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第十五話 わたしの噂(1)

 外から見るよりも、お店の中はさらに豪華絢爛だった。どこもかしこもぴかぴかで汚れ一つない。磨き抜かれた床は大理石だ。

 出てきた店員さんもきれいなマダムだった。ブロンドの髪を結い上げ、唇にはくっきりと深紅の(べに)をさしている。豊満な胸の谷間をぐいっと見せつけるようなドレスを着ているのに、不思議なほど上品だ。母以外の女性を“きれいな人”だと思ったのは初めてだった。


 口元には愛想笑いを浮かべているが、当惑したように眉を顰めてこちらを眺めている。

 それはそうだろう。着古した麻のシャツに丈夫なだけが取り柄の綿パンツ姿の人間が、こんなところに来ていいはずもない。


 ところが、セドを見ると一瞬で表情を変えた。彼も簡素な服装だが、品質の違いは一目瞭然。立ち居振る舞いからも高位の人だと悟り、客と認識したようだ。満面の笑みで挨拶してくる。


「ようこそいらっしゃいました。何をお求めでいらっしゃいますか」


 見た目だけでなく、声にも艶がある。それでいて、ハリがあって聞き取りやすい。素敵な声だ。


「彼女の装いを一通り。普段着のワンピース、アフタヌーンドレス、ディナードレス等を数日分用意してほしい。それに合わせた小物も全部」


 マダムの目が輝いた。反対にわたしは真っ青だ。


「セ、セドさぁん? なにいっちゃってるんです?」

「ジル、呼び捨てでいいって言ったじゃないか」


 え! 突っ込むのはそこですか!?


「だって、そんなに要らない!」

「ここは任せてほしいって言っただろ?」


 セドがウインクをしてきた。

 ほえ? 何、この破壊力!! 

 細い目を軽くつぶっただけで、わたしの心臓は射貫かれてしまった。一瞬だけど、絶対に止まったと思う。

 首振り人形のようにコクコク頷くわたしに、セドは軽く笑った。


「そうそう、いい子だ」


 頭を軽くなで、マダムに向き直った。


「どれぐらい時間がかかる?」

「オーダーメイドになさいますか?」

「いや。残念だが、すぐ必要なんだ。既成のものを手直ししてくれ。アクセサリー類は任せる。金はこれで足りるか」


 セドは手帳のようなものを取り出し、わたしに直接見えない角度でさらさらと金額をかきこんだ。おそらく、あれは魔法紙でできた手形だ。本で読んだことはあったけど、実在するものだとは思わなかった。びっくりだ。

 満足げにマダムが頷く。


「お美しいお嬢様でいらっしゃいますから、何でもお似合いになりますよ。すぐにご用意いたします」


 お世辞を言いながら慇懃に腰を曲げた。お金の力ってすごい!


「オレは少し用を済ませてくる」

「承知しました。お嬢様をお預かりいたします」


 そっか、セドは出て行っちゃうんだ。それはそうだ。こんなところでずっと待っていられるはずもない。そういえば、母を溺愛していた父も洋服屋には付き合わなかったな。いつも母はわたしを連れて行ったっけ。


「ああ、そうだ。ついでにディナーの装いに仕上げておいてくれ」

「え! なんで」

「せっかくだ。ちょっといい所で海鮮料理を食べようじゃないか」


 海鮮料理! 魚とか、貝とか、海老とか? 山に囲まれたアララ村で、海産物はなかなか手に入らない。わたしは川魚しか食べたことがなかった。それを食べに? 今晩!?

 思わずにんまりした。現金だな、わたしも。


「すぐに戻ってくるから。何か好みがあれば遠慮なく言うんだぞ」

「はい。ありがとうございます」



 片手を上げてセドが出て行くと、急浮上した気分が急降下した。店の中がひんやりと感じる。ちょっとだけ息苦しい。

 不安げなわたしに、マダムはにこやかな笑みを向けてくれた。


「さ、お嬢様、こちらへどうぞ。お好みの色はございますか?」

「いえ、まったく」

「それじゃあ、こちらでご用意しますので、お好みに合わないものはおっしゃってください」


 十五、六歳ぐらいの若い娘さん達がわらわらと現われ、次々と着替えさせられた。鏡を見ながら、ああでもない、こうでもないと、みんなで楽しそうに見繕ってくれる。


「翠の瞳なんて、お珍しい! エメラルドのようですね。なんてきれいなお嬢様でしょう。やりがいがあります」

「金髪も見事ですこと」

「引き締まった体つきなのに立派なお胸で、素晴らしいスタイルですわ」


 口々にヨイショされ、恥ずかしくなってしまった。わたしなんかより、娘さんたちの方が可愛らしい恰好をしているのに。きれいにお化粧をして、手だってすべすべだ。


「さっきの方も素敵ですね。恋人……あ、紋様があるから、婚約者かしら」


 わたしの手を見ながらお団子ヘアの子が言うと、鏡越しにマダムがキッとその子を睨みつけるのが見えた。セドに紋様はなかったと、側にいたマダムには分かったのだ。

 

「いいえ。あの方は、ええと、保護者のような感じです」

「そうなんですか。じゃあ、婚約者に会いに行かれるのかしら? お相手の好みや瞳の色に合わせましょうか」


 お団子ちゃんはマダムの視線に気付かないまま話を続ける。見栄を張るのも嫌なので、わたしはきっぱり言った。


「いえいえ、必要ないです。会いに行くのは確かですが、婚約を解消するためですから」


 わたしの言葉に、皆がピタッと固まった。時が止まったかのように一斉に。賑やかだった部屋が静まり返り、外の喧騒が少しだけ聞こえてきた。


 お団子ちゃんがバツの悪そうな顔で、恐る恐るこちらに顔を向ける。


「あ、そんなに重い話じゃないですよ。かえって清々します」


 元気に笑って腕をぶんっと振り上げた。しかし、みんなの反応は微妙だ。


「まあ、そんな強がりを…………」


 へ? そんなつもりはありませんが。


「こんなにきれいなお嬢様になんということを……」


 マダムはハンカチを出して涙ぐむ。

 だから、違いますって。なんでそうなるの!


「行き遅れになるまで待たせておきながら……」


 あー、なるほど。世間一般では、わたしはもう行き遅れってトシですか。だからこんなに同情してくれてるわけですね。確かに、このトシで婚約解消されたら、次はないだろう。

 とうとう他の娘さんたちも泣き出した。グスグスと鼻をすすりながら、作業を再開する。


「あ、あの、本当に大丈夫ですよ。わたしは一人でも生きていけますから」

「おきれいな上に、なんて健気なんでしょう。……ええ! 最後にその()()()()()をぎゃふんと言わせてやりましょう。お任せください。最高の淑女にしてみせますわ!!」


 マダムがドンと胸を叩く。豊満なお胸がぽよよんと揺れた。

 みんなも涙を拭って力強く立ち上がった。何か間違っている。いや、奴が()()()()()なのは間違ってないけど。


「お嬢様は、そんな相手のためにわざわざ遠くからいらしたのですか?」


 マダムはすっかりわたしに同情的だ。詳しく言うわけにもいかないので、わたしは曖昧に頷いた。


「ええ。田舎の村娘です。お嬢様じゃなくてごめんなさい」


「そんなことありませんよ。おきれいで健気で……普通の男性なら放っておきませんわ。相手に見る目がありませんのよ」

「そうですわ。こんなに可愛らしい方、見たことありませんもの」


 娘さんたちは再びヨイショし始めた。


「同じ田舎の娘さんでも、噂の娘とは大違いですね!」

「噂?」

「ええ。田舎の村娘といえば、素朴で心優しいものだと思っていましたのに。とんだ業突く張りの娘がいたものです」


 うんうんと、皆で頷き合っている。わたしを持ち上げるために、敢えて悪い噂の人を持ち出したようだ。


「業突く張りとは、ずいぶんな言われようですね」


 田舎に居ながら王都にまで噂が轟くなんて、相当すごい女性だ。いったい何をすれば、そんな有名人になれるのだろう。


「お嬢様は噂をご存じないのですね。お情けで結んでもらった昔の約束を盾に取り、婚約解消を拒否している娘の話を」

「ええ。泣いて縋って、それでもダメだったから、ありえないほどの金額を要求しているとか」

「今、王都で一番の話題ですのよ」


 ふーん。そんなにすごい人がいるんだ。


 お団子ちゃんが、扇子をぐっと握りしめて力強く言った。


「英雄ファルク様の婚約者です! せっかく王女様とのご婚姻が決まったというのに、図々しく居座っているのですよ!!」


 鏡の中のわたしは、顎がはずれるかと思うほど口をあんぐりと開けていた。


 あー、それ、もしかしなくても、わたしのこと、ですね。




 

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