第二十六話 三年前の真実
王女様はわたしの手を離し、姿勢を正した。凜とした佇まいは気品に溢れている。これが王族というものか。わたしは涙をこぼしながらも、黙って話に耳を傾けた。
「ファルクが言っているのは、セドの双子の兄――シドのことです。しかし、彼はもうこの世にいません。相応の裁きを受けました」
「ふた、ご? そんな馬鹿な」
「あなたはシドの行いを見て、それが騎士に許される行為だと思ったわけですか」
王女様は深い深いため息をついた。ファルクを見る目には好意のかけらもない。
「セドの家系――ファージニア侯爵家は古くから魔剣士を多く輩出してきた名家ですが、とりわけセドとシドは近年稀にみる魔力の強さをもっていました。その上、剣の腕も群を抜いていたのです」
「幼い頃から厳しい鍛練をしてきたからな」
「そうですね。魔力もちの人間も、鍛練をしなければただの魔術師でしかありません。騎士団全体の弱体化がひどくなっている現在、魔剣士の中でも魔獣と戦える力量のある者は彼らだけだったのです」
レストランにいた騎士達を思い出す。わたしに全く歯が立たなかった彼らが普通のレベルならば、騎士団の実力などたかが知れている。魔力をもっていたとしても、あの腕では暴れる魔獣を倒すなんて無理だ。
「騎士団って本当に弱いんだ」
「ええ。セドとシドがいなくては、王都の安全を守れない。誰も二人に頭が上がりませんでした。我々王家ですら。そして、団長の座に就いたシドは段々と横暴になっていきました。部下を殴る、店で暴れる、女性を暴行する……それらが日常茶飯事になったのに、我々は諫める事すらできなかったのです」
アンドリュー様が言っていた『わたし達に力がないばかりに……』という言葉は、そういうことだったんだ。怒りで沸騰していた頭にこんなことを聞かされ、わたしは混乱した。
もしも、王家がもっとしっかりしていれば……いや、だめだ。考えるな! ここで誰かを責めても両親はもう帰ってこない。
ゴシゴシと涙を拭き、ギリッと奥歯を噛みしめた。
短い沈黙を破ったのはセドだった。
「アララ村近くで魔獣探知の反応があり、シドが様子を見に行った。あの頃にはもう魔力暴走しがちだったのに、オレはシドを行かせてしまった。村人に剣を向けるなんて、まさか、そんなことまですると思わなかったんだ。オレの見込みが甘かった」
「いえ。彼の横暴を見逃してきた王家に罪はあります。アララ村での出来事を聞き、やっと彼を拘束しました。……そうは言っても、彼に敵うのはセドしかいませんでしたが。魔力封じの枷をつけて投獄されると、シドはその数週間後に亡くなりました。おそらく、暴走した魔力を封じ込めたために、体内を蝕んでいったのでしょう。哀れな最後でした。彼の小さな罪を見逃していなければ、あんなことにはならなかったかもしれません。あなたのご両親も……」
そうか。そうだったのか。セドがわたしに負い目を感じている理由が分かった。こうやってわたしを助けてくれる理由も。
そして、罪を見逃してはいけないと言った理由も。だから、ファルクのことも穏便に済ませるわけにはいかないんだ。
「騎士になれば、強さを手に入れれば、何でも叶うと思ってました。団長はおれの憧れでした。あの時の二面性が権力者の顔なのかと……とんでもない誤解でした。申し訳ありません」
ファルクが素直に謝った。腹の虫は治まらないが、セドが頷いたので、わたしはしぶしぶ拳を下ろした。
セドが穏やかな瞳でわたしを見つめる。その口がまたありがとう、と小さく言っていた。
「ファルク、セドも陛下もあなたには期待していましたのに。残念です」
王女様の合図で、ファルク達が外に連れ出されていく。もう、奴は何も言わなかった。小さく礼をして扉を出ようとする背中に、最後に声をかけた。
「根性を叩き直して一から出直せよ。そんで、ギムおじさんとカーラさんをちゃんと守れ」
まだ18歳である。命があれば、いくらでもやり直しはできるはずだ。
「お前には一生敵わないな。お前がおれとの婚約解消を拒否してるって聞いて、うれしくて……いい気になった。お前に勝てた気がしたんだ。……悪かった」
それだけ言うと、扉の向こうに消えて行った。バタンと扉の閉まる音を合図に、部屋の緊張が緩む。
「さて、これで一件落着。意外にあっさり白状したな。王女の調査のおかげだ」
アンドリュー様がほっとしたように明るい声を出す。
「ええ。いきなりセドに魔通信で頼まれた時は驚きましたよ。でも、王家の名で調査をかければ、相手はすぐに情報を送ってきました」
「さすが我が妹だ」
「ああ、王女殿下のおかげです」
本当に。あれだけ調べてくれたから、おじさんもあっさり自分の非を認めた。よかった。これで村に帰れる。
「ジル、疲れただろう。部屋を用意させたから、今日は休んでいくといい」
「王城に泊まっていいんですかー? うわ、一生の自慢になります!」
アンドリュー様のお言葉に、素直に喜んだ。セドが何か言いかけて口を閉じる。
セドにもお礼を言おうと思った時、存在を消していた陛下が口を開いた。
「王女の結婚は白紙じゃな」
「ええ。あんな男と結婚しなくてよかったです。陛下も、もう少し見る目を養ってくださいませ」
「狼のリーダーを倒したのじゃ。仕方なかろう」
セドが気まずげに目を逸らした。何か後ろめたいことでもあるかのように。
その時、ふいにマダムの店で聞いた会話が脳裏に蘇る。
『王女様を娶るのは団長だと誰もが思っていたのですよ』
『団長様はショックで傷心の旅に出て……』
そうだ。ファルクと王女様の結婚がなくなれば、セドにとって万々歳ってことなんだ。
……だからわたしを助けてくれていた、とか?
「セドが余計なことをするからですわ」
「陛下が余計な策をめぐらせるからでしょう!」
王女様とセドが気安いやりとりをしている。アンドリュー様とも仲がよいのだから、王女様とも仲がよくて当たり前だ。
ちくり。
わたしの心臓に針が刺さった。なんだ、これ。段々息苦しくなってくる。痛い。苦しい。
「これで、王女とセドが無事に結婚できるな。いや、めでたいことじゃ」
陛下の言葉が耳に飛びこんできた時、わたしの息が止まった。
目の前がぼやけ、周りの音が遠ざかっていく。体を支えきれない。ゆっくり傾く視界に、焦った顔でこちらに手を伸ばすセドの姿が映った。それを最後に、わたしの意識は落ちてしまった。




