7 リコリスの消失
「おはよう、アイビス!」
『おはようございます、アスカ』
始業式を終え、日奈とも別れた蒼空は帰宅後昼食を取りそのまま『Blue Planet Online』へとログインしていた。
アイビスと挨拶を交わし、先ほどの日奈に使用する優先購入権の話をする。
と言ってもこれは確認の為すぐ終わり、いつものように美しく咲き誇る三輪の彼岸花に水をさす。
その後、所持アイテムを確認してからドアから畑へと転移する。
時間はまだ夜が明ける前の一三時五〇分。
このまま日の出フライトに繰り出そうとしたところで、アイビスが待ったをかけたのだ。
「どうしたの、アイビス」
『この間の一件について、運営から謝罪のメールが入っています』
「えっ?」
いったい何のことかと訝しむアスカだったが、その内容を見て理解した。
先日のランナーによる一斉クラン勧誘事件。
あの騒動の原因となったのが運営の行った授賞式でのアップデート内容だという事で、配慮に欠けていたと明確に謝罪する文が記載され、お詫びの品が梱包されていた。
中身はジル、有料ポイント、プレミアムランナーチケット。
そしてアバターリメイクチケットだ。
ジルはともかく、有料ポイントにチケットはこの間ランキング報酬として大量に貰ったばかりであり、正直いらないとすら思えてくる。
しかし、一度受け取ってしまった物は返せない上、アイビスが『状況を理解できない運営がお詫びとして出したものです。受け取っておきましょう』と毒を吐きながらも言い放ったので、アスカはそのまま受け取ることにした。
そして。
「で、これが……アバターリメイクチケット? アイビス、なにこれ?」
『アカウントIDはそのままに今使用しているランナー名、及びアバターのリメイクを行うチケットです』
つまり、アスカ自身の外見を変える事で他のランナーがアスカだと認識できないようにする、という事なのだそうだ。
現状、運営側は非を認めているが、クランシステムの導入は避けられず、それに伴うアスカの勧誘もまた止められない。
アスカに近付く者をすべて排除することも出来ない以上、アスカが姿を変えるか、フランの言っていたようにどこかのクランに入るくらいしか対処法がないのだ。
この事をアイビスから説明され、頬杖をついて考えこむアスカ。
特にこだわって作った訳ではないが、あの激しいイベントを戦い抜いたこの姿にも愛着はあるのだ。
『どうされますか、アスカ?』
「……うん、決めた。名前と姿はこのままにするよ」
『よろしいのですか?』
「うん。どこかのクランに入ればいいわけだし、強引な人はアイビスが対処してくれるんでしょう?」
実はこの間の一件以降、アスカは強引な勧誘はおろか、クランのクの字すら他のランナーから聞いていない。
気になる事と言えば、何か意を決したように近付いてきたランナーがいきなり足を止め、愕然としながら回れ右。
そのまますごすごと帰っていく様子が激増したことだ。
アイビスは何も言わないけど、きっと私の為にいろいろとしてくれているんだよね。
と、アイビスに絶対の信頼を置くアスカは彼女に任せ、慣れ親しんだこの姿のままでいる事を選択した。
『もちろんです、アスカ』
「うん、じゃあお願いね」
『了解しました』
なお、ここまで勧誘を受けずにこれたのはアスカの推測通りアイビスのおかげだった。
前回の騒動の後、事情と状況を事細かに運営に報告。
今後の対策としてアスカに勧誘をかけそうな人物に対し、前もって警告文を表示する許可を得ていたのだ。
「それじゃあ、今日もまず日の出フライトからだね!」
この一件に片を付けたアスカは、ラクト村を出るとそのまま離陸。
身に纏うのはイベントで大戦果を挙げた飛雲。
今は膝のセンサーブレードと両翼端の対空レーダーは作動させていない。
これは単純にフリーフライトを救難信号などで邪魔されたくないから。
翼端のレーダーは固定武装の為外せず、膝のセンサーブレードは使用しない為本来ならば不要。
だが、対になっている増槽は必要であり、片方だけ付けると飛行バランスが狂うという事からセンサーブレードも搭載しての飛行。
イベントの広大なマップを飛行するために用意された飛雲の能力はすさまじく、東のラクト村を起点に、南のバゼル港、西のトティス村、北のジーナ村と、村の自動回復範囲内に入らずとも一周出来てしまうほど。
ここ最近のお気に入りは普段飛行している高度よりはるか上空。
5000m相当の高さだ。
通常であればここまで登るのには相当の時間を要するが、そこは左右の腰に付けたメラーラマーク35で補い、一気に上昇。
目標高度に到着次第メラーラマーク35を切り離し、滑空へと移行する。
「うん、相変わらずいい空だねぇ!」
そこは普段見上げる事しかない雲が視線の横、もしくは下に見えるほどの高い場所。
リアルであれば酸素マスクに防寒服などが必要になるが、ゲームの世界では一切必要ない。
アスカは地上に居る時と同じホットパンツに肩出しノースリーブだが、寒さや息苦しさは一切ない。
主翼が生みだした揚力でこの高さにとどまり、360°のパノラマと日の出を堪能する。
「うん、うん! 今日も綺麗だね! ……あれ、雲の形が違う?」
飛雲のエンジンを止め、滑空に移ったアスカ。
主翼を水平にし、音もなく誰もいない大空を滑る中、ふとした変化に気が付いた。
それは昨日まで夏らしい入道雲が浮かんでいた空が、今この瞬間は小さい欠片のような雲が魚の様に群れを成していたのだ。
この雲の形は普段から空を見上げているアスカにとっては身近な物。
秋の季語ともされるうろこ雲、巻積雲だ。
『季節が変化しています。今月は秋になりますので、空もその様子を変化させています』
「そうなんだ! うわぁ……綺麗……」
東のガイルド山岳から朝日が昇り、小さなうろこ雲ひとつひとつを朝日の色で染め上げる。
視界一面の朝焼けをフリーフライトで満喫したアスカは、ゲーム内が昼時間になるまでひたすらに飛び続けたのだった。
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日の出フライトを終え、ラクト村の畑に戻ってきたアスカ。
そこには今日も出勤してきたハルがせっせと農作業に勤しんでいた。
今までは青々としていたアスカの畑。
だが、今日は様子が違っていた。
MPポーションの材料となる魔力草は変わりないのだが、他の夏野菜や夏の花々たちが軒並み枯れ、色あせていたのだ。
見れば、ハルの農作業も今までの様に花の手入れや野菜の収穫と言ったものではなく、枯れた植物たちを根から引き抜いている。
何か重大な育成ミスでもしたのかと焦ったアスカはハルに駆け寄り、声をかける。
すると、彼は今までと何ら変わりない無垢な表情でアスカを見た。
「あ、マスター。おはようございますなの」
「うん、おはようハル。ねぇ、この草花って……」
「季節が変わっちゃったから枯れちゃったの」
「そっか、もう秋だものね」
季節のある『Blue Planet Online』の世界。
四季折々の草花や果実などの旬のものがあるという事は、その季節を外れると枯れるという事に他ならない。
特に、アスカとハルが畑に植えた物は毎年花を咲かせる多年草ではなく、適した季節にだけ色鮮やかに咲き誇りワンシーズンで命を終える一年草がほとんど。
秋になり、気温が下がった事で夏の草花たちはその生涯を終えたのだ。
「なら、残念だけど抜いておかないとだね」
「なの。抜いたあと肥料をいれて耕せば、秋の草花が植えられるの」
「そうなんだ! 秋の草花か……何かあるか……あぁっ!」
「ど、どうしたのマスター、大きな声出して?」
「ハル、秋だよ、秋!」
「なの?」
ハルから秋の草花を植えられると聞いて、考え込む……事なくアスカは大きな声をあげ、落ち着きなく動き回る。
その興奮具合はすさまじく、ハルに内容を伝えようとするも単語だけを連発し、まったく伝わらない。
ハルに首を傾げられ、アイビスからも落ち着くよう諭され、そこでようやく動きが止まるアスカ。
胸に手をやり、一回深く深呼吸。
心を落ち着かせてからもう一度ハルへ語り掛ける。
「ハル、秋ならリコリスも植えられるよね?」
「リコリス? あ、彼岸花なの! マスターの好きなお花なの!」
「そうそう、彼岸花!」
「問題ないの! 今日土づくりして、明日植えれば数日で綺麗に咲くの!」
「やった! なら、土を作ってから球根買ってこないと!」
そう、秋はアスカがエンブレムに、そしてコールサインにするほどに愛してやない花、リコリスが咲く時期なのだ。
マイホームの四季の魔法鉢にもリコリスが咲いているが、これは咲く時期を無視し、枯れる事もない魔道具だからこそ。
地に植えて花を楽しむならば、季節を待ち、種や球根を植えなければならない。
なお、本来なら秋にリコリスを咲かせるなら夏に球根を植えなければならないのだが、そこはゲーム故のご都合主義。
秋に植えればすぐに花が咲く。
すぐにでもリコリスの球根を買いに行きたいが、枯れた草花の抜き取りと土づくりをハル一人に任せるのも申し訳がない。
アスカはすぐさま畑に入り、ハルと一緒に農作業を開始。
途中で遊びに来たフランや、鬼人スナイパーのキスカ達とお茶を楽しみ、その日のうちに畑づくりを終了した。
そして、翌日。
「リーネさん、魔力草の採種とリコリスの球根ください!」
「なの!」
「あらあら、アスカちゃんにハル君。いらっしゃい」
学校を終え帰宅し、すぐさまログインしたアスカはハルを連れてミッドガルのフラワーショップを訪れていた。
ここの店主の妻であるリーネが二人の声に反応し、笑顔で出迎えてくれる。
「魔力草は良いのだけれど、リコリスの球根?」
「はい、私リコリスが大好きなので。畑一面のリコリス畑を作ろうと!」
「アスカちゃんはリコリスが好きなのね」
「世界で一番好きな花です!」
ドヤ顔で話すアスカに、くすくすと笑うリーネ。
彼女はランナーではなくAI操作のNPCではあるが、その笑顔は紛れもなく本物だった。
リーネは魔力草の採種を旦那であるケルヴィンに任せ、店内の球根売り場からリコリスの球根をアスカのもとへ持ってくる。
「とりあえず、今うちにあるのはこの種類。バックヤードにはまだもう少し球根の在庫があるわ」
「種類があるの?」
「うん、リコリスって言うのはね、赤い物だけじゃないんだ」
いつもは聞く側であるアスカだが、ことリコリスに関しては他人に教える事が出来るだけの知識を持っている。
弟のようなハルを相手に、お姉さんっぽく説明を入れる。
皆がイメージするリコリス、彼岸花は赤でありもっとも普及しているが、園芸として人気のあるリコリスは品種改良が進んでいる。
秋ごろに花を咲かせ、散った後に葉が伸び、夏の間は休眠するというのは共通している。
しかし、品種改良されたものは花弁の大きさや形状、花の色などに違いがあるのだ。
基本色である赤いラジアータ。
白い花を咲かせるエルジアエ。
ピンク色のアルビフローラにスクアミゲラ。
大きく黄色い花を咲かせるオーレア。
花弁の先に青のグラデーションが入るスプレンゲリー、ジャクソニアナ。
アスカが特に好きなのは、ピンクの花弁の縁に白い線が入るさつま美人と呼ばれるリコリス。
「すごいいっぱいあるの!」
「アスカちゃん、物知りさんね。でもごめんなさい、ここにはラジアータとエルジアエ、オーレアの三種類しかないの」
「いえいえ、それだけあれば十分です!」
「ふふふ、ありがとう。それで、いくつ必要なのかしら?」
「全部です!」
「……え?」
「……なの!?」
アスカの発した言葉の意味が分からず、凍り付く二名。
ここ最近ではもはや見慣れた光景だ。
「魔力草以外の部分、全部リコリスで埋め尽くします!」
「その顔は……あらやだ、本気だわこの子」
「マスター、すごいの!」
元々、リコリスの球根の値段は高くない。
植えっぱなし肥料無しでも毎年花を咲かせ、分球で増えて行くほどに生命力の強い花なのだ。
自生している場所を掘り返せば簡単に手に入るという事もあり、オーソドックスなラジアータであれば一個10ジル程度で購入できる。
「お待たせ、採種終わったよ。……どうしたの?」
「あらあなた」
採種を終わらせ三人のもとへと足を運んだケルヴィン。
だが、笑顔満開、ご機嫌のアスカと、それとは対照的に困惑の表情を浮かべている二人についつい問いかけてしまう。
そして語られるリコリス畑計画。
計画主がイベントMVPのアスカとあっては、もはや誰も止める事は出来ない。
そういう事なら、と笑いながら店内のバックヤードへと消えて行くケルヴィン。
その笑みは呆れなのかそれとも嬉しさなのか。
しばらくして戻って来たケルヴィンが持っていたのは、バケツ一杯の球根。
「これがウチにある全部だよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
「でもあなた、これだけじゃあアスカちゃんの畑は埋め尽くせないわよ?」
「なの。全然足りないの」
「それなら……ミッドガルを含めたすべてのフラワーショップから買い占めればいいんじゃないかな?」
「その手がありましたか!」
ケルヴィンの言葉に、笑顔と言う花をさらに咲かせるアスカ。
見るものすべてを浄化しそうなほどにまばゆい笑顔に、リーネ、ケルヴィンはおろか、ハルまでもが引いていた。
「アイビス、ミッドガルと周辺の四村、全てのフラワーショップを教えて!」
『……了解しました』
「あ、そうだ、マギお婆ちゃんのところにもあるかも! アイビス、薬屋さんも追加で!」
『…………了解しました』
購入したリコリスの球根をハルに任せ、フラワーショップを飛び出すアスカ。
台風の様に駆け抜けた彼女を、ハルたちは見ている事しかできず、ただただ顔を見合わせるのみ。
だが、その顔はアスカ同様笑っていた。
そして、この日『Blue Planet Online』における全ての店から『リコリスの球根』が消えたのであった。
タイトル詐欺ではありません。
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嬉しさのあまり大鳳から発艦してしまいそうです!
第二部開始がコミックになりました!
作画 茜はる狼様
大空に飛び立つアスカの笑顔、ご堪能ください!
https://mobile.twitter.com/fio_alnado/status/1414064463934750724