第二十四話 動かぬ証拠
「その方がファルクの婚約者か。なかなか美しい娘じゃ」
陛下がいきなり声をかけてきた。返事をしていいのだろうか? セドが小さく頷いたので、とりあえず名乗った。
「ジリアン・マッカーソンと申します」
「マッカーソン子爵家の血筋の者か。二十年以上前、訓練兵に教鞭をとっていた……その娘じゃな」
「確かに父は王都で教鞭をとっていましたが、子爵家の話などは聞いたことありません」
「そうか。その方の父はマッカーソン子爵家の……八男じゃ」
背後に立つ侍従と思しき人の資料を見ながら説明をしてくれる。わたしのことは調査済みってわけか。しかし、今更父の実家を持ち出して何になる? 下層爵位の八男なんて、ただの平民じゃないか。だいたい、父の葬儀に来たのは家を横取りしようとした叔父だけだ。会ったこともない親戚は他人でしかない。
「その方、婚約の解消を頑なに拒んでいるそうじゃな。ファルクは王女との結婚が決まっている。大人しく婚約解消に応じれば、貴族の血筋ということを考慮して、罪を見逃してやろう」
「わたしは見逃してもらうような罪は犯していません!」
相手は最高権力者なのに、思わず怒鳴ってしまった。陛下の言い草に沸々と怒りがわいて来る。貴族だから? 見逃してやる? なんだそれは!!
セドがなだめるようにわたしの肩を叩く。落ち着いた声で後を引き受けてくれた。
「陛下。司法取引をなさるには、明確な基準が必要です。安易な裁定を口になさいますな」
「じゃが、これほど美しい娘を処罰するのは気の毒じゃないか。その年で婚約破棄されるのも……そうじゃ! その方、わしの側室になるとよい。それなら万事解決じゃ」
どこが万事解決だ! なんだ、この『じゃ』おっさん。人がよさそうだと思ったのに、とんだエロジジイだ。
その時、部屋の空気がおかしくなった。何だか妙に重苦しい。気まずい空気……などという生易しいものではなく、物質的に空気が重くなっている。どういうこと? 陛下は苦しそうに顔を歪め、椅子からずり落ちた。ファルク達や衛兵は立っていられなくなり、床に手をついている。
「お、おい、セド、やめろ! もちろん冗談だ。陛下、そうですよね? ね?」
アンドリュー様の言葉で、部屋の空気が緩む。そうか、これが魔力か! セドが魔力で周りを威圧したのだ。さっきまで冷静だったのに、ものすごい怒っている。
ほーっと陛下は息を吐き出し、作り笑いをしながら椅子に座り直した。
「も、もちろんじゃ。セドはいったい何を怒っているのじゃ」
「ジルは罪人ではありません。それもおいおい説明します。余計なことをおっしゃらず、さっさとコトを進めてください。まずは二人の婚約解消から」
「じゃが、その娘は嫌がってるのじゃろう? 魔法誓約がある以上、双方の同意がなくては無理じゃろう」
「それはファルクの両親が勝手に言っていただけのこと。むしろ、ジル自身は婚約解消を望んでいます」
セドの言葉にわたしはこくこくと何度も頷いた。
「そうなのか……? まあ、素直に応じるならそれでいい。王女、誓約解除の儀を」
黒髪の少女は王女様だったのか。なるほど、黒髪黒目で魔力が強そうだ。魔剣を開発されたというし、優秀な方なのだろう。頼りない父や兄とは大違いだ。
それでもって、ファルクの結婚相手。うーん。王女様がちょっとだけ気の毒になった。
「二人ともこちらへ」
王女様が中央に進み出た。セドに背を押され、王女様の前に進み出る。ファルクがわたしと並ぶと、王女様が呪文を唱え始めた。
「古の言の葉で誓われし契りを、この場にて永遠に無とする」
左手の蔦模様が動き始め、ぽわんと空中に浮かびあがる。ファルクから浮かんできた紋様と引かれ合うようにぶつかると、ぱあっと光を放ってきれいに消え去ってしまった。
誓約した時よりもあっけない。こんなに簡単に済むのか。もっと早くやってほしかったよ。
「お前、本当におれと婚約解消してもいいと思ってたんだな」
ファルクが拍子抜けした顔で自分の手を見ている。
「むしろ、なんでわたしが抵抗していると思った?」
「……」
わたしが奴を何とも思っていなかったことは、本人が一番分かっていたはずなのだ。
「婚約解消したいって手紙を出してたんだって? おじさん達はわたしに何も教えてくれなかった」
「そうか、親父たちのせいで……」
「人のせいにするな!」
わたしの怒鳴り声に、ファルクの体がビクンと大きく跳ねた。ギギギとぎこちない動作でこちらに顔を向ける。
「手紙でダメなら会いに来ればいいだけじゃないか。それがせめてもの誠意ってものだろう? だいたい、自分の両親宛てに婚約解消のお願いをするなんて、どんなお子様だよ」
「いや、お前に会うのが辛くて……」
「はあ!? それで、次はいきなり殺そうとしたわけか?」
「そ、そんなつもりはない。おれはただ、婚約解消を承諾させてこいと言っただけだ」
ファルクは目を泳がせながら言い訳をする。絶対に嘘だ。
自己弁護しかしない奴にほとほと嫌気がさし、話すのも面倒になってきた。
あきれ顔のわたしに代わり、セドが厳しい口調で糾弾する。
「お前が指示した五人の騎士見習いは、彼女を森に連れ出し、嬲って置き去りにしようとした。お前が指示したんだろう?」
「なんだって! おれは苦しまないように……って、あ!」
慌てて口を抑えるが、もう遅い。ここにいる誰もが、今の言葉を聞いていた。『苦しまないように』って、こいつ何様になったつもりだ。
「幸いにもジルは無事だった。だが、お前のせいで五人の若者の未来は閉ざされた」
「お、おれは何も知らない!」
「そうか」
セドが入口の衛兵に顎をしゃくると、すぐさま相手は出て行った。ほどなくして、手首を体の前で拘束された黒髪の少年を連れてくる。ジュバク草に魔法をかけた少年だ。
「お前はファルクに婚約者の始末を命じられた。間違いないか」
「はい」
「嘘だ!」
少年は怒鳴るファルクに悲しげな視線を向けた。諦めと絶望が瞳の中に渦巻いている。彼らに罪をなすりつけ、ファルクはあくまでも知らぬ存ぜぬで通す気だ。
「ファルク様は登用試験の合格をちらつかせ、俺達はそれに乗りました。みんな、家族の期待を背負って焦っていたんです。でも、娘さんは強くて、俺達が敵う相手ではありませんでした。みんなが倒され、俺は焦って魔力を使いましたが、未熟者の俺は自分のかけた魔法を制御しきれず、自ら囚われました。その時……娘さんは、殺そうとした俺を助けてくれたのです」
こらえきれず、黒い瞳から涙がこぼれてきた。自由にならない手でごしごしと目をこすったが、どんどん溢れてきて、彼のズボンを濡らしていく。
「ヒクッ、も、申し訳ないことをしました。悔やんでも、謝っても、許されることではありません。せめてもの償いに、すべてのことを正直にお話しようと思いました」
「俺は、話をつけてこいと言っただけだ!!」
セドはファルクの怒鳴り声を無視し、少年に続けて尋ねた。
「ファルクとの会話を記録しておいたそうだな」
「はい。罪を押し付けられるのではないかと、少しばかり疑っていましたので」
「ハハ、その通りになったな」
少年は両手をおわん型に揃えた。そこにセドがポケットから取り出した魔法石をのせる。少年が小さく呪文を呟くと、彼の目の前に黒いモヤが浮かび上がった。
『婚約者の始末、ですか』
『ああ。腕っぷしが強いから、心してかかれよ』
突然、モヤから茶髪君とファルクの声が聞こえた。
声をとっておいたってこと!? 魔法ってそんなことまでできるんだ。すごいな。
『でも……』
『成功すれば、次の登用試験では確実に合格を手にできるだろう』
『分かりました! お任せください』
『なかなか美人だから、まあ、少しばかり楽しんでもいい。だが、最後は苦しませるなよ』
『へえ。一応情はあるんですね』
『まあな。小さい頃から一緒だった幼馴染だ。捨てるのは忍びないんだ』
ファルクは口をパクパクさせている。こんなものまで出されては、もう言い逃れはできまい。
そこにセドが畳み掛ける。
「王女殿下、頼んだものはできていますか」
黒髪の少女は頷き、白い魔法石を取り出した。
「こちらに、彼が出入りしていたレストラン、飲み屋、洋服屋に、……娼館まで、明細を取り寄せております。騎士の給料を超える金遣いの荒さで、出処は両親。送金の明細も把握済みです」
王女の白い手にある魔法石から数字の羅列が浮かび上がる。いつの間に、こんなに調べてくれたのだろう。すごい。
「そして、この送金額はアビントン家の収入を超えている。さて、それはご両親から説明願おうか」
眼光鋭い騎士に睨まれ、おじさんはすっかり顔色を失くしてしまった。ここまではっきり示されては、言い逃れできないだろう。
観念したように大きく息を吐き出し、おじさんはわたしの方へ視線を向けた。




