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鈴谷さん、噂話です

筋肉は憶えている

 その彼がスポーツジムに通うようになったのは、健康の為に体重管理をしようと思ったからで、特に身体を鍛えようというつもりがあった訳ではなかったらしいの。

 だから、その賭け事を彼が受けてしまったのは、その男の口の上手さに乗せられてしまったという要因が大きい……

 ま、少なくとも彼自身はそう言っていたわ。

 自分の肉体には自信のなかった彼だけど、その男は更にふくよかな体つきをしていて、その男を初めて見た時、彼は「勝ったな」とそう思ったらしいから、きっとその所為でもあったのでしょうけどね。

 名前がないと不便なので、ここでその男を仮にふくよかさんとしておくけど、そのふくよかさんはとても気さくな人柄で、他のジムの常連とも仲が良さそうだった。初心者だった彼にも気軽に話しかけてくれて、お陰で緊張がほぐれたと言っていたわ。

 そのふくよかさんは彼の隣でベンチプレスをやっていて、とても苦しそうにしながら40キロに挑戦していた。因みに40キロというのは大体平均くらいらしいわ。

 彼もそれを真似て同じように40キロに挑戦してみると、意外にいけそう。それで彼は少しいい気になった。

 「いや、なかなかやりますな」

 と、それを見てか、ふくよかさんが話しかけて来た。そして、続けてこんな提案をして来たらしいの。

 「――どうでしょう? 少しばかり勝負をしませんか? 賭けをしましょう」

 どんな勝負かと思ったら、ふくよかさんは「ニヵ月ほどトレーニングをして、より重いバーベルを上げられた方を勝ちとするのです」なんて言って来た。

 「なに、何か明確な目標があった方が張り合いが出ますからな」

 続けて、そんなことも。

 そうして、ふくよかさんになら勝てそうだと思った彼はその勝負を受けてしまったってわけ。

 ところが、賭けの当日に久しぶりに会ってビックリしてしまう。彼もそれなりに鍛えて来たつもりだったのだけど、ふくよかさんはそれ以上で、見違えるように筋肉がついていたから。

 もうふくよかさんとは言えないけど、その元ふくよかさんはなんと100キロものバーベルを上げ、彼は呆気なく負けてしまったそうよ。

 そして、まぁ、お陰で彼は小遣いを少しばかり奪われてしまった。ふくよかさんはとても満足そうな顔をしていたって。

 人間の意志の力は凄い。賭けに勝ちたいという想いだけで、あそこまでがんばれるものなのかと彼は感心をしていた……

 

 私がそこまでを語ると、凛子ちゃんは何やら少し考え込んだ。

 彼女は同じアパートに住んでいる女の子で、フルネームを鈴谷凛子という。スレンダーな体型に眼鏡がよく似合っていて、少々、目はきつめだが、それも含めてとても可愛い女の子だと私は思っている。今日は彼女を私の部屋に招いてお茶をしている。

 まぁ、いつも通りだ。

 そのお茶請け話として、私は会社で聞いたその話をしたのだけど、彼女には何か気にかかる点があるようだった。

 「少し時間をください。ちょっと調べてみたいことがあるので」

 それから彼女はそう言うと、カバンからノートパソコンを引っ張り出した。どうもネットで何か調べる気でいるらしい。

 彼女はしばらくキーボードを弾いてから、「これかも」とそう呟いた。

 何か見つけたらしい。

 「どうしたの?」

 そう私が尋ねると、彼女はノートパソコンの画面を私の方に向けて来た。

 

 “マッスルメモリー”

 

 パソコン画面には何処かのウェブページが映っていて、そしてそこにはそんな言葉が書かれてあった。

 「なにそれ?」

 そう尋ねると、「私も詳しくは知りませんが」と断ってから、彼女はページの内容を簡単に説明してくれた。

 一度筋肉を鍛えると、しばらく放っておいて衰えたとしても、また鍛えれば直ぐにその筋肉を取り戻せる。

 それが、どうやらマッスルメモリーと呼ばれているらしい。

 

 「多分、そのふくよかさんが直ぐに筋肉をつけられたのって、このマッスルメモリーのお陰じゃないですかね?」

 凛子ちゃんはマッスルメモリーの説明を終えるとそう言った。

 「ああ、なるほど」

 と、それを聞いて私は言う。

 そのマッスルメモリーが実在するのなら、わずか二か月ほどで驚くべき筋肉を身に付けられた現象を説明できる。

 「でも、どうして疑問に思ったの?」

 私がそう質問すると、凛子ちゃんは「そのふくよかさんが、常連の人達と仲が良さそうだったってところですよ」と答えた。

 「運動不足でスポーツジムに入ったばかりにしてはおかしいでしょう? 実はその人は久々に復帰したのじゃないでしょうか?」

 「ああ、なるほどね」

 と、それを聞いて私は応える。

 「でも、それが本当なら、話してくれた彼はふくよかさんに騙されていたってことかしらね?」

 「どうでしょう? そのふくよかさんは、マッスルメモリーについては知らなかったのかもしれませんよ」

 仮に知っていたとしても、そう何度もできるような詐欺の手段じゃないから、常習犯ではないだろう。

 或いは、馬鹿にされたのを敏感に察知して、少しやり返してやりたかったのかもしれない。

 

 「しかし、まだまだ、世の中には私達の知らない知識があるものね」

 

 と、それから私はそんな感想を言った。すると凛子ちゃんも「本当にそう思います」とそう返して来た。

 知識が豊富な彼女が言うと、妙に説得力があるな、と私は思った。

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