第4章 「魂の軌跡」①
時間は、夜会の日まで遡り、
倒れたリルファーナのもとに駆けつけるランティス。
そこで語られることは……。
幾ばくか、時を遡る。
夜更け――
夜会の衣装そのままに息を乱し、ランティスは部屋に飛び込むように入ると、そこいたテンマに捲し立てるように聞く。
「リルファーナが倒れたと聞いた! 何があった! 具合は大丈夫なのかっ!?」
「しーっ! ランティス、リルファちゃんが起きちゃいますっ……」
小声でテンマに叱責されて、はっと息を詰めるランティス。
(寝ていても、おかしくない時間か……)
夜会の幕は降り、束の間の宴に酔いしれた者たちも、今はきっと夢の中だ。
しかしランティスは、今の今までコルネリア姫の相手をさせられていた。
グランヴェル国について早々、見合いの席に連れ出されたランティスは、あらかじめ準備していた断り文句を並べたてた。
無論……大国の姫君の自尊心を傷つけないように、精いっぱい真摯な態度で臨んだつもりだ。
自分は国王の血を継いでいないこと。
大切な使命があるから、一生、誰とも結婚する気はないこと――
子を成す意志が無い、故に、形だけの婚姻は心苦しいということ――
『それでも……わたくしは、ランティス様のそばにいたいのです……』
だがコルネリア姫は、涙ながらに一途な想いをぶつけてくる。
――なぜ、そこまでオレに執着するんだ。
好意を寄せられる理由が分からなかった。
確かに王族同士ということで、幼い頃から顔を合わせることは何度かあったが挨拶程度だったし、性格上――女性に対して細やかな気配りなどしたことは無い。たった一人を除いての話だが……。
見た目が良いと言われているのは知っている。それに「貴石の魔術師」なんて言う通り名まである。
(つまり……外見と、地位と、財、それが執着の理由か……)
厄介だ。いっそ、自分の抱えている全てをぶちまけてしまおうか――
「コルネリア姫……姫の幸せのためにも、婚約はお受けできません」
そう言ってから、ランティスは自分の秘密のひとつを見せることにした。
目の当たりにしたコルネリア姫の顔が、血の気を失い青ざめていく……。
その様子を冷静に眺めながら、ランティスは己の心もまた冷たくなっていくのを感じていた。
コルネリア姫は了承するかわりに「夜会が終わるまではそばにいること」という条件を出した。
その言葉をのんだランティスは、まるで仲睦まじく、片時も離れたくない恋人同士のようにコルネリア姫のお茶会や散歩に付き合い、夜会ではエスコート役としてそばにいた。
うんざりしたが、夜会で着飾った美しいリルファーナの姿を目にしたとき、それまで固く冷たくなっていた心が一瞬で癒された。
やっとコルネリア姫から解放されたと安堵したとき、侍女からリルファーナが急に倒れたと報せを受け、ランティスは急いでやってきた。
「リルファちゃんは、今、隣の寝室で眠っています……。医者は、緊張と疲れが出たんだろうって言ってました」
「そうか……」
「うわ言で、何回も……ランティスの名を呼んでました……」
「そう、か……」
やるせない思いが切ない痛みを生み、全身を巡っていく。
拳を握りしめることでそれを堪えると、ランティスは躊躇いなくリルファーナの寝室へと踏み込んだ。
「ちょ……ランティス……!」
常識的に、男が未婚の淑女の寝室に勝手に入るなどあってはならない。
けれどランティスに迷いはなかった。
テンマはぐるぐると扉の前で逡巡した後、覚悟を決めてランティスを追って寝室に入る。
広いベッドの上で、リルファーナは眠っていた。
二人分の気配にも気付かない。
「リルファーナ……」
ランティスは魔術師の象徴である黒いマントを外し、ついで左手に嵌めていた手袋も取るとベッドに腰掛けた。
テンマの瞳がランティスの左手を追う形になる。
いつもは手袋で隠しているが、ランティスの左手は普通の人間の手と異なる――
指先からはじまり、手首から上は服のせいで見えないが、ランティスの左手は透明に結晶化している。
コルネリア姫を納得させる為に見せたのも、この左手だ。きっと薄気味悪く思ったに違いない。
「もしかして、結晶化……すすんでいるんじゃないデスか……?」
もともと秘密を知っていたテンマが、心配そうに声をかけるが、ランティスは答えない。
そんなことは大した問題では無い――そう思っている。
痛みがあるわけでも無く、世界を包む鉱物界の大いなる精霊――「鉱脈」の意識に繋がるには便利だ。
ランティスは、起こさないように気をつけながらリルファーナの頭を優しく撫でた。
(どうしていつも、肝心なときに、オレはそばにいないんだ……)
心のなかで消えない後悔を噛みしめながら、今度は頰に指を滑らせ体温の確認する。
それから首筋で脈をとり異常がないことが分かると、次は上掛けをめくってリルファーナの身体を見る。
テンマが思わず瞳を伏せる。
薄い生地の夜着は、うっすらと肌の色が透けて見えていた。
ランティスはリルファーナの左脚――膝の辺りに左手を置く。
結晶化している指先に、じん……とした痺れが伝わってくる。
「エルドル王子に会ってからリルファちゃんの様子がおかしくなった気がしました。
実はその時……かすかに【闇】の気配を感じました――」
曇った声音で、テンマが夜会での出来事を順番に説明してくる。
ランティスも、他の貴族には見向きもせず、真っ直ぐにリルファーナのもとへ行ったエルドルの行動をおかしいと思っていた。
「夜会のとき、リルファーナは、左足が痛い素振りを見せたか?」
「え、と……そこまでは気がつかなかったデス」
「そうか。エルドルが【闇】を……確かに、あり得るかもしれないな」
「何がデスか? リルファちゃんの足と何か関係が――?」
ランティスはすぐには答えず、まずは左足に触れていた手を離すと、身体が冷えないよう上掛けを首元まですっぽりと被せた。頭の中では、ひとつずつ疑問だったことに光を当てていく。
「エルドルはこの大陸で多分……最強の魔術師だ。その力の源泉が【闇】によるものだと言うなら色々と辻褄が合う。オレですら鉱物界と誓約を交わしてこの魔力を保有しているが、エルドルはそれを凌駕しているからな――おかしいとは思ってたんだ……」
並みの魔術師が束になってもエルドルの力には敵わない……。
それくらいの魔力を秘めていることを、常々ランティスは疑問視していた。
でもそれが【闇】の依り代であるが故だとすれば納得できる。
しかも大抵の人間は【闇】によって心を失うのに、エルドルは平然としている。【闇】の力を取り込み、さらに利用しているのだとしたら――脅威でしかない。
(それに、どうしてリルファーナに近づいた……?)
自ら招待した放送部だから?
いや、もっと別な思惑があるのだとしたら……。
――悪い予感がする。
「リルファーナは、生まれつき自分は足が悪いしていると思っているが、これは魂に絡みつく【闇】の呪いが、身体の表面に出てきているんだ――」
「呪い……!?」
「ああ。これでも、ずいぶんマシになったんだ……昔はもっと酷い形で現れていた。「ある者」が恨みをこめて放った呪いだ。精霊に愛された魂は穢されなくとも、転生のたびに肉体にはあらわれる。オレはその呪いを、同じく転生を繰り返しながら、少しずつ解いてきた」
「そんな……! じゃあランティスと、リルファちゃんは一体……」
テンマは驚きを隠せない様子だ。
しかしランティスは、目の前の少年のことをよく理解している――
(信じられないという顔をしながらも、テンマは思考するのを止めていない……)
その証拠に、テンマはすぐに核心をついてくる。
「やっぱりランティスの愛する護りたい人って、リルファちゃんのことだったんデスね」
「……」
「すべての真実を、僕に話してください……!」
「それを聞いてどうするつもりだ」
冷たくランティスは言った。
気圧されたテンマが、ごくりと喉を鳴らす。
「何があったのか……真実を話してください、ランティス」
「話してもいい……だが、条件がある」
「条件デスか?」
「そうだ。この先、オレの命がどうなったとしても、おまえは死ぬまで命を賭けて、リルファーナを護ると誓うならな――」
「ランティス……」
テンマが哀しそうに眉を寄せた。
――傷ついただろうか……。
他人のために、命を賭けろと言ったのだ。
ランティスは自嘲気味に笑った。
「オレは最初からテンマを利用するつもりで助けたんだ。拒否するなら解放してやってもいい……」
利用するためだけ……では無いが、テンマは【闇】を宿した者だから、使えると思ったのも事実。
(オレは全てを……誰を犠牲にしても護らなければいけないから――)
もしもテンマが今の言葉に傷付いて離れていったとしても構わない。寧ろ、そのほうが良いだろう。
もとよりランティスは一人で戦ってきたのだから。自分のするべき事は変わらない。
可哀想だが、テンマは信頼できる者に託せばいい……。
「ランティスは、僕の命の恩人デス。だからランティスの力になりたいと思ってます……」
「条件をのむ、と言うことか?」
健気なテンマの言葉に、一瞬、心が痛んだが、ランティスは厳しい態度を崩さない。
最後の意志確認をする。
しかし――ここでテンマは張り詰めた空気を壊すように、へらりと笑った。
「はあ……。ランティスは、本当に馬鹿デスね……」
おまけに「呆れた」と言わんばかりに、肩をすくめて見せる。
今まで真剣な思いで人生を歩んできたランティスは、その態度に怒りを覚えた。
「オレは馬鹿じゃない。ちゃんと、考えている――」
「確かにランティスは強いデス。エルドル王子だって大陸最強の魔術師かもしれない。だけど――」
テンマが不敵に笑みをつくる。
薄暗い寝室でも、琥珀色の大きな瞳がキラリと冴えた光を放った。
「僕はカナディス大陸最強の……天才デス!!」
「……は……?」
「ランティスも、エルドル王子も「天才」の僕には到底敵わない。
真実をもとに、僕なら最善の未来を拓いていける。
リルファちゃんの未来も、ランティスの切実な想いも、僕なら護ってあげられます。
条件はのみません。その必要が無い。だって――僕がいる限り、そんな危ないことにはならないからデス!」
「テンマ……」
拍子抜けするランティス。
ここまで自信満々に言われると、逆に笑えてくる。
――いや、そうじゃなくて……
「テンマ……おまえは、本当にめちゃくちゃな奴だな……」
ランティスは声を顰めて笑った。
笑いながら左手で目頭を押さえる。
道理もへったくれもなくて、可笑しいのに、テンマの想いが、力強さが……温かく胸をしめつけて、簡単に涙が滲んでくる。
「……嫌な言い方をして悪かった……」
天才少年を前に、とうとうランティスは折れる。
「気にしてないデスよ。それくらい、ランティスが必死だってことも分かりました」
「ああ。オレはずっとリルファーナを護ることだけだったんだ……。
オレのすべてを語ろう。そしてテンマ……その上で協力して欲しい」
「もちろんデス!」
「ありがとう。だが絶対にリルファーナには知られてはいけない。リルファーナは特別な存在だ――」
「精霊の愛し子だから?」
「確かに、精霊の愛し子と言うのは現代において特別だ。
だが遥か太古――精霊の愛し子よりも高位で、鉱物界、植物界……世界のすべてに愛された【精霊の巫女】という存在がいた。カナディス大陸とゴシュナウト大陸が、まだひとつの大陸だった頃だ。
だが、あることがキッカケで【精霊の巫女】は嘆き、嘆きに呼応した鉱物界は大陸を真っ二つにした」
「もしかして巫女と言うのは……」
さすが天才少年は察しが良い。
「リルファーナの前身だ――もしもリルファーナが巫女として覚醒し、ふたたび悲しみに覆われることがあれば、間違いなく大陸は破滅するだろうな」
「ランティスは、それを阻止したいんデスか?」
「いや……オレは正直、大陸が真っ二つになろうと、そんな事はどうでもいい。
オレはただ、リルファーナに……自分の存在に絶望して欲しく無いだけだ。
オレはあの時、消えていくことを望んでしまった【巫女】の心を救えなかった――」
思い出すと、全身に焼け付くような痛みが走る。
――後悔……そんな言葉だけじゃ足りない。
「ランティス……すべてを話してください」
「話す。何もかも。……どうして放送部をつくったのかも……」
二人は寝室を出た。
そしてランティスは語り始める。
時折苦しくなる心を、窓の外に見える、もうすぐ満ちようとしている月を眺めて紛らわす。
「オレのすべての始まりは――【精霊の巫女】に会った時だ……」
幾度生まれ変わっても、その時のことは鮮明に魂に刻まれている。
初めて【精霊の巫女】に名前を呼ばれた時のこと――ランティスは「曄藍」という名だった。
次回。
ランティス過去編に突入です。