第十八話 彼の正体
お歌医師? 追う大使?
どんな職業の方か分からないので、とりあえず愛想笑いを浮かべて挨拶した。
「初めまして。ジリアン・マッカーソンです。ジルと呼んで……あ、もう呼んでいましたね。セドにはとてもお世話になっています」
「うわあ、噂と全く違うじゃん! こんな美少女、見たことないよ」
そう言いながらも、視線はわたしの顔ではなく、お胸に注がれている。コルセットで存在感が増してるからね。正直な人だ。手も握ったままである。貴族なのは間違いないだろうから、ちゃんと様付けをしておこう。
「そんなことはありません。アンドリュー様こそ、中間管理職ではなく、王子様みたいに素敵です」
その言葉に、彼は大きく目を見開いた。
何か変な事を言っただろうか? とりあえず褒めたつもりなのだが。
「そう。王子様みたいとはうれしいね。無能な上司と有能な部下の板挟みになっているだけの、しがない存在なんだけど」
「それはお辛いですね」
「ジルは分かってくれるんだ。優しいな」
笑みを深め、わたしの手にキスをしようとした。
しかし、セドはいきなりそれをパシッと払った。
「ふざけるな」
「あれ、やっぱりそういうこと?」
薄ら笑いを浮かべるアンドリュー様とは反対に、セドは眼光鋭いコワモテに戻っていた。
「そんなんじゃない。余計なことを言うな」
「怖い怖い。魔獣の方がまだ可愛げがあるってもんだ。まあ、いいか。食事にしよう」
「なんでお前が仕切っている?」
「まあまあ。せっかくだから、食事をしながら話をしよう。……ファルクが彼女を罪人として正式に手配しようとしている。あんまりのんびりしている時間はない」
その言葉に、わたしは気が重くなった。奴は本気だ。本当にもう、昔の奴はいないのだ。こちらも気を引きしめなくては。
だが、運ばれてきた料理の皿に、デンッとハサミを振り上げる海老を見つけたとたん、すべてが吹っ飛んだ。
「海老! これが海老だよね!? うわあ、大きい。本当にハサミを持ってる。すごいな」
「たくさん食べるといい。どんどん持ってこさせる」
セドは再び優しい顔になった。目を細めてわたしを見つめる。わたしは力いっぱい頷いた。
「うれしい! いただきます」
さっそく海老を手に取った。長いヒゲが伸びていて、足が何本もある。真っ赤な体とつぶらな黒い目はとってもかわいらしい。ちょっと硬そうだが、わたしは口をいっぱいに開けて、頭からかぶりついた。
「あ、ジル!」
「それは……」
何か言いかけた二人の言葉は、それ以上続かなかった。バリバリと海老の殻をかみ砕く音だけが部屋に響く。
「ちょっと硬いね」
見た目通り、硬くて食べにくい。口紅の油臭さも混じって、微妙な味である。本でご馳走の定番と書かれてたから、ちょっと期待しすぎしたのかもしれない。
「ぶわっはっは!!」
アンドリュー様がお腹をかかえて笑い出した。セドは困ったような顔でわたしを見ている。
「ジル、そこは食べる部分じゃない」
「え?」
「普通は、こうやって中身を食べるんだ。頭は飾りだよ」
アンドリュー様がお手本のように、中身を取り出して見せてくれた。
「飾り? 食べられますよ」
「うん、まあ、そうだけど」
「食べなかったら、残りはどうするんですか?」
「それは捨てるだろう」
「ええ! なんで? 命を犠牲にしているのに」
わたしの言葉に、アンドリュー様は黙り込んだ。
また変なことを言ったらしい。……どうやらわたしの考えは、ここではおかしいようだ。
でも、何が変なのか分からない。気まずいまま、わたしは黙って海老の残りをかじった。
「ジル、海老の殻はスープのダシにすると旨いんだ。オレが作ってやるから、余った分をもらって帰ろう。硬い殻は食べずに、今はうまい部分だけ楽しむといい」
セドが優しい声で言ってくれる。その言葉にわたしはこっくり頷いた。
「おっどろいた! 海老を頭から丸かじりする美少女も怖いけど、セドの優しい声の方がもっと怖いや」
「悪かったな」
「いや、お前もそんな顔するんだな」
アンドリュー様は目をぱちくりさせている。
「セドはずっとこんな顔ですよ」
「へぇー! それはそれは」
彼はまた大笑いした。
ひとしきり笑った後、表情を引き締めて真顔になった。
「さて、そろそろ本題に入ろう」
アンドリュー様がそう言った時、急に外が騒がしくなった。かすかに悲鳴のようなものが聞こえる。
どうしたのだろう。
店の人がドンドンとノックをして入ってきた。
「魔獣が出ました! 危険ですので、部屋から出ないようにしてください」
「なんだって! 討伐を終えたばかりじゃないか」
「ええ。いきなり町の中心に出てきて暴れています」
店の人とアンドリュー様が問答をしている。焦る二人とは対照的に、セドは静かに立ち上がった。
ドアに向かいながら、落ち着いた声で店の人に問いかける。
「何の魔獣だ」
「クマです! しかも、かなり大型の」
そう答えた店の人は、ハッと息を飲んだ。
「あ、あなた様は……」
セドはその声には答えず、前を向いたままわたし達に言った。
「すぐに行く。リュー、ジルを頼む。ジル……ここから出るんじゃないぞ」
「え! なんでセドが行くの?」
わたしの質問には答えず、チラリとこちらに視線を向けただけで、すぐに出て行ってしまった。
一瞬だけ見えた彼の瞳は……闇のように真っ暗だった。




