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カルル少年視点
「おい、もう離せよ!」
ティレニア様の後ろ姿を見送っていると、騒がしい声が上がった。
「ヴァシリー、いい加減にその態度を改めろと言っているだろう」
僕がそう言うと、幼馴染みのヴァシリーはさらに噛みついてきた。
「あいつのせいで、父上に怒られたんだぞ!」
ティレニア様のせいではなく、僕たちの言動がいけなかったことを、まだ理解していないか。
彼の父親である、ルーキン伯爵に報告した方がよさそうだ。
「君の父上が怒っていたのは、侯爵家のご令嬢に手を上げようとしたからだ。どんな理由にせよ、貴族の男性が女性に暴力を振るうなんて、許されることではないだろう」
伯爵家はたくさんあるが、公爵家と侯爵家は限られている。
殿下との初めての顔合わせの場では、公爵家は参加されておらず、侯爵家は二家だけだった。
殿下と釣り合う年頃の子供がいる家が少なかったこともある。
その二つの侯爵家を覚えていなかったという言い訳をしたヴァシリーは、父親に思いっきり殴られたらしい。
身分が高かろうが低かろうが、女の子を叩こうとするとは、恥を知れ!と。
それを根に持っているようだが、なぜ自分の非を認めないのか。
「殿下、どうかされましたか?」
諌めてもなお、わめくヴァシリーは放っておいて、様子がおかしい殿下に声をかけた。
「……あいつは何か言っていたか?」
「いえ、特には。いつものように、ねこ様を探しておられたようで」
そう答えると、殿下はわかりやすく肩を落とされた。
殿下がティレニア様を気にかけているのは知っているが、相手にされていないことで失意を感じたのかもしれない。
まぁ、対抗意識を燃やしているのは殿下の方だけなので、ティレニア様に理解されることはないと思う。
「殿下の成長を見れば、ティレニア様も驚かれますよ、きっと」
「……成長しているか?」
不安そうに聞いてくる殿下に、はいと笑顔で肯定する。
陛下のように尊敬される王族になろうと、努力するようになった殿下を見る目が変わってきているらしい。
僕の父からの情報だから、間違いないだろう。
「それにしても、殿下はなぜ、ヴァシリーを側近候補に迎えたのですか?」
幼馴染みの僕から見ても、ヴァシリーは相応しくないと思ってしまう。
いい奴ではあるけど、素直すぎると言うか、感情的になりやすい。
「ヴァシリーには言うなよ」
そう釘を刺され、言わないことを誓うと、こっそりと教えてくれた。
「あいつの言動を悪い例として、手本にしているんだ」
「……つまり、ヴァシリーのようにならないために、側で見ていると?」
まさか、殿下がそんな手を使ってくるとは思わなかった。
確かに、ヴァシリーは貴族のご令嬢たちを、お高くとまっていると嫌っているせいか、よくない態度ばかりだが。
「絶対に言うなよ!」
これは、ルーキン伯爵にも言えないな。
そう胸に誓うと、おしゃべりはお終いだと、教官から言われ、剣術の練習に戻る。
◆◆◆
みっちりしごかれたあと、今日の反省会をして帰ろうとなったときだった。
前方から、トボトボと歩いてくる小さな女の子がいた。
王宮には、僕たちより幼い子供はいないと思っていたので、殿下に聞いてみることに。
「どこのご令嬢がご存じですか?」
「いや、知らないな。あんな幼い子供を連れてくる者はいないと思うが」
僕たちの場合は、殿下の側近候補兼遊び相手みたいなものだから王宮に入れている。
どんな事情があるにせよ、幼い子供を一人にさせるというのはよくない。
「こんなところでどうしたの?迷子になってしまったのかな?」
声をかけると、幼女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「……おーじたまにあいにいこーとしたんだけど……」
王子様!?
「王子様って殿下のことですよね?」
後ろで側近候補の仲間たちが、小さな声で話している。
「でも、殿下はご存じではないんですよね?」
「……あぁ」
しかし、幼女とはいえ、何者かわからない人物を殿下に近づけさせるわけにもいかない。
「お名前は言えるかな?」
「みーてあ」
上手く言えていないようだけど、ミーティアかな?
確認のために、ミーティア嬢と呼びかければ、キョトンとしたあとに笑顔を見せてくれた。
「にーたまがおーじたま?」
幼な子の言うこととはいえ、僕が王子とは恐れ多すぎる。
しかし、王子に憧れている幼女の夢を壊すのもしのびなく、どう返そうかと悩んでいたら。
「王子は私だよ」
と、殿下自ら名乗り出てしまった。
「おーじたま!」
目をキラキラと輝かせて、幼女は殿下を見上げる。
そして、殿下のもとに駆け寄り、その手を取って一生懸命話しかけた。
「あのね、あのね。おーきゅーにおーじたまがいるってきいてね」
許可もなく王族の身に触れるなど、本来なら不敬罪に問われてもおかしくはないが……幼女にそれを理解しろというのは酷だろう。
どうやって幼女と殿下を引き離そうかと考えていると、聞き覚えのある声がした。
走っているわけではないが、急いでこちらに向かってくるのはティレニア様だった。
彼女の姿を見て、ミーティア嬢がねーたまと呟く。
ティレニア様の妹だったのか。
家族の者が迎えにきたのなら安心だと、ミーティア嬢に声をかけようとしたら、殿下の後ろに隠れてしまった。
おや?と思っていると、殿下がティレニア様に話しかけた。
ティレニア様によると、今日は妹と一緒に王宮に来たのだとか。
ライフィック侯爵様も、娘には甘いというのが意外だった。
帰ろうとティレニア様が手を伸ばすも、ミーティア嬢は殿下の後ろから出てこようとはしない。
憧れの王子様と出会えたので、帰るのが嫌なのかもしれない。
ずいぶん、懐かれましたねと殿下に言えば、苦笑されていた。
ライフィック侯爵家のご令嬢とわかれば、無下にはできないからな。
しかし、ミーティア嬢が怯えるような素ぶりを見せたため、近くにいた者がどうかしたのかと問いかけます。
「ねーたまこわい。みーてあのこときらいなの」
実の姉を怖いと言う発言に驚いて、皆がティレニア様を見つめた。
ヴァシリーがいじめているのかと、またくってかかる。
隣の奴をこついて、ヴァシリーを止めさせる。
あいつ、指を差すのをやめろって言っているのに直らないな。
当のティレニア様は毅然とした態度で、そんなことはないと反論していた。
ヴァシリーは納得していないが、僕はティレニア様がそんなことをするとは思えなかった。
ティレニア様は、興味ないものに関わったりするような性格ではない。
冷めていると言えば言葉は悪いが、自分のやりたいことを優先させているように思う。
だから、今、彼女が優先しているのはねこ様とお昼寝。
先ほどお会いしたときに、ミーティア嬢がいなかったのも、ねこ様とお昼寝を優先させたからではないか。
現に、ライフィック侯爵様が連れて帰ると言っている。
ティレニア様ご自身は、どうでもいいと思ってそうだ。
しかし、ミーティア嬢は首を振って、帰りたくないと意思表示をした。
姉が怖いのなら、姉に従おうとするものではないのか?
僕が思案していると、殿下が膝を折って、ミーティア嬢と視線を合わせた。
そして、一緒に父親のもとまで行こうと、優しく語りかけている。
そんな紳士的な殿下の態度に、ティレニア様が驚いていた。
いつも、表情が変わらないティレニア様なので、どれくらい驚いたのかがよくわかった。
殿下も努力をし、日々成長しているのだと伝えたのだが、なぜか訝しまれた。
……殿下、先は長そうですよ。
僕とティレニア様が話しているうちに、殿下はミーティア嬢と手を繋ぎ、歩き始めていた。
置いていかれまいと、慌ててあとを追うが、機嫌が直ったミーティア嬢は楽しそうにおしゃべりをしている。
僕も数年前まではあんなふうだったんだろうか?
コロコロと変わる気分に、周りは振り回されていたのかもしれない。
今は、殿下の側近候補に選ばれたのだから、そういったことも気をつけないと。
特にヴァシリーがいると、つられて素に戻ってしまうから。
ミーティア嬢に当てられた客室まで来ると、落ち着きのないライフィック侯爵様がいた。
ミーティア嬢の姿を見て安堵した様子は、僕の父から聞いた、怖い印象とは違っていた。
そして、ミーティア嬢の手を引いているのが殿下だと気づくと、ティレニア様のような無表情になった。
「殿下にご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございません」
その無表情のまま、娘の不敬を詫びる。
「気にすることはない」
緊張した面持ちの殿下。
殿下も陛下からライフィックの恐ろしさを聞いているせいだろう。
そして、ライフィック侯爵様の方へミーティア嬢を促す。
「また、あいにきてもいーい?」
「ライフィック侯爵が許せばな」
殿下の一存では決められないことなので、ライフィック侯爵様に一任するようだ。
「ミーティアが物を壊さず、大人しくできるようになればな」
その声は疲れているように感じたけど、何かあったのだろうか?
「この客室や廊下の物をたくさん壊してしまったのです。あの子がもう少し大きくならないと、連れてこないと思います」
僕の後ろで、そうティレニア様が呟いた。
ミーティア嬢の様子からは想像できないが、そんなに暴れ回ったのか。
「ミーティア嬢が嫌われていると言っていたのは?」
「怒られるときの言い訳です。私のせいだと言えば、周りの大人から怒られないと」
なるほど。
幼くとも、自分を守る術を知っているのか。
「いろいろと大変ですね」
僕には兄弟はいないが、ヴァシリーの兄も苦労しているようなので、兄や姉とはそういうものなのかもしれない。
父親に抱っこされたまま帰っていくミーティア嬢を見送り、ようやく僕たちも帰ろうということになった。
「それにしても、やっぱりあいつは酷いやつだな」
ヴァシリーがそう息巻いているので、容赦なく彼の頭をはたく。
「知りもしないのに決めつけるな」
「なんだよ、カルルはやけにあいつの肩を持つな。……ほれたのか?」
どうやったらそういう思考になるんだ!
「お前よりは尊敬できるよ」
下世話な話を切り上げようとしたら、殿下が何かを言いたそうにこちらを見ていた。
「その……カルルは彼女のこと……。やっぱりいい。気にするな」
途中で言うのをやめてしまったが、いろいろと察した。
殿下、より険しい道を行かれても、僕はついていきますよ。