第二十三話 決戦の時(4)
マダムの洋服屋の100倍――セドが言ったことは、決してオーバーではなかった。
薄闇の中にぽっかり浮かび上がる王城は、小高い丘かと思うほどの大きさだ。巨大すぎて全体像がつかめない。こんなところに自分が足を踏み入れてもいいのだろうか?
鎧を着た衛兵が立ち並ぶ中、恐る恐るワンコを抱いて歩いていく。一歩中に入って、さらに度肝を抜かれた。エントランスホールだけで家の牧場と畑がすっぽり入ってしまう広さなのだ!
キョロキョロ視線を彷徨わせていると、裸の男の人と目が合った。心臓が止まるかと思うほど驚いたが、よく見ると彫刻だった。こ、こんなところに、置いちゃっていいの? 目のやり場に困る……
床一面にも細やかな細工がほどこされ、踏むのをためらってしまう。ふと視線を感じて天井を見上げると、天使が二人微笑んていた。
「セド、天使がいるよ!!」
思わず大声を出してしまった。クスクスと周囲から忍び笑いが漏れる。だが、セドが一睨みすると、一瞬でシンと静まりかえった。
「あれは絵だ」
「あんな高い所に!? どうやって描いたの?」
「うーん。そう言われれば不思議だな。後で絵師に聞いてみるか」
彼はわたしの言葉を馬鹿にしない。どうでもいい質問にも真剣に答えようとしてくれた。強面だけれど、本当に優しい。
わたしの「なんでなんで」攻撃に応えてくれていた父を思い出す。わたしも昔は好奇心旺盛な子供だったっけ。そうだ、セドは父と雰囲気が似ているのだ。
大きな手に促されて、わたしは再び歩き出した。
いつの間に手配したのかさっぱり分からないが、わたしの荷物と今日買ったものが王城の一室に届いていた。セドは本当に万能だ。
メイドさんが二人がかりでわたしを着替えさせてくれる。キュウリから完熟トマトに変身だ。
「深紅のドレスがお似合いです。金の髪が映えますね」
年配のメイドさんが満足げに頷く。なるほど、これは深紅か。わたしが着ると野菜っぽく見えてしまうが……
口紅も同じ色を塗ってもらったが、やっぱりしっくりこない。先ほどと同じ、借り物感はぬぐえなかった。
魔獣であるはずのワンコは大人しく足元で伏せをしている。すっかりわたしに懐いた様子で従順だ。せっかくだから、マージュと名付けることにしよう。魔獣のマージュ。うん、我ながらいいセンスだ。
「これが魔獣なんて、信じられませんね」
若いメイドさんが恐る恐るマージュに手を出す。そっと頭を撫でられたマージュは「くぅん」と可愛い声をあげて尻尾をパタパタ振った。
「かっわいい!」
歓声をあげて、メイドさんはぎゅむっと抱き着いた。
マージュ、あざといぞ。分かっててやっているな。
「こうしてみると、本当に普通の犬ですね」
年配のメイドさんが苦笑しながら呟く。
「そうそう、普通の犬だよ」
「でも、魔獣が一たび魔力暴走すると、普通の者には為す術がないのですよ。魔力のある者でないと、どうすることもできないのです」
「あー、そういえば、店で誰もお嬢さんを助けようとしなかったな」
「おそらく、魔力で威圧されていたのでしょう」
「わたしは感じなかったけど……」
腕を組んで首をひねった。そもそも魔力なんてものは感じたことがない。セドからも感じないぐらいだ。
「お嬢様には特別な力があるのかもしれませんね」
「そうかなー? ね、マージュ。わたしに特別な力があるの?」
一応聞いてみたが、ぶんっと首を振られた。
ふーん。特別じゃないってことか。
「じゃあ、何? 単にわたしの腕力に敵わないと思ったわけ?」
こっくりと頷く。
「おっどろいた! お嬢様、犬と会話できるんですね」
「うん? なんとなくだよ」
「いいえ! はっきり返事をしているではありませんか」
「そんなに驚くことかな。うちの家畜たちも大体わたしの言うことを分かってくれるけど」
メイドさん達はさらに目を見開いた。
さて、マージュのことも気になるが、とりあえず後回しだ。まず、本来の目的を果たさなければ。ファルクをぶっ飛ばすことはできた。次は、アビントン家のやったことを明らかにすること。お金を取り戻すこと。
そして、村に帰るんだ。
ぐっと両手を握りしめた時、ノックの音がしてセドが迎えに来てくれた。白い騎士服を着ている。髪と瞳は黒いままだ。ブルーもよかったけれど、黒の方がしっくりくる。これが本来のセドなんだ。
「深紅のドレスがよく似合う。グリーンよりも大人っぽく見えるな」
「セドこそ、騎士服がすごく似合ってる。それがいつもの姿なんだね。かっこいいや」
「ジル……オレのことを黙っていてすまなかった。色々言わなければいけないことはあるのだが……まずはアビントン家とケリをつけよう」
「うん。事情があるんでしょ? 大丈夫、セドを信じてる」
「そうか。ありがとう」
「お礼を言うのはわたしの方だよ。ずっと助けてくれてありがとう。……ゆで卵とか」
わたしの言葉に、セドはちょっと意外そうな顔をした。いくら鈍いわたしでも、おせっかいな手伝いがセドだったことぐらい察しがついている。理由は分からないが、彼はあの森に来る前から助けてくれていたのだ。
にっこり笑ったわたしの顔を見て、セドは困ったように眉尻を下げた。
「まあ、そうだな。分かるよな。その件も、後で詳しく話そう」
「うん。なんか、セドはお父さんみたいだ」
今度はちょっと微妙な顔をした。何かおかしなことを言っただろうか?
クククと、メイドさん達の笑い声が聞こえる。
「お嬢様、それは団長が気の毒ですわよ。怖い顔をしていらっしゃいますが、まだ27歳ですから」
「うん、それぐらいだと思ったけど?」
「あらら。それなのに……」
また二人で笑い合っている。そんなにおかしいことを言ったかな。
首をひねるわたしの手を取り、セドは強引に話を打ち切った。
「ジル! 行こう!!」
そうだ。呑気にしてはいられない。気を引き締めなくては!
セドにエスコートされて歩き出すと、マ―ジュが後をついてきた。セドが黙って頷いてくれたので、そのまま連れていくことにした。
長い廊下をくねくねと進んで向かった先は、一際豪華な扉の部屋だった。立ちふさがるように守っていた衛兵さんが、セドに礼をして扉を開けてくれる。
百人は入れそうな広い空間に、すでにファルク達は来ていた。右側にファルク、ギムおじさん、カーラさんの順に並んで立っている。おじさん達に会うのは一週間ぶりだが、少しやつれたように見える。ファルクは手当をしてもらったのか、腹部が包帯で膨らんでいた。不格好で、ますます騎士服が似合わない。こいつとセドが同じ騎士だなんて、やっぱり何かの間違いじゃないのか。
左奥の玉座付近にアンドリュー様が立っている。その隣には華奢な黒髪の少女がいた。いや、華奢と言うより、棒切れに近いほど痩せている女性だ。大きな黒目をギョロッとさせてこちらを見る。妙な迫力があるけれど、一体誰だろう?
ファルク達と対峙するように、左側にセドとともに並んだ。ファルクは忌々しげにわたしを睨む。ギムおじさんとカーラさんはわたしと視線を合わせず、下を向いていた。二人を見たらもっと動揺するかと思ったけれど、意外にわたしは平常心だった。憎しみはない。ただ、どうしてわたしを罪に陥れたのか……それだけが聞きたかった。
重苦しい沈黙が部屋を包む。自分の呼吸音さえ憚られるほどに。じりじりしながら待っていると、ほどなくして陛下の入室が告げられた。ただの村娘が国王陛下に会う日が来るなんて想像もしなかった。ファルクと王女様のご結婚が決まっていたせいで、こんなに大事になってしまった。
陛下はどんな方だろう。わたしは絵姿すら見たことがない。さっきの公爵のように尊大な人なのだろうか。それとも、アンドリュー様のように頼りない方なのだろうか。
皆に倣って、顔を伏せて登場を待った。
「面をあげよ」
その言葉に顔を上げ、そっと窺い見た陛下は……
人の好さそうな普通のおじさんだ。『無能だ』と言ったセドの言葉を思い出し、失礼ながら、妙に納得してしまった。




