第4章 「魂の軌跡」⑦
ランティスの過去世編。
ヨウランは、巫女のいる王都にたどり着く。
そこで不審な動きをしている兵士を見つける。
王都に入ると、戦場帰りの兵士達がちょうど王城に向かって歩いているのが、遠目に見えた。
都は戦の勝利に湧いているようだ……。
大通りを闊歩する兵士達を出迎えるように、王都に住む民達が群がっている。
曄藍が目指しているのは王城ではなく、王城から続く道の先に建つ立派な門構えの屋敷だ。
(やっと、此処まできた……)
――もうすぐ巫女のそばにいける。
曄藍は昨晩も夜通し歩いた。夜通しと言っても数刻おきに休憩をはさみ、仮眠をとったりはしたが……。
満月の光が夜道を明るく照らしてくれたから、街灯の無い場所も苦なく歩いてこれた。
身体はとうに疲労を訴えていたが、一刻も早く王都に着きたい一心で、とにかく無我夢中で歩を進めてきた。そしてようやく目的地が見えてきたのだ。
「あの兵達は、どこに向かってる?」
王都の中心部が見渡せる小高い丘を下りながら、曄藍は首を捻る。
凱旋した兵達の殆どは、王城の前に集まっているが、一部の兵達は何故か王城を通り過ぎて歩いていく。
その道の先にはあるのは……。
ある予感が胸をつき、曄藍は駆け出した。
さきほど見た兵士達が、巫女のいる屋敷の前に集まりはじめている。
急ぎ走ってきた曄藍は、ひとまず肩を上下させるくらい乱れている呼吸を、落ち着かせようとする。
自分の呼吸がうるさくて、兵士達が何事か言っているが、うまく聞き取れない。
(何をしようとしているんだ、この兵士達は……)
群れている兵士の間を掻き分けるように進んだ曄藍は、ある事に気付く。
ここにいる兵士たちは皆、負傷している。
戦地に赴いていたのだから当然かもしれないが、怪我の具合がひどいのだ。
命懸けで戦ってきたことが窺える。
包帯を巻いて応急処置はしてあるが、それでも頭から血を流している者や、片腕を失っている者、仲間に支えられながら足を引き摺り歩く者がいた。
そして皆、縋るような眼差しで屋敷をじっと見つめているのだ。
ひとりの――腕が潰れて皮膚が変色している兵が前へ進み出て、大声で叫ぶ。
「我々を勝利に導いた精霊の使いよ! ここには勇敢に戦い、傷を負った者達がいます! どうかその御業で、我々を癒したまえ!」
――この者達は、巫女に奇跡を望んでいるのか!
曄藍は兵士たちの思惑に衝撃を受ける。だがそれはすぐに怒りへと変わった。
どこまで巫女を利用したら気が済むのだ、と腹の底が煮えるように熱くなった。
今度は、別の兵士が屋敷に向かって叫び始める。
「やめろっ――!!」
(頼むからやめろ! これ以上、巫女を悲しませるな!)
曄藍は叫んでいる兵士に飛びかかった。
その口を塞いで黙らせるが、そばにいる別の兵士に脇腹を思いっきり蹴られ、曄藍は激痛に呻き地面に転がった。
「邪魔をするな! 邪魔をするなら、殺すぞ!」
脅迫とともに降ってくる兵士の靴底が見えて、曄藍は歯を食いしばった。
顔面を容赦なく踏まれる。曄藍は兵士の足を両手で掴んで、力の限り抵抗した。
口の中が切れて、血の味が広がっていく。
剣を抜く音が耳元で聞こえて、曄藍は攻撃に対して構える。
しかし予想とは裏腹に、あっさりと兵士の攻撃の手は止まった。
どよめきが兵士達の間から漏れている。
兵士達の視線の先――屋敷の扉が僅かに開き、そこから蜂蜜色の髪がのぞいて見えた。
「巫女……!」
考えるより先に、曄藍の身体は動いていた。
起き上がり、兵士達の間をすり抜け、扉の前を塞ぐように立つ。
扉が完全に開き、巫女が出てきた。
当然だが、立ちはだかるボロボロな姿の曄藍を見て、巫女は驚いて目を丸くする。
「え……ヨウランなの!? ひどい怪我だわ!」
「転んだだけだ……。それよりも、早く中に入れ!」
「ど、どうして? 外に出るように言われたのだけど……」
困惑している巫女に、曄藍の背後にいる兵士達がふたたび声を上げはじめた。
巫女の視界は塞げても、兵士達の声までは止めることが出来ない。
「我々の勝利の女神よ――!!」
巫女の身体が、びくりと跳ねた。
「ロナードから我らを救い、デューセに勝利をもたらした女神よ! その御業で、」
「――聞くな!」
咄嗟に、曄藍は巫女を抱きしめた。
巫女の頭を掻き抱き、その両耳を塞いだ。
(オレは、こんな事しか出来ないのか……!)
非力な自分であることが、情けなくて悔しかった。
巫女の身体の震えが、曄藍の全身に伝わってくる。
(ああ、きっと……すべて、気付いてしまったのだろう)
ずっと屋敷に閉じ込められていたとしても、兵士たちの姿と言葉を聞けば、何があったのかは容易に想像がつくだろう。
それに……聡い巫女のことだから、自分が何をさせられたのかも理解したに違いない。
曄藍の抱きしめる腕に、力がこもる。
(本当はこんなカタチで触れたくは無かった)
本当はその魂すべてを包み込むように、優しく抱きしめてやりたかった。
それなのに……。
「ヨウラン……離して……」
巫女が曄藍の胸を押し、解放を求める。
何度か試みて、ほんの少し緩んだ腕の間から顔を持ち上げた巫女は、曄藍を見つめ弱々しく微笑した。
「会いにきてくれて、ありがとう。ヨウラン……」
「……巫女?」
怪我を気遣いながら曄藍の腕を解くと、巫女はふらりと兵士達の前に姿を晒す。
その横顔は血の気を失い蒼白で、紫水晶色の瞳は、失意に翳りを生んでいる。
負傷した兵士達が次々に言葉を投げてくる。
癒しを求める声だけでは無かった……。
巫女の奇跡を讃えるものや、ロナードに呪いをもたらせという醜い声までが、束になって真っ直ぐに突き刺さってくる。
それを呆然と眺めていた巫女は、やがて自分の過ちを悔いるように、ぽつりと零した。
「わたしは、たくさんの命を殺めてしまったのね……」
「巫女のせいじゃない! 巫女は何も悪くない!」
曄藍は頭を振り、否定する。
そうだ。巫女はこれっぽっちも責任を感じる必要は無いのだ。
悪いのはすべて、巫女を利用した欲深い者達だ。
「わたしは……わたしは……」
巫女の瞳から涙が滑り落ちた。
そして、わななく口唇が、悲痛な答えを導きだす。
「――わたしは、やっぱり……生まれてきてはいけなかったんだわ……」
「――!」
巫女が深く傷付いたのが分かった。
そしてこの瞬間――「世界」は一変する。
まず風が止まった。
ついで大地がドンと突き上げるように鳴き声を上げると、木々の葉が抜け落ち、花々は一斉に自ら首を切った。
空気すら、かたく強張ったように淀み始める。
(巫女の……そばに……)
曄藍が一歩踏み出したとき、ぐらぐらと足元が揺れ、身体が傾く。
ただの地震でないことだけは、すぐに分かった。
みしりと音を立てた地面に亀裂が走り、それが葉脈のように細かくどこまでも伸びていく。
――巫女の哀しみに、精霊が呼応しているのか……!
だとしたら、このままでは……。
「巫女、自分を責めるな! おまえは何も悪くない! これからはオレがずっと傍にいる……絶対に幸せにする! だからもう……自分の「生」を否定しないでくれ!」
曄藍は叫ぶが、巫女は滂沱の涙を流しながら、立ち尽くすだけ。
壊れるほど心に傷を負った巫女に、曄藍の声は届かない。
亀裂が入った大地が割れていく……。
逃げ惑う兵士達。視線の先に見える王城も、割れた大地に飲み込まれるように崩れていく。
だが、今はそんなことは、どうでもいい。
曄藍にとって一番大切なのは巫女だけだ。
(今、巫女を護れなくてどうする! オレは何のために此処まできたんだ!)
巫女を愛する気持ちは、誰よりも……精霊達よりもずっと強いのだから。
曄藍は、揺れる大地に足を取られながらも、巫女に近づく。
「巫女! オレを見ろ――!」
もう一度抱きしめようと腕を伸ばす。
しかし、今度は見えない壁のようなものにぶつかり、はじき返される。
亀裂が巫女の足元に伸びてくる。
「危ないっ!」
曄藍が警告すると、巫女がゆっくりと振り向いた。
やっと反応してくれた……。
「早くそこから逃げるんだ! 落ちるぞ!」
「…………」
しかし巫女は動こうとしない。
涙で濡れた瞳で、曄藍をじっと見つめてから、静かに言った。
「ヨウラン……。わたしに触れてくれた「最初」で「最後」の人が、アナタで良かった……」
「最後なんて言うな! これからは幾らでも抱きしめてやる! 巫女を独りにはさせないし、寂しい思いはさせない! だから、早くこっちへ……!」
「…………」
しかし巫女はゆるゆると首を振る。
そして……自ら深く底の見えない亀裂に向かって歩き、躊躇いもせず、その身を躍らせた。
「……え……」
曄藍の頭の中は真っ白になる。
夢でも見ているのだろうか……。
夢……そうかもしれない。そうに違いない。
けれど――大地の揺れが、一層強く嘆きはじめた精霊の声が、何より曄藍自身の心の痛みが、これが現実なのだと突きつけてくる。
曄藍の瞳から、涙が零れた。
「……っ……あ、ああああっ――」
曄藍は慟哭した。
――なにひとつ護れなかった。巫女の心も、魂も……
何故、誰よりも美しい魂を持つ巫女が、こんな目に遭わなければいけない!
『鉱脈よ! ――オレのすべてをくれてやる! だから……だから、巫女を救ってくれ!』
大地に拳を打ち付ける。
しかし鉱脈は、曄藍を受け入れてはくれなかった。
やがて、大地は鎮まっていく。
風は砂塵を巻き上げながら動き始め、木々は枝をしならせ、花々は硬い蕾を膨らませていく。
曄藍は血だらけになった拳を大地につけたまま、項垂れていた。
「……ヨウラン、なのか……?」
不意に、風が声を運んできた。
なんとか首を持ち上げて、声がしたほうを見る。
「エ……ルファイス……」
そこにいたのは、ヨウランの親友エルファイスだった。
彼もまた哀しみを湛えた表情で、立ち竦んでいる。
「ヨウラン……「風」が悲哀を歌っている……。何があった?」
「それは……」
「この惨状は、精霊の巫女が起こしたのか?」
巫女……。
目の奥に、最期の姿が蘇り、心が千切れるように痛んだ。
いっそ――自分の息の根も止めてしまったほうが楽になれる気がした。
「巫女は……死んだ……。戦争に利用され、たくさんの命を殺めたと嘆きながら、」
絞るように喋る曄藍の言葉に、エルファイスが眉を顰める。
「そして……精霊たちは、愛する巫女の哀しみに、大地を砕いた……」
「くっ……利用されたくらいでっ……!」
エルファイスが、冷たく吐き捨てるように言った。
その瞳が哀しみとともに、憎しみを孕んだ仄暗い光を放っている。
「エルファイス、おまえ……」
親友の信じられない姿に、曄藍は息をのむ。
だがその理由は、すぐに明らかになる。
「あそこには、オレの誰よりも大切なレノアがいたんだぞ――!」
エルファイスが指差した場所を見て、曄藍は絶句する。
そこは王城があった場所だ。
今は大きく裂かれた大地の狭間に飲み込まれ、影も形も失っていた。
きっと王城にいた者達は無事ではいまい。
(エルファイスの婚約者……レノア姫は、デューセ国の王女……)
鉱脈に導かれて視たレノア姫は、床に伏せっていた。
だとすれば、レノア姫は王城とともに……。
エルファイスの悲痛な叫びが、激しい風を巻き起こす。
「巫女は……オレが、レノアを愛していると知っていたはずだ! それなのに……戦に利用されたくらいで、大陸を揺るがし、レノアを死なせた!」
「それは違う! ……巫女は誰かの「死」を望んだりはしない!」
「うるさい! 巫女も、精霊も……大切なものを奪う力など「悪」だ! オレは……許さない……」
涙を流しながら錯乱している親友に、曄藍は同情する。
その気持ちは痛いほど理解できた。
だって、愛する者を喪失したのは曄藍も同じだからだ。
だがその哀しみの責任を、巫女に押し付けるのは間違っている。
もし誰かを責めていいのなら、曄藍だってエルファイスを責めたい。
「どうして戦争を止めてくれなかったんだ」と。戦争さえなければ、巫女だって死を選ぶことはしなかったはずだ。
でも、今更何を言っても遅い。
それに本当に責めるべき根本は、別なところにあるのだから。
「オレは……巫女を許さない――!」
「エルファイス……!」
エルファイスを囲むように風が巻き起こった。
彼は風の精霊に愛されている。
その能力は、風の行方を察知したり、風の中に混じる匂いで、天候を予測できたりするものだ。
しかし――風の中に黒い靄のようなものが混じり始めた。
「エルファイス、やめろ!」
全身が総毛立つ感覚に襲われ、曄藍は親友を鎮めようとする。
一方、エルファイスは、次第に濃くなっていく黒い靄を身に纏い始めた。
(――まさか……これは【闇】……)
曄藍は世界の成り立ちを思いだす。
人間の住む世界は、植物界、鉱物界の恩恵の上に成り立っている。
目に見えない精霊が、確かに存在している。
だが、この世界とは隔てられながらも存在している、形の無い【闇】という意識。
【闇】とは「力」であり「破滅」とされていた。
入りこむ器さえあれば、隔てられた境界の向こうからでも、簡単に顕現できる。
哀しみが、怒りと憎しみに変貌し、その強すぎるエルファイスの想いが【闇】を呼び込んでしまったのだろう。
(闇を呼び込んだ末路は、破滅……)
「エルファイス! ――【闇】を振り払え!」
しかし真っ黒な渦のなかで、エルファイスは曄藍を見て薄く笑った。
まるで自ら望んで、【闇】に身を委ねているようにも見えた。
「ヨウラン……オレはこの世界を、この世界に愛された「精霊の巫女」を呪ってやる……」
「そんな哀しいこと……お願いだから、やめてくれっ!」
「……【呪い】を! 未来永劫、精霊の巫女は幾度生まれ変わろうと、どれだけ精霊の加護を受けようと……罪を背負い【闇】の呪縛を身に宿し続ける!」
エルファイスが呪いを口にした瞬間、【闇】がそれに応えるように、エルファイスの身体を蝕み始めた。
指先が黒く染まったかと思うと、そこから崩れて砂塵となり宙に舞っていく。
その漆黒の一粒一粒が、まるで意思を持っているかのように不気味に蠢き、消えていく。
瞬く間に、エルファイスの全ては消失した。
「くそ……、エルファイス……」
何もできずに曄藍は佇んだまま。
愛しい巫女と、親友であるエルファイス。
未来へ続く、哀しい因縁がこのとき生まれた。
読んで頂き、有難うございます!
正直、何度も何度も推敲を重ねてやっと書き上げました。
未熟さに打ちのめされる今日この頃……
分かりづらい箇所もあったかもしれません。
次回、やっと……
現在の時間軸に戻ります。
ランティスと、テンマが書ける!
楽しみ。




