第二十話 決戦の時(1)
三年ぶりに見たファルクは、あまり変わっていなかった。もっとがっしりして強い人間になったのかと思ったのに。腰の剣は重そうだし、騎士服も馴染んでいない。一瞬だけ見せた、懐かしそうな表情も昔のままだった。
だが、すぐに表情は変わった。害虫でも見るかのように嫌悪感を露わにし、わたしを睨みつけてくる。
「こんなところに、お前なんかがどうやって入り込んだんだよ」
『お前なんか』
この一言で、わたしの迷いは完全に吹っ切れた。
「ちゃんと客として連れてきてもらったんだよ」
「客だと? 笑わせるな。平民ごときが入れる店じゃない」
「こっちに言わせれば、あんたが副団長っていう方が不思議だけどね。お使いの騎士見習いさんから聞いた時は、人違いだと思ったぐらいだ」
「ふん、その件での処遇は後だ。さっさとその魔獣を渡せ!」
「ええ? このコは魔獣じゃないよ。さっきはおかしかったけど。ほら、普通の犬じゃん」
わたしはしらばっくれた。奴に渡せば殺されてしまう。耳を垂れ、「くうん」と悲しげに鳴く犬は、どこからどう見てもかわいいワンコだ。
両手に抱きかかえ、よしよしとなでてやった。
「そんな大型犬を持ち上げるなんて、相変わらずの馬鹿力だな! そいつは魔獣だ」
「どこが?」
「え、どこがって……」
「普通の犬じゃん」
つぶらな黒い瞳をほれほれと見せる。
「うわ! こっちに近づけるな」
「渡せって言ったくせに」
「いきなり近づけるなってことだよ!」
何を言ってるんだ。相変わらず馬鹿だな。
「で、どこを見て魔獣だと言ってるの?」
「……」
ファルクが答えられずにいると、先ほどの紳士が口を出してきた。
「ファルク様。その犬は突然店内に現れました。いきなり娘に襲いかかり、食らいつこうとしたのです。その時は、確かに魔力を使って周りを威圧していました。今は魔力を感じませんが、魔獣で間違いありません。おそらく、この女が魔獣を操っているのですよ!!」
「そうか。メレンゲ公爵、貴重な証言に感謝する」
キリリとした表情でファルクが頷く。その表情が余計馬鹿っぽく見えるから不思議だ。
「そもそも、魔獣探知に反応があったんだ。間違いない」
「へー、そんな便利な物があるんだ。じゃあ、町の中心にクマが出てるっていうのも知ってるの?」
「も、もちろんだ」
あ、目を逸らした。後ろめたいことがある時に出る癖は変わってない。
「犬よりクマの方が危ないんじゃない? そっちは誰か向かってるの?」
「ここを片付けてから向かう」
「じゃあ、片付いてるから、もう行ったら?」
「そうはいかない。メレンゲ公爵の令嬢が襲われたのだ。その魔獣の処分が先だ」
「ふーん。平民が集まる町中より、貴族が集まるであろうこの店に駆け込んだってわけか……あんた、ほんとに腐った人間になったんだな」
セドが向かったことを、おそらくこいつらは知らない。それにもかかわらず、ここへ来た。
こいつは町人よりも貴族を優先したのだ。二手に分けることすらせずに。
クマが先ほどの犬と同じ調子で暴れたら、甚大な被害になってしまうだろう。誰一人それを心配しないとは。
「つべこべ言うな。その犬を渡し、おとなしくお縄につけ!!」
「なんでわたしがお縄につくの? 助けてあげただけなのに」
「『助けてあげた』だと? 普通の人間が魔獣に手出しできるものか。大方、自作自演で恩を売り、金をせしめるつもりだったのだろう!」
うわあ、とんだ言いがかりだ。
「魔獣なんか初めて見たのに、どうやって操るんだよ。アララ村にそんなものいないって、ファルクも知ってるだろう?」
「いいや。俺が知ってるのは三年前までだ。その後、お前が何をしてたかなんてわかるはずもない。だが、父から税逃れの罪は聞いている。……残念だよ。そんなに金に汚い人間になっちまったとはな。お前はどっちみち罪人だ。ここで始末をつけてやる」
令嬢の肩に手を回したまま、後ろの部下に顎をしゃくる。あ、自分でやらないんだ。すっごい偉そうで気持ち悪い。よく三年でここまで変われたな。残念なのはこっちだよ。
いや、元々こんな奴だったのか? まあ、今更どっちでもいいか。
長身の騎士が剣を抜き、こちらに向かってきた。
ああ、このシチュエーションは……両親が殺された時と同じだ。違うのは、大げさに振り上げた剣が隙だらけだということ。見習い達と大差はない。
犬を抱いたまま剣を躱し、軸足を蹴った。空振りした騎士はバランスを崩し、剣を持ったまま後ろの人垣に突っ込んでいく。
「きゃあ!」
「うわああ」
大きな悲鳴が上がったが、けが人はないようだ。よかった。
まったく、そこまでバランスを崩すと思わなかったよ。危ないな。
「てめえ! 抵抗するのか」
ファルクが怒鳴り声をあげる。見習いがチンピラみたいだったのは、間違いなくこいつの影響だ。
「当たり前じゃん。なんで大人しく殺されなきゃなんないのよ」
「大人しくしてりゃ、お前の両親と同じように、一瞬で済んだのによ」
ズキンっと、奴の言葉がわたしの心に突き刺さった。
鼻で笑いながら、馬鹿にしたように、軽々しい口調で両親のことを口にする。
こいつは……こいつは命を何だと思ってるんだ!!
わたしは犬を下ろしながら、低い声で言った。
「あんな剣にわたしがやられると思ったの? 相手の力も測れないなんて、あんまり成長してないみたいだな。その程度で副団長とは笑わせる」
「何を!? 昔はおまえも強かったかもしれないが、今は俺様の相手じゃない」
「そうは見えないけど。隙だらけだ」
「なんだと!」
あっさり挑発にのってきた。令嬢から手を離し、こちらを睨む。馬鹿にされるのが一番嫌いだから、こいつはすぐに冷静さを失うのだ。
すぐさま剣に手をかけたが、大剣は抜くのに時間がかかることも考慮できていない。焦って体だけ前のめり状態だ。
その隙を逃さず、剣を握る手に回し蹴りをした。ドレスが破け、太ももが露わになる。
「イテ!」
抜きかけの剣から手が離れた。ストンと剣が鞘に戻る音だけが妙にはっきり響く。
間髪入れずに飛びかかり、膝を腹にめり込ませる。ミシッと肋骨の折れる手応えがあった。
一言も発せないまま、ファルクの体がゆっくり後ろに傾いていく。
わたしの太ももに気を取られていたのか、背後の部下達はファルクを支えきれず、十数人が一緒に尻もちをついてしまった。
わずか十秒の勝負だった。
シンと店内が静まり返る。
沈黙を破ったのは、紳士の声だった。
「化け物だ!!」
魔獣使いから化け物に格上げか。すごいな。騎士だけでなく、お貴族様もこんな人間たちなのか。
蹲り、腹をおさえて呻いているファルクを眺めた。情けない。
気を取り直した騎士達が一斉に剣を抜く。
「拘束の魔法を使え!」
空振りをした騎士が、黒髪の男に指示をする。こっちの男の方が頭は回るようだ。魔法を使われるのはやっかいだ。
周囲を睨み、両手を握って腰を落とす。
本気の戦闘態勢に移った時……
「お前たち、何をしている! 剣を引け!」
アンドリュー様の声が響き渡った。
振り返ると、全身から怒りをにじませたアンドリュー様が立っている。あー、この人いたんだっけ。すっかり忘れていた。
この状況は……この人の顔に泥を塗っちゃったってことになるのかな。




