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第4章 「魂の軌跡」③

ランティスの過去世……曄藍の物語の続き。


(長くなるので、今回も短め)



 神殿の裏には庭があった。

 季節は初春を越え、温かい日も増えてきて、咲き始めの花たちが風に揺らいでいる。


 曄藍(ヨウラン)とエルファイスが並んで歩き、その後ろを巫女がゆっくりとついてくる。

 巫女の足取りは軽かった。


(儀式でずっと(こも)ってたから、久々に外に出れて嬉しいんだろうな……)


 庭を見るのも、巫女の楽しみのひとつだ。

 巫女が嬉しいと、曄藍も幸せな気持ちになる。


 春の種まきの日取りを決める儀式に向けて、巫女はこのところずっと(みそぎ)のために篭っていた。毎朝の精歌(せいか)の唱和にも、この時ばかりは姿を見せない。

 そして今日、やっと儀式が終わったのだ。

 曄藍もエルファイスも、巫女と顔を合わせて話すのは久しぶりだった。


 振り向くと、巫女がしゃがみこんで庭に咲く小さな花に手をのばしている。

 撫でるように指先を滑らせた時、「あっ」と短い声を上げた。


「巫女?」


 異変に気付いたエルファイスが声をかける。

 巫女は苦笑いを浮かべながら、右手をひらひらと振って言った。


「指を切ってしまったみたい。柔らかそうに見えて意外と鋭いのね……」


「なら、早く戻って清めたほうがいい」


 心配したエルファイスは手当をすすめるが、巫女は首を横に振った。


「大丈夫。大したことないの」


 そう言って立ち上がると、巫女は怪我をした右手を隠すように、身体の後ろに腕をまわす。

 その一連の仕草を見ていた曄藍は、気にくわない……と思った。

 ――巫女の悪い癖だ。自分のことは全て隠そうとする。

 ほんの小さな痛みも、大きな嘆きも、本当はもっと明かして欲しいと、曄藍(ヨウラン)は最近とくに強く思うようになっていた。


「本当か? じゃあ見せて――」


 曄藍が腕を伸ばすと、同時に巫女がびくりと肩を震わせ一歩後退する。

 ――しまった……!

 曄藍は拳を握り、伸ばした腕をすぐに引っ込める。


「わたしに触れては駄目よ」


「解ってる。二度としない。済まなかった……」


 視線を逸らしながら、曄藍は謝った。

 二人の間に神妙な空気が流れる。

 それを察したのか、エルファイスが宥めるように言った。


「どちらにしろ神殿に戻ったほうがいい。風が湿ってきたから、もうじき雨が降るはず……。巫女は、かすり傷だとしても手当をすること。――いいね?」


「わかったわ……」


 三人は神殿に戻ることにした。

 曄藍は拳を握りしめたまま、巫女の後ろ姿を見送った。


 

何人(なんぴと)も精霊の巫女に触れてはならない」――それが神殿の教えであり、(おきて)のひとつだった。

 もしも爪の先の僅かでも触れてしまったなら、曄藍は大罪人、そして巫女は精霊の加護を失い、大地は枯れ、果てに大陸は滅亡するという……。


 初めてこの掟を学んだ時、そんな馬鹿げた話があるか――と曄藍の心は荒ぶった。だってどう考えたっておかしい……


 ――じゃあ、巫女が転んで立ち上がれない時、誰が助ける?

 ――じゃあ、巫女が病に倒れたら、誰が世話をする? 

 ――じゃあ、地震が起きて、巫女の上に物が落ちてきたら誰が庇う?

 ――そして、巫女が寂しさに心を痛めた時は、誰が……


 神殿にきてしばらく経ったある日、この事について曄藍は、神殿で一番偉い立場の神官長に尋ねたことがあった。

 すると神官長は事もなげに言った。


『巫女には何人も触れてはなりません。巫女の身に起こることは全て、精霊の御心(みこころ)なのです』


 この時、曄藍(ヨウラン)は生まれてはじめて「憎しみ」という感情を知った。

 巫女よりも上等な衣服を纏った神官長が、すべての悪の権化のような気がした。


(――なにが精霊の御心だ! 

 精霊は! 世界は! 巫女が、人間が幸せであることを望んでいる!

 巫女の痛みを、不幸を、孤独を……決して望むことはない!)


 大声で叫び神官長の横っ面を力いっぱい殴りたい衝動を、曄藍は必死で抑えこんだ。

 殴ってしまったら、神殿にはいられなくなる。

 そんな事になったら巫女のそばにいれなくなる。

 それに自分にも帰る場所は無いから……。

 いつ、誰が、つくったかも分からない狂った掟に胡座をかき、私腹を肥やし、巫女の心を考えない神官長は憎いけれど――


 曄藍は、何も言わず、神官長の前から去った。


 身体のうちを獣のように暴れる激情に、曄藍は血が滲むのも構わず強く歯を食いしばり、神殿を飛び出し庭を抜け、畑の間を全速力で駆け、鬱蒼とした山の中まで来ると、そこで大地に突っ伏した。


『大地よ。鉱脈(こうみゃく)に住まう精霊よ――』


 曄藍は繋がりはじめた。

 鉱脈……「鉱物界」の意識が集う場所。

 住まうと言ってはいるが、この鉱脈こそが「精霊」の正体でもある。


 鉱物界があるからこそ人間は存在できる。鉱物界の物質で人間の肉体は構成されているし、植物界は鉱物界の恩恵を受け、大地に根ざすことができるのだ。


『オレの(こえ)は聴こえているだろう? 精霊よ――』


 瞼を閉じて鉱脈に繋がるとき、曄藍もまた肉体の輪郭を失ったように、意識だけの存在になる。

 純粋な想いだけが、曄藍の意識を形作る。


『おまえ達は、巫女を愛しているんだろう? なら、オレの全てをくれてやるから、どうか巫女の心を護ってくれ――。誰からも触れられず、ただ世界の安寧のために祈る巫女の心を包んでくれ――』


 どうか……、と曄藍は願う。

 幼い頃、曄藍は孤独を知った。

 だからこそ、真名(まな)すら伝えることを許されず、寂しそうに笑う巫女を見た時、なにがなんでも護りたいと思った。

 無邪気に愛くるしく笑う巫女が、温かさを知らず、(つまづ)いて転んで傷付いても一人で立ち上がり、求められるだけ求められて一生を終えるなど――絶対あってはならない。


(オレの想いすべてが、大気(たいき)に溶けて、巫女を包めたらいいのに……)


 ――いや、願うだけじゃ駄目だ!


 意識の底で曄藍は(まばた)きをする。

 鉱脈の膨大な力が奔流となり、曄藍をさらっていく。

 輪郭のない腕を伸ばし、奔流の一部を掬いあげると、それは(げん)のように細く長く、曄藍の意識に絡んでくる。

 苦しい……そう思った瞬間、「弦」は、空気に揺蕩(たゆた)う一筋の(けむり)に変化し、ふと消えていく。

 同時に、曄藍は内在する己の一部が、ともに失われていったことに気付いた。

 そして「ああ、これがそうか」と、唐突に理解に至る。


『これが、魔術――』


 巫女は曄藍のことを、魔術師向きと言った。

 身の内にある魔力を感じながらも、それをどう扱うべきか曄藍は知らなかった。

 しかし確かに今、その一端に触れた気がした。

 鉱脈の奔流から力をもらい、己の魔力を絡めていく。

 それをどのように扱っていくかは、これから色々試してみないと分からないけれど……。


 ――魔術師。

 曄藍は、ひとつの活路を見出したと思った。


(まずは、オレ自身が強くなることか……)


 もしかしたら精霊が導いてくれたのかもしれない。

 そしていつの日か、今とは違う形で巫女の支えになれる日がきたら……。


 曄藍は瞼を開ける。

 いつのまにか、夜の帳が降りていたことに驚く。


 突っ伏していた身体を反転させると、山間の木々の葉の間から、チカチカと瞬く星達が見えた。

「星」――それは闇のなかを往く旅人達にとって、道標(みちしるべ)になる唯一の光明。

 曄藍のなかにも、ひとつの明かりが灯っていた。


 だが曄藍の希望とは裏腹に、大陸全土は変革の時を迎えようとしていた。


お付き合い頂き有難うございます!


ちなみに私は、曄藍が大好きだったりします。


いつでも真っ直ぐに、どんな事情があったとしても、手を伸ばし続けてくれる人がいる物語も大好きだったりします。


心が救われます。

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