第二十一話 決戦の時(2)
「お、王太子殿下!?」
悲鳴に近い声を上げ、十人以上もの騎士達が一斉に剣を下げて膝をついた。
ファルクまでもが。なんだ、動けるんじゃないか。
他の貴族様達も膝をつき、頭を垂れている。わたしだけ立っていては目立つので、とりあえず真似をしてみた。
アンドリュー様の背後には護衛と思しき人が二人いる。さっきの部屋にはいなかったのに、どこにいたのだろう? 部屋の外にでも待機していたのだろうか。
偉い方だとは思っていたが、ここまで皆が平伏すなんて。まるで王族……うん? 今、殿下とか言われてなかったか?
「とんだ失態だな。ファルク副団長」
「は、面目ございません。女と思って油断を……」
「ジルに負けたことを言ってるのではない」
厳しい口調でファルクの言葉を遮った。先ほどまでの気安い男性とは思えない、威厳溢れる姿だ。
ここでやっとわたしは分かった。
アンドリュー様は王太子殿下なのだ! そうだよ、『王太子』って自分で言ってたじゃないか。何が中間管理職だ!
すご過ぎて、なんかピンとこない。わたしはぽかんと口を開けて彼の言葉を聞いていた。
「そなた、自分が何をしたか分かっているのか? 魔獣から公爵令嬢を救った勇気ある娘に言いがかりをつけ、切り捨てようとしたのだぞ。騎士への信頼を大きく損ねる行為だ」
「し、しかしその女は魔獣を手懐け、操っています!」
「なるほど。確たる証拠もなく公爵の言を信じた……いや、都合がいいから敢えて乗った、というところか。メレンゲ公爵、そなたの罪も重いな」
アンドリュー様はファルクから公爵へゆっくりと視線を動かした。しかし、脂汗を流すファルクとは対照的に、その人は不敵にもフフンと鼻を鳴らしただけだった。細身で整った顔立ちの方なのに、蛇のように狡猾な目をしている。その目には、若い王太子への侮りが見えた。
「その娘が来た途端、魔獣はおとなしくなったのですよ。操っているのは間違いないでしょう」
「ほほう。私は、ジルがその犬を蹴飛ばし、令嬢を助け出したのを見たのだが。そなたには見えなかったのか?」
「それこそ自作自演!! おそらく、わが公爵家に恩を売るため入念に準備をし、この店にもぐりこんだに違いありません」
「ジルがこの店にもぐりこんだ? なるほど、そなたは全貴族を把握しているから、彼女が平民だとすぐに分かったわけか。平民には感謝をする必要などないと?」
「甘い顔をすれば、すぐにつけこまれます」
「思い込みと妄想にかられた言だな。だが、今回は見誤ったな。彼女は私の連れだ」
公爵の顔がサーッと青ざめた。まさか平民の女を連れてきたのが王太子殿下だったとは思いもしなかったのだろう。
「もちろん、ここに来るまでの行動も把握済みだ。不審な点などない」
「し、しかし! 魔獣をあんなに大人しくさせることができるなんて!!」
「確かに信じ難いことではあるが……おそらく、その犬はただ降参しただけだろう。ジルの腕っぷしが強かったから。副団長も一瞬でやられたぐらいだ」
クスクスと周囲から忍び笑いが漏れる。ファルクは顔を真っ赤にして下を向いていた。
「それより、魔力が暴走して暴れた原因を突き止めたい。メレンゲ公爵令嬢、持っている物をすべて出しなさい」
上品な仕草でお嬢さんが立ち上がった。乱れた髪のままでも上品に見えるのがすごい。ポケットから取り出したものを護衛の方に渡していく。ハンカチ、小さな鏡、そしてピンクの魔法石。それを見て、ワンコがピクリと反応した。
「ずいぶん純度が高い魔法石だな」
「ええ。特別に手に入れましたの。通常のものより長持ちします」
「そうか……。これは預かる。その犬とともに、王女に研究させよう。魔獣が頻繁に出没する原因を探ることができるかもしれない」
「まあ。お役に立てて光栄です、王太子殿下」
にっこりと優雅に微笑む。よく見ると、けっこうな美人さんだ。
しかし、アンドリュー様は冷え冷えとした視線を返した。
「今回の騒動の責任はきちんと取ってもらう。罪のない者を陥れようとするなど、見過ごせるものではない。追って沙汰を出すから、そのつもりで」
公爵は慌てて立ち上がった。
「そんな! わたしは不審に思っただけです。それを、副団長がいきなり切り捨てようとしたのではありませんか!!」
「もちろん、副団長への処分は別に行う。そなたも自分の発言の重さは自覚していよう。誤解では済まぬ。ああ、令嬢とわたしの婚約も当然なかったことに」
なんと! この令嬢はアンドリュー様のご婚約者だったのか。
「わたくしは被害者です! ひどいですわ」
「助けてもらったのに礼も言えない女はごめんだ。ついでに、他の男に抱き着くような女も」
うん。確かに、ファルクにぎゅうっと抱き着いていた。奴も鼻の下を伸ばしながら肩を抱いていたっけ。
「わたくしは怖かっただけですわ。殿下こそ、他の女性を伴っていらっしゃるではありませんか!!」
「私の行動に文句をつける気か? ずいぶん偉くなったものだな。まあ、言い訳する義理もないが、二人でいたわけではないとだけ言っておこう」
そこに別の声が割り込んできた。
「そうだ。重要な案件で相談をしていた。何の件か、副団長には分かっているだろう?」
背後から聞こえたのは、ここ数日ですっかり耳に馴染んだ渋い声。
聞く者を従わせる威圧感たっぷりの声だ。だけど、やっぱりわたしには心地よく聞こえる。
振り返ると、真っ黒な瞳と髪のセドが剣を肩に担いで立っていた。




