009 手紙
セレスティーヌは、離縁すると決心をしたらすぐに行動に移したくなった。まずは手紙を書こうと筆をとる。
実家のフォスター子爵家に一通。義母に一通。そして、学園時代に唯一仲の良かった、友人のオーレリアに一通。合計三通の手紙をしたためた。
実家は、既に兄が父親の後を継いでいる。二十年前にセレスティーヌと約束をした事をずっと守って来てくれた。
ブランシェット家に嫁いでから二十年。ずっと協力関係にあった事もあり、フォスター領は豊かな領地へと変貌した。
財政的にも余裕があり、当時の様に清貧を心掛けずとも十分にやっていける家だ。だけど兄のカールは、セレスティーヌがいくら言っても生活水準を上げる様な事はしなかった。
あの頃のまま、支援で得た余剰分はしっかりと貯蓄に回している。自然災害が起こってもビクともしない経済状況になっている筈だ。
兄だって、セレスティーヌと同じ様に苦労して来た筈だった。もうセレスティーヌに気を遣う事なく、余裕のある暮らしをして欲しいと思う。
セレスティーヌが離縁する事で、きっと兄の肩の荷も下りてくれるのではないかと期待している。
兄には、あった事を包み隠さずに手紙に書いた。夫の愛人に子供が出来た事。
三十六歳になった今、またもう一度子育てに追われるのは無理な事。子供達には、離縁する事を話して許可を貰った事。
もちろんエディーにも話した所、特に問題なく頷いてくれた事などを淡々と文章にした。
義母の手紙には、離縁する事になりましたと単刀直入に手紙に書いた。
二十年もの間、お世話になりましたと素直な気持ちで書く事が出来た。
セレスティーヌが嫁いでからすぐに気づいたのだが、ブランシェット家を支配していたのは義父ではなく義母だった。
少しずつ少しずつ聞きかじった所によると、義母は義父に請われてブランシェット公爵家に、侯爵家から嫁入りをした生粋のお嬢様だった。
義母は、義父に請われて結婚した訳なので、もちろん幸せな結婚が待ち受けていると信じて疑っていなかった。
しかし、実際に結婚して後継ぎのエディーが生まれてから態度が一変したのだそう。
義父は、結婚する前から付き合いの有った子爵家の令嬢を愛人として囲い始めた。なぜ義母と結婚したかと言うと、義父は自分の能力の無さを知っていた。
だから、それを補う為だけに義母と結婚をした。
息子を産んでくれたのを良い事に、ブランシェット家に縛り付けて家の事を任せっきりにし、自分は愛人宅に通って好きな事ばかりをしていた。
だから義母は、セレスティーヌに最初に愛人の存在を明かした。知ってから結婚するのと知らずに結婚するのでは、心の有り様が違う。
きっと義母なりの優しさだったのではないかとセレスティーヌは思っている。
その証拠に、嫁いで来てからの二十年間で義母に嫌悪を感じる事は全くなかった。ブランシェット家の家族の形は恐ろしい程に歪んでいたが、セレスティーヌに対しては常識の範囲だった。
侯爵家の令嬢で後継を産んだ義母は、プライドが高く夫の愛が自分に向いていないなんて許す事が出来なかった。
まして、愛していた様に見せかけて実は能力だけを買われていたなんて信じたくなかった。そこから、義母の夫への執着が始まったらしい。
自分を見てくれない夫の代わりに、息子に愛を注ぐようになる。只々、甘やかすだけで結局、自分の夫と同じような駄目な男に成り下がってしまった。
息子は息子で、母親からの純粋な愛を求めてしまった。
父親の代わりではなく、息子としての自分を見て欲しかった。それが叶わずに、自分を求めてくれる女性で空いた穴を塞ごうとした。
だからエディーが愛人にする女性は皆、庇護欲をそそられるような女性に偏っている。実際は、逞しい女性も中にはいたがエディーの前では一貫して猫を被り続ける強者もいた。
現在の義両親は、義母の粘り勝ちで領地で二人で暮らしている。
セレスティーヌは、詳しく知ろうとはしなかったが、義母は義父にバレない様に愛人に執拗な嫌がらせをずっと長い事行っていたらしい。
子供が出来ない様に、ずっと策を講じていたのだそう。他の女性に目移りしないように、かなり強めの統制もかけていたようだ。
愛人が逃げ出してから、義母はここぞとばかりに義父に優しくして尽くして、自分なしではいられない様にした。
長い時間かけて、自分への愛を囁くようになった義父に満足した義母は息子への過剰な執着が薄れた。
今回の事は、多分この事も原因なのだろうとセレスティーヌは思っている。だけどもう、この歪な関係のブランシェット家とはお別れなのだからと切り捨てた。
一年後には、ブランシェット家はレーヴィーのものになる。
レーヴィーは、きちんと愛する令嬢と結婚した。侯爵家の令嬢らしく、華やかさと淑やかさを兼ね備え能力も高い。
新たなブランシェット家は、公爵家の名に恥じない家となっていく事だろうと思っている。
そして最後に、友人のオーレリアに手紙を書く。オーレリアとは学園で唯一話の合う友達だった。
オーレリアは、女性特有の面倒臭さがない。あっさりしていて、セレスティーヌと同じ様に知る事がとても好きな女性だった。
好奇心旺盛で、他国の言葉に詳しく隣国の言葉なら日常会話をしゃべれる程度だった。
学園を卒業したら、隣国に行きたいと言っていた。隣国の方が、女性の生き方の選択肢が多いのよと。
女性だって、結婚するだけじゃなくて色々な事が出来る世界の方が、きっと楽しいわと言っていたのを覚えている。
そんな彼女も、今では隣国の男性と結婚している。
オーレリアとだけは、ずっと手紙のやり取りをしていて今でも繋がっている。
彼女の話を聞くのは凄く楽しくて、嫌な事を忘れられた。だから今回、離縁するに当たり彼女に会いに行きたいと思った。
実は、セレスティーヌは自分のお金も何かあった時の為に貯め込んでいる。
フォスター家に帰るつもりもなかった。兄からは、すぐに帰って来いと返事がきそうだが……。
今更、実家に帰っても気を遣わせるだけだし、これからはもっと自由に生きて行きたかった。
だから、自分の事を知らない隣国に行ってみたかった。一から自分の人生を、歩いてみたかった。
もしかしたら、恋したり誰かを愛したりできるかしら? と思いを巡らす。
ブランシェット家に漂っていた愛は、息苦しいものだった。
セレスティーヌが歩んできた二十年に、恋や愛は無かった。無かったと言うよりは、自分で避けてきた。
自分だけは、子供達に純粋な母親としての愛情を注いであげたかったから。母親でいる自分は、異性に対する愛なんて持っていたらいけないと思っていたから。