002 人生の帰路
子爵家の娘として生まれたセレスティーヌ・フォスターは、二十年前、人生の岐路に立っていた。
十六歳だったセレスティーヌは、父と母と兄の平凡な四人家族。家族仲も良好で、小さな領地ながらも特に不満に思う事なく平和な毎日を送っていた。
貴族の子女達が通う学園にも、寮で生活を送りながら通学していた。
セレスティーヌは、派手な事を嫌い真面目に勉学に取り組む模範的な生徒だったように思う。
同じ年の令嬢達は、お化粧やドレスの話、どこのお菓子が美味しいだとか、誰と誰が恋仲だとか、そんな話に花を咲かせていた。だけどセレスティーヌは、不思議と興味を抱けなかった。
それよりも、勉強が好きだった。知らない事を知る事が、楽しくて仕方なかった。本を読むのも大好きで、空いた時間は殆ど読書に費やしていた。
セレスティーヌが暮らしている国では、十五歳から十七歳まで貴族の子女達は、学園に通う事になっている。
国の方針で、国にお金を納めている額によって学費が免除される。
セレスティーヌの家は裕福とは言えない、標準的な子爵家。もちろん、免除の対象だった。
だからセレスティーヌが、何も気にする事なく好きなだけ学べる、唯一の三年間だ。
そんな生活に突然の終止符が打たされる。
その年の夏は、日照り続きで領地の作物が不作だった。それに加えて、大きな台風に見舞われ、領地内の橋が流され交通網が寸断されてしまう。
フォスター家は、慎ましやかな生活を心掛けていたが、少しの貯えで賄える損失ではなかった。父と兄は、頭を抱え彼方此方に頭を下げて回った。
その話を聞きつけた、一つの家が支援に名乗りを上げた。今の夫の家である、ブランシェット公爵家である。
ブランシェット公爵家は、一人息子のエディー・ブランシェットと婚姻を結ぶ事を条件に支援をすると言う話だった。
セレスティーヌの父も兄も、困惑せざるを得なかった。本来なら即、飛びつきたい話のはずだが……。
エディー・ブランシェット、この人物は社交界である事で有名だった。
公爵家の一人息子の縁談なら、本来引く手数多のはず。それを、子爵家の娘に話を持って来るなんて異例中の異例。
それもその筈、このエディー・ブランシェットと言う男はとにかく女癖が悪い。
二十三歳のこの男、今まで何人かの婚約者がいた。しかし婚約者がいるにも拘らず、婚約者以外の女性と関係を持ってしまう事で有名。
そして貴族令嬢に拘らず、平民の娘や娼婦などもいるらしいともっぱらの噂だ。
そんな男との婚姻である。いくら子爵家の娘だとしても、快く首を縦に振る事なんて出来なかった。
しかも、この婚姻に関する取決めの書類に目を通した父親は、怒りの余り卒倒しそうになった。
一つ、エディー・ブランシェットが愛人を持つ事を容認する事。
一つ、愛人が産んだ子供の養育は、正妻が引取り責任持って行う事。
一つ、ブランシェット公爵家の繁栄に、尽力する事。
以上の条件を満たすならば、フォスター子爵家への惜しみない支援と、セレスティーヌに掛かる費用全てはこちらが負担する。
セレスティーヌの、公爵夫人としての教育もこちらでしっかりと行う。
ブランシェット公爵家からの手紙には、そう記されていた。
セレスティーヌの父と兄は、暫くの間沈黙していた。
恐らく、二人とも色々な考えをめぐらしていたのだろう。沈黙を破ったのは、兄の方だった。
「父上……。セレスティーヌを呼びましょう。こんな内容でも、私達には断れません……。本人を呼んで、三人でどうするのがいいのか考えましょう」
兄のカールは、自分達の不甲斐なさを自覚しながらも自分の出来る精一杯を模索していた。父親は、カールの言葉に頷いている。
こんな縁談を受けざるを得ない状況に、怒りを感じていた。でも一方では、仕方がないとも思っている苦悶の表情を浮かべる。
執事に頼んで、セレスティーヌを呼んで貰う。
丁度と言っていい事なのか、今は夏季休暇中で、セレスティーヌは領地に戻って来ていた。
コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
父親が、どうぞと声を掛けるとセレスティーヌが失礼しますと執務室に入って来る。父親とカールは、執務室のソファーに向かい合って座っている。
父親は、こっちに来て座るようにとセレスティーヌを促す。セレスティーヌは、カールの隣に腰かけた。
「セレスティーヌ、大切な話がある。よく聞いて欲しい」
セレスティーヌは、わかりましたと頷いた。
父親は、ブランシェット公爵家から来た縁談の話を包み隠さず話した。セレスティーヌは、途中で口を挟む事無く真摯に耳を傾けていた。
父親が一通り話を終える。
最後にカールが言葉を口にした。
「セレスティーヌ……。申し訳ないが、私達はこの話を断る事は出来ない」
カールは、心底申し訳ないと言う顔をしている。
「私もそれはわかります」
セレスティーヌから、諦めを滲ませた返事が返って来る。
「セレスティーヌ、こちらからも条件を出そうと思う。融資をして頂く事はもちろんだが、生活する上で何か思いつく事はないか? 愛人だとか、他人の子供を育てるだとか、これは余りにも一方的過ぎる。受け入れてくれるか分からないが、言うだけはしてみようと思う。そんな事しか出来ない父親で申し訳ない……」
父親が、セレスティーヌに頭を下げる。
「お父様、何て言うか……。話が突拍子もなくて、実感が全く湧きません。どんな結婚生活になるのか、想像すら思い描けないなんて、笑えて来ますね」
セレスティーヌは、ふふふっと他人事の様に笑っている。
父もカールも、かけてやる言葉が見つからない。
「お父様、今すぐには何も思いつきません……。せめて一晩、時間を頂けませんか?」
父親は、セレスティーヌと目を合わせる。セレスティーヌは、このままならない話をきちんと受け止めていた。
「わかった。短い時間しかやれなくてすまん……」
「いいえ。状況が切迫しているのは、私だってわかっています。もう、そんなに謝らないで」
セレスティーヌは、そう言うと時間がないから部屋に戻りますと言い執務室を出て行った。
部屋に戻ったセレスティーヌは、自分のベッドに腰かけ呆然としていた。
今しがた聞いた話を、頭は理解したが心が追い付いて来なかった。
私が結婚? 公爵家の嫡男と? しかも、愛人? 愛人の子供を育てる? 全てが、十六歳の女の子に受け入れられる内容ではなかった。
どれくらいの間、呆然としていたのだろう。部屋に戻って来た時は、まだ部屋は陽の光が入って明るかったはずなのに、今はすっかり暗くなっていた。
セレスティーヌは、立ち上がり窓辺に向かう。扉を開けて、バルコニーに出ると綺麗な三日月が夜空に浮かんでいた。
綺麗な月を見ながら、平和な日常との別れを感じ、新たな生活の始まりを思う。
現実逃避している場合なんかじゃないと、自分を奮い立たせる。
どうしたらいいのか、考えないと。愛人のいる生活なんて全く想像出来ない。だけど自分なりに想像して考えないと、自分の一生がかかっている。
セレスティーヌは、眠る事も出来ず一晩中考えをめぐらしていた。