010 旦那様との最初で最後のティータイム
その日は、良く晴れた日の午後だった。十月に入り、吹く風が冷たくなってきていた。それでも日差しがポカポカ温かく、庭のガーデンテーブルで優雅にお茶を飲んでみたくなる陽気。
だから今日は、旦那様と庭でティータイムを持つ事にした。
結婚して二十年も経つのに、こんな事は初めてだった。
夫と話をするのは決まって屋敷の応接室。なんて堅苦しくて、他人行儀だったのかと今更ながらに笑ってしまう。
セレスティーヌは、先に庭に出て夫のエディーを待っていた。お茶を飲みながら、どんな事を話そうかと少し考える。
この一カ月程、離縁する為に色々な準備をしてきた。
この屋敷にある私物は、どうしても残して置きたいものだけに絞って後は全部処分した。娘達に譲ったり、息子二人のお嫁さんに譲ったり、着ないドレスは全部リサイクルショップに持って行かせた。
沢山あった、ジュエリーも思い入れのある物だけを手元に残した。
この家で手に入れた物は、全部ここに置いて行こうと思った。
持って行くのは、子供達との思い出と必要最低限の必需品。それと、結構な金額のお金。
お金だけは持って行くのかって言われそうだけど……。だって、二十年間ブランシェット公爵家に仕えたんだもの。その賃金だと思っていいよね。
新しい生活をするのは、贅沢するつもりはないけどやっぱりお金って必要だし。
エディーは、この屋敷での事はセレスティーヌの好き勝手やらせてくれた。それだけは本当に感謝している。
愛人に本宅の事を、口出しされた事もないし。子供達の事も、引き取ってから一度も何かを言われた事がなかった。
今は、実の母親との事はそれぞれの子供達に任せている。
もう分別もつくし、産んでくれた人だから敬意を持って接して欲しいと思っている。それなりに、それぞれ上手く付き合っているようだ。
こうやって考えると、特に何も言う事がない。でも、けじめだから最後くらいゆっくり話してみたいと思った。
その時に思った事を言えばいいかと、何だか肩の力が抜けた。少し緊張していたのかもしれない。
コツ コツ コツ
男性のゆっくりとした靴音が聞こえる。音のする方を見ると、エディーがこちらに向かって歩いて来ていた。
「ごめんね。待たせたかな?」
エディーが、セレスティーヌの向かい側の椅子に腰かける。
セレスティーヌは、控えていたメイドにエディーの分のお茶を淹れてもらった。
「いえ、大丈夫です。外の空気を楽しんでいました」
そう言って、セレスティーヌはエディーに微笑んだ。
「君が、僕に笑いかけるなんて初めてじゃないか? いつも君と話す時は、怒っていたよね」
そう言って、エディーは可笑しそうに笑った。
セレスティーヌは、それを聞いてそうだったかしら? と首を捻る。そうだったかもなと思う。
「でも、怒られる様な事していたのは旦那様ですし……。仕方ありませんわ」
セレスティーヌは、そう言ってティーカップに手をかける。
「そうだね……。僕は、ずっと酷い夫だったからね」
エディーは、お茶に口をつけているセレスティーヌを見ながら、穏やかな表情で返答する。
「自覚はあったんですね」
セレスティーヌは、ふふふと笑いながらティーカップをテーブルに戻した。
「そりゃね……。でも僕は、君と結婚して後悔なんて一度もしなかった。今まで、ありがとうって感謝しかないんだ」
二十年前と変わらない、人懐っこい笑顔でセレスティーヌに語り掛ける。
セレスティーヌは、言われた言葉を考える。後悔か……。私も、別に後悔はしてないわ。
「私も、後悔はしてないですよ。可愛い子供達の母親になれて幸せでした」
セレスティーヌも、笑顔を返す。
「そうか……。じゃあ、何で今回、出ていく事にしたのか聞いてもいいだろうか?」
エディーが、控えめに疑問を口にする。
「そうですね。子供達が大きくなってそれぞれ大人になって行くのを見ていたら、自分も成長してみたくなったのかも知れません。ブランシェット家で暮らす私は、どこか私じゃない気がして……。自分らしく自由な人生を、生きてみたくなったんです」
セレスティーヌが、ゆっくりと自分の考えを述べる。エディーを見ると、どこか残念そうな顔をしている。
「旦那様は、これからどうするおつもりですか? 生まれてくる子供と彼女達は、どうするつもりなんですか?」
セレスティーヌは、今まで一度も愛人達の事について聞いた事がなかった。最後くらい、いいだろうと気軽に聞いてみた。
「僕もよくわからないんだ……。アナに子供ができて、君と離縁する事になったってみんなに話したら、アナ以外の四人も別宅を出て行くって言いだしたんだ……。今まで通りで大丈夫だってみんなには言ったのに……。わかってもらえなかった……。どうしてなんだろうか?」
エディーが、心底わからないといった様子で困っていた。セレスティーヌは、思ってもいない事を言われて驚く。
今残っている愛人達は、子供達の母親でもうずっと長い間、別宅で暮らしている。
五人目の愛人が、いつもころころ変わっていたくらいで、四人はこれからも変わらずにエディーとずっといるとばかり思っていたのに……。
一体、別宅で何が起こったのだとセレスティーヌは不思議だった。
でもだからと言って、セレスティーヌが解決する義理は無いので旦那様には悪いけど、相談に乗ってあげる事は出来ないなと思う。
「別宅の事は、私もよく知りませんから何とも言えないですね……。これを機に、新しく生まれる子供の母親を、一途に大切にしたらいいと思います」
セレスティーヌが言い切る。
「一人を愛するっていうのが、僕にはわからないんだ……。魅力的な女性は、沢山いるだろう? 一人に絞る事なんて出来ないよ……」
エディーが、至極残念そうに呟く。セレスティーヌは、その姿を見ていて何だか可哀想になってくる。
この歪んだブランシェット家の被害者なのだろうと思うが、もう自分にはどうしてやる事も出来ない。
「いつかわかるといいですね。でも私もまだ、人を好きになるって事がわからないので、お互い様ですかね」
セレスティーヌは、ふふふと笑う。ある意味、似た者同士だったのかもと思う。
「じゃあ、君が幸せになれるのを祈っておくよ」
エディーが、立ちあがる。
「旦那様も、元気でいて下さい。子供達の事よろしくお願いします」
セレスティーヌも椅子から立ちあがる。
「僕よりもみんなしっかりしているから大丈夫だよ。君が立派に育ててくれたからね。こんな僕だけど、君がいなくなるのは寂しいんだ……。見送りにはいかないから、ここでお別れかな」
エディーが、セレスティーヌに右手を差し出す。セレスティーヌが、その手を握る。
「はい。今まで、ありがとうございました」
セレスティーヌが握った手は、意外にもとても冷たい手だった。握手を交わした手を離す。
「じゃあ、またね」
エディーが、そう言って笑顔で去って行った。来た時よりも、早い歩調で行ってしまう。セレスティーヌは、そこに立ちながら背中を見送る。
二十年間、一度もわかり合えなくてそれでも夫婦だった。寂しく思ってくれる事に、切なさを感じた。
自分も少しだけ、去って行く後姿を見送るのが寂しかったから……。