人として認められる。
春に行われる、デビュタントに出席する事で社交界デビューとなる。そうすると、結婚も可能になり最短で1年後には母親になっている事もある。
セレスティーヌは考える。でも、その前に公爵夫人としての教育かと……。
半年って言っていたな。半年で公爵夫人としての知識や作法って、身に付けるの可能なのだろうか? どれだけ短時間で詰め込まれるのかな? 考えるだけで、恐ろしい。
学園も退学になっちゃうのかな……。それが一番セレスティーヌにとって、辛かった。
コンコンコンと扉をノックする音が聞こえる。
「はい」
セレスティーヌが、返事をする。
「私だけど、入っていい」
聞こえて来たのは、母の声だった。セレスティーヌは、心配して会いにきたのかなと思う。どうぞと声をかけた。
母親は、部屋に入って来るとセレスティーヌの横に腰かけて肩を引き寄せた。セレスティーヌは、頭を母親の肩にもたせ掛ける。
「大丈夫? 嫌なら嫌って言っていいのよ? 貴方には、その権利があるわ」
母が、セレスティーヌに優しく語りかける。セレスティーヌは、母親の言葉を噛みしめる。
自分の心と向き合って見ると、嫌ではないなと思う。嫌とかそう言う感情じゃなくて、ただビックリしただけだなと。
「お母様、不思議と嫌ではないです。ただ、驚きの方が大きい気がします。愛人の子を育てる覚悟はしていたのかも知れません。ただその時期が早すぎただけって事で、びっくりしただけです」
「そう……。セレスティーヌは強いわね」
セレスティーヌより、母親の方が辛そうだった。
「お母様、私まだ実感が湧いてないだけかも知れません。それに私、恋愛ってよくわからなくて……。ブランシェット様に対して、何にも感じなかったの……。確かに格好いいなくらいで。この人と結婚したからって、どうこうなる事があるのか? とか。タイプじゃないって言われて、むしろ良かったって思いました。私、おかしいですか?」
母親が、セレスティーヌの手を握ってくれた。
「おかしくないわ。こう言っては失礼だけど、中身を感じられなかったもの。きっとそれを補う為に、優秀なセレスティーヌを公爵夫人は選んだのだわ」
母親の言葉を聞いて、セレスティーヌは納得した。なるほどと。
条件にあった、ブランシェット公爵家の繁栄に尽力する事。あれが全てなのだと。
「お母様、とりあえずまずはやってみるわ。辛くなったら、その時にまた考える。そしたらまた、話を聞いて」
「もちろんよ」
母が、目を合わせてしっかりと頷いてくれた。
****************
次の日、王都の教会で二人は両家の家族が見守る中婚姻を結んだ。それは、未だかつてないほど質素な、公爵家の結婚だった。
前日の夜に、父親同士で話をして金銭的な事も、スムーズに取り決め出来たらしい。こちらの要求を、そのまま呑んでくれたようだ。
セレスティーヌは、それを聞いて安心した。これで領地の心配はしなくて大丈夫だとホッとする。
支援をして貰った分は、ブランシェット公爵家に返さなくてはと思う。
セレスティーヌの家族たちは、結婚式が終わると領地へと帰って行った。帰ってすぐに、領地の復興に取り掛らなくてはならないからだ。
家族の乗る馬車を、セレスティーヌは見送った。なんだか酷く、寂しさを感じた。
そんなセレスティーヌに声をかけたのは、公爵夫人だった。
「セレスティーヌ、貴方の部屋を案内して貰いなさい。今日から客室じゃなくて、貴方の部屋よ。それと、専属の侍女も選んでおいたから。執事のアルフに案内させるわ。夕食までは、好きに過ごして」
そう言うと、公爵夫人は屋敷の中に入って行く。気が付けば、一緒に見送っていたはずの公爵と息子は既にいなくなっていた。
セレスティーヌは、紹介された執事に改めて挨拶をする。
「セレスティーヌと申します。これからよろしくお願いします」
アルフと言われた執事は、30代前半ぐらいだろうか? 濃紺の髪に鋭い目元で、眼鏡をかけている。利発で仕事が出来そうな男性だった。
「若奥様、私に畏まる必要はありません。どうか、アルフとお呼びください。わからない事は、何でも聞いて下さいね」
セレスティーヌに、笑顔で言葉をくれた。良かったと思う。
執事から雑に扱われたら、さぞ辛い生活だっただろうと推測出来たから。まだ様子見なのだろうが、初対面の対応がきちんとしている事に好感がもてた。
「ありがとう。では、部屋に案内頼むわね」
アルフは、丁寧にセレスティーヌに部屋を案内してくれる。そして、それから20年もの間ずっと、専属侍女でいてくれたカミラを紹介されるのである。
セレスティーヌの部屋は、夫婦の部屋の造りをしていた。自室の隣が夫婦の寝室、その隣が夫となったエディーの部屋となっている。
自室は驚くほど広く、豪華だった。トイレやお風呂も付いていて、ソファセットもある。もちろん、ベッドも置かれていた。
赤いバラがアクセントになっているようで、カーテンやリネンなどの布物は全て赤いバラで統一されていた。
短期間で、よくここまで揃えたなとセレスティーヌはもはや感心するばかりだ。自分の好みの部屋ではなかったが、少しずつ変えていけばいいかなと思う。
夕食までの時間は、部屋の説明を受けながらカミラにお茶を淹れて貰い一息ついた。
初めてのブランシェット公爵家での家族四人での夕食は、意外なものだった。
公爵夫人とエディーがひたすら二人で仲良くおしゃべりをしていた。公爵は、一人黙々と夕食を口に運んでいる。
セレスティーヌの家族の前では、公爵夫人は夫を立てて会話をしていたのに……。これが、通常のブランシェット公爵家なのかとセレスティーヌは思う。
セレスティーヌは、会話に加わる事なく美味しい食事に集中した。
食事を終えて、部屋に戻ると気合を入れたカミラが待ち構えていた。セレスティーヌは、何事かと警戒したが、お風呂に放り込まれこれでもかと磨かれた。
実家では、侍女が付いてはいたがお風呂の介添えまではさせていなかった。
裕福な家ではなかったので、使用人も必要最低限に絞っていた。だからセレスティーヌは、なんでも使用人がやるような、生粋のお嬢様のような暮らしはしていなかった。
人の手によって隅々まで磨かれて、髪にも香油を塗りこまれ、自分の身体が花になったかのように香っている。
「何だか、とってもいい匂いね」
セレスティーヌは、お風呂から上がりカミラに髪を拭いてもらいながら言う。
「もちろんです。今日は、一生に一度の大切な夜ですからね」
カミラが、鏡越しにセレスティーヌに笑顔で語りかける。大切な夜? とセレスティーヌは頭を傾げる。
今日は昼間結婚式をして、夜もまだ何かあるの? と考えた所で思い至る。今の今まで、そう言う事を全く考えなかった。
他に考える事が多過ぎたし、昼間は昼間で衝撃発言が公爵夫人からあったし……。待って、私半年後に母親になるのにそう言う事している場合なの? 違う、そうじゃない……。
するの? 今から? 私全く、その手の心の準備出来てないんだけど……。
セレスティーヌは、一応成人した貴族令嬢なのでその手の教育もされている。だけど自分には、まだまだ先だと思っていたので頭の隅っこに追いやっていた。
「え? 本当に?」
セレスティーヌは、困惑を隠せない。
「はい。奥様からも、きちんと準備するように仰せ付かっています」
カミラが、返答した。ここに来て初めてセレスティーヌは、動揺していた。
確かに、何でこんなに丈の短い夜着なのかしら? と思っていた。でも、夏で暑いからかなと勝手に解釈していたし、体を磨くのも公爵家だからなのかと思っていた。
「そろそろ、セレスティーヌ様、夫婦の寝室に向かって下さい」
本当なの? これって現実? 心の準備整うわけないんだけど……。
セレスティーヌは、椅子から立たせられ部屋の内扉の前に立たせられる。
「では、素敵な夜をお過ごし下さい」
そう言うと、カミラはセレスティーヌの部屋から退出して行った。
セレスティーヌは、扉の前で呆然とする。どれくらい立ち尽くしていたか分からないが、考えても何も思い浮かばない。
セレスティーヌは、諦めてトントンとノックをした。
「どうぞ」
中からエディーだろう声が聞こえた。セレスティーヌは、思い切って扉を開けた。
開けた先には、大きなベッドがありエディーがベッドに腰かけている。お風呂から出たばかりなのか、真っ白なバスローブを着てタオルで髪を拭いていた。
セレスティーヌから見ても、充分色気が漂う美男子だった。セレスティーヌは、とりあえず部屋の中に入り扉を閉める。
どうすればいいのか分からず、その場に立ったままでいた。
「セレスティーヌだよね? 少し話そうか? ここに座って」
エディーが、座っていたベッドの隣をトントンと叩いた。
セレスティーヌは、距離を取ってベッドに腰掛ける。
「これから、僕の奥さんとしてよろしくね。僕が好きに暮らせるように、別邸を造るように指示してくれたのだってね。僕も、結婚してから彼方此方行くのは良くないと思っていたからとても助かったよ。今後も提案とか改善する事があったら、遠慮なく言ってね」
エディーは、終始笑顔でセレスティーヌに話し掛けてくれた。
セレスティーヌは、悪意とか拒否感がなくて良かったと胸を撫で下ろす。二人きりになった途端に、豹変したらどうしようとそればかり考えていたから。
「ブランシェット様、私の方こそフォスター家への支援をして頂き、本当にありがとうございました。私なんかが、ブランシェット様の奥さんになってしまい申し訳ありません……。ブランシェット家が繁栄する様に、出来るだけの事はしていきたい思っています。これから、よろしくお願いします」
セレスティーヌは、思っていた事をそのまま口にした。
エディーに直接、お礼を言えていなかった事がずっと引っ掛かっていたから。エディーが、セレスティーヌの話を黙って聞いていたかと思ったが、突然セレスティーヌの髪を一房取った。
「ごめんね、やっぱり僕、セレスティーヌはタイプじゃないんだ。僕、一人で生きていけそうな強い女性って苦手なんだ。でも、この黒くてまっすぐなストレートの髪とか、シャープな目元とか美人だなって思うし嫌いじゃないよ。それと、呼び方は家名以外で呼ぼうね」
エディーが、セレスティーヌの髪を弄びながら目を合わせてにっこり微笑んだ。
セレスティーヌは、反応が出来ない。褒められたのか、貶されたのかわからない。言葉を探していたが、返答がない事に焦れたのか先にエディーが口を開いた。
「どうする? 初夜だけど、してもしなくても僕はどっちでもいいよ」
エディーが、セレスティーヌの弄んでいた髪を放して尋ねた。
セレスティーヌは、絶句する。してもしなくてもいい……。その軽さは、いったい何なんだと……。
セレスティーヌは思う。してもしなくてもいいなら、しない一択だよと。セレスティーヌは、ベッドから勢いよく立ち上がる。
「では、しないと言う事でお願いします。おやすみなさいませ」
セレスティーヌは、頭を下げて自分の部屋へと歩いて行く。
「セレスティーヌ、おやすみ。したくなったら、いつでも声掛けてね。もしくは、セレスティーヌも恋人作ってもいいんだからね」
セレスティーヌは、返事をせずに扉を開けて出て行った。