第三話 芽生えた疑心
非常に稀ではあるが、この世界には魔力を持って生まれる人がいる。国全体で10人に満たないというから、それはそれは貴重な存在だ。
そして、魔力をもって生まれる獣もいる。それが魔獣だ。魔力もちの人は尊重されるのに、魔力もちの獣は忌み嫌われる存在で、見つけたら即処分と決められている。成長してしまったら、ものすごく狂暴になってしまうから。牙を剥きだしにして人を襲う、それはそれは恐ろしい怪物になる……らしい。
“らしい”としか言えないのは、アララ村には魔獣など出たことがないからだ。理由は分からないが、魔獣は王都近郊の人が集まる場所に出没する。だからわたしは、本の中でしか見たことがない。
うちの家畜たちを見ていると、魔力をもつだけでそんな怪物になるなんて、ちょっと信じられない。だいたい、牙を剥きだしにして人を襲うのは、普通の野生動物も同じだ。絵本に描かれている可愛いクマさんなんて、実際はかなり危険な猛獣だよ。
魔獣がやっかいなのは、魔力のある者にしか倒せないからだと思う。だから、魔力もちは強制的に王都へ集められる。女は魔道具を作る魔術師に、男は魔獣を討伐する魔剣士になるのだ。
田舎に魔力のある者はいない。魔道具もない。
でも、バケツいっぱいの水は、魔法で汲んだとしか思えない。じゃあ、誰が? 何故?
全く分からない。分からないことは考えても仕方がない。
わたしはそれ以上考えるのをやめ、仕事に戻ることにした。さっさと水まきと収穫を終わらせよう。
「ジルー! 今日のミルクを回収しにきたよ」
畑でキュウリの収穫をしていると、ミルク回収屋の少年がやってきた。トムという名で、涼しげな目元が特徴だ。
「ごくろうさまー」
背中の籠をよいしょ、と下ろす。わたしの身長ほどある大きな籠には採れ立て野菜がぎっしりだ。トムはそれを見て、顔をひくつかせた。
「そんな重いのを背負って歩けるなんて、ジルぐらいだね。さすが、村一番の力持ち」
「普通のだと、何往復もして面倒じゃないか」
「だからってそんな大籠作っちゃうか!? まあいいや。これ、先月分のお金だよ。最近、アララ村のミルクが隣町で人気なんだ。けっこういい値になってる」
「ほー! それはありがたいね」
頭をぐりぐりなでながら礼を言うと、トムは顔を真っ赤にした。彼はわたしに気がある。わたしはけっこうモテモテなのだ。
「トム、わたしが運んでやるから」
引きずるように容器を運ぶトムを見かね、ひょいと抱え上げる。牛車まで運ぶと、トムは悔しそうに唇を噛み、こちらを見上げた。わたしの方が力があるんだから、気にしなくていいのに。
「あ、隣のはお願いね。入口に置いといたから」
「ジルはなんでそんなに隣の面倒みてるんだよ。息子の婚約者だから? そんなにそいつがいいわけ!?」
「いや、別に」
「じゃあ、なんの役にも立ってない奴とは別れちゃいなよ。俺と結婚しよう!!」
お! 今日はずいぶんストレートなことを言ってきたな。可愛いやつだ。こんなこと言われて、まあ悪い気はしない。
「勝手に別れられないんだよー。だいいち、トムはまだ12歳じゃないか」
そう。この少年は、まだ学校に通うちびっ子なのだ。中身はしっかりしてるけど。今日は学校が休みだから手伝ってるだけで、普段はいかつい親父が来ている。
「じゃあ、大きくなるまで待ってくれる?」
上目遣いに見上げてくる。こんなあざとい表情が武器になるのは女だけかと思ったが、少年でも効くんだな。くっそー! 可愛いじゃないか。思わず「うん」と言いそうになっちゃうだろ!
「あんた洋服屋のリリーと付き合ってるだろ」
ちゃんと親父から聞いて知ってるんだ。騙されないぞ。
ぷくっとふくれっ面になった少年を、シッシと手を振って追い返した。今から二股かけようなんて、将来が心配だ。
野菜の収穫を終えた頃、今度は行商人のナテラがやってきた。
スラッと背が高く、キリッとした水色の瞳と燃えるような赤髪が今日もかっこいい。ショートカットの髪が少し伸びて、妙な色気を醸しだす。この容姿のおかげで卸した野菜が飛ぶように売れるというから、すごいものだ。
「今日もすごい収穫量だね」
「うん。菜っ葉が大量ー。来週にはとうもろこしができるよ」
「そうか。ジルのとうもろこしはいい値で売れるから、楽しみだ」
籠を牛車に運び、先月分の売上をもらう。今日は月末だから、皆、先月分の精算をしてくれるのだ。
「その売り上げはいつもどうしてんの?」
ナテラがお金のことを聞いてくるなんて珍しい。どうしたのだ。
「うん? 隣のおじさんに帳簿つけてもらってる」
「それ、大丈夫なのか?」
「大丈夫って? 使う分を取って、残りは銀行に預けてもらってるよ。おじさんは計算得意だし、間違いなんてないよ」
はぁっとナテラは大きな溜息をついた。ドラトル先生といい、今日はどうしたのだろう?
「アビントン夫妻の様子がおかしいんだよ。そりゃ、前からあんたをタダでこき使ってるのは知っていたけど。後見人だし、おやじが怪我してたから、みんな黙ってた。だけど、あのおやじは怪我が治っても働こうとしないじゃないか。その上、最近はやけに羽振りがいい」
「はぶり?」
「市でやけに高いものを買ってるんだよ。異国の化粧品とか服とか。宝石商にまで声をかけてるって話だ。野菜やミルクを卸した金だけじゃ、そんなものは買えない」
今朝方見た、カーラさんの艶やかな唇を思い出した。確かに、あの紅は高そうだった。それに、宝石まで買っている……? どこからそんなお金が出ているのか。
「ジルは自分で帳簿見てるの?」
わたしは大きくかぶりを振った。お金のことは、おじさんに任せっきりだ。忙しいし、難しい計算は苦手である。わたしの表情ですべてを悟ったようなナテラはふうっと息を吐き、わたしに近づいてきた。
「まったく……。こんなに美少女なのに、体を動かすしか能がないのが残念だな。こんなんじゃ放っておけない。いい加減隣のバカ息子には見切りをつけて、うちに嫁においで」
優しく肩を抱き、甘い声で囁く。顎をとらえ、そっと上を向かせられた。水色のきれいな瞳がわたしを見つめる。ナテラの色気にくらくらしそうだ。
「うん、行きたいのはやまやまだけど……」
「婚約解消なんてどうにかなるよ。領主様に頼めばいい」
「いや、それより……あんた、女じゃん」
そう。背が高くてかっこいいけど、ナテラは女だ。とっても残念だよ。
「うちの息子んとこにきなよ」
「まだ5歳じゃん!」
わたしはカラカラと笑って彼女の背中を叩いた。ナテラも一瞬だけ頬を緩めたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「まあ、冗談はともかく、帳簿は本当に確かめた方がいい。そうだ! 明日、返してもらっておきなよ。あたしが一緒に見てあげるから」
「ほんと!? すごくうれしい。ありがと」
ナテラの話を聞いて、やっと分かった。みんなが何を心配していたのかを……
単に仕事を押し付けられているだけじゃなかったのだ。明日、おじさんはおとなしく帳簿を返してくれるだろうか。なんだか嫌な予感がする。
憂鬱な気持ちで畑に戻った。農具の後片付けをしなくては。
ところが、置きっぱなしにしたはずの農具が畑に見当たらない。
「ど、どろぼう!?」
焦って辺りを見回した。足跡はない。気配もない。どこから来た? 今朝の猫は、やっぱり泥棒だったのか!?
「そうだ! 他に盗られているものは……」
物置に飛び込んで中を確認した。そして……唖然とした。
なんと、置きっぱなしにしたはずの農具が、全部片づけられているのだ。きれいに泥まで落とされている。
また小人さん? ここまでくると、誰かがわたしを手伝ってくれているとしか思えない。でも、姿の見えないおせっかいはちょっと不気味だ。
どうせなら、姿を見せてくれればいいのに。