第1章 「放送部」①
王都へと連れて行かれるリルファーナ。
馬車の中で、ランティスが語ることとは……。
「魔術師は術を施すために、自身のなかの魔力と精神性を糧にして【大いなる存在】から叡智を譲り受ける……」
【精霊の愛し子】と【魔術師】の違い。
そしてリルファーナに隠していた事実とは。
お楽しみください!
──ん……?
ガタガタとした振動が、身体の芯に伝わってくる。小刻みに続いていたそれは、一瞬、大きな揺らぎをもたらすと、横たわっている身体が少し宙に浮く。着地の痛みは無かったが、おかげで意識は完全に覚醒する。
「……ここは……」
起き上がると、リルファーナの身体の上を覆っていた黒くて大きな布がバサリと床に落ちた。
「目が覚めたか……」
黒い布を拾いあげる腕が視界に入ったのと、低くて太い男の声が耳朶に響いたのは同時だった。
──ランティス・ソワール・フォンセ・リステリア。この国の第二王子。
リルファーナは端整でいて、またどこか鋭い雰囲気をもつ彼の顔を見ながら、自分の置かれている状況を理解する。
「……馬車のなか、ということは、王都へ向かっているのね?」
「そうだ。気分はどうだ」
意識を失ったあと馬車で連れてこられたのだろう。
向かい側の椅子にランティスが座っている。
馬車の小窓からは、夕映えの残光がまぶしく輝いているのが見えた。
(けっこう、長い時間眠っていたのね)
おかげで、だいぶ頭もすっきりとしていた。
「大丈夫です。ランティス……さま」
「ランティスと呼べ」
「え、と……じゃあ、ランティス」
リルファーナがそう名前を口にすると、ランティスは夜明け色の瞳を少し細める。鋭かった雰囲気もちょっとだけ柔らかくなる。それから拾い上げた黒い布を、己の右肩にバサリとかけると、内側にある留め具を使い、落ちないように固定していく。
(やっぱりあれは、魔術師を象徴するマントよね……)
さきほどランティスは庭でなにかの魔術を施していた。リルファーナは途中で意識を失ってしまったから、その後どうなったのか分からないけど、確かに不思議な力が働いているのを感じた。
「なんだ。何か言いたげな表情をしているな」
「はい、色々と……。聞いてもいいですか?」
「かまわないが。敬語も使うな。オレの調子が狂う」
「調子……?」
調子とはどういうことだろう。
(ずいぶん、変わり者の王子様ね)
もしかして、普段から庶民と気さくに会話をしているのだろうか。
想像がつかない。
「じゃ、じゃあ……まず先に聞いておきたいんだけど、王都へ行くのは仕方ないとして、いつ帰れる? わたし、家をそのままにしてきたから心配で……」
「安心しろ。信用できる使用人をひとり置いてきた。家の管理も、庭の世話もするように伝えてある。以前から「田舎で畑をつくり静かに暮らすのが夢」と言っていたから、小さいが近くに土地も買ってやった……」
「ええっ! と、土地……!?」
──さすが王子様だ。
使用人がいて、さらに土地を買える財力……。
「それに、あの男は社交的だから、村人ともうまくやっていけるだろう」
「そ、そうなんだ……。じゃあ、次の質問ね、」
身分の違いを感じる会話に辟易しながら、リルファーナは次の質問に移る。
「いつ王都に着くの? わたし、お金も持ってきていないし、着替えも……。あ、住むところとか……」
話しながらリルファーナは不安になってきた。
考えれば考えるほど、自分ではどうしていいか分からないことばかりだ。
しかしランティスはまた、あっさりとリルファーナの不安を解いていく。
「すべて大丈夫だ。王都へとは明日の昼、到着予定になっている。一日馬を駆ってラーニャ村にきたから、さすがのオレも疲れた……今夜は宿に泊まるぞ」
「馬を駆って……? ランティスは、馬車できたのではないの?」
「いや。少々、用事が立て込んでたからな……。馬車の到着に合わせて王都から馬できたんだ。そのほうが早いしな。……宿に、世話係の侍女を待機させているから身の回りのものは準備させている。何か必要なものがあれば侍女に伝えるといい。お金の心配はするな──」
ずいぶん用意周到だ。
まるで最初からこうなることを予見していかのように。
「それから王都にいる間は、オレの屋敷に住み込みで働いてもらう」
──働く……。
(働くのは全然良いんだけど。どんな事をさせられるのかな。あ、でも住み込みということは……)
「侍女として、わたしを雇うってこと?」
「違う。おまえの仕事は……この話はまた後でにしよう。他にはあるか?」
「まだまだ、たくさんあるわ」
「……」
ひとまず当面の生活については何とかなりそうで、リルファーナは安堵する。侍女もいるなら相談もしやすい。なんだかんだで、ちゃんとリルファーナことを考えてくれている対応だ。
(仕事のことだけが、不安だけど……)
「さっきの魔術? のことだけど、どうなったの? 何をしたの?」
リルファーナは、先刻、庭で起きたことについて聞くことにした。
「今まで魔術をみたことはあるか?」
「いいえ、はっきりと見たことは無いと、思う……」
リルファーナが答えると、目の前の魔術師は「そうか」と呟いて、ひととき逡巡する。
「説明するのは難しいが……、オレの魔術は鉱物界からの恩恵で成り立っている」
「そういえば、植物界と、鉱物界は相性がいいって言ってたよね」
「そうだ。魔術師は術を施すために、自身のなかの魔力と精神性を糧にして【大いなる存在】から叡智を譲り受ける……オレの場合、その【大いなる存在】にあたるのが鉱物界なんだ。このカナディス大陸は、人間と鉱物と植物が共存している世界だ。とくに鉱物界からの恩恵は大きい。さっきの魔術は鉱物──水晶に精霊の愛し子の力を記憶させ、あの庭に固定させるという術を施した。リルファーナの……精霊の愛し子の歌の力が宿った水晶が、枯れた植物たちにとって莫大な栄養素になる──」
ランティスなりに砕いて説明してくれたようだが、普段の生活からはかけ離れた知識に、リルファーナの理解は追いついていかない。
(ランティスは、わたしは植物界から恩恵を受けていると言ってた……。じゃあ、鉱物界から恩恵をもらうランティスは……)
「ランティスも、精霊の愛し子……ということ?」
「いい質問だな。答えは『魔術師は精霊の愛し子ではない』だ。精霊の愛し子は──主に植物界から無条件に恩恵を与えられている。それは思考や感情に精霊達が呼応し、現実を塗り替える力となる。魔術師は違う、オレたちは与えられていない。だから繋がり、術のために必要な要素をいただいてくる。似ているようで違うだろう? ちなみに両者の見極め方は簡単だぞ。「歌」だ──オレは音痴だ……」
大真面目に話していたランティスが、自嘲するように肩をすくめ、リルファーナは目を丸くする。
(──そういう問題なのっ!?)
「とにかく、これからオレと共にいることで、知識も力の扱い方も知っていくことになるだろう」
リルファーナは頷く。
ここまで、質問したことにランティスはちゃんと答えてくれた(仕事以外)。
だからきっと、精霊の愛し子としてどうするべきかも、ちゃんと導いてくれるだろう。
「うん、教えてほしい。わたしのせいで、大切なものを壊したくないから……」
「リルファーナ、おまえのその瞳……」
「え?」
不意にランティスに見つめられて、ドキリとする。
きっと、女なら誰だって……こんな美貌の青年に見つめられたら、鼓動が大きくなるに違いない。
「おまえは、ハンナ・ルナディアとそっくりだな。血は繋がっていなくとも親子だな」
「そう? 嬉しいな。顔は全然似てないけど……」
「ハンナは聡明で、医学に精通し、そしていつでも娘のことを一番考えていた。おまえ育てることになったとき、運命に導かれたのだと思ったそうだ」
「母さんがそんなことを……」
リルファーナは驚く。
母が自分の知らないところで、ランティスにそんなことを語っていたなんて──
「ランティスはいつから母さんと?」
「おまえが一番最初に城にきたときだ。オレはひと目で、おまえが【どういう存在】なのかわかったんだ。それで、ハンナ・ルナディアのもとへ行ったのが始まりだった」
「全然……知らなかった……」
「そうだろうな。隠していたからな──知っていたのはハンナとクリスティナだけだ。クリスティナからの手紙を届けていたのも、実はオレだ」
「じゃあ、ラーニャ村にきてたってこと?」
頷くランティス。
こんな容姿の王族が村にきていたら、噂のひとつやふたつ、すぐに出回るはずなのに、よほど注意していたのだろう。
「おまえに気づかれないようにするのは大変だった……」
「わたしはランティスを全然知らないのに、ランティスはわたしの事をずっと前から知っていたなんて……」
不思議と、リルファーナは沈んでいた自分の心が浮上してきているのを、さっきから感じていた。
ハンナがいなくなって、誰とも会いたくなくて哀しくて……。けれど、ランティスと話していると心が少し楽になってくる。それに、ランティスがハンナの事を話してくれるのも嬉しかった。
「わたし、哀しかったの……」
「……」
「皆んな、母さんのことを忘れていってしまうことが哀しかったの……。いないのが当たり前のになるのが嫌だった……」
「オレは忘れたりしない」
「……ありがとう。わたし、ランティスが母さんのこと話してくれたのが嬉しかった。またわたしの知らない母さんとの話、聞かせてくれる? 情けないけど、寂しくなったとき……母さんとの思い出話、聞いてくれる?」
「ああ、いつでも。──リルファーナ……おまえは独りじゃないよ。おまえは大陸に、そして世界に愛される存在だ。お前のもとに必要なものすべてが導かれていくんだ。ハンナはおまえに幸せになって欲しいと願った。だからその願いを叶えるために生きるんだ」
「……わかったわ……」
リルファーナが頷くと、ランティスが微笑する。
夜明け色の瞳には優しさが宿っていた。
陽がとっぷり暮れた頃、ようやく馬車が止まる。宿に着いたようだ。
半日とはいえ慣れない馬車の揺れにお尻が痛くなってきたから、ようやく解放されるとリルファーナは安堵する。
「降りるぞ……」
「あのっ、さきに行ってて。わたし遅いから……」
リルファーナは、簡素なドレスに覆われた左脚の膝を少し曲げてみる。
──……やっぱり、少し痛い。
(すぐに立てないかも、でも、急がないと……)
ずっと同じ体勢で座っていたから痺れたのではない。
もともと、リルファーナは左足が悪かった。歩けないわけじゃないが、無理に動かそうとすると痛みがでる。しかもここ最近ずっと家に引きこもっていたこともあり、少し慣らしてからじゃないと、馬車から降りるときに転んでしまいそうだ。
ランティスがさきに馬車を降りた。
焦る気持ちを抑えながら、リルファーナは左膝を両手で摩る。
「リルファーナ、手をかせ」
「え、でも……」
「おまえのことは、知っている……」
それは、リルファーナの身体のことも既に知っていると言うことか……。
誰かに手伝ってもらえるなら、きっと馬車も降りられるだろう。
真っ直ぐに伸びてきた腕に……大きな手のひらに、リルファーナはおそるおそる自分の手を乗せる。
「そうだ。そのまま右足で立って上半身をこっちによこせ」
「……わっ、」
言われた通りにすると、ランティスはリルファーナの膝の下に腕を回し、軽々と抱き上げてしまう。
「──っ……!」
ただ手をかしてもらうだけだと思っていた。まさか、抱き上げられるなんて……。
しかもこんなに肌が触れ合いそうなくらい距離が近い。リルファーナの鼓動が高くなる。
ランティスの肌からは、爽やかな草木の香りがした。
(重たくないかな。それに……わたしの匂い、大丈夫かな……)
──色々と不安すぎる……。
ランティスの腕の中で困惑していると、二人の前に、恭しく身を屈めた侍女が立つ。
「ランティス様、部屋の用意と、湯あみの準備もできております」
「そうか。このまま部屋まで連れていくから、あとは頼むぞ──」
「はい。かしこまりました」
「リルファーナ、」
「はっ、はい……!」
「これから、おまえ側付きになる侍女──コレットだ」
「リルファーナ様、なんなりとお申し付けくださいませ」
お仕着せを纏ったコレットが、目線を下げながら言った。
見たところコレットは年齢も三十を過ぎたくらいで、とても落ち着いて見える。主人に対しての忠誠も感じられる。
(……話しやすそうな人、良かった)
「コレットさん、わたしは何も分からない庶民なので、色々とご面倒をおかけすると思いますが、どうか宜しくお願いします」
ランティスの腕の中で、リルファーナは頭を下げた。
次の日、朝からリルファーナは馬車に揺られていた。
向かい合った席にはコレットがいる。今日はランティスは馬車ではなく、馬で併走していた。
昨晩、しっかり眠ったせいか気分もいい。リルファーナは馬車から見える景色を楽しんだ。
王都に入ると馬車は速度を落とす。外は人々の声が溢れ、賑やかになってきた。
王都にきたのは二度目だが、車窓から街並みを見て、リルファーナは圧倒されていた。
ラーニャ村とは違うことは分かっていたが、それでも店の数も、建物も、歩いている人の数も桁違いだ。
「すごい……」
「あと、もう少しでランティス様のお屋敷に着きますよ。お屋敷は王城の敷地内にあるんですよ」
コレットが言った。その言葉通り、喧騒が離れていったと思ったら今度は役人達の姿が多くなってきた。
馬車が止まり、扉が開くとコレットが先に降りてリルファーナに手を差し伸べる。
コレットの手を借りて、ゆっくりと馬車から降りると、馬をひいたランティスがやってきた。
「ここが、今日からおまえの家になる──」
見上げたリルファーナは驚く。
(本当にお城のすぐそば……!)
巨大な城と比較しては小さいが、それでも立派なお屋敷だ。大きな庭や花壇、馬も何頭かいるのだろう。そこそこ大きい小屋がある。
「オレの許可の無い者は屋敷には近づけないから、安心しろ」
「さあ、参りましょう、リルファーナ様」
ランティスとコレットに先導され歩き始めたその時、こちらに向かって走ってくる影が二つ──
「ランティス様、おかえりなさ〜いっ!」
黒いフード付きマントで身体を覆った少年が手を振り上げて走ってくる。そして少年と併走してやってくるもひとつの生物──
「あ、アレは……なにっ!?」
身体は少年より少し小さくて、真っ白で、短い不揃いすぎる毛並みの動物……。細っこくて、顔だけが真っ黒で、主人を待ちわびていたように瞳を輝かせて走ってくる。
ランティスが前方を見据えて「ああ」と呟いた。そして、僅かに表情を緩ませて言った。
「あれは、毛刈り後のヒツジだ──可愛いだろう?」
「こちらのお屋敷で、飼っている羊になります」
「ひ、羊? じゃあ、一緒に走ってくるマントの人は誰?」
「あれはオレの部下だ。これから、おまえの仕事仲間にもなる」
目を輝かせてやってきた羊は、リルファーナに気づくと懐に飛びこんできた。その勢いに負けて、傾いてしまった身体をランティスとコレットに支えられる。
羊はぐりぐりと頭を擦り付けてくる。ランティスの言う通りよく見ると愛らしい。
「初めまして。これからよろしくね……」
リルファーナがそう羊に話しかけると、嬉しそうに喉を鳴らした。
「ヒツジはね、『ヒツジ』って名前を呼んであげると、ちゃんとやってくるとっても賢いヒツジなのデス!」
黒いフードの元気な少年の声が聞こえた。
少年──といっても、リルファーナより少し下くらいか……。
「えっ! 羊……ヒツジって名前なのっ!?」
一体誰が命名したのだろう。
だけど、ヒツジを見つめる皆の表情で、この生き物が大切にされていることだけは分かった。
(そういえば、ランティスがわたしに「毛刈り前のヒツジ」のようだって言ったけど、もしかしてこの子と似てるってことだったのっ!?)
不揃いだけど、柔らかな毛並みを撫でながら、リルファーナは釈然としない気持ちになった。
ランティスも手を伸ばし、ヒツジの頭を撫でている。そして、ひとしきりヒツジの感触を楽しんだあと、言った。
「よし、これで必要な者は全て揃った。──明日は「放送部」の戦略会議をするぞ」
「いよいよデスねっ!」
──……放送部?
初めて聞く言葉に、リルファーナは首をかしげた。
次回予告。
リルファーナに任された仕事。放送部。
「わたしが、リステリア国の宣伝をするの!?」
「放送部には、この国の、いや大陸の未来がかかっている」
「いよいよ、僕の本領発揮デスね!」
戦略会議で明かされたこととは……?
ここまで読んで頂き有難うございました!
次回もよろしくお願いします。