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風が冷たくなってきて目が覚めました。
しかし、ねこ様の毛並みが抗しがたく、離れることができません。
何度かうつらうつらしていたのですが、さすがにもう帰らないといけない時間のようです。
ねこ様のお腹に戻りたい衝動をぐっと堪えて、立ち上がります。
すると、ねこ様は一瞬で普段の大きさに戻ってしまいました。とても残念です。
ねこ様にお別れを告げると、警備の者が声をかけてきました。
陛下がお呼びです、と。
もう日が沈もうという時間なので不思議に思いましたが、お呼びとあらば行かねばなりません。
警備の者についていくと、謁見の間に通されました。
「ティレニア嬢、待っていたよ」
本当に待たせてしまったようです。
玉座に座る陛下の手には書類があります。
しかし、なぜ父親の手にも書類が握られているのでしょうか?
父親の職業って、陛下の公務を手伝えるものでしたっけ?
目の前の光景に疑問を抱きつつも、陛下に礼を取ります。
「遅くなり、申し訳ございません」
「よいよい。寝る子は起こしてはならぬと言うからな」
貴方の息子は起こしましたけどね。
口にしては言えませんが、陛下は笑いながら、何があったかは聞いていると仰いました。
「グリードを甘やかしていた、私の責任でもある。二度と、このようなことはさせないと約束しよう」
責任だと言いつつも、謝罪をしないのは一国の王だからでしょう。
王として、臣下の娘にかけられる精一杯の言葉だと感じました。
最初は、王の威厳が薄い印象でしたが、どうやら他者に与える印象をご自身で調整しているみたいです。
今の表情は柔らかいですが、その目は私を見透かそうとしており、他者を圧倒する空気をまとっています。
これが王なのだと、理解したのです。
自然と頭が下がり、気がつけばお礼を述べていました。
「グリードたちはしばらく謹慎させることにした」
それが、ねこ様のお昼寝を邪魔した罰ということですね。
そうなると、王宮に呼ばれる理由がなくなるので、ねこ様とは会えなくなってしまいます。
「ねこ様のこともある。ティレニア嬢はイヴァンが王宮に上がるときに一緒に来てはどうだ?」
寂しく思ったのが、顔に出てしまったのでしょうか?
陛下がそう提案してくれました。
「……よろしいのでしょうか?」
「王宮の庭で昼寝するくらい構わないさ。皆にも伝えておくから、邪魔は入らないよ」
なんともありがたいお言葉です。
私は陛下の申し出に甘えることにしました。
帰り道、疑問に思ったことを父親に尋ねてみました。
どうして、陛下のお側にいるのかと。
「家庭教師から聞いていないのか?」
「先生は、軍の偉い役職についていると仰っていました」
すると、父親は間違いではないと言いましたが、正しい肩書きを教えてくれました。
我が国の国家元帥。
我が国には、国防を担う国軍と各領地の治安維持を担う領軍が存在しています。
その両軍の最高責任者というわけです。
「我がライフィック家は代々、陛下の剣であり盾としてお側に仕えている。だが、必ずしも血筋が重要ということはない」
代々と言っておきながら、血筋が重要ではない?
父親の言わんとすることが理解できず、首を傾げます。
「陛下に心からの忠誠を捧げ、あの荒くれどもを統率できる能力があれば、ライフィック家の跡取りとして指名してきた」
血筋ではなく、資質がライフィック家に相応しければそれでいいと言うことですか。
ご先祖様の中には、平民からという人もいるのかもしれませんね。
「もちろん、性別も関係ない。お前がライフィックとして相応しければ、次の当主となるだろう」
「面倒臭いのでなりたくないです」
そんなことになれば、あの王子の側にはべて、仕事しなければならないじゃないですか。
あの王子が、陛下のように王に相応しく成長したら考えなくもないですが。
「お前が王子に忠誠を誓えないとなれば、ならなくていい。大事なのは、そのときの王に忠誠を誓うことができ、あいつらを上手く使えることだからな」
そのどちらも揃わなければ、ライフィック家の当主は務まらないのですね。
ならば、私が当主となる可能性はとても低いでしょう。
「今のうちから、跡継ぎを探すことをおすすめいたします」
もしかしたら、妹に才覚があるかもしれませんが、不確かなものに頼るより、確実なものを探した方が早いですしね。
「まだ私は引退しないぞ」
……そうですよね。
考えてみたら、陛下も父親もまだ若い方でした。
世代交代なんて、最低でも二十年は起きないと思います。
「長生きしてくださいね」
長く現役でいてください。
そうすれば、きっと相応しい跡継ぎが見つかりますから。
「ティレニア……」
父親と話しているうちに、屋敷に到着したようです。
母親と家令のスチュアートが出迎えてくれました。
その後ろで妹が走り回っていましたが、父親の姿を見つけてこちらに駆け寄ってきます。
「とーしゃま!」
嬉しそうな笑顔ですが、父親に到達する前に凄い勢いで転びます。
一瞬の静寂のあと、動物の咆哮を思わせるような声が響き渡りました。
大泣きする妹を、父親が慌てて抱き上げます。
「ねーたまがぁーー」
妹の言葉に、母親の表情が少し固まりましたが、すぐに笑みを浮かべます。
「ティレニアも帰ってきたぞ。一緒に夕食を食べよう」
と、父親は懸命に妹をあやしています。
妹の言いたいことに気づいていないのか、気づいていながら流したのか、父親の様子からは判断できませんでした。
こういったことは、たまにあるのです。
何かあると、私が原因であるかのように、妹は姉様がと言います。
おそらく、怒られたくないための自衛手段なのでしょう。
走ってはいけないと言われているのに走り回り、盛大に転ぶ。
すると、周りの大人はそれ見たことかと、自業自得だと言います。
そして、言いつけを守らなかった妹を叱るのです。
それを回避するために思いついたのが、たまたま側にいた私のせいにするという方法です。
最初は信じる者はいなかったように思いますが、たび重なれば、もしかしてと不信に思うのも仕方ないでしょう。
「そう言えば、今日の食後の甘味は桃の蜜煮だそうよ。ミーティア、大好きでしょう?私のぶんもあげるわ」
そう言うと、泣き声がぴたりと止み、小さな声でほんと?と聞いてきました。
「えぇ。たくさん食べて、大きくなってね」
甘い物がもらえるとわかった妹は、今度は早くご飯と父親を急かします。
まだまだ幼い子です。
目先の欲には忠実で、扱いやすいところは可愛いと思います。
それに、妹は本当に甘い物が好きで、ここ最近ふっくらしてきたのですが、それも愛嬌だと思います。
妹を煩わしいと思っていても、嫌いではないのです。
私にはない元気のよさ、無邪気さがあり、両親が可愛がるのも当然でしょう。
ただ、早く大きくなって、落ち着きのある淑女になって欲しいというのが、私の切実な願いです。
両親と妹のあとに続いて、食事に向かおうとする私をスチュアートが呼び止めます。
「よいのですか?桃の蜜煮はお嬢様もお好きですのに」
「ずっと泣き叫ばれるよりはましでしょう?」
自分の好ましい環境を手に入れるためには、多少なりとも我慢は必要ですから。
スチュアートは無言で一礼をすると、上品な仕草で私を食堂まで導いてくれました。
食事を終えて自室に戻ると、すぐに私付きの使用人が何かを持ってきました。
「厨房からです。今日のは自信作なので、ティレニアお嬢様に食べていただきたいのだと料理長が申しておりました」
その様子を思い出したのか、使用人であるカーチェは口元が綻んでいます。
味見や研究のために取っておいたものだったのかもしれません。
厨房の料理人たちは確かな腕を持っているのに、さらに美味しいものをと励んでいるのです。
料理長らの心遣いに感謝して、早速いただきます。
柔らかく煮込まれた桃は、口の中で甘い蜜を出し、桃の香りと味が混ざることによって、より甘みが増しました。
それなのに、くどくなく、ほどよい余韻が残ります。
料理長が自信作だと豪語するだけありますね。
「今までで一番美味しいわ」
「お嬢様のお顔を、料理長に見せてあげたいです」
きっと、だらしのない顔をしていたのでしょう。
ですが、こんなに美味しいのですから、顔が緩むのは当然です。
今日は、この甘い香りのおかげで、いい夢が見れそうな気がします。