花子 弐
夜にトイレに向かうとき、緊張することはないだろうか?
実際そこに何もいなくても、深夜の静けさによって研ぎ澄まされた感覚が、自身に訳のわからない警鐘を鳴らす場合がある。
ほとんどがそうだろう。何もいないのに、そこに何かあると勘違いをしてしまう。
だが、そうでない場合も当然ある。それは俺みたいな場合。
トイレの前でうじゃうじゃ人形が動いている場合とか。
「…何てことだ。あのダメ姉は人形のスイッチ切り忘れてんじゃねーか」
俺には姉が一人いる。名前は葛城真実。大学3年生で、オカルト系の怪しいサークルに入っているらしい。(自分は棚に上げて)
時々妙な壺や置きものが家に増えるのはこのサークルのせいなのかもしれない。
家は姉との二人暮らしで、姉は昔から凄腕の人形職人で、それでお金を稼いでいる。
まあ実際それだけでは補充できないので、親戚の家から援助を受けていたりするのであるが。
両親は他界。俺が物心つく前に事故で亡くなったらしい。
だから姉には凄く感謝している。凄く。でも、それとこれとは別問題。
我が姉は、人形に魂を込めることが出来たりする。“スイッチ”を入れるとその人形がその魂の情報にしたがって動きだすのだ。
今目の前でうじゃうじゃとうごめいている、全長30cmぐらいの高さの人形たちは、死後成仏できない子供たちの成仏を促すための器として働いている。
つまり、このわんさか動いている人形たちは、子供たちの魂が入っているのだ。
そして、“スイッチ”を切り忘れると今のように徘徊するのだ。
「…ったく、一人一人切るの凄く面倒なんだぞ」
俺は人形を一体一体拾い上げては“スイッチ”を切るという作業をひたすら行った。
姉は疲れているとき、こういう風に切り忘れることがある。姉によって生かされ、姉の身の回りの世話をしているためか、あまり俺には懐いていない。
それがまた、作業を面倒にする要因になっていたりする。
「…あの姉には説教が必要だな」
こうも人形がうじゃうじゃ動きまわっていては寝るに寝れない。
むしろよくあの姉は寝れているもんだと感心してしまったのだった。
「出席をとりまーす。まずは部長、葛城真。はい」
「以下省略だ」
いつもの部室で出欠のやり取りを行おうとしたが、霊歌先輩に止められる。
「今日はそれよりもやることがあるだろう」
「人間のぉ生気を吸うことですねぇ~!」
「そうか繋目。お前この世に未練はないんだな」
「わああああ待って下さい! 未練あるからここにいるんですよぉ!!」
いつものように巫先輩と繋目がじゃれ合っている。命を懸けて。
俺はずずっとお茶をすすりながらその光景を横目に、自分の机上にあるメモに目を落とす。
「橋崎さんが女子トイレで落としたタオルが、男子トイレに落ちていた」
後で橋崎さんに確認を取ったところ、繋目が拾ったタオルは橋崎さんのものと確認できた。
彼女にタオルを返す際、それっぽい言い訳を述べ、この件は片付いたことにした。
本当に片付いたかどうかは、俺達が調べるという算段だ。
そして、この件は怪異の仕業に見えなくもないが、変質者が女子トイレで拾ったタオルを男子トイレに放った可能性もある。
…いや、本当の変質者ならむしろ放らずに持ち帰るか。
何にせよ、わざわざ犯人がいるという証拠を残さなくてもいいのだろうかと少し考えてしまう。
「今夜、部室棟のトイレを散策しようと思う」
「え」
「な、ななな何だと!?」
繋目のポカン顔と、巫先輩のひきつった顔が俺を見る。
「念のためですよ、念のため。先輩は護衛として、繋目は同じ怪異だから探索を頼みたい。同行してくれます?」
「別に私、探索能力そんなにありませんよ~」
「それでもいいから」
「わ、私もどうしても行かなきゃダメか…?」
「まあ怖いなら別にいいですけど…」
「そ、そんなことはないぞ! い、行こう…」
俺って性格悪いよな。
霊歌先輩はあまり乗り気に見えなかったが、退魔一族のプライドか、帯同を決意したようだ。
それにしても、俺って非日常に愛されているととことん感じる。
そもそも、血縁が霊媒師やら傀儡師なのだから生まれた時から決められた運命だ。
夜の学校はやはり暗く、静かで、どんよりしている。
時刻は午後11時。本来ならば家にいなければいけない時刻で、当然学校にも入ってはいけないが。
まあそれは無視した。
「さて、部室棟に入ったのだが」
「で、電気くらいつ、っつけないにょか!?」
「いやいや霊歌さん。電気つけたら雰囲気…ではなく怪異が出ないですよ!!」
繋目が幽霊なのに生き生きしていた。
「繋目、今からかっても霊歌先輩は何も出来ないぞ」
霊歌先輩は怖がっているのを隠そうともせずに、フラフラ着いてきた。
「とりあえず、4階まで上がろうか」
なお、部室には巫家特製のお札が何枚も貼りついているため、結界みたいな感じになっている。
繋目はそのお札を無効化する札を体内に取り込んでいるため、出入りは出来る。
とにかく、部室まで行けば安全であることは3人とも承知なので、それについてはみんな賛同する。
まぁただでさえ、部室棟は旧校舎なのだ。そりゃあもう出る物は出放題であろう。
階段登っているときでさえ、気をつけなければならない。
「…やっぱり階段は止めよう」
俺は溜息を吐きながら階段を指差す。
「え?」
「ほら、一段多い」
「…!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
霊歌先輩が死にそうな顔をした。あ、これはもう限界かもしれない。
「ま、まぁまぁとりあえず2階のトイレを確認しましょう」
俺は霊歌先輩の腕を引っ張り、繋目と一緒に2階のトイレに向かった。
それまでもまた、低級霊と何体かすれ違った気がしたが、もう気にしない。
気にしたら負けだ。どうして俺はこんな簡単に怪異と会ってしまうのか。
「はい、着きました」
「着きましたね~」
「俺は男子トイレを見に行く。女子トイレの方をお願いしたい」
「了解で~す!」
「あ、あぁ…ま、まかせろ…」
…任せて大丈夫だろうか。
とりあえず俺は男子トイレの扉を開け、中を確認する。
明りは右手に持った懐中電灯のみ。足元に気を付けて慎重に足を踏み出す。
いざというときに足を滑らせたりしたら大変だ。そのいざというときが来ないことを祈るばかりだが。
「そういや何番目のトイレか聞いてなかったな」
仕方ないので手前から一つずつ調べるとする。
「ほい」
一つ目、異常なし。
「はぁ…花子さんが男子トイレにいたら、花子さん変態になっちまうしな」
元々こっちに花子さんはいないと考えている俺は、気楽に事を考えていた。
むしろ、女子トイレの方は大丈夫だろうか。一人は幽霊、一人は退魔師。
「…肩書きだけだと安心なんだがな」
俺はそう呟きながら二つ目の扉を開放する。
「…何の気配も感じない」
いよいよガセネタになってきたようだ。そもそも、この世に怪異がうじゃうじゃ居てたまるかっての。
…俺の周りは除く。
「でもこういうときに気を抜くのはまずいからな」
こういうとき、怪異が襲ってくるんだよな。
今回は花子さんか? 花男さんか?
3つ目の扉に手をかける。充分に警戒はした。
俺は勢いよく扉をぶち開けた。
「……」
誰もいないようだ。
「…こんばんわ~」
返事がない。ただのトイレのようだ。
「さて、女子トイレ見てくるか」
俺は個室に背中を向け、トイレから出ようとする。
「…?」
ざわざわした。
体中が危険だと反応していた。
こ・れ・は・ま・ず・い。
俺の身体はトイレに背を向けたまま、完全に硬直した。
「…やっぱり俺…怪異から愛されてるみたいだな」
「…ふふふ。私のことがきちんと感知できるのね、人間。面白半分に茶化しに来たのかい?」
「そういうわけじゃないんだが…とりあえず髪縛りを解いてくれないか?」
俺の身体には、女性のものと思われる髪の毛が纏わりつき、自由を奪っていた。
「ダーメ♡ 身動きの出来ない男の子を食べるのが趣味なの♡」
「…マジで変態だったのか」
トイレの花子さんらしき人物は、俺の前に回り込んだ。
「…あなた、100人の高校生男子を足して割った顔してるわね」
「うるさい。どうせ俺の容姿は平凡だ」
「無個性だと言われない?」
「うるさい!何で幽霊から容姿を弄られなきゃならんのだ!」
幽霊と軽口を叩きながら、時間稼ぎをする。もう少しであの二人も来るはずだ。
それまでの辛抱だ。
「平凡な男の子も嫌いじゃないわよ。生気をいただくだけなら十分♡」
「ぐっ…」
俺の身体を縛る力が強くなった。髪の毛が皮膚に食い込み始める。
「お前…名前はなんだ…何者だ…」
「私はトイレの花子さんって言われているけど、本名は前田華子っていうのよ」
「“はなこ”は合ってるのかよ! ってそう言ってられる余裕はないみたいだな…」
あの二人遅すぎる。何やってるんだ。
「人を待っているの? 無駄よ。この空間は私が結界を張ったもの。人間は誰ひとり近づいてこれないわ」
「じゃあ相手が悪かったみたいだな」
「は?」
「ようやく来たか…」
俺と華子さんの前に現れたのは霊歌先輩と繋目。
「ヒーローは遅れてやてくるものですよ!!」
「お前何かできたっけ?」
繋目が無い胸を強調するように胸を張る。
「そこの邪霊! 葛城を放してもらおうか!!」
「この結界を破壊するなんて、あなた…とその刀やるわね」
霊歌先輩が凛とした目で華子さんを睨みつける。ついでに刀も構えて。
「あら? あなた散々幽霊を怖がっていた子じゃない。大丈夫なの?」
「だ、黙れ!」
巫先輩はいざという時、自分の恐怖をプライドと正義感で乗り越える。
だから俺は彼女を連れていった。散々大丈夫だろうかとは思ったが、いざというときには頼りになると信じている。
「あはは♪ でも震えているわね。でもね、形勢逆転にはならなくてよ? この平凡な男の子は人質にもなるのよ」
「平凡平凡うるさいわ!」
さらに締め付けが強くなる髪の毛から俺がじたばた暴れる。
「私の圧倒的優位なのよ。この状況は。この子を殺すことも出来るのよ」
俺の首に髪の毛が巻きつく。あれ?マジで俺を殺す気ですか?
「…それはそこの平凡な男が人間だったらの話だ」
「霊歌先輩まで酷いですね!」
平凡平凡言いすぎだろ。と少し泣きたくなってくる。
「どういうこと? この男もそこの貧乳少女みたいに幽霊だとでもいうのか?」
「貧乳は余計です!! って正体バレちゃった~~~~~!!」
繋目がわめき始めた。
「幽霊に正体ばれてもどうってことないだろ!」
というか、いい加減俺を助けてください。…それとも自分で何とかしろということなのか?
「葛城。いつまで遊んでいる気だ。さっさと脱出しろ」
「遊んでいる訳じゃないですよ!!」
俺は叫んだあと少し溜息を吐いた。あんまりやりたくないんだけどな。
これ、“今”の身体が壊れるかもしれないし。
「予め言っておきます華子さん。勝手に散髪してすみません」
「は?」
「ふんっ!!」
俺は体中に力を入れ、巻きついている髪の毛を弾き飛ばした。
「あ、あ、私の髪の毛が…」
「はぁはぁ…やっぱこれ疲れるわ…」
俺はその場にしゃがみ込む。
「お、お前…平凡な外見の癖に…何者だ?」
「人間だよ。ただ、身体が人間じゃないんだ」
俺は傷ついても血が一滴も流れない身体を見せつける。
「もっと早く気が付いておくべきだったな」
「お前は一体…?」
「俺は…人形だ」
姉の作ってくれた人形が今の俺の体だ。俺は…幽体離脱ができる。
新亜昭和学園部室棟4階奥。オカルト研究会という奇妙なクラブの部室がある。
ほとんどの人間は不審がって近付かないが、たまに怪談系の依頼があったりする。
「で、結局お前何がしたかったんだ?」
俺はせっせと3人分のお茶を運んでいる全長30cmぐらいの日本人形に話しかける。
「…あー悪い悪い。口をパクパクさせることしかできなかったんだった」
前田華子という幽霊は、現在はトイレでは無くここに住み着き、俺達の世話をしていた。
「多分、話し相手や友達が欲しかったんですよ」
繋目がボソリと呟く。
「男の子の生気を吸っていたのはよくありませんけど、死者は出ませんでしたし、人に仇なすつもりはなかったんだと思います。橋崎さんに話しかけたのは、多分さみしかったから…」
「…」
幽霊同士、分かることがあるのだろう。突然この世から離れ、未練だけ残って成仏すらできない。誰にも見向きされず、誰にも話しかけられない。
そんな寂しさを彼女…繋目弥生はしっている。
「…俺たちに出来ることは、お前の話し相手になるくらいだけど…それでもいいならこれからよろしく頼むな」
俺は華子人形に手を差し伸べる。
何が伝わったか解らないが、華子人形は俺の手を握る。
そして俺も握り返す。今度は血が通った、人間の手で。
「また怪異が増えてしまったじゃないか!!」
霊歌先輩だけはどうやら不満があるようだ。
まあ無視しましたけど。