第二十二話 決戦の時(3)
険しい表情のまま、散乱したテーブルの間をぬって、セドはわたしのところまで来た。剣をかたわらのテーブルに立てかけ、おもむろに上着を脱ぎ始める。何をしているのかと思ったら、屈みこんでそれをわたしの肩にかけてくれた。背の高いセドの上着は、わたしの膝ぐらいまである。破れたドレスを隠すためにかけてくれたのだ。
「ジル、けがは?」
セドはまっ先にわたしを心配してくれた。
ほっとして、涙がじんわりと滲んでくる。口を開けば泣き言を言ってしまいそうなので、わたしは唇を引き結んで首をぶんぶんと振った。
わたしを上から下まで眺め、セドはやっと険しい表情を緩めた。きれいな漆黒の瞳がわたしを見つめる。彼の瞳は真っ黒だけど、底の見えない闇じゃない。近くで見ればよりはっきり分かる。あの人とは全く違う。優しくて温かい人だ。
「もう大丈夫だ。怖い思いをさせてすまなかった」
彼は何も悪くないのに、また謝罪する。もう一度、ぶんぶんと頭を振った。彼は悪くないと、これで伝わっただろうか。
セドは軽く笑って、大きな手を頭にのせた。伝わってくる温もりに、また涙がこぼれそうになって、奥歯をぐっとかみしめた。
「団長が何故……だって、しばらく旅に出るって……」
ファルクが低く呟く。他の騎士達にも彼の登場は意外だったようで、困惑したように彼を見上げている。
「副団長、話は王城でしよう。他の者は町中の処理に向かえ。怪我人はいないが、だいぶ混乱している」
セドの指示で、止まっていた店内の空気が慌ただしく動き出した。騎士達が出て行き、客達もそれぞれに立ち去る。すれ違いざま、公爵親子に睨みつけられた。助けてあげたのに、睨まれたのは初めてだ。
ファルクは、アンドリュー様の護衛に引き立てられるように連れ出されていく。折れた肋骨の痛みのせいか、ひどい形相だ。だが、これで終わりじゃない。お金のことと、刺客を送ってきたことも明らかにしてもらわなければ。本題はこれからだ。
わたしは大きな上着を羽織ったままワンコを抱えあげた。
「暴れたら困るから、ジルが連れていって」
アンドリュー様は、こんなに可愛いワンコが怖いらしい。大きく頷いて、抱え上げたまま出口に向かった。
ふと料理をほとんど食べていないことを思い出す。あの料理は捨てられちゃうのかな。もったいない。店の人にも申し訳なくて、出口に立つ恰幅のいい男性に謝罪をした。
「お料理をほとんど残してしまってごめんなさい。楽しみにしてたのに、残念でした。でも、海老はおいしかったです」
父ぐらいの年齢のその人は、眦を下げて丁寧におじぎをしてくれる。
「わたくしはこの店の支配人です。こちらこそ、お料理を召し上がっていただけず残念でした。また、ぜひお越しください」
こんなところに、自腹で来られるはずもない。わたしは曖昧に笑って頷いた。
「わたくし共はお嬢様に助けられました。魔獣から救ってくださったことに深く感謝いたします」
「そんな、大袈裟ですよ」
照れるわたしに支配人さんは優しい笑みを向け、こそっと声を潜めた。
「大袈裟ではありません。この店であの令嬢に怪我などされては、公爵に何を言われていたか。考えるだけでも恐ろしいです。それと、副団長をやっつけてくださったことも。ここだけの話、権力にこびへつらうあの方は、あまり好きではなかったのですよ。お客様ですので、面と向かっては言えませんでしたが」
支配人さんの言葉に、セドがピクリと眉を上げた。
「ファルクがここに来ていた……? いつぐらいから?」
「ずいぶん前からです。そうですね……小隊を任された頃からでしょうか。女性を伴って、よく来ていただきました。異例の昇進ではありましたが、正直、騎士の給料だけでそう頻繁にご利用いただいて大丈夫なのかと心配していたほどです」
「なるほど。あいつの金使いも早急に確認せねばならないな」
セドが小さく呟く。その意味はわたしにも分かった。金の出どころは、おそらく両親。……つまり、わたしのお金だ。つくづく腐った奴だ。
来た時よりさらに大きい馬車に案内され、わたしは目を見張った。アンドリュー様も一緒ということは、これは王家の馬車ということか! 座り心地もすごくいい。この座席はわたしのベッドよりふかふかだ。目の前には二人の美形が並んで座り、膝の上にはもふもふのワンコ。こんな機会はもう二度とないだろう。一生の自慢になりそうだ。
「まったく、お前に任せていったのに。ジルをあんな危険な目にあわせやがって」
「だって、この子、恐ろしく足が速いんだよ! 止める間もなく走っていったと思ったら、魔獣を蹴飛ばして……あっけにとられて、しばらく黙って見ていた」
「そんな調子だから、あの公爵にもなめられるんだろうが」
「そうだよな。すまない」
シュンと項垂れるアンドリュー様は、セドの弟のような感じだ。王太子としでの威厳は全く見えない。先ほどの様子はだいぶ虚勢を張っていたのだろう。
「でも、一緒に婚約破棄できたから万々歳だ。ジルのおかげだよ。いけ好かない女を押し付けられてうんざりしてたんだ」
「そうですか。よかったです」
わたしは適当に相槌をうった。だが、セドの苛立ちは治まらない。
「あんな奴らがのさばるのは、国王が無能なせいだ」
「ハハハ……」
どうやら、アンドリュー様の言っていた『無能な上司』とは、陛下のことらしい。
この国は大丈夫なのだろうか?
「ジル、ファルクの両親も王城に呼び出した。もっと証拠を固めてからにするつもりだったが、そうも言っていられない。一気にケリをつけよう。いいな。絶対に同情心を出してはダメだぞ」
「はい! ファルクにあそこまで言われて、かばう義理もありません」
「そうか。……ジルにはオレがついている。オレは何があっても君の味方だ」
彼の言葉が勇気をくれる。
理由なんてどうでもいい。彼がわたしを大事に思ってくれているのは確かなのだ。




