第三十七話 変わらないまま
長らくお休みをしまして、申し訳ありませんでした
硬そうに見えた石だが、衝撃には弱かったらしい。一噛みでパキッと音がした。月明かりに透かしてみると、クモの巣状にヒビが入っている。ぐっと指先に力を込めたら、粉々に崩れてしまった。砂のように手からこぼれ落ち、淡いピンクの光を放ちながら霧散していく。
まるで、粉をまき散らしながら踊る妖精でもいるみたいだ。みんなの魔力を吸った恐ろしいものだというのに、妖しいほど美しい。
しばらく漂っていた光が消えると、再び辺りは月明りだけになる。セド達とつながっていた光も完全に消え、わたしはほーっと大きく息を吐いた。
でも、まだみんなは苦しそうだ。セドは片膝をつき、息を荒げている。
「セド、しっかりして!」
駆け寄って背をさすると、セドは顔を上げ、安心させるように口角を上げた。脂汗が浮いて苦しそうなのに、無理をしている。
「枷をつけなければ……」
よろよろと立ち上がって、女性の方に足を踏み出す。でも、すぐにバランスを崩して倒れそうになり、わたしは慌てて彼を支えた。
「その枷、貸して。わたしがやるよ」
ためらう彼から枷を奪い取り、俯いたまま呪文をぶつぶつ唱え続ける女性に近づいた。この人はきっと、セドが好きだったんだろう。セドを助けたい。セドに認めてもらいたい。そう思って、あんな真似をしたのだと思う。その気持ちは理解できる。
……わたしもセドが好きだから。
「これ、つけてもらうよ」
ハッとしたように顔を上げて、彼女がこちらを見る。枷に気付くと、目を見開いてぷるぷると首を振った。
「いや、いや……」
震えながら後ずさっていく。何の光も宿さない瞳とほつれた髪の女性に、さっきまでの上品さはかけらも見当たらない。むしろ、おとぎ話に出てくる魔女みたいだ。
この人は、セドへの気持ちを利用されてしまった。気の毒だと思う。でも、禁を犯し、魔獣を苦しめることに何の疑問も持たなかったのは、彼女自身だ。
結果的にセドも苦しめた。責任はとってもらわなくてはいけない。
「何が『いや』だよ! セド達をこんなに苦しめて。ちゃんと自分の行動の責任をとりな!!」
腕をとってガシャンと手首に嵌めた瞬間。
「ぎゃああ」
目の前で女性が大きな叫び声をあげた。
真っ黒なモヤが体から立ち上り、全身に広がっていく。苦しそうに体をかきむしってもがくが、モヤはまとわりついて離れない。とうとう全身がすっぽり覆われてしまい、声も聞こえなくなった。
魔力を封じ込められるって、こんな風になるのか。とても見ていられない。
目を逸らして横を向くと、セドがいつの間にかわたしの背後に来ていた。
「ジルは見なくていい」
視界を閉ざすように、また抱きしめてくれた。ぎゅっと、ぎゅうっと。
セドの胸は温かくてとても安心する。
「ジル、無事でよかった。本当に」
「助けてくれてありがとう」
「いや、助けてもらったのはこっちだ」
セドは笑おうとしたが、うっと呻いて顔を歪めた。
「無理しちゃだめだよ! 中に入って休んで。お医者さんを呼んでくる!」
その時、再びドガドガとこちらに近づく馬の足音が聞こえた。五頭以上いる。
誰?
彼女の仲間……?
目を凝らしてこちらに来る集団を見つめていると、やってきたのは見知った顔だった。
警備団とドラトル先生だ!!
「おお、セド殿も来てくれていたとは」
わたしはほっとして、再び視界が滲んできた。こんな時に泣くなんて情けない。しっかりしなくては!
「先生!! セドが……家畜たちが……助けて……」
「何があったんだ? キースが黒いニワトリを乗せてやってきてな。騒ぎ立てるので、ジルに何かあったんじゃないかと警備団に駆け込んだんだ」
「そっか。うちの子達が助けを呼びに行ってくれたんだ。ありがとう。ありがとう……」
泣きべそをかくわたしが珍しかったのだろう。先生は驚いた顔をした。だが、それ以上は何も言わず、すぐにみんなの治療を開始してくれた。
その後、セドはわたしの家で療養することになった。
……と言っても、寝込んだのは一日だけで、すぐに元気を取り戻したのだが。ニワトリ達もキースも元気を取り戻し、すっかりうちは賑やかになった。
セド言わく、「内臓を雑巾絞りされたような苦しみ」だったそうだから、元気になって何よりだ。
そして彼は、リハビリと称してうちの子達の世話をしてくれている。魔獣観察も兼ねると言ってくれたおかげで、王太子殿下に魔獣を飼う許可ももらえた。感謝の気持ちでいっぱいだ。あの時は頼りないなんて思っちゃって、申し訳ない。反省。
セドは魔力もちなのに、ほとんど魔力を使わずに仕事をしている。掃除や餌やりを実に楽しそうにやっているから不思議だ。やけに脱走鶏と仲がいいのも解せない。もう誤魔化す気はないのか、黒いままのヤツは、今も鶏小屋を掃除するセドの頭にとまっている。
何故、そんなに一緒にいる……? ずるいぞ。
「鶏小屋は終わったから、朝食の準備をしてくる」
「うん。ありがと」
牧場での仕事を終えて台所に入ると、おいしそうな目玉焼きが焼き上がったところだった。ふっくらパンも焼き上がっている。ずっと使っていなかったかまどは、セドの手でピカピカに磨かれ、毎日大活躍だ。
「今日もおいしそう! いただきます」
「ああ。たくさん食べてくれ。昼はシチューにでもするか。本当は約束した海老のスープを作ってやりたいんだが、材料が手に入らなくて」
「ええー! そんなこと覚えててくれたんだ」
「もちろんだ。大切なジルとの約束だ。そうそう、天井画のことも調べたぞ。あれは、建物を建てた時に描いたものをはめ込んだそうだ」
「そんなことまで調べてくれたの? すごい、うれしい。ありがと」
わたしがにんまり笑うと、セドも目を細めて微笑んだ。穏やかで優しい顔だ。前はコワモテだったのに。今では優しいお兄さんにしか見えない。
一緒に過ごす毎日は、なんて幸せなんだろう。
「でも、海老はどうにも手に入らないなあ。ジルに食べさせてやりたいのに」
「こんな田舎じゃ無理だよ」
「そうだな。リューに届けさせるか」
急に出た王太子殿下の名前に、ドキッとした。王太子殿下を愛称で呼び、顎で使う……
そうだ。彼はそういう立場の人なんだ。最強の魔剣士で、王都に居なくてはならない人。それに……王女様と結婚する人。力も地位もある、わたしと違う世界の人。
忘れちゃいけない。
セドがここにいる本当の目的は何だろう。そして、いつまでここにいる……?
ずっと一緒にいるのに、わたしは肝心なことを何もセドに聞けていない。
結局、わたしは大事なことから目を背ける人間のままだった。
次話で最終回です