第十一話 あなたは誰?(3)
キャルは美人なだけでなく、足も速かった。わたしとコワモテさんの二人を乗せて軽々と走っていく。馬に乗るのは慣れているはずなのに、経験したこともないスピードに、わたしの胸はドキドキしっぱなしだ。
そう! ドキドキしているのは、立派な馬に乗っているからだ。決して、手綱を握る力強い手に邪な気持ちを抱いたからではない。うん。
はあ、それにしても、人の温もりはなんて心地いいのだろう。背中ごしに彼の体温が伝わって……いや、だから、邪なことなんて考えてないって!!
ぶんぶん首を振ると、少しバランスを崩してしまった。
「危ない!」
お腹に腕をまわして引き寄せられ、またドキドキが大きくなった。
こ、こわれちゃう。わたしの心臓が爆発しちゃうよ!!
家に着いた時には、もう日がとっぷり暮れていた。月明りに照らされた自分の家がやけに神々しく見える。よかった。帰って来られて、本当によかった。コワモテさんが助けてくれたおかげだ。
案内もしてないのにどうして家が分かったのかは謎だが、彼はきっと魔法で何でもお見通しなのだ……と思うことにした。
「すっかりお世話になりました。ありがとうございます」
キャルから下りて礼を言うと、コワモテさんは細い目をさらに細めて頷いた。こんなに細くて見えてるのかな? 目尻が下がっているから、きっと笑ったのだろう。そんな彼の顔を見て、また心臓が加速し始めた。どうしたんだろう、わたしの心臓は。
見たところ、彼の歳は20代後半ぐらい。農業をやってる人でも、商売人でもない。偉そうだけど、偉ぶったところはない。強い魔力をもっているのだから、魔法を使える騎士……魔剣士だと考えるのが一番自然だと思う。だけど、さっきの男達やバカ息子のようなクズじゃない。まして、両親を殺した男ともまるっきり違う。まるで騎士っぽくない。見れば見るほど不思議な人だ。
ずっと顔を見上げて首が痛くなってきた頃、背後から脱走鶏が飛び掛かってきた。
「コケケ、コケコケッ!!」
「お前ー! また脱走して……」
「コケケ?」
怒ろうとしたが、つぶらな瞳で見つめられ、何も言えなくなってしまった。心配してくれてたのか?
「ありがとう!!」
「グェエ!」
わたしはぎゅっと抱きしめた。今日は脱走を見逃してやろう。
「それは……」
「ああ、うちのニワトリです。脱走が得意なんですよ」
スリスリ羽毛をなでながら紹介した。コワモテさんは驚いた顔で、まじまじと脱走鶏を見つめている。そんなに珍しい? まあ、脱走が得意なニワトリなんて、そういないもんね。今日も鍵はしっかりかけておいたはずなのに。
なぜか、この子もコワモテさんを見返している。まるで目で会話しているようだ。
わたしたちの声を聞きつけ、家の中からナテラとドラトル先生が現れた。あ、そういえば家の鍵は閉めてなかったっけ。
「ジル、無事だったんだな!! よかった」
いつもキリッとしている水色の瞳に涙を浮かべながら、ナテラが抱きついてくる。サンドイッチされた脱走鳥はまた「グエッ」と変な声を上げた。
「ありがとう。待っててくれたの? 子供と旦那さんは?」
「バカ! そんなのどうとでもなるよ。あんたが帰ってこなかったらどうしようって心配だったんだから!!」
「ドラトル先生も待っててくれたんだ」
「隣の牛を見に来たついでに寄ったら、ナテラがおろおろしていたからな。何事もなくてよかった……」
二人とも、なんて優しいんだろう。いつもわたしを心配してくれる。この二人の助言があったから、隣の異変に気付くことができたんだ。
「うーん、何事もなくはなかったんだけどね。けっこう危なかった。でも、この人に助けてもらったんだよ」
そこで初めて、二人は後ろにいるコワモテさんに目を向けた。
「助けてもらった……? いったい何が! それより、お前さん誰だよ。名前は?」
おお、さすがナテラだ。すぐに名前を聞くなんて。
「オレの名はセド。彼女が襲われているところに偶然通りかかりった」
……偶然とは思えないけど。
「セド殿? 領主様のお知り合いで、お館に滞在しているという客人か」
ドラトル先生の言葉に、コワモテさん……セドさんはこっくり頷いた。
おお! 領主様のお知り合いだったのか。それなら、やっぱり偉い人に違いない。いったい何をしている人なんだろう。
セドさんの方へ視線を向けると、彼は困ったようにポリポリ頬をかいた。
「ジル、すまない。君に嘘をついた。オレの正体は……」
ゴクリと唾をのむ。セドさんって何者なの……?
「オレの正体は、通りすがりの旅人じゃない」
思わず力が抜け、抱きしめていた脱走鶏を落としてしまった。
……そんなこと、最初から信じちゃいません。




