第三十話 魔獣討伐(2)
陛下は、オレに何度も王女様との婚姻を打診してきた。その度ににべもなく断ってきたから、とうとう強硬手段に出たのだろう。
別に王女様が嫌なわけではない。賢い女性で、好ましいとすら思う。だが、特別な感情を抱いてはいないし、何より王家に縛られることが嫌だった。
大事な戦いの前に、ろくでもないことを言い出してくれる。
腹が立ったが、皆の前で陛下を罵倒するわけにもいかず、「必ずや討伐を成功させましょう」と決意だけを表明して出発した。
森が近付くにつれ、段々と空気が淀んでいることに気付いた。やけに重い。魔力が滞留しているのだ。油断をすると、己の魔力ものまれそうになる。
どんよりした暗い雲が空を覆っているせいで、まだ真昼間だというのに辺りは薄暗い。鬱々した雰囲気に、愛馬のキャルが怯えた。度胸がある馬なのに、こんなことは初めてだ。
それをなだめながら、隊列を組んで慎重に進んでいく。隣に並ぶクライブが小声でオレに話しかけてきた。
「嫌な空気ですね」
古株の騎士の顔を見て、ほっと息をつく。茶髪に白い物が混じる壮年の男は、熟練の剣の腕を持つ。腕力は衰えてきているものの、まだまだ頼りになる存在だ。彼の顔を見たら、不思議と陰鬱な気分が少しだけ晴れた。
「魔力が滞留している」
「なるほど。この重い空気は、魔力の淀みですか」
「ああ。相当の魔獣がいると考えて間違いない」
見えてきた森は、黒い魔力に包まれ、モヤがかかって見えた。……まるで魔窟だ。
他の者には見えていないことにホッとした。もし見えていたら、きっと全員逃げ出すだろう。
「不気味ですね」
「全くだ! まあ、オレにとっては王都も同じぐらい居心地が悪いけどな。魔道具や魔法石が至る所にあって、魔力の流れが不自然に捻じ曲げられているから」
暗くならないよう冗談めかして言ったが、これは事実だ。
「我々には分かりませんが……。王都の乱れが森にも影響しているのかもしれないですね」
クライブの言葉に、オレはふと考えむ。てっきり魔獣のせいで森がおかしくなったのかと思ったが……逆……?
王都の乱れが森に影響し、そのせいで魔獣がおかしくなった。そして、魔獣がおかしくなったせいで、森は魔窟のようにまでなってしまった。
そう考えれば、王都付近にばかり魔獣が現れることとも辻褄が合う。
今回の討伐が終わったら、魔力暴走の原因を調べるように提案してみよう。現れた魔獣を駆除するだけでは、いずれ限界がくる。
「そういえば、セド団長はよく平気ですね」
「ん? そう言われればそうだな。まあ、オレも時々おかしくなりそうになるけどな」
その言葉に、クライブは顔をひくつかせる。それはそうだ。オレがシドにようになってしまったら、止める者がいない。笑えない冗談だ。
だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「セド団長はずっと重荷を背負ってきましたから。情けない団員ばかりで申し訳ありません」
オレを案じる言葉に、陰鬱とした気持ちがまた少し晴れた。この感覚は……リューの側にいる時と似ている。あいつは頼りない奴だが、いつだってオレ自身を案じてくれていた。
「もしかすると、リューのおかげかもしれないな」
「王太子、殿下、ですか……?」
意外そうに片眉を上げる。頼りない王太子に何ができるのかと言いたげだ。
「あいつの側は不思議と落ち着くんだ。昔からな」
「え! 殿下にそんな力があるんですか?」
「ハハハ、オレも今気付いた。シドにいじめられないように、いつもオレにまとわりついてきてただけの存在だと思ったが……オレの方が助けられていたのかもしれない。あいつの真っ直ぐな素直さが心地いいんだよ。反対に、どす黒い人間が側にいると、魔力が黒く染まるような気がする」
「だから団長は貴族達がお嫌いなんですね」
「そうかもしれん。シドは……ろくでもない腰巾着がくっつくようになってから、ひどくなってしまった。もちろん、もともと狂暴性は持っていたが」
「なるほど」
頷くクライブの顔をじっと見つめる。
「お前の側もなかなか心地いい」
強面の男に言われてもうれしくはないだろう。クライブは微妙な反応をした。
「はあ、そうですか。ありがとうございます。私はシド様には嫌われてましたが」
「それなら本物だ。シドはリューも大嫌いだった」
「はあ」
クライブはまた微妙な顔をする。頼りない王太子と同じに扱われて不本意なのかもしれない。
「まあ、オレの正気を保てる力があるってことだ。しっかり援護を頼むぞ」
これ以上の原因究明は後だ。まずは、目の前の危険を排除することに集中しなければ。
すべては無事に帰れたら、だ。