幼馴染の後悔(2)
王都で騎士の登用試験を受けたおれは、あっさり合格した。うぬぼれでなく、受験者の中で一番の実力だったと思う。拍子抜けするほど周りが弱かった。
実際に入団してみると、団員も見習いと変わらないレベルだった。おれより腕の立つ人なんて、いないんじゃないか……?
古参の人はそこそこ強かったが、若い人の中には、走ることすら難しそうなほど太った人もいる。これが騎士団? 村の警備隊の方がよっぽど強い。
「なあに、魔獣退治は団長がやってくれるんだ。俺たちはちょっと見回りに行けばいいんだよ」
太鼓腹を揺らして笑う男は、メレンゲ公爵家の次男だ。この中で一番爵位が高いから、何の役職にもついていないのに、ずいぶん威張り腐っている。先輩を顎で使うなど、やりたい放題だった。
呆気にとられたが、権力に楯突いて睨まれるのはごめんだ。適当にヨイショしながら力仕事を代わってやると、気に入られ、遊びに連れて行ってもらえるようになった。
うまい料理に、きらびやかな服、アクセサリー。初めて足を踏み入れる王都の店は、まるで夢の世界のようだった。便利な魔道具も多く、日常生活はずいぶん楽である。掃除も水汲みもしなくていいなんて! 田舎の村はなんて遅れているんだろう。
娼館に連れていってもらい、初めて女を抱く楽しみも覚えた。ジルばかり追いかけてきたが、おれだって元々顔はいいからモテていた。それはここでも変わらない。小隊長になると、貴族の令嬢まで寄ってくる。結婚までだと自分に言い訳をし、女達と適当に付き合うようになった。
「ファルクの実力は団長の次と聞きましたわ。副団長も望めそうですね。……でも、平民で魔力なしとなると、いくら剣の腕がよくても、ちょっと難しいかも……」
食事をしながら上目遣いに話す令嬢は、男爵家の長女だ。小動物のよう可愛らしくて、貴族らしい品がある。想像していた通り、王都の女は皆上品できれいな装いをしていた。だが、ジルの母親のような女性はいなかった。あの人は本当に特別な人だったんだと、改めて実感する。そして、ジルも。彼女ほどきれいな娘は王都にもいない。ガサツで口が悪いけれど……
ぼんやりジルを思い出しながら、令嬢と会話を続ける。
「やはり、出世するためには身分も必要なのですね」
「ええ。でも……私と結婚すれば……父の支援を望めるかもしれませんよ?」
でも、おれが好きなのはジルだ。だいたい、この令嬢とはそんなに真剣な付き合いじゃない。
「村に婚約者がいるんですよ」
「ああ、田舎の村娘。化粧もしないんでしたっけ」
「ええ。キュウリを丸かじりするような女です」
「まあ! 田舎には野猿のような娘がいるのですね」
令嬢の言葉に眉をひそめた。ジルは確かにガサツで色気もない。でも、目の前の令嬢よりよっぽどきれいで愛嬌がある。
「昔の約束とはいえ、出世の邪魔になるなら、さっさと解消なさった方があなたのためよ」
その夜、おれは考え込んだ。
平民のままでは出世できない。それではジルを守れないではないか。彼女を王都に呼び寄せれば、間違いなく大騒ぎになる。貴族に目を付けられたら、かばいきれない。じゃあ、どうすればいい?
……貴族の娘と結婚して確たる地位を手に入れ、ジルのことは遠くから支援すればいいんじゃないか。そうだ、貴族には愛人の一人や二人いてもおかしくない。
考えをまとめると、さっそく父宛てにジルとの婚約を解消したい旨の手紙を書いた。父はジルの後見人だから、実質親代わりだ。父ならうまく説得してくれるだろう。
ついでに金の融通を頼んだ。女と付き合うには、高いレストランや贈り物など、とにかく金がかかる。
だが、送金はすぐにしてもらえたものの、婚約に関しての返事はノーだった。ジルが泣きながら嫌がるというのだ。彼女に仕事を手伝ってもらっているから、あまり強くも言えないらしい。
「あのジルが泣いた……?」
いつもにぱにぱ笑っているのに、おれには白けた視線しか向けてこなかったジルが? おれがいなくなって、やっとおれの価値に気付いた……ということか!!
おれはジルに完全に勝ったような気がして、うれしくなった。
魔法誓約がある以上、一方的に婚約破棄はできない。おれは男爵令嬢と付き合いながら、もう少し様子を見ることにした。
「ファルク、わたし結婚することになりましたから」
ある日、いつものように連れていった高級レストランで食事を終えると、彼女がいきなり切り出した。
「えっ!?」
意味が分からず、間抜けな返事が出てしまった。
「父の命令で、商家のご長男の所に嫁ぐことになりましたの。ちょっと年上だけど、裕福なお宅だから、まあまあの相手ですわね」
「そんな! 『私と結婚すれば』って言ったじゃないか!!」
「でも、あなたは婚約解消できてないんでしょう? いつまでも待ってられませんもの。ファルクはかっこいいから、ただの騎士様でもいいと思いましたけど」
令嬢は薄く笑いながら手を振り、去って行った。
おれは唖然とした。『父の支援』なんて都合のいいことを言ってたくせに! 高い物を奢り、贈ってきたのに、あっさり別れを切り出された。
騎士仲間に愚痴ると、大笑いされた。
「まあ、女なんてそんなもんだよ。いい結婚相手を探すことしか考えてない。それより、男爵家の支援って……ハハハ、何の足しになるんだよ! お前、そんな言葉を信じて貢いできたのか」
皆から貴族の力関係を教えられ、おれは愕然とした。貴族の序列ぐらいは知っていたが、そんなに力の差が大きいなんて知らなかった。嫁に出た娘には、なんの爵位もないことも。貴族の娘と結婚すれば、貴族の一員になれると思ったのに……
おれは、なんて無知だったんだろう。
つぎ込んだ金が悔やまれる。娼館の方がよっぽど安上がりだった。
意気消沈しながら訓練をしていたある日、魔獣退治のためにほとんど出ずっぱりだった団長が訓練場に顔を出した。入団してかれこれ一年になるが、団長の顔を見るのは初めてだ。
「あっ!」
訓練場に現れた人を見た瞬間、おれは短く声を上げてしまった。あの人だ! ジルの両親を殺した……! あんなことをしておきながら、やっぱり何のお咎めもなかったのか……!
あの人が団長だったなんて。いや、えらく強い人なんだから、当然じゃないか。
おれの声を聞き、団長がこちらに顔を向けた。クライブ様が耳打ちをすると、こちらに向かってくる。
あの時の光景が蘇り、サーッと血の気が引くのを感じた。
「お前がファルクか。なかなかいい腕をしているそうだな」
「は……え、えぇ?」
「期待している」
思いもよらぬ言葉をかけられて、呆然とした。この人がジルの両親を……? そんな雰囲気は微塵もない。だけど、整った強面は紛れもなくあの時の騎士だ。体全体から感じる強さも同じ。何よりも、強い魔力を現す黒髪黒目はそうそういない。
あの時のことは、田舎での戯れだったのか……?
まさか直接聞くわけにもいかず、おれはもんもんとした気持ちを抑え込んだ。
その後、知れば知るほどセド団長は素晴らしい人だった。
恐ろしいほど腕がたつ魔力もち。王都の安全は彼によって確保されていると言っても過言ではない。王家すら逆らえないほどの力を手にしながらも、決して驕ることなく、ひたすら任務に明け暮れている。反抗的な公爵家の次男坊を叱り飛ばし、誰にでも公平な態度をとった。
あの時感じた力への憧れは、団長自身への憧れになった。
公平な態度の団長を見て、おれは再び希望を胸に抱いた。稽古に励み、汚れ仕事も進んでやった。
そしてついに、魔獣討伐で手柄をあげ、望むものを手に入れた!
王女様の降嫁に伴い、伯爵位を認められたのだ。
“英雄ファルク”としておれの名は広まり、どこに行っても称賛された。
セド団長が休暇を取ると、おれは騎士団で一番の実力者だ。団員は誰もおれに指図できない。最高の気分だった。
あのメレンゲ公爵が特におれに期待をしているようで、あちこちの貴族に紹介してくれる。貴族のツテができると、贈り物や祝い金もたくさん届いた。
給金が上がり、褒美をもらい、金の心配が全くなくなると、唯一の気がかりはジルのことになった。手紙で婚約解消を打診しても、返事はいつもと同じ。だが、王女様と結婚するのだから、今回はのんびりしてなどいられない。
そのことを父親に伝えると、とんでもない返事が返ってきた。
なんと、ジルが税をごまかしていたというのだ!
真っ直ぐで正義感の強い、あのジルが? 金に執着なんかしなかったのに。
いや……あれからもう三年。彼女ももう子供じゃない。変わってしまったのかもしれないな。
せっかく手切れ金ぐらい用意しようと思ったのに。
彼女を罪人として告発するという父を止め、おれは刺客を送ることにした。好きだった女が罪人になる姿なんて見たくない。それならいっそ……
―――― どこで間違ったのだろう。
結果的に、おれのやってきたことは、彼女を傷つけただけだった。
女につぎ込んだ金は、ジルの金だった。彼女に罪をなすりつけたのは自分の父だった。それを黙認したのは母だった。
自分は……こともあろうに、彼女を殺そうとした。
どんな言い訳もしようがない。
レストランで真っ先にジルの怪我を確認したセド団長。団長を見て、ほっとしたように表情を緩めるジル。彼女のそんな顔を見るのは初めてだった。
二人は間違いなく思い合っている。
彼女を守りたいと思うなら、ああやってジルに接してやるべきだったのだ。
彼女の優しさに、おれ達一家は甘えてしまった。おれのやったことは自己満足でしかなかったんだ。
すべてを失ったおれに、償えることなど何もない。
幸せになってほしい……
祈るぐらいは、おれにも許されるだろうか。




