第2章 「満月の夜の祝福」①
ここまでの登場人物おさらい
リルファーナ・ルナディア…主人公で、精霊の愛し子
ランティス…リステリア国の第二王子で、魔術師。放送部の発足人。
ハンナ…リルファーナの育ての親
コレット…ランティスの屋敷で働いている侍女
テンマ…ランティスの部下。放送部の一員。
ヒツジ…ランティスの屋敷で飼っている羊。
夜。ひとりになって、ベッドのなかで瞼を閉じると、よみがえってくる思い出に、胸が切なく胸が痛む。
(――母さん……)
温かく包んでくれたぬくもりは、もうそばにいない。声も聞けないし、二度と触れることもない。
リルファーナの一番の理解者はもうこの世にはいない――そう思うだけで、頭のてっぺんから末端の指先まで寂しさが駆け巡り、涙が溢れてくる。
リルファーナは細い身体を丸め、嗚咽を漏らしながら、亡き母の喪失を悼んだ。
母がくれた大きな愛情は、どれだけ時が経っても、リルファーナの心の中から消えることはないだろう。
「おはようございます。リルファーナ様」
「おはようございます! コレットさん」
ランティスの屋敷にきてから十日ほどが過ぎ、こうやって侍女のコレットが毎朝部屋にやってくることにも慣れてきた。
挨拶を交わした直後、コレットはリルファーナの顔を見て、わずかに眉をひそめる。
そしてその理由をなんとなくリルファーナは察していた。
(きっと泣いてたのがバレたんだ……)
泣きながら眠りについてしまった朝にだけ、コレットは窺うような表情になる。きっと目元が腫れぼったくなっているからだろう。
そして本当に申し訳なく思うのはここからだ。
おそらく――コレットはランティスにこのことを報告するだろう。
さらに報告を受けたランティスと、それに気付いたテンマが、過剰なくらいリルファーナを気遣ってくれるのだ。
例えば、朝食の時――。
「あ、このスープ、とっても美味しい……!」
リルファーナは一口飲んだトマトのスープに顔を綻ばす。
すると……
「そうか。なら、お代わりを持ってきてもらおう!」
「僕のスープも飲んでいいデスよ!」
ランティスは素早く給仕を呼びつけ、テンマはリルファーナの前に自分のスープの皿を置く。
「え……そんなに食べれないって……」
苦笑いしながらリルファーナは二人を見る。
「では、他に何か欲しいものはないか? そうだ……これから街にでも出掛けるか?」
「出掛けるって……ランティスはこれから国王様に鑑定を頼まれて、お城に行くんでしょ?」
「……ぐっ、そうだった……」
ギリっと本気で悔しそうに歯噛みするランティス。そしてその隣では、おろおろと思考をめぐらせているテンマ。
「僕は……、僕もっ……リルファちゃんのためにっっ」
「はいはい、テンマもランティスも、その気持ちだけ受け取っておくからっ! ねっ!」
リルファーナは過剰な気遣いに少し呆れもしたが、同時に二人の優しさが嬉しいとも思う。
(気にしなくてもいいのに……。哀しいのは苦しいけれど、悪いことではないんだもの……)
そう、悪いことじゃないのだ。
だって哀しいのは、ハンナのことが大切で大好きだったからだ。それは幸せな感情だ。
哀しくて、寂しくて、どうしようもないけれど、それはハンナのことが好きな気持ちと比例しているからだと思う。
(心配をかけて、ごめんね……)
少しずつハンナのいない暮らしに慣れていくしかない。
今はまだ……思い出すだけで涙が出てきてしまうけれど。
「二人とも、わたしの心配してくれてありがとう! でも、わたしはちゃんと元気だから大丈夫だよ!」
リルファーナは精一杯の笑顔で言う。
胸の内は哀しみで痛んではいるけれど、今はまだこのままでいい……。
それに、引きこもっていた時に比べたら、ちゃんと食事もとっているし体力だって回復してきている。
もう少し時間が経てば、心だって安定してくるはずだ。
「少なくとも、オレとテンマはおまえのそばにいる。同じ放送部の仲間だしな……」
「……うん」
「そうデス! 僕たちはもう同じ釜の飯を分け合う家族のようなものデスよ!」
「うん、ありがとう」
ラーニャ村にいるときよりもずっと賑やかな日常は、リルファーナの心を少しずつ解していった。
翌日。
リルファーナとテンマは、馬車で王都の街へと向かっていた。
今朝、二人はランティスから思いがけない課題を与えられたためだ。
「オレは諸用で二、三日ほど屋敷を留守にする。その間――おまえ達には次の放送部で紹介する店の取材をしてきて欲しい」
「取材……?」
「どんな店なんデスか?」
「まずは、最近リステリア王都の街に店を構えた貴族御用達のドレス工房に行ってもらう。噂によると工房を仕切っているマイラ夫人は、依頼者を一目見ただけで、頭の中に似合うドレスの型や色が浮かんでくるのだそうだ。そうして出来上がったものを実際に身に付けてみると、確かに似合っているらしい。社交界では夫人の話題で持ちきりだ……」
「すごい才能のある人なのね」
「ああ、だからその腕前を紹介したい。リルファーナ、実際に社交用のドレスを見立ててもらえ。それから、予約待ちじゃないと食べられないと評判の、焼き菓子の店の取材も頼む。いくつか予約をしてきてくれ。あとで試食をしてみるぞ。あと、テンマ――」
「ハイ! 僕はどうすればいい?」
「おまえは放送作家だから、やるべき事は理解しているだろう? ちゃんとリルファーナの護衛も兼ねて王都の街に行くように」
「了解デス!」
テンマが元気よく返事をした。
護衛なんて大袈裟だと思いながらも、実際に街に行くのは初めてで、リルファーナは緊張する。
(ちゃんとしたドレスなんて、着たこともないしね……)
ハンナが用意してくれた普段着のドレスですら、綺麗すぎて身につけるのが怖いくらいだ。
社交界なんて憶測でしかないけれど、きっと貴族の女性達は煌びやかなドレスを纏い、優雅な時間を過ごすのだろう。
田舎者のリルファーナには、ほど遠い世界だ。
もし自分がドレスを注文するとしたら、落ち着いた色で、動きやすさ重視のものがいい。
「それと……この前の放送を聞いて、劇場をつくっても良いと手をあげた貴族がいるようだ」
「それって、あの放送を聞いたってことだよね!?」
確かにこの前の放送で、テンマの指示を受けて劇場のことをリルファーナは喋った。
でも本当に自分の声が、目に見えない誰かに届いていることを、実感しきれていなかったこともあり、ついランティスに確かめてしまう。
「ああ、その通りだが……?」
「すごい!」
ランティスは当たり前のように受け止めているが、リルファーナは感動する。
(ちゃんと、伝わっているんだ……)
会ったこともない誰かに、自分の声が届いていたのだ。
ランティスを見送ってから、リルファーナとテンマはさっそく王都の街に出かけることにする。
屋敷からそんなに遠くないから歩いて行こうとすると、コレットが馬車を用意していた。それだけじゃなく、取材する店までの案内や、取材にかかるだろう費用の諸々や手配を、コレットはランティスから任されていたようだ。
馬車の中から王都の街を観察する。
相変わらず、ラーニャ村とは比べものにならないほどの人の往来に目が回りそうになる。
活気があるのはいいことだ。見ているだけでも元気をもらえそうだ。
「取材がひと段落したら、買い物でも致しましょう。好きなものを好きなだけ買って良いと、ランティス様から了承も得ていますし――」
明るくコレットが言った。
きっとランティスのことだ。
屋敷に引きこもったままでは退屈だろうし、せっかく街に出るのだからと気を遣ってくれたのだろう。
「いえいえ。買い物なんて……日々の暮らしの分でじゅうぶんお世話になっていますからっ!」
これ以上、必要なものなんて無いくらいに、普段から良くしてもらっている。放送部で働いたぶんの給金も出るらしいから、買い物は自分のお金があるときでいい。
「リルファちゃんが、ちょっと贅沢な買い物したくらいで、ランティスの財布は痛くも痒くもないから大丈夫デスよ!」
「ふふ……その通りですね。リルファーナ様が例えば……何の相談もなく船一隻を買ったところで、ランティス様はきっと何も言いませんよ」
船一隻……。
さすがにそれは、何か言って欲しい気もする。
それなりに時をともに過ごしてきたコレットとテンマは、ランティスのことをよく理解しているようだ。
だけど、リルファーナからすれば、ランティスはまだまだ謎の多い人物。
(わたしはランティスのことをよく知らないんだよね……)
知っているのは、ランティスの出自の事情と、この国の第二王子だが既に王位継承権は放棄していること。国王様や、家族との仲は悪くはないということ。
そして、テンマ曰く、この大陸で三本の指に入るくらい強い力を持ち【貴石の魔術師】と呼ばれていること。今は観光本部で働いていること。
リルファーナの育ての母であるハンナとは、以前から連絡を取り合っていたこと。
ハンナはランティスを信用していたに違いない。そうでなければリルファーナのことを任せたりしないはずだから。
ランティスは、リルファーナが【精霊の愛し子】だと知っていた。そしてその力が放送部の役に立つと教えてくれた。
【放送部】はリステリア国に旅行者を増やすための宣伝装置だ。けれどその裏にある本当の目的は、グランヴェル国の利益の独占を防ぎ、大陸の安寧を守っていくため。
――でも大陸の未来のためなら、わざわざ放送部に頼らなくても……
まして田舎者のリルファーナが力を貸さなくても他に方法はいくらだってある気がする。
大陸のためだというなら、もっと相応しい立場の人が集まって対策を講じれば良いはずだ。
ランティスだって、きっと解っているはずなのに――
「ランティスって……本当に変わった王子様……」
リルファーナが、ぼそりと心の声を漏らすと、テンマがフードの奥で頷き返した。
「そう……ランティスは変わり者で、強くて、とーっても優しい王子様デス……」
テンマの声音からは、ほんの少し哀しさの気配がした。
あの時……地下室に向かっていた時にも、同じものを感じた。
「テンマは、ランティスに助けてもらったって言ってたもんね? 【闇】から救ってもらったって」
「そうデス。ランティスだけが僕を見捨てず、必要としてくれた……。家族ですら【闇】に侵された僕のことを気味悪がって離れていったのに……」
「テンマ……」
テンマから感じた哀しさの正体が、今、わかった気がした。
それは愛されなかったという痛みと、孤独だ――。
「だから僕は、ランティスに僕のすべて――才能も命も、全部使って力になるって決めたんデス。ランティスが愛する人を護るために命を使うなら、僕はランティスを助けるために命を使う……!」
テンマが拳をぎゅっと握って言った。
「愛する、人……?」
「そうデス。その人を護るために自分は生まれてきたって。王位継承を放棄したのも、放送部を始めたのも、全部その人の未来のためだって……」
「そうだったんだ……放送部も……」
全然知らなかった。
テンマが語ったことに、リルファーナは少なからず衝撃を覚える。
そんな話……ランティスは一言も言ってくれなかった。
(放送部は大陸の安寧のため……つまり、ランティスの愛する人の未来のため……ということ)
隠しているわけではないだろう。
でも放送部の仲間だと言うのなら、はじめに打ち明けて欲しかった気もする。
聞いたところで、リルファーナに何ができるわけではないけれど……。
「テンマは、ランティスの愛する人に会ったことあるの?」
「無いデス」
「そっか……」
「僕は、ランティスに幸せになってもらいたいデス……」
リルファーナは、テンマと過ごしてきた浅い日々を振り返る。
初めて会った時から今まで、テンマ・シーヴォという少年は、明るくて優しくて一生懸命で、リルファーナをいつでも励ましてくれてた。
ハンナがいなくてとても哀しいのに、テンマがいるとつい笑顔になってしまう。それはきっと、テンマが純粋で心根の優しい少年だからだ。
そしてそんなテンマが恩を感じて、自分の命をかける覚悟をしているなんて……。
「あのねテンマ……。テンマがランティスの力になろうとしているのは偉いと思う。きっとランティスも、アナタのことを頼りにしていると思う。けどね……きっとテンマに命までかけて欲しいとは思ってないよ。わたしもランティスも、テンマには幸せでいて欲しいって思ってるから……」
「リルファちゃん……優しいデスね」
「優しいのはテンマのほうでしょ……」
リルファーナの言葉に、表情は見えないけれど、テンマがどこかくすぐったそうに笑った気配がした。
――ふと、今朝ランティスが言っていたことを思い出す。
(諸用で出掛けるって……もしかして、その……愛する人のところに行ったのかな?)
ランティスには愛する人がいる。
その人のために生まれてきたと言うくらいだから、本来であればずっと傍にいたいはずだ。
(ランティスに愛される人はきっと、幸せだね……)
テンマを助け、リルファーナのことも気遣ってくれる王子様。
その王子様が護ろうとしている人は、一体どんな女性だろうか……。
大陸の未来まで考えなければ、護れない女性ということなら、それなりの立場がある人なのだろう。
リルファーナは少しだけ、羨ましく思う。
だってリルファーナは見た目はともかく、田舎者で、身体も不自由だし器量が良いと言えない。慎ましく独りで生きていくしかないと思っているくらいだ。
愛されることも、誰かに想いを寄せることも気が引けてしまう。
「恋」は、リルファーナにとって現実には起こらない美しいお伽話――。
「でも……僕は最近思うんデス。ランティスの愛する人っていうのは、もしかしたら、」
「そろそろ着きますよ――」
フードの向こうの呟きは、コレットの言葉によって遮られた。
リルファーナは、胸の内に湧きあがったモヤモヤを振り切るように、しゃんと顔をあげる。
――今はとにかく、取材だ。
大きな店の前で止まった馬車から、リルファーナはコレットの手を借りて降りた。
次回。
放送部の取材のため、ドレス工房のマイラ夫人に会い、ドレスを見立ててもらうリルファーナ。
「まずは自分の美しい部分を知ることよ……」
放送部を通して新たな出会いに導かれていく。