034 顛末
エヴァルドは、サイラスの言葉を聞き複雑な気持ちになる。
サイラスの言った言葉は本当の事で、常に自分の中で引っ掛かっていた。それでも、自分の憤る気持ちに蓋をして、国の為と思って今まで仕事をしていた。
サイラスの話を聞けば、今までの事が水に流せるのか自分でもわからない。どうしたら良いのか分からずに、セレスティーヌの顔を窺う。
セレスティーヌが微笑み、エヴァルドの手をギュっと握ってくれた。一人じゃないと言う気持ちが沸きあがり、気持ちが引き締まる。
「サイラス、その事については、思う所はあるけれど……。まずは、今回の顛末を聞かせて欲しい」
サイラスは、エヴァルドの言葉を受けて静かに話し始めた。
今回起こった事は、エヴァルドが考えるように子供の頃と同じ王女が仕出かした事だった。
王女が、担当部署に許可も取らずに私的な事で他国の人間を入国禁止にした。そんな事は、調べればすぐにわかる。問題は、動機だった。
なぜ、今、セレスティーヌにそんな嫌がらせをするのか……。それが、一番の疑問だった。うやむやにしない為に、サイラスは自分で妹を問いただした。
王にも、今回の事は口出しさせなかった。
今、他国との輸出入でとても大切な条約を締結しようとしている。その中心人物である、エヴァルドが国から出ていったとなるとリディー王国として大変な損失になる。
損失になるどころか、他国からの信用を失う。
そんな事は、国としてあってはならない事だった。事前にサイラスは、王にこの事を知らせた。
今回の事は、王女だからと言って許せる事ではないとはっきりと告げる。王も、流石に今回ばかりは王女を庇う事は出来なかった。
兄自ら、妹を呼び出し話を聞いた。妹のシャルロットは、悪びれる事なく理由を話し出す。
あの婚約解消で、被害を受けたのは私なのに、エヴァルドだけ幸せになろうなんて許せない。あんなに冴えなくて、つまらない男が、綺麗な女性と暮らしているなんてあっていいわけない。
私よりも先に、結婚なんか絶対にさせない。幸せになるのは、私なの。
自分が言っている事が、全て正しいと誇らしげに話した。
その裏には、自分が一番でなくては許せない。きっと今回も、お父様なら許してくれると言う考えが透けて見えた。
サイラスは、その理由に憤る。馬鹿な妹だと思っていたが、ここまで馬鹿だったのかと。
サイラスは、妹の事が嫌いだった。王太子として育てられたサイラスは、とても厳しく育てられた。
それなのに、末っ子の女の子と言うだけで、馬鹿みたいに甘やかされたこの妹が許せなかった。
この馬鹿な妹に、こんなまだるっこしい嫌がらせが思いつくはずがない。サイラスは、重ねて妹に聞いた。
「なあ、シャルロット。それは、誰に教えて貰ったの? セレスティーヌ嬢を、入国禁止にするなんてよく思いついたね」
怒りを露わにしたい所を我慢して、いつもの優しい兄を装う。
シャルロットは、自分が褒められていると勘違いしてベラベラと余計な事を話し出す。
エヴァルドとセレスティーヌに、王宮で会った時に一緒にいたアーロンにアドバイスされた。
あの二人の事が面白くないのなら、この国から出しましょうと。エヴァルドなんて、この国から出てしまったら、公爵と言う肩書は通用しないただの冴えない男です。
今はまだ時期ではありませんが、相手の女は他国の人間です。きっとその内、チャンスがあるはずです。
そう言われてから、ずっと機会を窺っていた。
サイラスは、全ての辻褄がピタリとあった気がした。
全ては、アーロンの企てた事だったのかと。今まで、ずっとおかしいと思っていた。
エヴァルドの事は、シャルロットの事があったからと言っても不自然な程、他の人間がエヴァルドに近寄る事がなかった。
誰かが、裏で扇動しているのでは? と言う考えもあったが確証がなく調べるきっかけがなかった。
サイラスは、シャルロットの話を聞き終えた後に部下にアーロンの事を調べさせた。なぜ、シャルロット付きの人間になったのか。
アーロンとエヴァルドにどんな接点があったのか、出来るだけ詳しく調べさせた。
そして十日程たった頃、全ての調べがついたので、アーロンを自分の執務室に呼んだ。サイラスの執務室に入って来たアーロンは、どことなく嬉しそうにしていた。
「アーロン、何故呼ばれたのかわかっているか?」
サイラスが、アーロンを問いただす。
「グラフトン公爵の事は、聞き及んでおります。勝手に国を飛び出したと」
アーロンが、とんでもないと憤りを見せている。
「それで、何故自分が呼ばれたと思っているのか?」
サイラスは、もう一度同じ質問をした。
「グラフトン公爵の代わりを、私に務めさせて頂けるのでしょうか?」
アーロンは、平静を保っているように見せているが目が期待に満ちていた。
サイラスは、心の中で笑う。シャルロットの取巻き如きに、エヴァルドの代わりが出来る訳がないだろう。
「今、エヴァルドが携わっている仕事の内容を知らないだろう? アーロンで、それが務まるのか?」
サイラスは、出来るだけいつもの穏やかな王太子を装う。
「きっと、お役に立てると思います」
アーロンが、自信を持って述べる。この姿を見てサイラスは、確信した。
この男は、ずっとエヴァルドの位置を虎視眈々と狙っていたのだと。
今まで、シャルロットの陰に隠れて、貴族社会でも存在感をまるで感じさせていなかった。自分は、常に脇役なのだと弁えているように見せかけて。
何年も、何十年も機会を窺っていた。ひっそりと、エヴァルドの評判を落としながら。
王以外には、お荷物視されているシャルロットの世話を買って出て、それでいてしゃしゃり出る事もなく、王宮で働く者としての評判も悪くなかった。
役に立たない妹を、女性の社会進出と言う宣伝塔に上手く使ったのも、アーロンだと聞き及んでいた。
サイラスは、何もせずに遊び暮らしている妹を、上手く利用するもんだと感心さえしていた。
だから、誰もこの男を問題視していなかった。
今回、妹の口からアーロンの名前が出て来て初めて、この男の事を調べ尽くした。
巧妙に隠していたが、王太子が本気になって調べれば、今までの行いを調べる事はそんなに難しくはない。
馬鹿な妹が、口を滑らさなければこんなに早く解決する事はなかったのに。
きっとこの男なりに、シャルロットには口止めをしていた筈だ。残念ながら、思っていたよりもシャルロットが馬鹿過ぎた。
きっと、父上が何とかしてくれると甘く見ているのだろう。
それに、今回の他国との条約締結は限られた人間しか知らない。だから、エヴァルドが、どれだけ大切な仕事に就いているのか皆知らない。
だからこそ、シャルロットもアーロンもエヴァルドを軽視できるのだ。
今回の事は、エヴァルドにとっても自分にとっても丁度良かったのかも知れない。これで、邪魔な者が一掃出来るのだから。
「残念ながら、エヴァルドの後任の件ではない。シャルロットの件だ」
サイラスは、わざと明るい笑みを浮かべる。アーロンは、何の事だかまるでわかっていなかった。
「シャルロット殿下ですか? 殿下が、どうかしましたか?」
話の展開が、不穏な事にやっと気づいたのかアーロンの顔色がおかしい。
「今回シャルロットが、私的利用で誰の許可も得ずに勝手に他国の者を入国拒否させた。これは、王族として看過出来る事ではない。一歩間違えたら、国際問題に発展してもおかしくなかった。だから、今回シャルロットには罰を受けて貰う事になった」
サイラスは、あくまでも冷静に淡々と言葉を続ける。アーロンは、口を挟まずに黙って聞いていた。
「これまで彼女は、女性の社会進出の広告塔になっていた。振りだけではなく、実際にシャルロットにも動いて貰う。国の全土を回って、貧しい女性や技術はあるけれど機会損失をしている女性達の援助をして貰う事になった。勿論、陣頭指揮を執っていたアーロンが、中心になって行ってもらう。シャルロットと一緒に、国の全土を回って。期限はない。この政策が、国に根づくまでだ」
アーロンの顔色は、真っ青だ。額に、脂汗も滲んでいる。
「なぜ、私なのですか? 今回、シャルロット殿下がした事に私は関係ありません。罰なら、殿下一人で受けるべきです」
アーロンは、サイラスが座っていた執務机に両手を置いて抗議をする。
「アーロン。シャルロットはね、君が思っているよりずっと馬鹿なんだよ。今回の事は、王も許せる事ではないんだ。エヴァルドはね、君たちが思っているよりずっとずっと貴重な人材なんだよ。替えは利かないんだ」
アーロンが、呆然としている。きっと頭の中で、なんとか出来ないか考えを巡らせているのだろうが、もうこれは決定事項だ。
「話は以上だ。3日後には、最初の町に出発してくれ。出発しない場合は、問答無用でこの王都から出す」
サイラスが、ここまで来て初めて厳しい口調で話す。
「お断りした場合は、どうなるのでしょうか?」
アーロンが項垂れながら、小さな声で訊ねた。
「君の今の役職は、シャルロット付きなのだから職を失うだけだね。まあ君は、侯爵家の跡取りなのだから領地経営に専念したら? 言っとくけど、王宮ではもう働けないよ? 僕、こう見えて心底怒っているから王都での居場所はないと思った方がいいよ」
サイラスは、アーロンに凍てつく様な冷たい視線を送る。
アーロンは、自分の置かれている状況を理解したのか、さっきまでキラキラしていた瞳が死んでいた。
サイラスは、出来るだけ丁寧に包み隠さずに、エヴァルドとセレスティーヌに今回の顛末を話して聞かせた。
「じゃあ、今二人はどこに?」
エヴァルドが、サイラスに訊ねる。
「さあ? 取り敢えず辺境の地から回らせているから、王都から離れた他国との国境とかじゃない? 言っとくけど、領主の迷惑になるから空き家とかで生活して貰ってるし。今後は、華やかな生活は出来ないよ」
サイラスが、最早二人には何の興味もないように冷めた事を言う。
「本当に、あの王女が辺境に? 大人しく王都を出て行ったんですか?」
セレスティーヌも、信じられないと驚きが隠せない。
「もちろん、大人しくは従わなかったよ。最終的には、王命だったね。妹にとって砦の父親に、厳しく叱責されて嫌がる取巻きを引き連れて王都を出て行ったよ。報告書では、妹の我儘に耐えきれなくて取巻きや従者に逃げられているらしいよ。まっ、アーロンは、同じく王命だから逃げ出せないけどね」
サイラスは、メガネの奥で意地悪な笑みを浮かべる。普段は温厚で、冷たい一面は隠しているが、今日は仮面を取っている。
「アーロンは、何故、僕を排除したがっていたのでしょうか?」
エヴァルドが、疑問を口にする。
「アーロンは、君と同い年だろう? 公爵家の嫡男で、評判のいい君とずっと比較されて育ったらしいよ。エヴァルドは、幼い頃からそつなく何でもこなして素直だったから、大人ウケが凄くいい子供だったんだよ。僕もよく、エヴァルドを見習えって言われたものだよ。それが面白くなくて、いつか必ず追い落としてやると思っていたらしいよ」
サイラスが、お茶に口を付けて喉を潤している。
セレスティーヌが、エヴァルドを見ると、複雑そうな表情をしていた。でも、サイラスが言う事は本当だろうと思う。
セレスティーヌも、エヴァルドの幼い頃を思い浮かべると、さぞ可愛い子供だっただろうと想像出来るから。
「その、アーロンって方。残念な方ですね……。誰かと比較されながら育つって、苦しいですからね。でも、エヴァルド様を恨むのはお門違いです。負けない為に、いくらでも他で評価されるように努力すれば良かったのに。負の方向に向いた時点で、エヴァルド様には一生勝てないですね」
セレスティーヌが、エヴァルドの手に自分の手を重ねた。エヴァルドは、恥ずかしかったみたいだが嬉しそうにしていた。
「んんんっ」
サイラスが、咳払いをする。仕方なく、セレスティーヌは、手を離す。
「そうだね。アーロンだって優秀な人間である事は確かだった。ただ、向かった方向を自分で間違えたんだ。エヴァルドが、気にする事じゃない」
サイラスが、キッパリとエヴァルドに言い切る。
「二人がそう言うなら、気にするのは止めるよ」
セレスティーヌは、エヴァルド様は優しすぎると心配になる。
自分を貶めようとした人間を心配するなんて……。でも、その優しさがエヴァルドの良い所でもある。
人の、長所と短所は表裏一体なのだから。
「では、これでエヴァルドのリディー王国に対する憂いは無くなったよね。きっと今後は、社交界での住みにくさも改善されて行くはずだよ。だから今すぐに、国に帰ろう」
サイラスが、ソファーから立ち上がってエヴァルドを促す。
話が飛び過ぎて、二人は戸惑いを隠せない。
「サイラス、何言っているんだよ。今すぐなんて無理だろ!」
エヴァルドが、大きな声を上げる。
「いや、むしろこちら側がもう限界なんだ。締結するはずだった条約が、エヴァルドがいない事で延期されているんだ。エヴァルドが、急な体調不良と言う事でなんとか誤魔化してて。セレスティーヌ嬢、大変申し訳ないがエヴァルドは連れていく。もう、セレスティーヌ嬢の入国拒否は解いてあるから、いつでも好きな時に戻って来るといいよ。では、こちらの当主には、改めて謝罪とお礼の文を出すのでよろしく伝えて欲しい」
そう言うと、サイラスはエヴァルドの腕を取って無理やり居間の扉に向かう。
「サイラス、ちょっと待って下さい」
エヴァルドが、サイラスを振り切ってセレスティーヌの元に戻ってくる。
「セレスティーヌ、流石に時間切れみたいです。この国での生活は楽しかったですが、やっぱり自分の育った国に迷惑はかけられません。先に戻っているので、必ずリディー王国に来てくれますか?」
エヴァルドが、心配そうにセレスティーヌの瞳を見つめる。セレスティーヌは、この優しくて自分よりも国を想うエヴァルドだから好きになった。
「はい。もちろんです。今度こそ必ず、エヴァルド様の元に戻りますね」
セレスティーヌが、満面の笑みでエヴァルドに微笑みかける。エヴァルドが、セレスティーヌの手を取ってチュッと指先にキスを落とす。
そして、少年みたいな笑顔を残してサイラスと共に慌ただしくブランシェット家を後にした。
セレスティーヌは、キスされた指先を見つめて後から恥ずかしさが込み上げる。
今度こそ絶対に、リディー王国で再会しようと胸に思いを込めた。






