第3章 「歌聲が導く未来」③
グランヴェル国で開かれる夜会に向けて準備をするリルファーナ。
そこにやってきた助っ人は、マイラ夫人!
波乱の夜会が始まる――
グランヴェル国に到着して早々、コルネリア姫にどうしようもないことで釘を刺されたリルファーナは、テンマと一緒に自室として割り当てられた部屋でコレットの淹れたお茶を飲んでいた。
しかし寛いでいる二人の元へ、それは突然やってくる。まるで嵐のように……。
嵐と言っては失礼かもしれない――彼女は十数名のお針子の先頭に立ち、相変わらず煌びやかな衣装で颯爽と現れると、ビシリと扇子の先をリルファーナに向けてこう言った。
「私が来たからには、貴女は誰よりも美しい「壁の花」になってもらうわよ――!」
「マ、マイラ夫人!? どうしてここにっ――!」
「夜会のためにランティス様が、助っ人として呼び寄せたのです」
給仕をしていたコレットが事情を説明する。
鷹揚と構えたマイラー夫人は、声高らかに指示を出す。
「――さあ……やっておしまいっ!」
すると一斉に動き出したお針子達に湯浴み場へ連れていかれ、あれよあれよと言う間に服を脱がされ、リルファーナは全身をくまなく磨かれていた。
ちなみに後で知ることになるが、どうやらテンマも同じ状況だったらしい……。
「長旅で髪も肌も傷んでしまってるわね……。いいこと? 今夜はちゃんと眠りなさい! 色々気掛かりなことはあるでしょうけど、今の貴女の仕事はしっかり睡眠をとることよ!」
「はっ、はいっっ!」
マイラ夫人に言われ、温まった身体が冷えないうちに、リルファーナはベッドへ入った。よく眠れるようにと、コレットが安眠効果のある香油を張った湯を寝室に置いてくれる。
(ちゃんと寝なくちゃ。マイラ夫人に怒られちゃう……)
リルファーナは瞼を閉じたが、微睡みはなかなかやってこない。
身体の力を抜いてゆっくりと呼吸を繰り返していると、脳裏に浮かんできたのはランティスの瞳。
(ランティス、今頃どうしてるかな? まだ起きてるかな……)
それともコルネリア姫と一緒にいたりするのだろうか。
リルファーナは指先でランティスにもらった指輪を撫でる。ずっと身につけているように言われた指輪だ。寝るときにも外さずにいた。
撫でていると、心があたたかくなってくる。まるでランティスの心がそばにいてくれるような気がした。
いつの間にか、リルファーナは深い眠りの底へ落ちていった。
次の日――
マイラ夫人はさっそくリルファーナにドレスを試着させ、不具合などが無いかを確かめていく。
このドレスは放送部の取材の時に依頼したものだった。
出来上がると同時に、マイラ夫人が自ら、遠路はるばるグランヴェル国まで持ってきてくれたのだ。
「まるでこんな時が来ることを予測していたみたいね。それにわざわざ、この多忙な私を呼び寄せるなんて、今回の夜会……何かあるわね……」
そう言ったマイラ夫人の表情は、気合いで漲っている。
(今朝も、ランティスには会えなかったな……)
コルネリア姫とのお見合いは、まだ終わっていないのだろうか。
それにしても、あんなに綺麗な一国の王女と一緒にいて心を動かされないなんて、ランティスは一体どんな女性を好きなんだろう……。
リルファーナが考えに耽っていると、マイラ夫人にピシャリと注意される。
「淑女たるもの、悩みはあっても他人のそばでは顔には出さないものよっ! 辛いことや哀しいことがあっても、笑顔をつくり続けなさい!」
「は、はいっ!」
リルファーナは、姿勢を伸ばし口角をあげた。
グランヴェル国に来てから三日後の夜。
とうとうやってきた夜会――
隅から隅まで、全方位、どこから見ても完璧に仕立てられたドレスを身に纏ったリルファーナ。
この夜会の為にマイラ夫人から、立ち居振る舞いを含めた作法や会話の仕方など、あらゆることを詰め込まれた。
全ての準備が整った頃――
テンマがリルファーナをエスコートするためにやってくる。
テンマもまた、正装をしている。
いつも洗いっぱなしで終わっている短い赤茶色の髪の毛は、しっかり額を出すように撫で付けてあり、吸い込まれそうな琥珀色の瞳が露わになっている。漆黒の燕尾服、近寄るとの爽やかな柑橘系の香りがして、美少年にさらに色香が加わっている。
口元を引きむすんだ表情は、いつもの無邪気さが消えて、なんだかとても頼もしく見えた。
「さあ、戦う準備はできたわね――」
「戦うって……」
「夜会は戦場と思いなさい! 絶対に舐められては駄目よ! ドレスという装備をつけて、会話という武器で正々堂々戦うのよ――!」
「は、はいっ! 頑張ります!」
「自信を持ちなさい! そして――盛大に私の仕立てたドレスを見せびらかしてちょうだい!」
「はい! 行って参ります!」
テンマが腕を差し出し、それにリルファーナがそっと自分の手を添える。
二人が並ぶと一対の絵のように同調する。
テンマはリルファーナの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いた。
「ランティスに、会えるといいデスね」
「そうだね……。でも、ランティスばかりに頼っていられないから、ここは二人で乗り切ろう!」
「リルファちゃんらしいデスね。……なら、僕も本気でいきます」
「わたしも頑張るね」
大広間の重厚な扉が開かれる。
目に飛び込んできた眩い光と一斉に注がれる視線。その視線は、新顔のリルファーナとテンマをじっくりと値踏みするように絡みついてくる。
(わ……これが、社交の場……)
圧倒されるリルファーナ。
一方テンマは、ゆっくりと周囲を一瞥した後、小さな声で囁いてくる。
「大丈夫デス。僕についてきて――」
堂々とした一歩を踏み出し、リルファーナをエスコートしていく。
(わたしも! マイラ夫人に教えられたことを忘れないように……!)
テンマのエスコートに勇気をもらい、リルファーナもわざとドレスが揺れるように歩いた。そうすることで、このドレスはより一層際立つのだ。
リルファーナの欠点を補うように、胸元にはいくつもの宝石が縫い付けられていて、大広間の豪奢な照明が反射し、星の瞬きのような光を放つ。そして歩き方を工夫することで、自然と後ろ姿にも目線がいくようになっていた。
リルファーナが身につけているドレスの最大の特徴は後ろ姿だ――
鳥の羽根よりも軽く、シフォンのフリルより豪華な縦に揺れるラッフルが、背中から足元まで幾筋も流れている。
リルファーナの歩きに合わせて、ふわりと舞い上がる。
さながら――天使が羽根を広げて飛び立つ様を連想させた。
周囲が「ほお」と溜息をこぼし、ドレスに見惚れているのが分かった。
(――マイラ夫人……ちゃんと目立ってますよっ!)
心の中で厳しい教師に報告する。
きっとマイラ夫人のことだから、リルファーナの勇姿をどこかに紛れ見守っているに違いない。
大広間の中心を優雅に歩き、たどり着いたのは壁際だ。
リルファーナは踊れないから、ちょうど良い場所ともいえる。
――き、きた!
さっそく二人の元へ、一対の男女が近づいてくる。
どんな思惑を持っているかはわからないが、何があっても落ち着いて対処するしかない。
「やあ、見慣れない顔だね。初めまして。知っているかもしれないがワタシは、ハーメルン。爵位は伯爵だ――」
四十代半ばくらい、顎髭がちょっと偉そう……。
大方、自分より立場が低いと思って話しかけてきたに違いない。だってそうでなければ、爵位なんて名乗らないだろう。
テンマが応戦するように一歩進みでた。
「初めましてハーメルン伯爵。僕達はリステリア国放送部――エルドル殿下の招待で参りました。
僕の名前は、テンマ・シーヴォ……、グルセニア……」
「グ、グルセニア……ということは、グルセニア伯爵の……!?」
顎髭伯爵の顔色が一変する。
リルファーナもテンマが家名を名乗ったことに驚いた。
だがそうしなければ舐められてしまうと、テンマ自身が判断を下したに違いない。
「ええ……そうデス。グランヴェル王室に古くから仕えるグルセニアの者デス。
といっても、僕はリステリアに帰ったら、ランティス・ソワール・フォンセ・リステリア王子の養子なることが決まっているので、グルセニアと名乗ることはもう二度と無いでしょう……」
涼しげにテンマが言い放つと、顎髭伯爵は引きつった笑顔を浮かべた。
まさかテンマが自分同じ伯爵の家柄の者で、しかも王家と関わりが深いなんて予想もしてなかったのだろう。それだけじゃない――ランティスの養子なるということは王族の仲間入りだ。伯爵位より断然上の立場だ。
(テンマの完全勝利ね……!)
今度は顎髭伯爵がエスコートしていた若い夫人が、リルファーナに声をかけてきた。
「貴女のドレス斬新で素敵ね。どちらの工房で仕立てたものかしら? 私はこの日のために、グランヴェル国で老舗と名高いエーリア工房に一年前から頼んで仕立ててもらったのよ……」
まるで「私のドレスほうが優れている」と心の声が聞こえてきそうな口ぶりだ。
リルファーナは心の中でマイラ夫人に感謝する。この手の口撃は予測済みだ。
「お褒めに預かり光栄ですわ。わたしのドレスは……マイラ工房で仕立てて頂きました」
「――うそ……!」
さっきまで余裕そうに微笑んでいた夫人が驚きで目を見開く。
そこには悔しさと羨望の色が浮かんでいた。
(エーリア工房は知らないけど、さすがマイラ夫人……)
いくら老舗の工房が相手だとしても、マイラ工房だって負けてはいない。
今、一番社交会で話題を集めているのだから……。
「一年先まで予約がいっぱいのマイラ工房に……あなたなんかが、どうして……」
「あら、そうでしたの? マイラ夫人には仲良くしてもらっていますの。先日のお誕生日には、個人的に贈り物も頂きましたのよ……」
リルファーナは鷹揚とした態度をつくって言った。
仲良くは……正直言い過ぎだ。
正しくは「教師」と「出来の悪い生徒」といった関係のほうが近い。
「まあ、羨ましいこと……」
女がさらに悔しさを滲ませて言った。
(この人から悪意は感じられないわ……)
ちょっと自慢話がしたくて近づいてきたのだろう。むしろ素直な反応には好感がもてる。
もっと大勢の前で笑い者にするような悪意を持つ者だって、この中にはいるかもしれないのだ。
リルファーナがほっと胸を撫で下ろしていると、大広間の空気が変わった。
ざわついていた人々が一点に集中し始めている。
伝播してきた会話が耳に届いた――
「エルドル殿下と、コルネリア姫だ……!」
どうやら主役が登場したらしい。
リルファーナも目を凝らす。
大広間の中央に美しく着飾ったコルネリア姫がいた。では隣にいるのがエルドル王子だろうか。
(――確かに噂通りね……)
さながら太陽の化身のようだ。見目麗しく、温かな雰囲気は周りを明るくさせる。絶対的な存在感――
着飾った者達の中にいても、エルドル王子だけは別格に見えた。
「ランティスもいますよ、リルファちゃん!」
「……ランティスも? あっ……」
――いた!
二人の後ろ……正確にはコルネリア姫の斜め後ろだ。
(ランティス、やっと会えた……)
「ランティス、かっこいいデスね」
「うん。そうだね」
リルファーナは素直に頷いた。
エルドル王子が太陽なら、ランティスはさながら月の化身だ。
白銀の燕尾服に、いつもと同じように魔術師の象徴である黒いマントを右肩にだけ羽織るように留めている。それが黒い闇のなかに浮かぶ白銀の月を思わせた。
テンマと同じように、額を見せるように整えられている髪。
エルドル王子も美しいけれど、リルファーナの瞳はランティスにだけ釘付けになる。
今すぐにでも駆け寄りたい気持ちをぐっと堪えた。
エルドル王子が右手を持ち上げると、大広間は波がひくように、しんと静まりかえる。
「皆、今宵はよく集まってくれた。感謝する。
グランヴェル国のため、大陸祭のため、国王は心を砕き今も働いていらっしゃる。「夜会には出席できないが、皆、楽しんで欲しい」と仰っていた――。
さあ、堅苦しくする必要はない。今宵は存分に英気を養って欲しい――!」
そう言ってエルドルが目配せすると、楽士隊が音楽を奏で始めた。
夜会の始まりだ――。
男女が手を取り合い広間の中央に向かっていく。そして音楽に合わせてステップを踏み始める。
こうなると踊れないリルファーナは完全に壁の花となる。
コルネリア姫をエスコートしていたエルドル王子が、ランティスに何事か声を掛けた。頷いたランティスはコルネリア姫の手を恭しく取り、エスコート役を交代する。
――二人が踊りはじめる。
コルネリア姫が嬉しそうな表情でランティスを見つめていた。
「エルドル王子が、こっちへ来ます……!」
「え、うそ……」
人だかりが二つに分かれ道ができていく。その間を颯爽と歩いてくるのは、エルドル王子――。
彼は迷うことなくリルファーナの前まで来ると、少しだけ膝を曲げ手を差し出した。
――これは挨拶だ。
リルファーナが緊張しながらエルドル王子の手に、自分の手を重ねた。
するとツヤツヤに整えられた細い指先に口付けを落とされる。
「ようこそ、グランヴェル国へ――リステリア国放送部の美しい歌姫……。
貴女にお会いできて、今宵は胸がいっぱいです」
甘くて柔らかな声音、眩しい笑顔。
近くで見ると美貌はもちろんだが、背も高くて、しっかりとした鍛えられているのだと分かる身体つきをしている。
世の中の女性が、テンマが、カッコイイと言うのも頷ける。
「はじめまして。リルファーナ・ルナディアです。お招き心より感謝致します」
粗相の無いようリルファーナは、最大限の注意を払い丁寧に挨拶をする。
そんな二人の様子を、周囲は遠慮の無い視線で見てくる。
(マイラ夫人、予想以上に壁の花は今、目立っております……)
リルファーナが心の中で逐一報告していると、エルドルが提案をしてくる。
「良ければ、私と踊っては頂けませんか?」
「……!」
まさか他の淑女を差し置いて、エルドル王子の一番最初のダンスのお誘いが、自分にくるなんて……。
ますます周囲の視線が痛く感じた。
「ごめんなさい。わたし、生まれつき足の具合が悪くて踊ることができないのです」
リルファーナは眉尻を下げ、申し訳無さそうに断りを入れる。
これも練習済みだった。
「これは失礼致しました淑女。貴女のような美しい女性が踊れないなんて、まるで御伽話の呪いをかけられた姫君のようでお労しい。残念ですがダンスは諦めましょう。
でもそのかわり……この一曲が終わるまで、貴女の手を取らせては頂くことは叶いますか?」
「それなら、ええ……喜んで……」
リルファーナは差し出されたエルドル王子の手に、ふたたび自分の手を重ねる。
するとダンスをする時のように、ぐっと引き寄せられた。
(も……もしかして、曲が終わるまでずっと、このまま……!?)
どうしよう。まるでこれじゃ抱きしめられている感覚に近い。
ただでさえ男性に不慣れだというのに、エルドル王子との近すぎる距離と周囲の嫉妬の眼差しで、緊張を通り越して目眩がしそうになる。
じっとリルファーナの瞳を見つめてくるエルドル王子。視線を逸らすのも失礼な気がして、なんとか笑顔を絶やさないように気をつけながら、必死の思いで見つめ返す。
そばにいるテンマの気配だけが、唯一、心の救いだった。
エルドル王子が囁いてくる。
「私は貴女の歌を聴いたとき、遠い昔――どこかで出会ったような、懐かしい気持ちになりました。
貴女は? 貴女は私に会って、何か感じませんでしたか?」
「え? わ、わたしはエルドル様に、もしも、お会いしていた事があるなら、忘れるはずが無いと思うのですが……」
――出会った記憶は無い。
普通に庶民として生きていて、王族と会うなんてこと、まずあり得ない。
「ふふ、放送を聴いたときも思いましたが、貴女は本当に面白くて無垢なのですね……。
あんなに大陸を揺るがせておいて、ご自分では何も覚えていないとは――」
「……!?」
エルドル王子の瞳に、今までとは違う何かが混じって見えた気がした。
「それは、どういう……」
――どういう意味ですか? そう問おうとした刹那、ズキリと頭が痛んでリルファーナはよろめく。
「リルファちゃんっ!」
「危ない……ちゃんと掴まって、そして私の瞳を見て……」
エルドル王子がさらに顔を寄せてくる。
――瞳が逸らせない……。
美しくて柔和なエルドル王子の 柘榴色の瞳は、すべてを飲み込む炎のような激しさを孕んでいて、リルファーナの背筋に恐怖が走る。
(なにこれ。――なにか、くる……!)
エルドル王子の瞳に捕らえられ、身体が強張る。頭がズキズキとして何かを訴えている。
何かを思い出そうとしている……?
(このままじゃ、わたし……)
冷たい汗が首筋を伝ったとき、大広間にざわめきが起こった。
何事かとエルドルが顔を逸らしたとき、リルファーナは呪縛から解放されたように、一気に楽になった。
ふと視線を感じたので見ると、コルネリア姫とダンスをしながら、ランティスが心配そうな表情でこちらを見ていた。
(……ランティス……)
夜明けの空を切り取ったかのような、愛しい瞳とぶつかって、リルファーナは心から安堵する。
一方、広間のざわめきは次第に大きくなっていく。
その理由はいくつもの囁きが教えてくれた。
「――精歌隊がなぜここに?」
「歌姫よ……歌姫がいるわ……」
夜会には不釣り合いな、顔と全身を覆う長いベール身に包んだ者が二人、きょろきょろと辺りを見回していた。
一人は長身で「歌姫」と指をさされているが、背格好から男性と分かる。もう一人は、背は低く華奢な身体つきをしている。
「精歌隊……もしかして……」
ある予感がリルファーナの胸をつく。
精歌隊と呼ばれた二人は、やがて目的を定めたようにリルファーナのもとへ真っ直ぐ向かってきた。
はしたない事も忘れ、リルファーナも駆け寄った。
「クリスティナ姉様ですよねっ!?」
「そうよ! 久しぶりねリルファーナ、私の可愛い妹……!」
ベールの奥から弾んだ返事が返ってきた。
今は精歌隊にいるリステリア第一王女のクリスティナは、久しぶりに会った妹を抱きしめて左頬に口づけをする。
見守っている大勢の者たちは、皆、言葉を失っていた。
「精歌隊の口づけは仲間だという証……。精歌隊は仲間以外の人間には触れないと思われているわ。
だから今の私の行為は、リルファーナは【精霊の愛し子】だと知らしめたのよ。もう世間は貴女を貶めることはできないわ……」
抱擁をしながらクリスティナが耳元で囁いた。
リルファーナは胸がいっぱいになる。
「ありがとう姉様……」
「突然、夜会を混乱させてしまって申し訳無い……。
どうしてもクリスティナが、妹に会いたいと言うものだから……」
クリスティナとともにいた長身の歌姫が、そばにいるエルドル王子に謝罪をしていた。
エルドル王子は首を傾げる。
「妹とは? リルファーナ・ルナディアは一体何者なのです?」
その問いに答えたのは、さらに別な人物だった。
「リルファーナ・ルナディアはリステリア国第二王女だ。故あって、王族の扱いはされていないがな――」
「……!」
「レイアルド兄様! お久しぶりですわ!」
クリスティナが嬉しそうな声をあげて、やってきたその人物――レイアルドに抱きついた。
「クリスティナ、元気そうで何よりだ……。
エルドル殿下も息災のようだな。せっかくの夜会……リステリア王家の者が騒がしくしてしまって済まない」
「レイアルド殿下。いつグランヴェル国に……?」
「今しがた着いたところだ。国王の名代で大陸祭に出席することになっている。
しかし……エルドル、グランヴェル国は相変わらず豊かでいい国だな――」
「有難う、レイアルド。しかし驚いたよ。放送部の歌姫が【精霊の愛し子】であり、本物の姫君だったなんて……」
「ああ、どこの国でも事情はあるもんだろ?」
「ははっ、そうだね……」
同じ第一王子同士だからか、二人は握手を交わしながら、友達のように言葉を交わしている。
めまぐるしい状況に、半ばついていけないリルファーナ。
(この人は、きっと……)
突然目の前に現れたと思ったら、リルファーナの素性を暴露した男。
――レイアルド・ソワール・フォンセ・リステリア。リステリア国第一王子。
(わたしの兄様……)
会うのはこれが初めてだった。
レイアルドとクリスティナは、リステリア国王と王妃の子供だ。
一方、ランティスは王妃の不貞でできた子で、リルファーナは国王が寵愛した侍女との子だ。
「エルドル、国の未来を担う者同士……積もる話をしようじゃないか!」
男らしい豪快な雰囲気のレイアルド。
「そうだねレイアルド。ここじゃ落ち着かないから静かな場所へ移動しようか。
それでは失礼、姫君たち。夜会を楽しんで――」
エルドル王子が去っていく。
その後ろ姿を見送りながらクリスティナが、可笑しそうに笑っている。
「レイアルド兄様、あれでリルファーナを守ったつもりでいるわ……ふふ……」
「守った……?」
「ええ。私もだけど、レイアルド兄様も、きっとランティスから頼まれていたのよ」
「どういうこと?」
「自分が動けないから、そのぶんリルファーナのことを頼むってね……。昔から超過保護なのよランティスは……。
でも間に合って良かったわ。エルドルは何て言うか、昔から底の見えない人なのよね。
それと紹介するわね。わたしの婚約者の歌姫よ――」
「はじめまして。ナギと呼んでくれ。放送での歌聲……素晴らしかった……」
「ありがとうございます」
姉と一緒にいたベールの男は、婚約者だったのか。
そういえば、クリスティナが精歌隊についていくことになったのは、クリスティナ自身素質があるには言うまでも無いが、「好きな人ができたから」とも言っていた。
(姉様、幸せそう……)
大好きな人が幸せでいてくれること……それが、リルファーナにとっては何よりも嬉しいことだった。
「リルファちゃん、大丈夫デスか?」
「テンマ心配かけちゃったね。ごめんね」
「エルドル王子は、油断ならないですね……」
テンマが少し険しい表情をしていた。
ふたたびテンマにエスコートされて、リルファーナは夜会を後にする。
緊張から解き放たれ、どっと疲れが噴きだしてくる。
(途中までは平気だったのに……)
エルドル王子に会ってから、リルファーナは自分の中に異変を感じていた。
王子に手を取られ、見つめられた瞬間から……。
柘榴色の瞳を思い出すと、ぐらりと視界が歪んで、リルファーナはよろめく。
「リルファちゃん!」
傾いた体をテンマが支え抱き上げると、どこから見ていたのか……マイラ夫人が駆け寄ってきた。
「よく頑張ったわね! 顔色が悪いわっ、早く休ませましょう。ドレスを脱がせるから部屋に運んで!」
「はい!」
朧げな意識なかで、リルファーナは助けを求めるようにランティスの名を呼んでいた。
次回。
グランヴェル国放送部に出演するために打ち合わせに参加するリルファーナ。
「君が、自分がどういう存在なのか、理解する必要がある――」
エルドル王子が、リルファーナに突きつけた現実とは。
ここまで読んで頂き有難うございます!




