第3章 「歌聲が導く未来」④
夜会が終わった次の日、
グランヴェル国放送部の打ち合わせに行くリルファーナ。
エルドル王子の思惑とは。
「【貴石の魔術師】、彼は本当に目障りな存在だよね。鉱物界の奴隷のくせに……」
宜しくお願い致します!
花の香りが鼻腔をくすぐる。
呼吸とともに清涼な甘さが胸をみたしていく。
(わたしの、大好きな花の香り……)
リルファーナは目を開けて、半身を起こす。
どんなに疲れていても決まった時間に目が覚めてしまうのは、幼い頃から変わらない。
起きたらまず顔を洗って朝食の準備をするのがリルファーナの仕事だった。朝食が出来た頃に、朝市で一仕事を終えた母のハンナが帰ってくる……。
花の香りがリルファーナに、思い出のたくさん詰まった故郷を想起させた。
だが、今目覚めたこの場所は、生まれ育ったラーニャ村の自分のベッドではない。まして、数ヶ月だがお世話になっているランティスの屋敷の自室でも無かった。
(わたし、夜会のあとに意識を失った……?)
完全に覚醒したリルファーナは、枕元に置いてある「花束」に気付く。そこには手紙が添えられていた。
リルファーナは手紙に目を通し、花束の送り主が誰か分かると自然と笑顔がこぼれた。
『今日のドレス姿、とても綺麗だった。
体調は大丈夫か?
くれぐれも無理はするな。
そばにいれなくて済まない。 ランティス』
心が温かくなる。
昨夜わざわざ来てくれたのだろう。しかもリルファーナが大好きな花束まで準備して……。
嬉しい反面、ランティスが大変なときに心配をかけてしまったと、申し訳ない気持ちにもなる。
「よし、今日も頑張ろう……!」
――滞りなく全てを終わらせて、みんなでリステリアに帰るために……。
リルファーナは身支度をするためベッドから降りた。
今日の予定は、大陸祭――通称【花祭り】の後にあるグランヴェル国放送部の出演に関して、打ち合わせをすることになっていた。
しかし思わぬ報せがリルファーナのもとに届く。
「今日の打ち合わせは、リルファちゃんだけでいいそうデス……」
「どうしてわたしだけ? 三人でリステリア国放送部なのに」
「エルドル王子からの伝言が届いたんデス。リステリア国放送部の「顔」はリルファちゃんで、魔力供給担当も、作家担当も足りているからと――」
「それは……そうかもしれないけど……」
グランヴェル国放送部のやり方があるのは理解できる。
確かに音声担当以外はとくにすることが無いだろう。エルドル王子は魔力があると言うし、こっちで台本を準備する必要もない。
――けれど、一人ではすごく心細い……。
昨夜の夜会で、リルファーナは身に覚えの無いことをエルドル王子から言われた。
『あんなに大陸を揺るがせておいて、君は何も覚えていないの』
そう言ったエルドル王子の瞳はとても冷たかったし、悪意にも似た感情をぶつけられてリルファーナは動揺した。また、あんなことになったらと思うと怖くなる。
「……ちゃんっ! リルファちゃん、大丈夫デスか!?」
耳元で自分の名前を呼ぶ焦った声が聞こえて、リルファーナは我にかえる。
ものすごく心配そうな表情をしたテンマがこちらを見ていた。
「リルファちゃん、何かあっても僕とランティスがいますっ! 」
琥珀色の瞳が強くリルファーナをとらえていた。
「夜会でエルドル王子と話してから、リルファちゃんの様子が変になったこと……僕もランティスもわかっています」
「……」
「それにエルドル王子からは、特殊な魔力のようなものを感じました。リルファちゃん、指輪はちゃんと付けてますよね?」
「うん。ランティスからもらった指輪ならここに――」
リルファーナは碧い石のついた指輪を見せる。
左手の人差し指に嵌めてもらってから、一度だって外したことはない。
指輪の使い方もちゃんと覚えている。何かあったらこの指輪を大地に触れさせればいいのだ。
「リルファちゃんが辛いと思ったら、迷わずその指輪を使ってください。大丈夫デス――どこにいても何があっても、必ずリルファちゃんのところに行きます」
「わかったわ……」
「それから、ひとつ提案があります。僕の……【闇】を受け入れて――」
「どういうこと?」
「もしも指輪が使えなかった時のためデス。……嫌、デスか?」
――嫌というよりも……。
そこまで危惧する状況だろうかと考えてしまう。
確かにリルファーナはエルドル王子が怖い。けれど実際に危害を加えられたわけじゃないのだ。
それに――
「テンマの【闇】を受け入れると、どうなるの?」
「リルファちゃん自身は何も変わらないデス。【精霊の愛し子】は加護を持っているから、【闇】にのまれる心配も無いんデス。もしもリルファちゃんの身に【闇】に関することが起きたとき、僕が感知できるようになります」
「まさか、エルドル王子は【闇】に――?」
「確証はないデス。誰しも心のなかに【闇】を持っているから。もしエルドル王子が悪意を持ってリルファちゃんに近付くなら、必然的に【闇】は表に出てくる。だから僕のなかで意図して作った【闇】を身に宿すことで、指輪が使えなくてもリルファちゃんがどこにいるのか分かるようになるんデス」
「テンマに、そんな力があったなんて知らなかった……」
「力のある者に【闇】は忍びよってくるから。人間界と、精霊のいる植物界に鉱物界……、その隙間から【闇】は自らが宿る場所を探しているんデス。宿られた者は心を失うかわりに、莫大な力が与えられる……」
「……わかったわ。わたし、テンマの【闇】を受け入れる」
断る理由は無い。
テンマのことも信じている。
(ランティスの指輪に、テンマの闇……二人がいつも傍にいてくれてるみたい)
それからテンマの指示通りに、【闇】を受け入れた。
驚くことに、一瞬でそれは終わった。
リルファーナが目を閉じて口を開くと、テンマが息を吹き込んだ。空気と共に飲み込むと、喉元を熱のこもった塊が流れていく。
少しだけ、左足が痺れた気がした。
「ようこそ、リルファーナ姫」
柔和な笑顔のエルドル王子が、リルファーナを迎えてくれる。
ここまで連れてきてくれた侍女にお礼を言って、リルファーナは室内へと入った。さりげなく辺りを見回して窓があることに安堵する。
何かあったら、あの窓から指輪を投げればいい……。
室内にはエルドル以外にもう一人、初めて見る男がいた。
若い青年で、笑顔もなくただじっとリルファーナを見つめたあと、ぶっきらぼうに挨拶をしてくる。
「ジューダという。宜しく……」
「もしかして、ノルカディア国のジューダ王子ですか?」
先日の満月の夜の放送で聞いた声と同じだから、間違いないだろう。
「そうだよ。私の親友のジューダ……彼も放送に加わるから宜しくね。
じゃあ、さっそく打ち合わせを始めようか。その前に……お茶を淹れるから待っていてもらえるだろうか」
「わ……わたしが、淹れます!」
エルドル王子がティーセットが準備されたワゴンを押しているのを見て、慌ててリルファーナは給仕役を買ってでた。
(王子様にやってもらうんなんて、できないもの……!)
コレットにお茶の淹れ方を教わっていて良かったと、心の底から思う。
それと同時に、この部屋に侍女は入って来ないのだということも分かった。
リルファーナはお茶を用意しながらも「外の空気を吸いたいから」と適当な理由をつけて、窓を開けることも忘れない。
これでいつでもランティスに報せることができる。
「――まず……放送は明後日の満月の夜。この部屋で行う予定だよ」
「はい!」
「了解した」
お茶で喉を潤しながらの打ち合わせが始まった。
この場はもちろん、グランヴェル国放送部のエルドル王子が仕切っている。
「放送で最初に話したいことは「大陸祭」について……。
きっと大陸中の皆が聴きたいと思っている話題だろうから。リルファーナ姫は初めてグランヴェル国に来たから、その感想も交えて積極的に発言してくれると嬉しい――。もちろんジューダ、君の声もたくさん聴かせて欲しい」
「はい! 頑張ります!」
「……わかった。善処する」
リルファーナも、隣にいるジューダも、意向に沿うように頷いた。
「良かった。当日は宜しくね。……私からは以上だよ」
「えっ? い、以上? 他にはっ――!?」
「いつもこんな感じだ」
拍子抜けしているリルファーナに、ジューダがさらりと言う。
「でも、これだけじゃ半刻も持たないですよね?」
「そうかな? なら……せっかくだし、リルファーナ姫の美しい歌でも披露してもらおうかな」
「わ、わたしの歌をグランヴェル国放送部で……?」
想像したリルファーナは一気に青ざめた。
(――無理っ! どう考えても無理っ!)
始めてから日の浅い、まだまだ弱小のリステリア国放送部でなら歌えた。でもグランヴェル国放送部は違う。規模が……聴衆の数だって違うだろう。
王族や貴族がエルドル王子に興味を持って聴いている放送だ。
そんな中で「子守唄」なんて、ただの耳汚しになってしまう……。
「いいんじゃないか? 大陸祭の後に、また【精霊の愛し子】の歌が聴けるんだ」
ジューダが賛同した。
しかしリルファーナは思い切り頭を振って主張する。
「それはあまりにも荷が重いというか……。
精歌隊の素晴らしい歌を聴いた人達に、わたしのお遊びのような歌を聴かせるわけには。それに……わたしはお聴かせできるような歌を知りません」
なんとか諦めてもらえないかと、必死に説得を試みるが、エルドル王子は折れない。
「じゃあ、この歌はどうだろうか? ……ああ、私は音痴だから気にしないでね」
そう言って、エルドル王子が小さな声で旋律を口ずさんでいく。
一方、リルファーナは困惑していた。
(音痴とか、そういうんじゃなくて……)
「あの……とても素敵な歌なのは分かるのですが、言葉が……解らなくて……」
そう――エルドル王子の歌は、カナディス大陸の共通語では無かった。
旋律はともかく、言葉は覚えるのに時間がかかってしまいそうだ。
リルファーナの言葉に、エルドル王子が一瞬きょとんとした表情をする。
もしかして高度な教育をされている者なら皆、知っている言葉なのだろうか……。
(無知なのは、もう……仕方ないよね……)
リルファーナは自分の無知を恥じ、顔を赤くして俯いた。
すると次の瞬間、エルドル王子は盛大に笑い出す。
その姿はあまりにも異様で――
いかにも可笑しいと声を上げて笑っているのに、瞳は見開かれ、表情は狂気を孕んだように歪んでいた。
(何か……変だわ……)
リルファーナの頭の中で警鐘が鳴る。
助けを請うようにジューダを見るが、彼はリルファーナを見て「フン」と鼻を鳴らすだけだった。
歌を知らないだけで、この反応はやっぱり不自然だ。
「クク……、君は本当に何もかも忘れてしまったんだね――」
やがて笑いを収めたエルドルが、低くて冷たい声音でリルファーナを刺す。
ぞくりと背筋に悪寒が走ったのが分かった。
「どういう……ことですか……?」
怯まずそう聞き返すと、エルドルは顔を歪めたままリルファーナを見遣る。
――昨日と同じ瞳だ!
反射的にリルファーナは顔を逸らした。
昨夜もエルドル王子の柘榴色の瞳に見つめられた時、全身が絡めとられたように身動きが取れなくなって苦しくなった。
テンマから言われたことが、頭をよぎる――
(指輪を使うべき時かもしれない……)
リルファーナは立ちあがり、窓際に向かって一歩ずつ後退する。
こんな時に限って、左足がじんじんと痛みを訴えてくる。
「ねえ、どこに行くつもり? 話は終わってないよ」
エルドル王子がリルファーナを追い詰めるように近づいてくる。その顔にもう笑顔は無かった。
ただただ蔑んだ瞳でリルファーナをとらえている。
(わたしが一体、何をしたというの…!)
釈然としない気持ちと、恐怖を噛みしめながら、リルファーナは右手で指輪を外し窓際へと後退する。
しかし――ずっと傍観していたジューダがここで痺れを切らしたように立ち上がった。
「エルドル、おまえは回りくどいのが好みなのか?」
ジューダがつかつかとリルファーナの背後に回り、素早い動作で右腕を捻りあげる。
ポトリと、指輪が床に落ちた。
リルファーナは慌てて指輪に手を伸ばすが、ジューダが先に指輪を拾い上げてしまう。
「返してっ――!」
「これは【貴石の魔術師】のものか。大方、助けを求めるつもりだったんだろうが残念だったな」
「【貴石の魔術師】……彼は本当に目障りな存在だよね。鉱物界の奴隷のくせに……」
ジューダが指輪を放り投げた後、リルファーナの両腕をまとめて拘束し身体の自由を奪う。
「……なんで、なんで……こんな事を……」
困惑するリルファーナに、エルドル王子は告げる。
「忘れているなら憶いださせてあげる――君がこの大陸にとって……どれだけ災いをもたらす存在なのかってことをね」
「……え……?」
「すべてを憶いだして……まずは君に絶望してもらわないと。
私が味わった絶望を、不幸になった人達の絶望を……。それを味わった後で、魂ごと支配してあげよう。【貴石の魔術師】のもとへはかえさない――」
(な、何を言っているの……? わたしが、災い……?)
エルドル王子が、リルファーナの顎を掴み、無理矢理に口を開かせる。
「君はね、私の愛する者を奪っていった……。
そのせいで私は苦しんで苦しんで、精霊の加護を捨て、【闇】に身体を捧げて呪いをかけた」
エルドル王子の顔が近づいてくる。
そして深い溜息のような細い息が、リルファーナの口腔に流れこんでくる。
――これは【闇】を受け入れる行為……!
リルファーナは抵抗できない。
飲み込んだあと、大きく咳き込んでしまう。
まるで体内で二つの【闇】が対峙し、せめぎあっているような感覚……。
「あれ? もう既に誰かの【闇】を受け入れてたの? ……なんて卑しい」
エルドル王子が吐き捨てるように言った台詞は、リルファーナの耳には届かなかった。
気を失い、意識の底へ堕ちていく……。
そこで、リルファーナはもう一人の自分――【精霊の巫女】としての自分と出会った。
次回。
全ての真実が明かされる、第4章が始まります。




