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第5章 「闇のなかの月明り」⑦

戦いはまだ、終わっていなかったのか……。

ふたたびエルドルに刃を向ける、ランティス。

その覚悟の裏に秘めた想いとは。


今回、長文です。


「ではエルドル王子、リルファちゃんにかけた呪いを解いてください」


 リルファーナの背後にいるテンマが言った。

 ――まだ、何も終わっていない。

 そう言いたげな、(とが)める口調だった。

 エルドルは握りしめていたジューダの手を、ゆっくりと(ほど)いていく。

 その表情には、先ほどのような禍々(まがまが)しさはもう感じられない。テンマの言葉にそっと目を伏せて答える。


「悪いけど……呪いを()くことはできない」


「どうしてデスか――!」


「エルファイスは……あの時、自らの命を(かて)にして呪いを放った。(ゆえ)に、一度対価を支払ったものを取り消すことは不可能なんだ。それから呪いを解くには強い浄化の力が必要だ。だけど私の力の源泉(げんせん)は「闇」――「闇」で「闇」を打ち消すことはできない……」


 それからエルドルは「済まない」と、(こうべ)を垂れた。


「そんな……(ひど)いデス……」


 テンマの瞳が失望に染まっていくのが、傍目からでもよく分かった。


「わたしのことは良いよ。ありがとう……テンマ」


 リルファーナはそう言って、泣きそうになっているテンマを(なだ)める。


(その気持ちだけで充分だよ……)


 己の危険も顧みず戦ってくれたり、心から身を案じてくれる人がいる。それだけで、リルファーナは救われる思いがした。


「わたしなら大丈夫。第一(だいいち)……わたしは自分が呪いを受けてるなんて、知らないで生きてきたんだもの」


 安心させるように笑ってみせるが、テンマは涙目のまま唇を噛みしめている。


 だが、不意にエルドルが思わぬことを漏らした。


「私には無理だけど――貴石(きせき)の魔術師は、解決方法を見つけているようだね」


「確かに。ランティスはリルファちゃんの呪いを解くと、言ってましたが……」


 皆の視線が、一斉にランティスに集まる。

 リルファーナも躊躇いがちに、ランティスを見た。

 ランティスは剣を手にして立っていた。

 ――ただその瞳は、驚くほどに冷たい……。

 まるで彼自身が今、手にしている刃のように、鋭く、なんの感情も持たない武器のように冴えた冷気を放っている。


(ランティス、どうしたの……?)


 いつもと違うランティスの様相(ようそう)に、リルファーナの胸はざわついた。


「私の考えが正しければ、君は呪いを解く方法を知っている。それは、おそらく」


「それ以上、喋るな――」


 冷たい制止の声が響いた。

 ランティスの声だ。


「そういう……自分の気持ちを隠すところ、「昔」から変わらないよね」


 この場で、唯一、落ち着いて見えるエルドルが、肩を(すく)めながら言う。


「オレがこれから何をするか、解って言ってるのか?」


「これでも大陸最強の魔術師と(うた)われているからね。戦っている時から気付いていたよ……。私は、君の望む通りにしようと思う。抵抗はしない」


「そうか……」


 ランティスは一瞬、(こら)えるように眉根を寄せたあと、迷いのない仕草でエルドルに向かって剣を構える。

 鋭い切っ先は、一歩踏み出せば、確実にエルドルを捉えることができる距離間だ。


(戦いは、終わったんじゃなかったの……!)


 リルファーナは息をのむ。

 自分はなにか勘違いをしていたのだろうか……。

 ランティスとテンマは、リルファーナの危機に気づき、助けに来てくれたのだと思っていた。

 その危機を脱した今、もう争う必要も無くなったはずだ。


(他になにか理由が……?)


 見当もつかない。

 でも自分の「呪い」と無関係ではない気がした。

 胸のざわつきが、大きな不安へと変わっていく。


「どういうつもりだ、貴石の魔術師!」


 見守っていたジューダが、険しい表情でランティスを糾弾(きゅうだん)する。

 それも当然だ。エルドルに刃が向けられているのだから、黙ってはいられない。

 そんなジューダの姿に、愛おしそうに目を(すが)め見たエルドルは、さらに混乱することを言った。


「ジューダ、ここでお別れだよ」


「……は? 何を言っている」


「ここでお別れだ。君に会えて良かった、思い残すことはない……」


「だからちゃんと説明しろ! 急に別れを告げられても困る!」


 困惑の色を浮かべながら訴えるジューダ。

 リルファーナの口からも、疑問と不安が(せき)をきったように溢れだす。


「教えてランティス! ランティスは何をしようとしているの? それは巫女に呪いに関係すること? それなら、わたしだって知る必要がある――!」


「リルファーナ……」


 ランティスは振り向き、リルファーナを見つめる。

 冷たかった瞳の奥が一瞬揺れた気がした……。

 リルファーナは目をそらさなかった。それはランティスがとても優しい人だと知っているからだ。


(それに……わたしは、ランティスのことが好きだから、ちゃんと向き合いたい)


 リルファーナが一番怖れていることは、この優しい人が、知らず知らずのうちに傷ついてしまうことだ。

 もし傷つくことが避けられないならば、一緒に傷つく道を選びたい……。


(――どうか、お願い……)


 祈るような気持ちで、リルファーナはランティスを見つめ続けた。


 やがて膠着(こうちゃく)していた空気を解くように、ランティスがふっと息を吐いた。

 諦観(ていかん)を含んだ表情に、リルファーナは安堵する。


「わかった。すべて話そう……。その前に、テンマ」


「なんデスか。ランティス」


「話が終わったら、リルファーナを連れて出ていってくれ」


「……わかり……ました……」


 テンマが頷いたのを見届けてから、ランティスは口を開く。


「オレはリルファーナの魂にかけられた呪いを解くために、準備をしてきた……。転生を繰り返しながら「鉱脈(こうみゃく)」から力を(たまわ)り、少しずつではあるが呪いの力を()いできた。だがそれだけでは解呪(かいじゅ)するには至らなかった……。今世で見つけた方法は二つ。一つは呪いを施した魂が呪いを解くこと。もう一つはリルファーナの魂を、徹底的に浄化すること。オレは後者の方法を選択した。エルファイスの生まれ変わりが、見つかると思ってなかったしな……」


 リルファーナは胸が詰まる思いがした。


(わたしは巫女であった時の記憶しか知らない……だけどランティスはずっと、わたしの傍にいてくれたのね……)


 幾度も転生を繰り返しながら、リルファーナの魂にかけられた呪いを解く方法を模索し続けてきたのだ。

 途方も無い……永い永い時をランティスはひとりで……。


 さらにランティスは言葉を紡いでいく。


「もともとオレは、エルファイスは転生すらしていないと思っていた……魂ごと闇に()わる(さま)を見ていたからな。だが、テンマから、エルファイスの生まれ変わりが、エルドルではないかと可能性を示唆(しさ)されたとき、オレのなかで新たな選択肢が増えた――」


「新たな選択肢デスか? ……そもそも、ランティスはどうやってリルファちゃんの呪いを解こうとしてたんデスか?」


「――それは……」


 言い(よど)むランティス。

 かわりに、エルドルが言葉を継いだ。


「呪いを解く方法は単純だよ。今の状況でいえば、呪いをかけた私の魂か、呪いを受けたリルファーナ姫の魂を肉体から切り離し、浄化の魔術を(ほどこ)せばいいんだ――。そして貴石の魔術師は、自らを鉱物界の一部にしているから、その「魂」には強力な浄化の作用がある……」


「ま、待って……その方法だと……」


 リルファーナは魔術のことは、さっぱり分からない。

 けれどエルドルの説明を、そのまま解釈するとしたら――


(魂と肉体を切り離す方法なんて、たったひとつしかない!)


 感じていた不安が、明確な形を持ちはじめる。

 テンマが息をのみ、「そんな……」と絶望を含んだ呟きを漏らす。

 ジューダも衝撃を受けたように唇を震わせながら、ランティスに問い詰めた。


「それはつまり、呪いを解くために、エルドルの命を奪おうとしている……ということか!」


 確かにそれであれば、ランティスが剣を向けた理由にも辻褄が合う。


「今さらだな。オレはそのつもりで戦っていたんだ。エルドルの魂を浄化すれば、(おの)ずとリルファーナの呪いも解けるはずだ」


「駄目だ! そんなこと許せるはずがない!」


 ジューダの(いきど)りはもっともだ。

 たかがリルファーナひとりの呪いを解くために、エルドルの命を奪うというのだから。


(それだけじゃない。ランティスの「魂」が強い浄化の力を秘めていて、それを使うのだとしたら、ランティスだって無事では済まないかもしれない……!)


 それだけは絶対に駄目だ。

 犠牲になる人も、傷つく人もたくさんいる。

 リルファーナの呪いを解くためだとしても、巻き込んでしまう人たちがいるなら賛同はできない。


「ランティス、わたしはこのままで良い……呪われたままでも構わないから……!」


 リルファーナは意を決して叫ぶ。

 呪いを解くために、身も心も砕いてきたランティスに言うべきことじゃない。

 けれど……リルファーナにも心で強く願うことがある。


(わたしは大好きなランティスに、幸せになって欲しいから……!)


 この想いだけは誰にも譲れない。

 リルファーナが怖れているのは、大好きな人達が傷つき、苦しい思いをすることだ。

 だからランティスが、リルファーナのために人生を犠牲にするなんて耐えられない。ならばいっそ……自分は呪われたままだって構わないと思う。


(むしろ呪いを解くなら、エルドル王子じゃなくて、わたしを……あれ?)


 ふと、頭の隅に何かが引っかかる。


「二人とも、落ち着いて……」


 エルドルが苦笑いを浮かべながら、リルファーナとジューダを(なだ)めようとする。


「そんな悠長に笑っている場合じゃないだろ! おまえの命が懸かってるんだぞ!」


「だからだよ、ジューダ。貴石の魔術師は、いや……ヨウランは昔から親友には甘い男なんだ」


 エルドルが懐かしむように目を細めて笑う。顔は全然違うのに、その笑顔はエルファイスそのものだった。


(かつて、わたし達は親友同士だった……)


 そこでリルファーナは、ある事に思い至る。

 はっとして顔を上げると、見上げた先で「その通りだよ」と肯定するように、エルドルが眼差しを送ってくれた。


「ランティスは、わたし達、二人を救おうとしてくれてるのね……?」


 リルファーナの行き着いた答え。

 ランティスはリルファーナの呪いだけでなく、エルドルの魂も闇から解放しようとしているのではないか……。


 ランティスは否定しない。かわりに話を続ける。


「ヨウランはずっと悔やんでいた。あの時……孤独な巫女の心も、哀しみに打ちひしがれたエルファイスも、二人とも救えないまま、二人とも(うしな)ってしまった。エルファイスが転生している可能性に気付いたとき、オレはやっと「救える」と思ったんだ。エルドルの魂に宿る闇を浄化すれば、リルファーナの呪いは自然と解けるはずだ。だが同時にエルドルの魂も「闇」から解放してやれる。それが出来るのは、オレだけだ――」


「ランティス……」


 胸が痛かった。

 あの時――「精霊の巫女」は自ら命を絶つ道を選んだ。

 それがヨウランの心に、大きな傷を残してしまっていた……。


「理由はわかった……だが納得はできない! 別な方法を探すべきだ」


 食い下がるジューダに、ランティスは(かぶり)を振る。


「その時間が無い。リルファーナの呪いは【短命】だ。この時にも命は削られている……。エルファイスの魂が見つかった今、二人を同時に救うのはこの方法しかない。オレの術も一度きりしか使えない。もともと、リルファーナが呪いによって生命力が尽き、魂が肉体から離れるときまで待つつもりだった……」


 確かにリルファーナの呪いを解くだけならば、それで良かったかもしれない。

 けれどランティスは、エルドルの魂も一緒に闇から解放したいと考えた。エルドルの闇も深い。そしてその闇を使役できるほどの魔力を持つ「魂」を浄化するのは困難を極める。

 だからこそ、今しかない――そしてエルドルは、既に覚悟を決めている。


「ジューダ、その想いだけで嬉しいよ。どうか彼のことを責めないで欲しい。彼はね、私達のために自分の命を懸けた魔術を使うのだから――」


「……!」


 やっぱり……。

 ランティスの浄化の魔術は、自らの生命力を犠牲にするものなのだ。


「ランティス……そんなことをしたら、アナタだって!」


「テンマ、そろそろリルファーナを連れて行ってくれ」


「ランティス……僕は、力不足でごめんなさい」


「いや。テンマがいてくれたから、オレはこの道を選べた。感謝している。済まないがリルファーナのことを頼む。レイアルド兄上に相談すれば、すべて良いように計らってくれるはずだ――」


「わかりました。リルファちゃんのことは、ちゃんと護ります――」


「二人とも、何を言って……!」


 テンマに腕を掴まれるが、リルファーナは抵抗する。

 見れば、ジューダもまだ諦めていないようで、必死に説得を試みている。


(だって、だって……一番好きな人がいなくなってしまうなんて、嫌だもの!)


 なんとかしなければ……!

 ランティスとエルドルは良くても、そこにどんな想いがあろうと、消えて欲しくない。そんなの哀しすぎる。


 リルファーナは、テンマの腕を払い、駆け寄ってランティスに(かじ)りつく。


「ランティス! わたし……アナタにいなくなって欲しくない! わたしの命ならどうなってもいいから、死なないで……!」


「馬鹿なことを言うな。オレは、おまえに幸せになって欲しい……だから……」


 ランティスが剣を持っていない左腕で、リルファーナを抱き寄せた。

 リルファーナの柔らかな蜂蜜色の髪の毛を優しく撫で、ぎゅっと胸元に閉じ込めると「どうか、オレの愛を受け取ってくれ」と、耳元で囁いた。

 リルファーナの瞳から涙が溢れる。


「テンマ――!」


 ランティスは腕を解くと、そのままリルファーナを突き飛ばす。

 その身体をテンマは受け止め、抱き上げると、部屋を出ていこうと歩き出す。


「テンマ、お願いだから離して!」


「駄目デス。ランティスの想い……叶えてあげたいから……」


「それはランティスが死ぬってことよ。二度と会えなくなるのよっ!」


「……っ……、くっ……」


 テンマの肩が震えていた。

 ――泣いている……?

 (かつ)がれるように抱き上げられているから表情は見えないが、きっとそうに違いない。


(わたしが、わたしが……止めなきゃ……)


 リルファーナは必死で思考を巡らせる。

 こんな時……力があれば、と思ってしまう。「精霊の巫女」だったら止められただろうか。いや、今はそんな事を考えてもどうにもならない。


(何か、ランティスを、二人を止める方法……。あっ!)


 ――多分、きっとこれしかない。

 ほんの僅かな時でも、踏みとどまってもらえれば……。

 リルファーナは願うような気持ちで、思い切り叫んだ。


「二人とも――明日の「放送」はどうするのっ!」


 ぴたりと、テンマの足が止まった。

 同時に抱き上げていた腕の力も緩み、すとんとリルファーナは綺麗に床に着地する。

 よし……と、内心で頷きながら、リルファーナはくるりと(きびす)を返し、もう一度訴える。


「わたし達だけで、明日の放送をやれというの? そんなの無理よ! グランヴェル国の人だけじゃない、大陸中の人達が楽しみにしている放送なのよ!」


 それからリルファーナは、ジューダに目配せをする。

 呆気にとられていたジューダだったが、ちゃんとリルファーナの意図を汲み取ったようで、しっかりと頷き返す。


「――その通りだ。グランヴェル国の放送を、大陸中の人々が心待ちにしている。それに明日は「大陸祭」だ。もしエルドルに何かあれば、大きな問題になるぞ!」


「そうよ! ただでさえエルドル王子は、ご婦人方に人気なのに。もしも、いなくなったと知ったら大陸中が大きな混乱状態に……いえ、ランティスが関わっていたと知ったら国家間の問題になるわ!」


「状況によっては、戦争になるかもな……」


「そうしたら、リステリア放送部を立ち上げた意味もなくなってしまうじゃない」


「そもそも、大陸屈指の魔術師が不在で、放送なんてできるわけがないしな」


「確かにそうね。ランティスもエルドル王子も、わたし達のこと考えてくれてるようで、全然考えてくれてないわよね」


「ああ、とても残念だ。一国の王子がこんなに無責任だとは……この大陸も終わってるな」


 ジューダの援護射撃に励まされながら、リルファーナは説得を続ける。

 半ば、自分の想いを無視された愚痴も混じっていたが……。


(お願い。お願い……)


 心の中で祈りながら、リルファーナは命を散らそうとしている二人を見る。

 二人は困惑した様子で、お互いの顔を見て逡巡している。


 ここでジューダが、さらに哀しそうな表情をして呟いた。


「エルドル……俺のことを大切だと言ったのは嘘だったんだろ」


「嘘じゃない! 信じてジューダ!」


「……」


 エルドルは肩を落とし溜息を吐きながら、ランティスの顔を見遣(みや)る。

 憮然(ぶぜん)とした様子のランティスだったが、やがて諦めたように呟く。


「王子としての責任や、放送部のことを出されたら仕方ないな。一刻でも惜しい状況だが、日を改めるか……」


「そうするしか、なさそうだね……」


(良かった……!)


 リルファーナは心から安堵する。

 同じく息を吐いたジューダと顔を合わせて、微笑んだ。

 かつて精霊の巫女は、一度しか会ったことのないレノア姫に親近感を抱いていた。

 ――今も同じだ。

 お互いに大切だと思う人がいる……。

 一方、テンマも緊張の糸が切れたように、涙ぐんでいた。


「あれ……なにか、聴こえる……?」


 リルファーナは顔を上げる。

 耳朶に響くこれは……歌だ。


「はじまったようだね。「精歌隊(せいかたい)」の大陸祭に向けた浄化の儀式が……」


「浄化の儀式?」


「浄化……というのは名目なんだ。明日の大陸祭で精霊に捧げる「精歌」は、水晶塔(クリスタルタワー)を使って大陸中に届けられる。その水晶塔(クリスタルタワー)がちゃんと機能するか、試運転を兼ねているんだ。ちゃんと歌が届けられるようにね……」


「なるほど……」


 リルファーナにとって、大陸祭の楽しみは「精歌隊」の歌だった。

 だが今は手放しで楽しめる状況ではなくなってしまったけれど。

 なんとか、これからの事を考えなくては……。


 遠くから響いてくる歌声とは別に、もっと近くで澄んだ歌声が聞こえてきた。

 とても美しい声色だ。

 男とも女ともつかない、まるで精霊が歌っているような不思議な声色……。それは心にすっと染み入るように響いてきて、聞いているだけで不安が消えていくような癒しを覚える。


「この部屋に近づいてくるようだな……」


 ランティスが、扉のない部屋の入り口を凝視する。

 すると近づいてくる歌声に、もうひとつ別な声が重なった。


「あ……この声は、クリスティナ姉様……!」


 聞き間違えるはずがない。

 クリスティナは、リルファーナの腹違いの姉で、今は精歌隊として大陸を巡っている。

 つい先日、夜会のときにリルファーナに会いにきてくれたのだ。


 部屋の入り口に、二人の男女が姿を現した。

 一人は、クリスティナだ。

 そしてもう一人は、「歌姫」と呼ばれている、クリスティナの婚約者のナギだった。


「姉様! それに、ナギさんも!」


 リルファーナに笑顔が溢れる。

 クリスティナも妹の姿を認めて、微笑みを返してくれる。

 では最初に聞こえたあの歌声は、「歌姫」と呼ばれているナギのものだったのだろう。


 二人は歌うのを止めると、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。


(空気が、変わった……?)


 先ほどまで闇の残滓が溢れていた空間が、二人が部屋に入った途端、光が差し込んできたかのように明るくなった。

 ナギは真っ直ぐにエルドルをのもとに歩いてくると、その澄んだ声音で訊く。


「闇が、溢れているが――?」


 その問いかけに、エルドルは膝を折り答える。


「これは、私から生まれた「闇」です。私の魂は(けが)れているのです」


「ナギさん、これには事情が……!」


 リルファーナが口を開いたが、ナギは手をあげて制止を求める。

 隣にいるクリスティナが「大丈夫よ」と言うように、リルファーナに向かって頷いた。


「ではエルドル殿下……明日の「大陸祭」で、貴方の魂に宿る「闇」を浄化しよう」


 ナギの言葉に、ランティスが目を見開いた。


「まさか、浄化できるのか! どうやって……!」


 リルファーナも驚いた。

 今、まさに、そのことで頭を悩ませていたのだから。

 でもナギは確かに浄化する……と言った。


「普通の者には無理であろうな。だが私は誰よりも「世界」から愛された存在。そうだな……現代の「精霊の巫女」といったところだ。多少骨は折れるが……できる」


「精霊の巫女! ナギさんが!」


「この時代にも、精霊の巫女が存在していたのか……!」


 確かに「精霊の巫女」なら、闇を祓うこともできるだろう。強い霊視の力と、精霊を動かす力を持っているのだから。

 リルファーナは過去世で「精霊の巫女」だったが、今は大きな力があるわけでも無かった。

 魂は継いでいても、力まで受け継ぐとは限らない。

 呪いのせいというのも、あるかもしれないが……。


「私の可愛い兄弟のためにも、頑張ってねナギ」


 クリスティナが笑顔で、ナギの肩を叩く。


「もちろんだ。明日の精歌の儀式の最後に、浄化の歌を追加することにしよう。貴石の魔術師……そなたにも手伝ってもらう」


「わかりました……」


「リルファーナ、貴女もよ」


「え? わたしも……?」


 クリスティナの言葉に目を(しばたた)くリルファーナ。

 一体、何を手伝えというのだろう。

 せっかく歌を聴くのを楽しみにしていたのに。


「貴女も、もう歌えるでしょう?」


「え……と……?」


「精歌に決まってるじゃない。私達と一緒に歌いなさい」


「え……ええっ!」


 リルファーナの思考が、真っ白に染まった。


お付き合いくださり、本当に有難うございます!!


次回。第5章ラスト。


大陸祭が始まる。

そして、満月の夜の放送。


リルファーナは、放送のなかで、あることを告げる。


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