第三十一話 魔獣討伐(3)
森の入り口にたどり着くと、鳥の群れが一斉に飛び立った。
ムクドリか。空を黒く染めるほどの大群だ。夜になったように辺りが暗くなる。バタバタと羽音を立てながら、群れはゆっくりと東回りに旋回し、森の中に帰っていった。
「あんな数の鳥は初めて見ました……」
田舎出身のファルクが言うと、異常さが際立つ。背後の者達がざわめき始めた。
「しっかりしろ! 今のは普通の鳥だ。攻撃性も無い。心配なのはフンぐらいだ」
冗談を言って落ち着かせようとする。その意図を察したのか、ファルクがそれに乗ってきた。
「そうです! ちなみに、食べてもうまくないですよ」
「そうか。確かに、ムクドリを売ってるのは見たことがないな」
「だから、あんなに余ってるんですよ、きっと」
意味不明なこじつけに頷いて、とりあえずその場をやり過ごした。鳥ごときで足止めをくらっている暇はない。夜になれば野生動物相手に勝ち目はないのだから、なんとしても日が暮れる前に片を付けなければならないのだ。
「ここからは馬を下り、徒歩で進む。留守番は十名。オレの部隊が先に入る。ファルクの部隊は一時間後に入ってこい。その間に馬たちに防御を施しておくように」
オレとクライブを先頭に、半数が森に足を踏み入れた。その途端、じっとりと蒸し暑い空気が肌にまとわりつく。森の中は涼しいはずなのに……
「蒸し暑いですね」
「ああ」
異常な空気の中、虫の声も鳥の羽ばたきも聞こえない。団員が草を踏む足音が聞こえるだけだ。虫一匹姿がないのはどういうわけだ。
一歩一歩進むごとに、湿度が上がっていく。顎からしたたる汗を拭った時、頭上から視線を感じた。顔を上げると、一匹の猿が木の又からこちらを見つめている。
オレが気付いたのを悟ってすぐさま逃げようとしたが、拘束の呪文をかけると、木から滑り落ちた。キーキー鳴きながら手足をバタつかせている。
「こいつは魔獣だ……見張り役か」
クライブに目で合図すると、すかさず小刀でとどめをさした。可哀想、などと言ってはいられない。すぐさま仲間がくるだろう。
だが、すでに遅かった。はっと気付けば、すでに十匹以上の大型の猿が、オレたちを取り囲むように木の上から見下ろしている。
「う、うああー」
「ううう」
一斉に団員たちに威圧をかけてきた。弱い者は立っていられず、へたりこんでしまう。
ぽっかり穴が開いたような闇の目をして、歯をむき出しに威嚇する大型のサル共は、全部魔獣だ。
拘束魔法の呪文を唱えたが、完成する前に次々と飛び降りてくる。器用に木を伝い、目的が定まらない。
「チッ、すばしこいな」
この威圧の中で動けるのはオレとクライブだけだ。動けない団員に噛みついてきたところを、剣で薙ぎ払った。
「キキッ!」
吹っ飛んだ猿が木にぶつかり、悲鳴を上げる。
背後から別の猿が襲い掛かってきた。そこそこ魔力が強いが、オレの敵ではない。振り向きざま剣を一文字に振るう。ずっしりとした手ごたえとともに、ドサリと倒れこむ音がした。五歳児ほどの大きさもある黒毛の猿は、気丈にも脇腹から血を流しながら再び飛び掛かってくる。
喉元を狙って切りつけると、闇の目でこちらを睨みつけたまま絶命した。
こいつがボスだったのだろう。威圧が緩み、団員たちが立ち上がる。残りの猿は大した魔力量ではなかった。オレは再び拘束の呪文を唱え、今度こそ抑え込んだ。今まではへっぴり腰だった団員たちも、躊躇っていては自分の命が危ういと悟り、猿を仕留めていく。おぼつかないながらも、覚悟が感じられた。
「これで、猿は全部でしょうか」
全部で十五匹。報告でもこれぐらいの数だ。
「他に、狐、鳥、狼か……」
その時、はるか後ろの方から喧騒が聞こえた。
「ファルクたちですね」
耳を澄ませると、「カァ!!」と、烏の鳴き声が聞こえてきた。どうやら、カラスの群れを相手にしているらしい。鳥が相手なら、大きな被害が出ることもないだろう。彼らに任せ、先に進むことにした。
さらに進むと、また蒸し暑さが戻ってくる。奥に巨大な暖炉でもあるかのようだ。水分を取りつつ進んだが、団員はバテぎみである。
やはり、虫一匹見当たらない。入口で見たムクドリたちもいない。出てくるのは魔獣だけなんて、まるで森全体が魔力で支配されているかのようだ。
急に視界が開け、オレは立ち止まった。木立が途切れ、光が差し込んでいる。いつのまに曇り空が晴れたのか。薄暗い森の中を進んできたから、その眩しさに思わず目を細めた。
ちょっとした広場ほどの中心に大きな石があり、その上に真っ黒い塊がある。
ゆっくり近づいてみると……それは真っ黒い狼だった。
光を浴び、黒々と鈍い輝きを放つ毛並みは神々しいほどの威厳を感じさせる。伏せたままこちらを睨む姿に畏怖すら覚えた。
「お前がリーダーか」
話しかけてみるが、当然返事はない。身じろぎもせず、真っ黒な瞳をこちらに向けたままだ。
立ち上がれば、おそらくオレより大きいだろう。前足はオレの腕ほどの太さがある。そして、意外にも魔力暴走はしていなかった。真っ黒な瞳には光があり、意思が宿っている。
そこにあるのは……怒りだった。
数分ほど睨み合いが続いた。
黒狼はゆっくり起き上がり、音もなく石から飛び降りる。奴の動きに合わせて熱気がゆらいだ。尋常でない蒸し暑さは、この狼から発生していたのだ。
怒りが熱となって森を覆うとは!
黒い体から魔力がほとばしり、見たこともないほどの魔力量を感じる。
……おそらく、オレと同じぐらいあるだろう。
怒りの対象は人間。魔力を乱し、森へ立ち入ってきたことへの怒りなのかもしれない。
「でけぇ」
「まるで神獣だ……」
数メートル離れたところで、狼が立ち止まる。
「団長! 狼と狐の群れに囲まれました!!」
背後から声が上がる。狼と狐が共に行動するなど、ありえないことだ。このリーダーの力故か。
魔獣の威圧が徐々に強くなり、クライブですら膝をついている。
オレは髪の組み紐を解いて魔力を一気に解き放った。
ぐわん!
大きく空間がゆがむ。
こんなに全力を出すのは、シドを拘束した時以来だ。
「奴等の威圧は跳ね返した。ファルクたちが来るまではもつだろう。それまで持ちこたえるんだ。クライブ、そっちは頼んだぞ。オレはリーダーに集中する」
威圧がなければ、ただの狼と狐だ。弱すぎる団員たちだが、なんとか持ちこたえてほしい。
オレは剣を抜いてリーダーに向けた。
「人が襲われている以上、見逃すわけにいかない。お互いに守りたいものをかけた勝負だ」
「ウオォォーン!」
応えるように吠えたリーダーの声を合図に、一斉に魔獣たちが飛び掛かってきた。
剣で応戦するが、リーダーはひらりとこちらの攻撃を簡単に躱す。野生動物を相手に剣だけで勝ち目は薄い。
オレは攻撃魔法の呪文を唱えた。左手にぽうっと小さな火の玉が浮かび上がる。こんなことができるのはオレだけだ。
飛び掛かってきた奴に目掛け、それを投げつけた。
「ギャン!!」
顔面にヒットして地面に倒れこむ。すかさず剣を突き立てるが、すんでのところで躱された。地面に剣が突き刺さり、それを抜こうとしたわずかな間に、背後から地面を蹴る音がする。剣を手放し、体を反転させて蹴りを繰り出す。黒狼はヒラリと避け、スタンと軽やかに着地した。
「グルル」
威圧は全く効かない。この素早さでは拘束魔法も効かないだろう。
強い……
立ち上がって剣を抜き、再び睨みあった。奴もオレの強さを認めたようで、隙を窺っている。背後で団員の悲鳴が上がるが、構っている余裕はない。じりじりと睨みあったまま、間合いを詰めた。
その間に防御壁の呪文を唱える。壁ができあがった瞬間、奴がとびかかってきた。見えない壁に体をしたたかに打ち付ける。剥きだしになった牙がまともに見え、ぞっとした。こんなのに噛まれたら、一巻の終わりだ。
リーダーは見えない壁にドスンドスンと繰り返し体当たりをしてくる。
魔力は強いかもしれないが、所詮は獣。魔獣は魔力を使いこなす術を知らないのだ。
オレは攻撃魔法を唱え、火の玉を作り出した。再び体当たりしてきたタイミングを狙って防護壁を解除し、火の玉を投げつける。
「ギャン!!」
まともに食らい、炎が奴の体に広がる。ゴロゴロ地面を転がるところへ、拘束魔法をかけた。
……勝負は決まった。
後ろを見ると、ファルク達が背後から現れたことで、一気に形勢は逆転した。ケガ人はいるものの、重症の者はいない。皆、よくやった。
ファルクがこちらに近づいてくる。
「団長、魔獣の群れは制圧しました」
「よくやった! ケガ人は」
「数名おりますが、命に別状はありません。今、治癒魔法を施しています」
オレは大きく頷いた。
この時、ある考えがオレにひらめいた。
「お前、このリーダーにとどめをさせ」
「え!? もう動けないじゃないですか」
「だからだよ。お前に手柄をくれてやる」
「はい……?」
察しの悪い男にイラッとする。
「お前に王の褒美を譲るって言ってるんだ。さっさとしろ!!」
やっと合点がいったファルクは、喜びに満ちた顔をした。すぐさま魔剣を抜き、リーダーに向ける。
黒狼は、最期まで誇り高いリーダーだった。黒い瞳に怒りをのせたまま、オレ達を睨みつける。彼の最期を見ることができず、オレは思わず目を閉じた。




