第三十六話 会いたかった人
振り上げられた拳を睨みつけていたわたしの耳に、ドドドッとものすごい勢いで走ってくる馬の足音が聞こえた。
「コケッケー!」
「ジルー!!」
脱走鶏の鳴き声に重なって、ずっとずっと恋しかった声がかすかに聞こえる。
「セド!!」
男達はわたしから手を離し、道の先を凝視した。
「おい、ドガドガと何の音だ?」
もう一人が黙って首を振る。こいつらにはセドの声が認識できていないらしい。
「団長のことなんか呼んじゃって、可愛いとこあるじゃないか。でもな、団長がここにいい材料があるって言ったんだよ」
「嘘だよ。セドは絶対にそんなこと言わないよ!」
「ハハ、団長のこと好きなのか? 身の程知らずだな」
その言葉がわたしの心にストンと落ちた。
好き? そうか、わたしはセドが好きなんだ。だから、会いたくてたまらなかったんだ。でも、王女様と一緒のところは見たくないから、会いたくなかった。
こいつの言う通り、身の程知らずもいいところだ。
「信じようが信じまいが、どっちでもいいさ。さっさと魔法石をよこしな」
わたしの胸元に手を伸ばした瞬間、男がピタリと止まった。
「うっ……なんだ?」
苦しそうに呻き、ドサッとわたしの上に倒れこむ。
重いじゃないか! やめてくれよ。
モゾモゾ身をよじって抜けようとするが、全くどく気配がない。もう一人も喉元を押さえて蹲った。二人ともウーウー唸るばかりでうるさい。
異常に重いと思ったら、空気そのものが重くなっていることに気付いた。これは王城でセドがやったやつだ。いや、あの時よりもっと重い。深い水の中に沈んでいくのかと思うほど、空気が重みを増している。
「ジルー! ジルー!!」
セドの声が近くなった。空耳じゃなかった。来てくれたんだ!
「セド!!」
わたしは力いっぱい答えた。顔だけを動かして見上げた彼は、月明りを浴びて雄々しく輝いている。
助けに来てくれたんだ。すごくうれしい。
輪郭がぼやけてはっきり見えない。もっとよく彼の顔を見たいのに、自由にならない手は涙を拭うこともできなかった。
ぼんやりと、キャルの後ろにキースがいるのが分かった。何か黒い塊を乗せているが……
「コケケー!」
黒い塊は、なんと脱走鶏だった。あいつ、普通の白いニワトリだと思ってたのに、黒だったのか。
キャルから飛び降りたセドは、わたしの上にのっかっている男を蹴とばした。
「ううぅ。セド……団長? なんで……」
「貴様はこの前、公爵家の次男坊とともに騎士団を除隊処分になった奴だな。ジルに何をした!!」
セドは優しくわたしを起こしてくれた。
「セド、助けにきてくれたの?」
「ああ。遅くなってすまない。もう大丈夫だ」
そう言って、わたしを強く強く抱きしめた。広い胸にぎゅっと。
あったかい。
うれしくて、涙がまた溢れてきた。
「セド、うぐ、ぐ、会いたかったぁ。う、うぐ、きでぐれで、うれじい」
えぐえぐ泣きながら、セドの胸に縋り付いた。
「そ、そうか。ジル、オレに会いたいと思ってくれたのか」
「うん。ごべんね、挨拶もしないで……」
「いいんだ、そんなこと。魔術師が向かったと聞いて、慌てて駆けつけたんだ。ケガは?」
抱きしめていた腕を緩め、わたしの様子を確認する。からまったロープをほどこうとして、はだけた胸元に目を留めた。ゴゴゴッと音が聞こえるほど怒りを露わにして、男達を睨みつける。
「貴様ら! ジルになんてひどいことを。こんなあられもない格好にするなんて……この場で切り刻んでやる」
「ひ、ひぇ!! な、な、なにもしてません!!」
「ジルがこんな格好だというのに、言い逃れができると思ってるのか!」
いやあ。ごめん、そこは本当に誤解だよ。でも、面倒だから黙っておいた。殴られたのは事実だしね。男たちは歯の根をガチガチ言わせながら震えている。いい気味だ。
脱走鶏が短い足で走り寄ってきた。ロープを睨むと、しゅるしゅると動き始め、動けない男達を縛りあげた。
こいつ、こんなことができるのか! 魔力もちっていうのは本当だったんだ。じゃあ、他の子たちも? 全然気付かなかった。
「セド様。なぜ、そのような娘に触れているのです?」
場にそぐわない落ち着いた声が聞こえた。あの女性だ。その凪いだ声がかえって不気味に聞こえる。
振り向くと、美しい笑みを浮かべて女性が佇んでいた。
「お前がリアラか」
「お前とは、ずいぶんではありませんか。『ここで魔力を集めてこい』と、セド様に命令されたから、こんな片田舎まで来ましたのに」
「ふざけるな! それはメレンゲ公爵の言葉だ。お前は公爵に利用されただけだ」
彼女の顔に驚愕が広がる。本気でセドに頼まれたと思っていたんだ。
「そんな……! だって、セド様が私に助けてほしいって……魔力不足が解消されれば、私と一緒になれるって……」
「はあ? お前の顔も知らんのに、何を言ってるんだ」
「そんな……」
フラフラとこちらに近づいてくる。目が完全に闇の目になっていた。ぽっかりと穴が空いたように、何の光も宿っていない。
「愚かだな。そんな戯言に乗せられるとは」
「戯言!?」
「ああ。第一、その魔法石のせいで魔獣の暴走がひどくなるというのに」
「な、何を根拠にそのようなことを……」
「メレンゲ公爵令嬢が襲われたのはその石のせいだと、王女様の調査でも明らかになった。お前は禁を犯した魔術師。その処遇は分かっていよう?」
セドはポケットから黒光りする鎖のついた枷を取り出した。
「そ、それは……魔力封じの枷! 何故、わたしがそんな物を!? あの術をマスターすればセド様がわたしの力を認めてくださるって、公爵様が言ったから必死に練習したのに!」
「必死に動物達を苦しめていたというのか。愚かとしか言いようがないな」
枷を令嬢につけようと、セドが手を伸ばす。だが、彼女は頭を抱え、激しく首を振って喚きだした。
「いや、そんなのいやー!!」
大きな声で叫ぶと、蹲ってブツブツ呪文を唱え始める。黒髪がほつれ、凄みが増した。
「お、おいやめろ!」
セドが急に胸を押さえ、苦しみ始めた。
「セド!! どうしたの?」
背中をさするが、そんなことでは収まらない。ふと気づくと、キースや脱走鶏も苦しそうに暴れだした。
「な、なに? なにが起こったの?」
セドの背中から、ピンクの光がゆらゆらと立ち上る。それがまっすぐこちらに向かってきた。一筋の光となって胸元に流れ込む。セドだけじゃない。キースや脱走鶏からも同じものが流れてきた。
「は! この石か!!」
さっきニワトリたちがやられていたのと同じ現象だ。セド達は魔力を吸い取られているんだ。
脂汗を流し、苦悶の表情でセドは令嬢に向かおうとするが、ガクッと膝をついてしまって動けない。
「セド!!」
なんとかこの流れを止めないと。どうすればいい? さっきは地面に転がって消えたんだっけ。でも、この石がある限り、呪文を唱えられれば何度でも同じことが起こる。どうすればいい? どうすれば……
こんなもの無くなればいいんだ!
わたしは石を咥え、思いっきり歯で噛み砕いた。




